54.
◇
案内されたテントは周りと比較して、随分と豪奢なものだった。
広さ、装飾、調度品、どれをとっても野営地に立つべきものではない、貴族の一室を模している。ベッドには天蓋までついていて、どうやって持ってきたのかを疑いたくなる。
「何と言っても、マリー様がいらっしゃると聞いたからね。しっかり準備させてもらったよ」
キーリは得意げだ。
俺はマリーの顔を見やる。マリーも俺のことを見ていて、目が合った。
彼女らしからぬ、困った眉をしていた。
「別にここまで準備しなくてもいいわ。他の人と同じテントを用意して」
「そうはいきません。貴方は私たちが擁立する王なのです。王とは、民から尊厳を集めねばなりません。他の者と同じ扱いなどできましょうか」
「……」
マリーは王女だ。
間違いなく王の血を継いだ、紛う事なき王である。
しかし、育ちは王ではない。
泥に塗れて家族で身を寄せ合って、口を大きく開けて笑ってその日を精一杯生きる。
綺麗な布に巻かれて、口元隠して互いの思惑を看破しあうような、貴族然とした生活は送ってこなかった。
「……いや」
俺にだけ聞こえるくらいの小さな声。
マリーを王に、と推挙したのは俺だ。それは何もマリーに困った顔をさせたかったわけじゃない。
俺の目的と、マリーのこれからとを加味した最善の選択だと思う。
彼女はその霊装のせいで、王としてでしか生きられないのだ。庶民に戻るのは、死んだときだけ。だったらせめて、楽しいと思えるような王になってほしい。
「マリー王女の優位点とはなんでしょう」
俺の言葉に、キーリは首を傾げた。
「優位点?」
「王子との違いと言ってもいい。なぜ貴方たちはマリー王女に付き従うのですか?」
「先ほども言ったでしょう。マリー様が庶民の出だからです。王城で過ごすだけの王に、下町の情勢が理解できているとは言い難い。私たちの生活を良くするためには、私たちと同じ目線で見てくれる王が必要なのです」
「それなのに、貴方はマリーを庶民から遠ざけようとしてるんですね」
「え……」
キーリは口を閉じた。
「マリーは庶民ですよ。貴方の言う通り、庶民の気持ちがよくわかってる。だから、こんなテントなんかで寝たくない。自分の力を誇示するためだけの装飾に何の価値もないことがわかってる」
「……そう、か」
「自分の胸に手を当てて考えてみてください。貴方だったらここで寝たいですか?」
「……。こんなところで寝れば、疎まれるな。なんだ、あいつも結局は貴族に憧れているだけだと思われる」
「王子と同じ扱いが嫌なのは当たり前でしょう。王女のことを想うなら、彼女の過去をもっと考えてあげてください」
「それは、その通りだな」
反論なく首を垂れるキーリ。
「失礼いたしました。私も自身が隊長となってこんなテントを用意されたら、部下を叱り飛ばすところです。他に金をかけるところがあるだろうと」
「わかったならいいのよ」
マリーの眉がいつもの調子に戻った。
「私の寝床なんか気にする必要はないわ。私はただの学園の生徒で、討伐隊の見学者なんだもの。お金は他の必要なところに使ってちょうだい。私は木の板の上でも寝られるわ」
「えっと、それは、流石に……。我々と同じ形式のテントを用意させていただきます」
キーリは頭を下げると、部下に命令していた。
「勿体ないなあ」とレフは野営地に見合わぬベッドを見つめている。
「おまえが寝るか?」
「え、いいんですかね」
「やめとけ」
「ですよね」
キーリを含め、紅蓮討伐隊の面々はマリーを尊敬している、ように見える。キーリの部下が迅速に動いているのを見ても、単なるポーズではなさそうだ。
代わりに案内された他の兵士たちと同じ見た目のテント。四人で使用できるようになっていて、簡易に組まれたベッドが四つ置かれていた。
「女性陣はこちらへ」
キーリに案内される三人。
俺も入ろうとしたら、止められた。
「なぜに入ろうとしている?」
「ですよね」
まあ、女子と寝床を一緒にするわけにはいかない。
大人しく野郎どもの中に帰っていこう。
「駄目よ」
と思ったら、他ならぬ王女様から止められた。
「それは私の傍にいるの。絶対よ」
「これは男ですが」
それ、とか、これ、とか、名前を呼んでおくれよ。俺の立場はどこにあるんだ。
マリーは一切引く様子を見せない。
