57.
◇
一日目の調査は、森の外周の部分だけだった。
ぐるりと森の肌をなぞる様に一周しただけ。初めて訪れる人間に対しての地形の把握が一番の目的か。
見渡しても、見えるのは鬱蒼とした森と、紅蓮討伐隊の赤色ばかり。
紅蓮討伐隊と蒼穹討伐隊の溝は深いらしく、紅蓮討伐隊は東半分、蒼穹討伐隊は西半分を担当するとのこと。容易に接触ができない状況だ。シレネたちとはテントの場所も異なるし、全然会えていない。
途中何度か魔物が顔を出したが、セリンと名乗った女性が腰に差した剣を引き抜いて排除していた。流石にキーリに認められるだけあって、その剣の閃きは冴え渡っている。
「私は騎士団に所属してるんだよ」
セリンは俺たちの護衛に重きを置いているようで、小隊の後ろを歩く俺たちの周りを歩いていた。
「騎士団ですか。とても優秀なんですね」
「そんなことないよ。そこまで行くのに色々とあったし、なんとか滑り込めたって感じ。家柄も良くないしね。だからマリー様には期待してるんだよ。生まれに関係がない、もっと平等な社会にしてほしいなって」
ちらりとマリーに目をやって、ウインク。
マリーはその視線を避けた。
「ああ……嫌われちゃった?」
眉を寄せるセリンに、バンが近づいていく。
「おまえは何をやってるんだ。今でこそ学生の身分でいらっしゃるが、卒業すれば私たちの手の届かないところに行かれるお方だぞ。馴れ馴れしくするな」
「わかってるわよ。だけど今は学生なのも真実でしょ。私たちの声が届くのも今だけかもしれないじゃない」
「それは間違っていない。しかし、出会ってすぐにする話ではないだろう」
「そう? 思い立ったが吉日でしょう?」
「まったく。脳と体が直結している人間は悩みが少なそうでいいな」
「口数少なければ頭いいと思ってる人ってダサいわよねえ」
勝手に白熱する二人。
小隊の誰も仲介に入らないところを見るに、日常茶飯事の会話なのだろう。
マリーはすでに二人に関心を有していないようで、欠伸をしてから俺を見た。
「なんでこっちを見てるのよ」
「見たいから見てるんだよ」
「馬鹿なの? その理由を聞いてるんだけど」
「理由が必要か?」
「……わざわざ欠伸をかいてるところを見なくてもいいでしょ」
ふん、と鼻を鳴らす。
満更でもなさそう。
「へええ。マリー様ってそんな顔するんだあ」
セリンに見られたことで、マリーは一瞬でばつの悪そうな顔になった。
重い過去があるから仕方がないが、マリーもマリーでコミュニケーション能力は高くない。一度仲良くなってしまえばいいんだが、基本的に嫌悪感からスタートするからな。
「今はまだ学生ですからな」
バンも含みのある頷きを見せたことで、マリーの顔が赤くなる。
わなわなと震えていて、不覚をとったということが丸わかり。
二人が前を向いた後、俺の尻に蹴りが飛んできた。
俺は弁解も何もしない。仏頂面のマリーよりも、今のマリーの方が可愛らしいことは間違いないから。
まあ、そんな感じ。
俺たちの討伐隊の調査任務一日目は、そんな他愛もない日常であった。
気を引き締めなければと思いながらも、二日目、三日目も同様の調子だった。
◇
四日目は少し深めに森の中に入った。
しかし、入ったと言っても浅め。俺とシレネが死闘を演じた場所に比べれば、全然踏み込んでいない。
どうやら調査には万全を期して望んでいるらしい。
その考え方には好感が持てた。
いくら聖女様が神託を下したとはいえ、本格的な魔物の大軍の襲来は数年後。今はまだ走りの段階だ。ここで被害者が出てしまえば、士気の著しい低下は否めない。将来に向けた布石ということであれば、俺たちの同行も足かせにはならないだろう。
