49.
◇
「それで今、どうして私のところにいるのです?」
マーガレットは頬を引くつかせながら聞いてくる。
アグネス教会の内部、執務室にて。
つい先日すったもんだを繰り広げた相手の前で椅子に座り、俺はこれまであったことを伝えていた。
聖女の周りに、守護騎士団は勢揃い。
全員、眼光が鋭い。
俺たちの勝ち方があまり良くなかった。正々堂々ぶつかったわけでもないし、その遺恨の残り具合は、俺が教会の扉を叩いた時、五人全員が一瞬で群がってきたくらいだ。
しかし、なんとか面会できるくらいほどの嫌われ具合で済んでいるのは、当のマーガレットがそこまで俺に対して嫌悪感を有していないからか。
「相談に来たんだよ。もう仲間だろ」
「いつ仲間になったんですか」
「一緒にマリーを推挙すると決めたじゃないか」
「それは貴方たちが勝手に……。あれのせいで、私の今の立場は揺らいでいるんですよ。王家御用達の教会だったのに、庇護が受けられなくなってしまって、王子派閥の貴族から嫌がらせもされるようになったんです」
「でも国民からの評判は良くなっただろう?」
王家のいいなりではない予言。
敵を多くつくる予言は、忖度の一切ない、国民のためを思っての宣言だということが流布され、マーガレットは聖女としての尊厳を上昇させている。そんな聖女様が推すのだからとマリーの評判もうなぎのぼり。
ウィンウィンだね。
「結果論ですよ」
「結果がすべてだろ」
「まあそれはそうですが」
「話が脱線したな。相談に戻らせてくれ」
「貴方が脱線させたんです」
「おまえが乗ってきたんだ」
「……」
「というわけで、魔王が学園に入学してきたんだ」
「話を続けるんですね」
マーガレットは呆れたため息を吐く。
この子に呆れられたら終わりな気がする。
まあ俺はすでに終わってるからいいか。
「俺が聞きたいのは、先日あんたが言っていたことだ。”魔王はすでに殺した”と言っていたな。あれはどういう意味だ」
「そのまんまの意味です。私はすでに魔王を殺しています」
「でも、実際魔王は生きていて、俺の前に現れた。俺の思う魔王と、おまえの思う魔王は違うのか? 私の魔王、とか言ってたな」
「ええ。私を過去に戻した魔王です」
マーガレットは紅茶に口をつけた。
その所作は優雅であったが、「あち」と舌を出してしまうのが残念でもあり、彼女らしさでもあった。
「それは、……金髪の女じゃないのか」
「違います。私を過去に戻した魔王は、”ネメシア”と名乗る黒髪の女性でした。小柄で、歳は私と同い年。霊装は”フルナイツ”あらゆる場所に糸を発生させる、指輪の形の霊装でした」
とりあえず、容姿は俺の知っている魔王とは異なっている。
霊装も。
霊装?
俺の知っている魔王は学園に入学してきたのだ。確かに霊装を有しているのだろう。だが、魔王の能力は魔物を召喚するというもの。そのほかに霊装を持っているのか。
「霊装ってのは……、いや、順番に話そう。で、そのネメシアってやつは、もう死んでいるのか?」
「ええ。証拠ならそこに」指さす先には、調度品に混じって人の頭蓋が置かれている。「肉と皮はしっかり燃やしましたので、骨が綺麗に残っているでしょう?」
「……」
悪趣味だ。
若干引いた目を向けると、マーガレットは首を横に振った。
「そういった趣味ではないです。殺しただけじゃなく骨を手元に置いているのは、単純に、怖かったのですよ。私は過去、何度も何度も彼女を殺しています。それなのに、魔王は何度でも顔を見せ、魔物をけしかけてくる。どうやっても殺しきれないのですから。こうでもしておけば、何か意味を持つのではないかと……まあ、私の精神安定のためにです」
まあ、死者の処遇については一旦置いておいて。
「そこだ。俺はそこを確認したい。あんたは魔王として立ちふさがった相手を、殺したんだろう? なのになんでまた魔王が別人として現れているんだ?」
なんで俺とマーガレットの思っている魔王が異なっているんだ。
魔王は、一つの存在ではないのか。
「二人目と情報共有をしたことがあります。その時彼女の言う魔王も、ネメシアとは異なっていました」
「……」
「これは仮説ですが、魔王は恐らく、一人ではないのです」
「……は」
確かに、それはありえなくはない。
そもそも魔王という存在について、俺たちが知っていることなんかほとんどないんだ。
仮説としては存在しうる。
しかし。
「二人目、三人目のおまえ、四人目の俺、全員違う魔王と出会ってる。二人目も三人目もすでに魔王を殺してる。それなのに、魔王は実際に生きている。そして今、四人目――俺の前に現れた。じゃあ、どうやって殺すんだよ」
マーガレットは瞳を細めた。
「だから言ったんです。魔王を本気で殺すつもりなのか、と」
魔王が悠然と学園の廊下を歩いていて、この状況になって、ようやく理解した。
……誰が、魔王なんだ?
