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53.





 ◇



 馬車がたどり着いたのは野営地だった。

 魔物の発生する森から十分距離を離した平地。開けていて、魔物の侵入を見零すこともない。


 すでにテントがいくつも立っていて、討伐隊の面々だけではなく、話を聞きつけた目ざとい商人も出店を展開している。ざっと見ただけでも百人は下らない人がいるようだ。


「盛況ね」


 マリーが馬車を降りようとしていたので、俺は従者よろしく手を差し出した。「ありがと」マリーは頷いて手を取り地面に降りる。


 視界の端に俺たちと別の班になった四人を見つけた。

 普段から一緒にいる面子とはいえ、プリムラがいるからだろう、特に会話は弾んでいないように見える。


 振り返ったシレネと目が合った。

 彼女には珍しいしかめ面だった。


「はは。あいつあんな顔できるのかよ」

「笑いごとじゃないですよ。恋人と離れてしまったシレネ様の気持ちも汲んでください」


 マリーの後で馬車から降りてきたレフに小突かれてしまった。


「ああ、可哀想なシレネ様……。愛するリンク君と離れ離れになってしまって、しかもリンク君は他所で別の女性といちゃいちゃしていますし」

「おまえだってザクロと離れているけど」

「ええ。でも、きっと結ばれると信じています。私とあの人には運命の赤い糸が繋がっているのですから」


 恋愛脳は置いておいて。

 当たり前だが、周囲に俺たちのような大人に毛が生えたくらいの若い者は存在しない。

 重厚な鎧に身を包んだ本職の人間たちが行き来している。この場所が冗談や屁理屈で切り抜けられる甘い場所ではないことはよくわかった。


 俺たちを乗せてきた馬車はどこかに出発してしまった。

 残される俺たち。

 事前に聞かされていたのは、ここで迎えが来るということだったが。


 しばらく待ってやってきたのは、銀色の鎧に身を包んだ女性だった。髪を後ろに縛ってポニーテールにしている、うら若き女性。


「君たちが学園からの希望者か」

「はい。よろしくお願いいたします」


 俺が挨拶すると、女性も頷いた。


「私はキーリ。討伐隊、紅蓮に所属している。今回の調査では副隊長を務めるから、よろしくお願いするよ」

「私はリンクと申します。一週間と短い間ですが、何卒宜しくお願い致します」

「私はライです。よろしくお願いします」

「レフと言います! 女性の方が副隊長で嬉しいです」

「……マリーです。よろしくお願いします」


 最後の挨拶で、キーリの顔が微かに曇った。

 目は「この子か」という反応を如実に語る。


「とりあえず今日は移動で疲れたでしょうから、拠点の案内だけを済ませようと思います。実際の実地調査は明日からということで」


 キーリは急に言葉遣いを直して、俺たちに背を向けた。

 その歩みについていく。

 通り過ぎる人たちはいずれも忙しそうに往復していた。

 ここまで大規模な組織、その初遠征だ。至らないところも多々存在しているのだろう。


「キーリさん」

「なんだ?」

「いくつか質問しても?」

「構わないよ」


 キーリという女性は仏頂面ではあったが、面倒見が悪いというわけではなさそうだった。


「何故討伐隊は二つに別れているのですか」


 八人全員が一つの馬車に乗れそうだったのに、行きの馬車が異なっていた。

 今だって同じ場所に拠点を構えているのに、作業自体は別になっている。テントも赤い旗と青い旗で区分けされているようだった。


「……ふむ」


 キーリはちらと俺の顔を見やって、


「君は現状が理解できているか?」

「現状というと?」

「君の隣の御方の話だ」


 なるほど。

 やっぱりマリー絡みか。


 この人がマリーに敬意を払っていることから、二つの派閥の特色は理解できた。

 注意して周りを見ていると、俺たちが通る際に辞儀をする人と、しないで通り過ぎる人がいることがわかる。前者は赤色、後者は青色の装飾を身にまとっていた。

 それだけで、組織の中の内紛の理由はなんとなくわかった。


「わかりました。もういいです」

「聡い子だね」

「学園内でも色々ありましたからね」


 肩を竦める。

 とりあえず、青色の方に入れられなかっただけラッキーだと思う事にしよう。


「学園内でも、か。それは、まあ、ある程度想像がつくよ」

「ここでも同じことになるんでしょうね」

「そうだね。……正直、不敬を承知で言わせてもらうと、ここに来たのは愚策だとしか言えないね」


 キーリは振り返った。

 視線の先はマリーへ。


「マリー様。貴方は学園に戻るべきです。こんなところに来るべきじゃない」


 それが心配しての意見であることはわかっている。

 こんな、”いつ誰が死ぬかわからない”場所。全ての死因は魔物によって処理される。誰が殺しても、魔物のせいになる。

 マリーを消したい人間からすれば、今のマリーは飛んで火にいる夏の虫だ。


「お気持ちも理解しているつもりです。少しでも戦功を挙げたい気持ちはわかります。しかし今、ここに来なくとも、私たちが貴方の歩く道を用意いたします。貴方の味方は決して少なくありません。貴方が命を張るのはここじゃない」