というわけで、四日目も無事に終了し、野営地に戻ってきた。
「今日も疲れたねえ。いっぱい歩いて頑張ったねえ。その努力を賞して、学生諸君、私が夕食を奢ってあげよう。なんでもいいよ」
セリンが満面の笑みで誘ってくれる。
「わあ! 是非!」
とレフが笑顔を作る横で、マリーは浮かない顔。
出会って四日経過しても、彼女の心の壁が崩れることはなかった。
「私はいいわ」
そう言い残し、さっさと背を向けてしまう。
そうなると俺もついていくしかない。
「すいません、俺たちはこれで」
「がーん。また振られちゃった……。大丈夫かな。私、王女様に嫌われてない? マリー様が学園卒業してすぐに斬首刑とかにならないかな」
「大丈夫です。私の方が失礼なこといっぱいしてるので。お酒をマリー様の服に零しちゃったこともあります」
堂々と宣うレフ。
メンタル最強はこの子かもしれない。
「……うわお。そんなことしちゃったの? でも、仲良くやってるんだねえ……。よし、レフちゃん。今日はマリー様と仲良くなるための話を聞かせて。ともに飲み明かそう! ライちゃんも来るよね?」
「そうですね。騎士団の話も聞きたいですし、ご一緒させてください」
「よっしゃ。いろいろ教えてあげちゃうよ」
連れだって去っていく面々。
小隊の他の四人もそれぞれ別の方向に散っていった。
俺はマリーと共に歩き出す。
「いいのか、あんな態度とって」
「何よ、ご不満? あんたが望むのなら、尻尾を振ってもいいけど」
「嘘つけ。俺の言う事なんか聞いてくれないくせに」
「嘘よ」
顔色一つ変えずに言い切る。
マリーも順調にひねくれてきてるな。俺の影響を受け過ぎだ。
「ねえ、どうして私がここまで生きてこられたと思う?」
野営地の活気は高い。
離れたところでどんちゃん騒ぎしているのを横目に、マリーは神妙に口を開いた。
「どういう質問だ?」
「私はただの一般人よ。王冠は持ってるけど、特別な勉強や訓練を受けたわけじゃない。味方もいない、自分の身を守る術すら知らないか弱い存在よ。霊装が私のところに現れて、王子から差し向けられた刺客は数人、数十人、数百人は下らない。昼夜問わず、喧騒問わず、常に命を狙われ続けた。そんな中、どうやって私が生き残ったか、貴方は疑問に思ったことはない?」
霊装ティアクラウンの力。
言葉を放てば誰だって首を垂れる、最強の霊装。しかし当然、それを発現させて口を開くのはマリー本人だ。睡眠中など、不意打ちを受ければそんなことはできない。
マリーの力は霊装だけではない、と言いたいのだろう。
「わかるのよ、殺気っていうのが」
言われてみれば確かに、夜中寝ている際に襲われることだって多かっただろう。
護衛の一人も立てない少女が生き残れるはずがない。きっとマリーは嫌でも人の黒い感情を理解してしまったのだろう。
「学園にいる間はほとんど忘れてたけれどね。私を自分の手で直接殺そうとしている人はいなかったもの」
「むしろ間接的に殺すことが望まれていた場所だからな」
「ここは違うわ。生身の肌にナイフを這わせるような、無遠慮な殺意ばかり。嫌になる」
「いつからだ?」
「最初からよ。今日のは酷かったわね。合図があればいつでもって感じだったわ」
「なんで言わなかったんだ」
「貴方に伝える術がなかったのよ。だって全方位から殺気を受けてたんだもの。これ以上警戒されてもつまらないわ」
ぞくっとして、俺は周囲を見渡した。
周囲を歩いている紅蓮討伐隊の隊員。
この中に明確な殺意を抱いている人間が複数いる。
赤色。
マリーの髪の色。
王女の色。
ほとんどがマリーのことを王女だとみなし、敬語と辞儀を欠かさない。
”なんで”?