「誰がなんと言おうと、これが私の傍から離れることは許されないわ。私の唯一にして絶対の騎士なんだから」
「騎士……」
キーリの目が訝し気に細められる。
見つめられる俺は、どこにでもいる一般市民。
「これが、ですか」
「そうよ。これが傍にいるのは、騎士団員百人分に勝るわ」
それは言い過ぎ。
キーリの目に不信が宿ってしまった。
「……本当ですか」
「本当よ。私が殺されてもいいって言うのなら、知らないけどね」
「……」
一瞬だった。
キーリの手が腰に伸びたかと思うと、剣柄を握り、一気に刀身が放たれる。腰に下げた剣の切っ先が、俺の喉元に迫っていた。
俺はバルディリスを顕現させ、攻撃を受けた。
金属音と共に、「!」キーリの目が見開かれる。
油断の隙間を突いて、バルディリスを一回転。キーリの剣を巻き込んで落とさせると、今度は俺の斧がキーリの首元に据えられた。
「騎士として、何点でしたか?」
「……満点だ」
俺は斧を霧散させる。
キーリは剣を拾って腰に戻すと、俺のことをまっすぐに見つめてくる。
「なかなかどうしてやるじゃないか。マリー様の騎士というのも冗談ではなさそうだ」
「さっきのはうまく行き過ぎましたね。普段はこうはいきません」
「むしろまだ余裕があったように見えたけどね」
「さて、どうでしょう」
「どちらにせよ、確かに私が口出しする話ではなかったね。君もここで寝るといい。護衛だと周りには伝えておくから」
「ありがとうございます」
俺としても助かる。むさい男どものテントに行くよりかは、こっちの方がいい。いや、こっちはこっちで地雷がたくさんあるんだけど。
「最後だ。隊長の元に案内するよ」
◇
紅蓮討伐隊の隊長は壮年の大男だった。
顔面に切り傷のようなものが残っていて、雰囲気からも数多の戦を潜り抜けてきたことがわかる。
名を、エクセルと名乗った。
「ようこそ、学園の生徒諸君。歓迎するよ」
所々白髪が見える反面、眼の奥は燃え滾っていた。
野心。
上に登ろうという強い意志を感じる。
俺たち四人の挨拶。
キーリの時とは違い、マリーに対して何かを言う事はなかった。彼は特にマリーに思うところはないようだ。紅蓮討伐隊の中でも思想の違いはあるということだろう。
「悪いな。人類が一枚岩にならなければならないところ、討伐隊の中で派閥で割れてしまって。人間の汚い部分をいきなり見せてしまうことになるとは」
申し訳なさそうに唸る。
俺が応対することにした。
「別に気にしていませんよ。ここにいる誰だって人間ですからね。各々思うところはあるでしょう」
「老獪なことを言う。しかし、友人と離れてしまったのでないか?」
「私は友人が多いので問題ありません」
「女子を侍らせて、むしろ望ましいというところか」
「否定はしません。どうあがいたって男は臭い。侍らせるのは女性に限る」
「はっはっは。なら一刻も早くこの下らん会話を終わらせないとな」
「ええ。都合よく護衛の任を賜ったので、さっさと女子しかいない部屋に戻りたいですね」
「良く口の回る男だ。嫌いじゃない」
快活に笑う大男。
真っ白な歯がチャーミング。
「だが、まだ開放するわけにはいかない。挨拶のついでに一つだけ老婆心だ。その子から離れない方がいい」
ぎろりと睨まれ、マリーは眉を寄せる。
「理由はわかるな?」
「ええ。ここにいる誰よりわかっていますよ」
「ならなぜ止めなかった」
「どこかで終わりにしなければ、終わらないからですよ。私はこの場所を選びました。エクセル様を含めたこの紅蓮討伐隊の中であれば、勝負を賭けるに値すると思っています」
マリーの味方は増えてきた。けれど、依然として敵が大多数だ。
味方の数が敵の数を超えるのを悠長に待っている時間はない。だったら、最初から味方の数と敵の数が同じ場所で勝負を賭ければいい。
学園の中でやったのと同じこと。
マリーに手を出すことの無意味さ。
マリーと手を握ることの有用性。
その二つを天秤にかけさせ、世間に問いかける。
マリー王女の存在を正当性をもって訴えかける。
「……どうやら回るのは口だけではなさそうだ」
エクセルは静かに手を組んだ。
「私は君たちを取り巻く状況の詳細を知らん。ゆえにこの場所にどれほどの期待をかけているかも知りえない。紅蓮討伐隊、何もすべての人員がその子を推しているわけではない。蒼穹討伐隊に入れなかった者、王国の体制に不満がある者、そもそもどちらでも良い者――本心から君を崇拝するものは、ほとんどいないだろう」