誰までが、魔王なんだ?
おまえは、魔王なのか?
俺は思わず目を細めてマーガレットを見つめてしまう。
「ふふ。気持ちはわかります。私も最初はそうでした。もしかしたらこの世にいるのは全員魔王で、私だけが魔王ではない人間なのかもしれないと。過去に戻す能力を受けた時点で、私の一生は壊れてしまったのだと、そう思いました」
「あるいは、おまえが嘘をついている可能性だ」
「そう思うならそうでも構いません。結局、信じる信じないは主観だけです」
ここに来てようやく、マーガレットの真意を知る。
魔王は人の形をして歩いているのだ。
誰なのか、何人いるのか、何を目的にしているのか、何もわからない。
砂の中から砂と全く同じ見た目の金を探せと言われているようなもの。
殺す、という言葉すら当てはまらない。
「ですので、貴方の迷いに応えましょう。私も聖教に仕えるもの。迷える子羊を導く役目があります。貴方の前に現れた魔王をどうするか。殺しても何ら意味はないかと思います。まあ、私だったら一応、殺します」
「一応で殺すのか。聖教に仕える者としてどうなんだよ」
「死は時に救済にもなりえます。それに、どうせ”今回”だけの死です」
何度も過去に戻された結果、マーガレットの倫理観は壊れてしまっている。
人の死はただただ通り過ぎていく事象に過ぎないのだろう。
ネメシアを殺したときも、きっと何の感慨も持ち合わせていなかった。
俺もそのうちこうなっていくのだろうか。
頭を振った。
「わかった。もう少し魔王と話してみることにする。何か情報が掴めるかもしれない」
「ご勝手に。私はどっちでもいいです」
段々と冷静さを取り戻してきた。
今思えば、あそこで殺さなくて良かったと思える。
殺してしまっては何もならない。ネメシアのように骨になってしまっては何も話せない。
「方針は決めた。ありがとう」
「何もしていませんよ」
「話し相手になってくれただけで助かった。同じ境遇の人間と話せて良かったよ」
「そういう意味でしたら、私も助かっています。もう何十年も”人”と話していなかったので。二人目とも話せていませんから」
寂寥感のある目。
自分が動かなければ決まった通りに動く人々。自分の知ったように、それだけでしか動かない物。それは人と呼べるだろうか。マーガレットはそう呼べていない。彼女の周囲にいる人物では彼女の期待に応えられないのだろう。
あんなことをした俺のことをそこまで忌避していないのは、そういった心情があるからか。
「二人目ってのは誰なんだ?」
「一応、他言無用という話にしています。私からは言えません」
「なんでだよ」
「今回と同じようになります」
マーガレットが三人目。
マーガレットで何十年と同じ時を過ごしている。
その前の二人目であれば、年月はそれ以上。もっと倫理や考え方がぶっ飛んでいる可能性が高い。マーガレット以上に話が通じないとなれば、確かに今は構ってる時間はないか。
「……まあ、いいか」
そんなことで喧嘩してもしょうがないし。
問題は一個ずつ片づけていかないと、処理しきれなくなる。
「他に何か知ってることはないか?」
「逆に知ってることが多すぎて、今言うべきことが何かわかりません」
「俺が四人目として周回に加わって、――つまり、今回だな。何か変わりはなかったか?」
「さあ、何度も同じことを繰り返しているせいか、記憶があいまいな部分も多くて……、ああ、一つだけ覚えがあります。今回ばかりは少し勝手が違いましたね」
何の気なしに、マーガレットは呟いた。
その視線は調度品の中の骨に向かっていた。
「勝手が違う?」
「ええ。ネメシアについてはやり直すたびに殺しているのですが、毎回事情を知っているかのように大人しく殺されているのに、今回は泣き叫んでいましたね。私は魔王じゃない、と大声で喚いていました」
「今回だけ?」
「ええ。演技とも見えない様子でしたが……、まあ、気にせず殺してしまったのでこれ以上はわかりません」
「すげえ気になるんだけど」
「私は気になりませんでした。ただその時は虫の居所が悪かっただけでしょう。あるいは、泣き落としという手段を試していたのかもしれません」
本当かよ。
まあでも、有力な情報はいくつか聞くことができた。
俺は席を立った。
「ありがとう。またくるよ」
「ええ、お好きにどうぞ」
マーガレットは拒否しなかった。
それが彼女の心境のすべてだろう。
教会を出ると、「お楽しみでしたわね」と声がかかった。
ここは学園外。それも講義が入っていたはず時間に、見知った顔が俺を待ち構えていた。
「何してるんだ、講義中だろ」
「こちらのセリフですわ。自室待機を言い渡されているのに、こんなところで何をしているのですか?」
「……この大地全体が俺の部屋なんだよ」
「まあ素敵! スケールの大きい男って素晴らしいですわ!