何をもって彼らはマリーに敬意を称しているんだ。
「……ねえ。私の勘違いならいいんだけど」
マリーは顔を引きつらせていた。
「私たち、本当に、”紅蓮討伐隊”にいて、いいの?」
「あ、いたいた」
俺たちの会話に割り込む様に、見知った顔が駆けてきた。
アイビーは俺たちに笑顔を向けると、「なんだよ、顔が暗いぞ」とサンドイッチを差し出してくる。
「それ食って元気出してよ。お得意さんだし、料金は無料だよ」
「おやっさんに怒られるぞ」
「いいのいいの。私がいくら売り上げに貢献してると思ってるの」
確かに、アイビーは要領もいいし、笑顔も素敵。野営地に咲いた一輪の花。彼女目当ての客も少なくないだろう。それを見越してアイビーに話を持っていった店主も中々にやり手だな。
「あとこれ、お手紙ね。白黒髪の美人さんから」
シレネのことだ。
今は蒼穹討伐隊で調査任務に当たっている。
彼女のテントは蒼穹討伐隊の中にあるし、紅蓮と蒼穹はびっくりするほど仲が悪い。接触を持つのも難しかった。商人たちは中立を貫いているし、交流するならここを介すしかない。
「ありがとう」
受け取って中を開く。
『早く会いたいですわ。グループ分けから不満がありますの。どうして私とリンク様が離れてしまうのか。意味がわかりませんわ』
ぷりぷりと怒っている様子が思い描ける。
『グループ分けに意図を感じますわ、すわすわ。許せませんの』
そんなことが書いてあった。
「なんて書いてあったの?」
「他愛のない文句だったよ」
「そうなんだ。確かに手紙を渡されたときも、会えたら渡しておいてって軽い調子だったなあ」
「ま、あっちはプリムラも一緒だ、犬猿の仲だけあって、あいつも鬱憤が溜まってるんだろ」
ちょうど近くに焚火があったので、俺は手紙を放り投げた。
一瞬で灰になる手紙。
「あ。燃やしていいの?」
「いいんだよ。下らないことしか書いてないんだから」
「返事は書かなくていいの?」
「ああ。もしもシレネに会う事があったら『わかってる』とだけ伝えておいてくれ」
「りょうかーい」
アイビーは軽快な足取りで元来た道を戻っていった。
「いいの?」
アイビーが見えなくなってから、マリーが口を開く。
「大切な人からの手紙でしょう?」
「おまえの方が大切だよ」
「合格。ま、心からの言葉ではないでしょうけど」
マリーははにかむように笑って、言葉を続けた。
「で? 本当に良かったの? こっちの状況を伝えるべきじゃない?」
「必要ない。今ので俺とシレネの意思疎通はとれた」
「……?」
首を傾げるマリー。
さっきの紙一枚で何が理解できるのか。
別にできないさ。
あれはただのシレネの愚痴だ。
大事なポイントは、当たり前のところにある。”グループ分けに意図を感じる”という部分。俺たちとシレネたちとで分断された生徒たち。戦力や男女比率でも明らかに隔たりが存在する。公平な振り分けではない。
これは当然、意図されたもの。俺たちだってそれがわかっている。
いや、わかった気になっていた。
マリーの処遇によって分かれた二つの討伐隊。
戦力が明確に分けられた二組。
意図が介在している空間で、だったらどうして、俺たちは振り分けられた方が味方だと思っていたんだ? 配属を決められる人間がいるのなら、戦力を削いだうえで、敵地に放り込む。当たり前の話だ。わざわざしっかりと組み分けを行った後に、味方の中に放り込むわけがない。
「おまえの言う通りだよ、マリー。シレネもそれに気が付いたから、意味のない手紙をアイに渡したんだ」
検閲の恐れもある手紙。
だから直接書かなかった。
マリーが俺に注意してきたタイミングで良かった。
「つまり、逆だったんだ。ここにいる紅蓮討伐隊全員が敵だってことだよ」
「……馬鹿じゃないの」
マリーが馬鹿にしたのは、俺の言ったことに対してじゃない。
この状況を創り上げた人間に対してだ。
「道理で鬱陶しい視線が多いわけね」
「おまえのコミュニケーション能力が低いことは知ってる。だとしても小隊の誰とも仲よくしようとしなかったのは、殺気があったせいか」
「あんただって人付き合いがうまいわけじゃないでしょ。まあ、殺気まき散らしてる人間と仲良くするほど私だって酔狂じゃない」
途端、すべての前提が真逆になるのだから面白い。
紅蓮討伐隊は俺たちの評価を良くするために、油断させるために、マリーをわざと持ち上げていた。
蒼穹討伐隊が無関心だった理由は判然としないが、きっとどっちでもいいと考えている人間が多いのだろう。マリーはまだ何を成し遂げたわけでもない少女だものな。
殺意と無関心に彩られた周囲。
結局、この場にマリーを守ろうと考えている人間はほとんどいない。味方なんか最初からいなかった。アステラくらいなものだ。