息を飲んだのはレフだろうか。キーリの反応から見ても、マリーが歓迎されるものだと勘違いしていたのかもしれない。
多くの人にとっては、マリーは噂話の肴であり、敵の敵として使える道具に過ぎない。
「ご忠告どうも。しかし、私はそれを含めて、勝負だと思っています」
中立を味方に。
味方を盤石に。
敵を徹底的に。
それらすべてをこなして、ようやく見えてくるのがゴールである。
「勝算はあるのか?」
「私は賭け事は嫌いでしてね」
「ふむ。私としても、うら若き女子を狙う悪漢どもは胸糞悪いと思っている。自分の立場しか考慮しない王子も同様だ。君たちの味方だと豪語するつもりはないが、行く末を見てみたいとも思っている」
「こちらにベットしてくれれば、それなりに利があると思いますよ」
「賭け事は嫌いなんじゃなかったのか?」
「ディーラー側は話が別です」
がっはっは、と大笑い。
エクセルは豪快な笑い声を反響させた後、懐から硬貨を取り出して、放り投げてきた。それは綺麗に俺の手元に収まった。
きらきらと輝く金色の硬貨。
「賭けてやる。色をつけて返せよ」
「それなりの立場を空けて待ちますよ」
「一本取られたな。おまえ、リンクとか言ったか。卒業した先の進路は決まっているか?」
「討伐隊を希望しています。後ろ盾もない庶民なもので」
「席は空けておく。死ぬんじゃねえぞ」
なんとか好感触をもぎとった模様。
口と覚悟だけには自信があるからな。それしかないと言えばそれまでだけど。
テントから出て、一息つく。
レフは目をぱちくりとさせていた。
「リンク君、すごいんですね。あんな怖い人に一歩も引かずに」
「内心びくびくだよ」
「嘘をつきなさい。最初からあの人を巻き込むつもりだったでしょ」
マリー様はよくおわかりで。
俺たちはここでほぼ確実にごたごたに巻き込まれる。どちらにせよ、紅蓮討伐隊の隊長の庇護も得られないようじゃ話にならない。
「……」ライは考え込む様に無言。
あたりが暗くなってきたので、キーリの案内で夕食の席に参加することにした。
火を囲んで兵士たちがやんややんやの大騒ぎ。
今回の任務の本題は表向きは調査だが、それ以上に討伐隊員同士の顔合わせの側面が強い。それがわかっているからか、酒に手を出して楽しそうな雰囲気が出来上がっていた。
いくつか簡易なテーブルも出来上がっていたので、一席を抑えた。「少し席を外す。代わりの者がやってくるだろう」と、キーリは大騒ぎの中に消えていった。
果たして、代わりの者とは俺らのよく知る人物だった。
「やはり来ていましたか。お久しぶりですね」
兵士たちの間を縫って俺たちに接触してきたのは、今会うのは少し気まずい優男だった。
先日のレフとの夕食会が脳裏を過ぎる。気まずさもあるだろうし、さりげなくレフを逃がすべきだろうか。
そんな俺の胸中を知ってか知らずか、アステラは二人分の食事を手にもって、俺たちのテーブルに近づいてくる。
「こちら、お二人方に」
料理の乗った皿を渡されたのはレフとライ。
レフに渡したとき、気まずい空気が流れる……わけではなかった。
「アステラさん。ありがとうございます」
「いえ。むしろこちらが礼を言うべきでしょう。荒れた戦場に華。我々の士気も上がるというものです」
「相変わらずお上手ですね」
にこやかに交わされる会話。
あれ、この二人、振った振られたの関係じゃなかったっけ。なんでこんな和気あいあいとしてるんだ。レフなんかそれで悪酔いしてただろ。
「そういうものでしょ。もうレフは吹っ切れてるんだから」
マリーから解説いただいたが、意味がわからない。
「そういうものか?」
「そういうものよ。もう二人の中でその話は終わってるの」
「終わってるのか」
「終わってるの」
……さいですか。
あんなに好き好き言ってたのに、終わってるのか。
人間関係ってのは難しい。
マリーは俺の顔を見てきょとんとした後、口を開けて笑い出した。
「あはは。あんたもわかりやすいわね。意味わからないって顔してるわ」
「……実際そうだからな」
「あんたはわからなくていいの。引きずっちゃうのがあんたでしょ」
「引きずる? なにが?」
「なんであんたが私のティアクラウンが使えるようになったかわからないの?」