――なんて、流石に言うわけがありませんわ」
現行犯逮捕。
俺に答弁できることはなかった。
「参った。どうとでもしてくれ」
「ふふ。素直な男は素晴らしいですわ」
「で? 温情の自宅待機すら破ってこんなところまで来ている俺を見かねて、捕まえに来たのか?」
「いえ。私は今日、体調不良なんですの。薬を買いに来たらたまたま不良生徒と出会ってしまっただけなんですわ」
そう言うシレネの服装は私服。
俺も数少ない私服を着ていて、傍目には学園の生徒だとはわからない。
「よく言うぜ」
「ふふ。そんな口を利いていいんですの? 私は今、貴方をどうとでも調理できますのよ。学園の生徒が自室待機を破って街中を歩いていたなんて、退学ものの話ですわ。霊装使いという立場を鑑みると、厳罰もついてくるでしょうね」
学園の本質は霊装使いの管理。
国にあだなす者と判断されれば、牢屋にぶち込まれてもなんらおかしくはない。
俺は両手を挙げて降参した。
「俺がおまえに口で勝てるわけないだろ」
「よく言いますわ。すわすわ」
シレネはけらけらと笑って、
「では、贖罪のデートに行きましょう」
「よし来た」
「返事が早いですわね」
「おまえの機嫌を取っておけば大抵の物事はなんとかなる」
「過分な評価ですわ~」
過分な評価なものか。
こうやって今、俺の目の前にいる時点で、いくつの問題を解決してきてるんだよ。
シレネが街をぶらぶらしたいと言ったので、それに付き合うことにする。
噴水広場を通り、露店を覗き、レストランで食事。
周囲からほのぼのとした視線を向けられるような、少年少女の健全なお付き合い。
一通り回ると、太陽の光が赤みがかってきた。
王都の街が一望できる高台にやってくる。俺たちと同じような男女二人組が何組もいて、俺たちが浮くことはなかった。
備え付けられた二人掛けの椅子に座って、一息つく。
「流石にもう戻らないとな。教官が部屋にやってきたら事だ」
「寮長が足止めするからまだ大丈夫ですわよ」
「おまえ寮長に何を言ったんだよ」
「帳簿に金額のずれがあったから、それを教えてあげただけですわ」
「……そうかい」
やっぱりこの子を敵に回してはいけない。帳簿に問題がありそうという当たりをつけることすら、普通はできないのだ。
「今日は楽しかったですわ。ありがとうございます」
「ああ、俺も楽しかったよ。体調の方もよくなったみたいで何よりだ」
「リンク様こそ、悩みが晴れたようで何よりですわ。憑き物が落ちた様な顔をしていますの。安心しましたわ」
「そんなにひどい顔をしていたか?」
「ええ、親の仇でも見るような顔でした」
親の仇。
親の顔なんざ知らないが、まあ、とにかくぶちぎれた顔だったんだろう。
「悪かった。シレネが止めてくれて助かった。せっかくの手がかりを捨てるところだった」
「構いませんわ。私はこういうことがしたくて貴方と一緒にいるんですもの」
手が重ねられる。
ひんやりとした冷たい手と、仄かに香る甘い匂い。
「私の間違った道を正してくれた貴方。私はそんな貴方のように、なりたいんですの」
俺はただ、シレネの行く末を知っていただけだ。
知っていて、その涙を知っていたから、助けただけ。
魔物の対抗手段となる霊装使いを無為に死地に送っていたから、諫めただけ。
「おまえのための行動じゃない。あまり過大解釈するなよ」
「おまえのため”だけ”の行動じゃない。それはわかっていますわ。でもきっと、貴方は私のことも考えてくれていた」
シレネは目を閉じて、夕日から目を逸らした。