周りを歩く人間のほとんどが敵。
それがわかったのに、マリーの顔色は平素と変わらなかった。
「そういうもんでしょ。私だって皆の立場なら、なんだこいつはって思うわよ。一般人が急に出しゃばって来て王女を気取るな、ってね。ぽっと出の王女が恨まれないわけがない」
「殺気には慣れてるからか? 随分落ち着いてるな」
「以前と違って、私は一人じゃないもの」
マリーは俺を見据える。
「隣に貴方がいれば、他には何も必要ないわ」
「買いかぶりも頂点に達したな。雑兵一人に命を預けるのかよ」
「貴方の力は疑っていないわ」
「それが買いかぶりだって言ってるんだ」
「弱気じゃない」
「逆だ。おまえが強気すぎる。死にたくはないだろ?」
「私はね。貴方の力、それ以上に、貴方の心を疑っていないのよ」
笑う。
哂う。
嗤う。
マリーはいつよりも妖艶に、綺麗に、狂気に、笑顔を見せる。
「私が死ねば、あんただって死んでくれるでしょう?」
その言葉は呪いにも似ていた。
強く俺の心に食い込んでくる。
「貴方が強いことは知ってる。それ以上に、お人良しだということも、私のことを少なからず好きでいてくれることも、知ってる。確信があるわ。私が死んだ後、貴方はきっと後を追う」
見えない鎖が見えた。
それは俺とマリーとを繋ぐ、黒くて綺麗な鎖。あるいは、絆と呼ぶもの。
「ここ最近、ずっと気持ち良く眠れてる。今までの人生で、睡眠が心地いいなんて思うことはなかった。だって明日が拝めないかもしれないんだもの。怖くて冷たくて辛いのよ。だけど、私は知ってしまった。貴方の傍にいること、貴方の腕の中で眠ること。このまま目覚めなくてもいいと思えるくらいの幸福があったわ」
マリーは俺を見た。
「貴方の腕の中でなら、死んでもいい。それは一生の陶酔になるでしょう」
生きたいと願った少女は、死んでもいいと口にする。
前を向いた少女の眼は、隣の人間に固定される。
「それも買いかぶりだな。俺はおまえが死んでも後を追ったりしない。俺にはおまえとは別に生きる目的があるからな」
「嘘つき。それはただの”理由付け”じゃないの?」
「……」
俺は肩を竦めた。
人を愛する事。
魔王を倒す事。
どっちも俺の目的。どっちも真実。
答えるべき言葉を持っていなかった。
「少なくとも、私はそう思ってる」
マリーは艶やかに笑って、俺の目を見つめた。
彼女は、俺の気持ちをわかっている。
「貴方好みのいい女でしょう?」
「ああ。嫌いじゃない」
「初日、貴方とライの会話を聞いていたわ。鶏問題だっけ? 答えは簡単よ。素質のある存在が、途中で変化しただけ。鳥が途中から卵を産めるように変わっていっただけなのよ」
「じゃあその鳥はどう生まれたんだ?」
「卵からじゃないわ。別の生物から変異したの。じゃあその変異前はって話をするのなら、生物の起源の話になるけれど?」
「そういう話じゃないもんな」
「先天性の素質と後天性の変化。そういう意味で、貴方の疑問に答えるわ。私は最初からこういう人間だったの。でも、気づかせ、助長されたのは貴方。私が今、私としてこの場に立ってるのは、貴方がいたからに他ならない」
俺のせいで。
あるいは、俺のおかげで。
マリーはマリーとして、この場に立っている。
「責任、とってよね」
思わずため息が漏れるくらいに重い責任だ。
俺の死くらいで贖えるものだろうか。
が、それくらいで済むのなら、俺としても望むところ。
「俺でいいのか?」
「貴方がいいの。貴方以外では駄目よ。代わりに貴方が死ぬのなら、私も死んであげる。地獄でも抱きしめてもらわないと」
うっとりするような顔。
マリーがそんな顔をするなんて、前世では思いもしなかった。
「せめて天国で、だろ」
「私が天国に行けるはずがないわ。何人と殺してきてるんだもの」
マリーの髪の色。
血の色。
死の色。
「だから、すべて今更なのよ。貴方に会って、私が私のままで生きていいと確信できただけ」
「大きな成長だな」
「ええ、とってもね」
「今更何人増えようが、変わらないってことだな」
「わかってるじゃない。あんただってそういう腹積もりでしょ」
話が早くて助かる。
紅蓮討伐隊で良かった。
そう思ったのは、何も彼らがマリーに協力的だったからではない。
どっちでも良かった。
仲間なら仲間。
敵なら敵。
抱きしめるか食い殺すかの違いだけ。
蒼穹討伐隊が中立ということがわかったのは朗報だ。
紅蓮討伐隊の惨状を目にすれば、自分たちの立場ってやつも理解するだろう。
「文字通り、赤色に染めてやる」
「私は貴方のことを理解しているわ。貴方を買いかぶってなんかいない。やれるんでしょう? やってみせなさい、私の騎士」