マリーが俺のことを好いてくれているから。
しかし、マリーが言いたいのはそんな単純なことじゃないんだろう。
「わからないんだあ。へええ。あのリンク先生がわからないんだあ」
喜色満面で俺の周りをぐるぐると回り始めるマリー。
確かにわからないのだが、鬱陶しいのだけはわかる。
その頭を掴んで歩き出した。
「ほら、俺たちの飯を取りに行くぞ」
「いたっ。やめてよ。ここじゃ私、王女然としてた方がいいんじゃないの?」
「おまえはとっつきやすい王女だ。俺という庶民にいじられて成り立つのだ」
「ああいえばこう言う。ほんと、口だけは回るのね」
口が回らなくなったら俺は終わりだよ。
「まあまあ、それがリンク君のいいところですから」
後から追いついてくるアステラ。
振り返ると、アステラから先に食べててくれとでも言われたのだろう、レフとライは席で食事を始めていた。
マリーはアステラに鋭い視線を投げる。
「あんた以上にこれの良いところを知ってるわよ。勝手に口を挟まないで」
「ああ、ただの痴話喧嘩でしたか」
「そうよ。だから邪魔しないで」
なんだこの子。素直過ぎないか。可愛いじゃないか。
アステラは肩を竦めた。
「この調子なら大丈夫でしょうね」
「なにが? わざわざ俺とマリーだけ引きはがして、何を言いに来たんだ?」
俺が会話を引き継ぐ。
わざわざレフとライに食事を持ってきて、俺たちだけを配給に向かわせたその意図。
アステラは真面目な顔になって、
「あの子たちには何も伝えていないんでしょう?」
「気を遣ってくれたのか」
「私も貴方と同意見ですから。必然性さえなければ、わざわざ業火の中に首を突っ込むこともありません」
アステラにも俺の知るすべては伝えていない。それでも彼は俺たちのためだと尽力してくれる。
味方を増やす、か。
どこまで手伝ってもらう必要があるだろうか。
「この場所がきな臭いということは貴方もわかっているでしょうが、一応忠告をしにね。蒼穹討伐隊はもちろん、こちら側、紅蓮討伐隊も安全とは言えませんよ」
「……」
アステラが言うということは、それなりに信ぴょう性のある話なのだろう。
王子、または王子に準ずる組織から金や名誉をちらつかされて、マリーを害そうとする者は決して少ないわけではなく、どこにでも存在していると。
「ちなみに、なんでアステラは紅蓮討伐隊にいるんだ?」
「貴方たちがこちらに配属されることはわかっていたからです」
「討伐隊内の仕分けは、俺たち学園の生徒が来ることが決まってから行われたのか?」
「いえ。もっと前に終わっていましたよ」
煮え切らない答えだ。
アステラも阿呆ではない。あるいは、この問答がそのまま答えなのかもしれない。
アステラは俺たちが来るとして、紅蓮討伐隊に配属されることがわかっていた。
なんで?
そしてなんで彼はそんな言葉で濁している?
「……」
「なんだかんだリンク君も私のことは理解してくれているでしょう。今日はこれくらいの情報で勘弁してください」
彼の人となり。
俺たちの味方が前提。されど、雇い主には敬意を払う。
「……まあ、もう少し考えてみるよ」
「万が一となれば、私も行動しますよ」
心強いといっていいのだろうか。
先日の魔の森遠征の際も情報を出してくれたし、聖女騒動の時も世話になった。
ここは信用するべきだろう。
「ありがとう」
「それにしても、今回この場に来たというのは、慎重な貴方にしては随分と思い切った行動をとったなと思っています」
「穴にこもっていれば、敵は増えない。だけど、味方も増えない」
俺はマリーを抱き寄せる。
熱くて小さいその生物を、離しはしない。
「強欲ですね。だからこそ、人が集まってくるのでしょうか」
アステラは微笑んで、背を向けた。
「言うまでもありませんが、私は貴方たちの味方です。困ったことがあったら何でも言ってください」
「頼りにしてるよ」
「はは。身に余る光栄ですね」
手を振って去っていく。去り際も気障な男だ。
「仲良しね」
「ああ」
「……ふーん。私は?」
「仲良しって言葉でいいのか?」
「聞いてるのは私なんだけど」
「愛してる」
指が絡められた。
おまえは王女だぞ。
こんな人が多いところでそんなことするなよ。
まあ、月夜の下で羽目を外している人間も多いし、俺たちはまだ学生の身分。青い春ということで許してもらうしかない。