 真摯な瞳を受けても、マリーは身を引くことはない。


「それは敵にも言えることよね」


 マリーは腕を組む。

 背筋を伸ばして堂々とする様は、そこいらの庶民にしておくには惜しい迫力を有している。


「私が命を張るのはここじゃない、と誰もが思っている。だから張るの」


 にやり、と意地の悪い笑み。


「学園にいれば安全、護衛に囲まれていれば安全、だなんて思ってないわ。どこにいたって私は狙われる。だったら、自分から挑みに行くわよ。待ってるのは性に合わないの。ここにいれば私を狙うやつらがやってくるんでしょう? そっちこそが飛んで火にいる夏の虫。かかってくるといいわ。そんな彼らは、”魔物に食われて死ぬ”。違う?」


 不慮の死を遂げるかもしれないのは、何もマリーだけではない。

 この場にいる誰だって、その可能性を秘めている。何も狙っているのは相手だけではない。こちらだって狙っているということ。


「……マリー様」


 キーリは震える声を出して、その場に膝をついた。


「失礼いたしました。不肖、この私、マリー様の懐の深さを見損じておりました」

「初めて会ったのだから構わないわ。どうせ私はただの餓鬼んちょよ。今は、ね。一つ、確認よ。貴方はどうして私を擁立するの?」

「私も市民の出でありますので。これ以上、搾取される立場には甘んじたくありません。私たちはそういった者たちの集まりです」


 顔を上げたキーリの目は野心に燃えている。

 俺も笑ったし、マリーも笑った。


「貴方のこれからの働きに期待するわ」


 両者は満足そうに頷いて、再び歩みを進めた。


「なんかマリー様、別人みたい」


 レフがこそこそと俺に近づいてきて、耳打ちしてきた。


「何も変わらないよ。あれがマリーだし、俺たちの知るマリーだ」

「マリー様ってあんなに崇められる人だったんだあ。いや、次期王様なんだからそれはそうなんですけど。私、色々と不敬なことしちゃったかも。失恋話に付き合わせちゃったし、軽い言葉遣いしちゃいましたよお。大丈夫かなあ」


 震える小市民。


「おまえの知るマリーは、そんなことで処罰したりするのか?」

「……しませんね」

「全部、あいつが好きでやってたことだよ。飲みに付き合ったのも、昼ご飯でじゃれ合ったのも、あいつがしたいからしてるんだ。そんなあいつを否定してやるな。傍にいてやるのが俺たちの友達としての役割だろ」


 むしろ急に他所他所しくなったら多大なショックを受けそうだ。あいつだって人間なんだから。


「そうですね。確かに、リンク君がマリー様をあいつ呼びしてる限りは私も大丈夫そうです」


 けろりと言い切る。

 なんだい、強かじゃないか。


「そうだろ」

「ついでにマリー様もリンク君といちゃいちゃしていましたしね。王女然としているわけでもありません。いつもと変わらないマリー様です」

「そうだな」

「あれ? でも、二人がくっついたら、リンク君は王様ってことに? あれ、私、マリー様以上にリンク君に失礼なこと言ってる気がします!」

「マリーと違って、俺は根に持つタイプだぞ」

「そんな感じしますもんね」


 これもまた失礼な物言いなんだけど。なんだこの子、メンタルが強いのか弱いのか。

 俺たちが結婚することは間違いなくないけれど、面白そうだから揶揄っておこう。


「俺が王になったら、まずおまえに沙汰を言い渡す」

「いいえええええ!? 私たち友達ですよね、ね」


 俺に縋りつくレフ。


「あんまり虐めないであげて」


 ライから助け舟が入った。

 レフは反応がいいからつい。


「貴方、結構ひょうきんな性格してるわよね」

「褒めるなよ」

「褒めてないわよ」

「まあ、今から構えていてもしょうがないって話だ」

「……戦闘になるの?」

「どうかな」

「前に私の言った話、覚えてる?」


 ライは勝気な目を向けてきた。

 ひょうきんな俺では受け止め切れない、真面目なものだ。


「……さて、何だったか」

「貴方の抱えている話を教えなさい。教えてくれたのなら、助力してあげる」


 俺の持つ目標。それを持つに至った背景。魔王から過去に戻されたという事実。

 確かに、シレネともレドとも別れてしまった今、戦力はほしい。ライに洗いざらい伝えて、助けてもらうのは正しい選択肢だ。


 だが、俺一人で何とかできるかも、という甘い想いもある。

 キーリだって戦力になってくれるだろうし、二人の力を借りるべきかどうか。


「考えておく」

「私って、そんなに頼りにならない? そこまで焦らされると傷つくわ」

「そういう意味じゃない。おまえはまだこっちに来なくてもいいんだよ」


 人を騙して、騙されて。

 人を殺して、殺されて。

 そんな殺伐とした世界、入り込まない方がいいに決まってる。


「……優しいのね」

「伊達にシレネに気に入られているわけじゃない」

「でも、それは私の意志を無視している以上、”易しさ”に過ぎないわ。自己満足に過ぎない。本当に目的を達成するためには、私なんかの都合は無視するべきじゃない?」


 おっしゃる通り。

 誰を踏み台にしたって夢は叶えるべきだとも思う。

 言い訳をするなら、そう。


「綺麗な花は踏みたくも摘みたくもないんだよ。ありのままそこにいてほしいんだ」

「じゃあシレネ様は違うの?」

「……」


 ライのカウンター。

 レフの疑いの目。

 シレネの侍女でもある二人に対して、俺には返せる言葉はなかった。


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