「実は少し前、レフさんとアステラ様の一件の時、貴方とマリーさんが前の世界では仲が良かったという話、盗み聞きしてしまいましたわ」
「聞いてたのか。仲が良かったわけじゃない。たまに話してただけだよ」
「それでも。マリーさんは嬉しかったんだと思いますよ。ああいった境遇ですから、貴方に最期の言葉を伝えたというのは、そういうことなんでしょう」
「……」
マリーには理論的な話は通じない。
いや、通じてはいるけれど、受け取ってはくれない。
だからあの時マリーに伝わりやすい言葉を口に出しただけだ。
打算的に、感情的な話をしただけ。
「それは真実で、それだけが真実ではない。貴方は煙に巻くけれど、根元には感情的な面が眠っている。今回の騒動で確信しましたわ」
俺は肩を竦めた。
その問答に意味はない。
だって俺は嘘つきだから。
何もないから、嘘をつくしかない。
「私も、ほしい」
シレネは目を開いた。
黒い目から、必死な懇願を受け取った。
「わかっていますわ。貴方の考えも、貴方の想いも。でも、でも、ほしい。感情的な言葉が、貴方の言葉の、根幹が、すべてが」
握られた手が強く握られ直された。
シレネはわかっている。
俺がシレネの背中のほくろの存在を知っている理由。
俺が学園に入ってまずシレネに近づいていった理由。
わかっていても、抗えない欲求というものがあるのだ。
「俺とおまえはよく似てた」
考え方も、行動の仕方も。
理由と要因を積み重ねて、行動にする。
違うのは、何を持っていたか。
彼女は家柄も、容姿も、才能も、すべてを持っていた。
俺は何もなかった。
でも、渇望は同じだった。
「戦闘に行くたび、魔物と戦うたび、おまえはおかしくなっていった。自分の本心を押し殺して、前に前にと進むようになった。摩耗と損耗を繰り返して眼前の敵を振り払っていったその結果、シレネという女の子はいなくなった」
でも、俺には言っていた。
貴方といると、安心する。
貴方が何も持っていないから。貴方に何を言っても何も変わらないから。だから安心して、ただの私を見せられる。
ぼろぼろの身体で、崩れそうに笑うのだ。
すべてを持っているのに、すべてを投げ打って。
何も持っていないから、すべてを賭けていた俺とは似ていて、真逆だった。
「プライドは鎧だよ。自分を守るためにあるのであって、重荷に感じるものじゃない。あいつはシレネ・アロンダイトという無意味な鎧に覆われてしまっていた」
窮屈な鎧はもう一体化していて、脱ぐことはできない。
夜の間、明日が来てほしくないという彼女は、俺の前でだけ泣いた。夜の帳が落ちた後にだけ、鳴いた。
「そうですか。
私は、きっと」
「そうだな」
「そして貴方もきっと」
「どうだろうな」
俺は笑った。
だって今更、意味のない話だから。
今、シレネが欲しい言葉を言うのなら。
「美しい君の心が死んでいくのを見過ごすほど、俺は非道ではないってことだ」
「ふふ」
シレネは笑う。
俺たちだけではない空間で、歯を見せて笑った。
「あはは。そうでしょうね。貴方はきっと、そういう人。無駄に無意味にお節介」
歌うように口ずさんで、花が咲くような笑みを形作る。
「シレネ・アロンダイトをよく見てくれていますわ。きっと私はそうなっていたでしょう。私を囲うのは、自分で作った檻。それはきっと、時間と共に強度を増していく。どうしようもないでしょう。でも、貴方は止められなくても、傍にはいてくれた。私はきっと、そんな貴方のことを」
最後の言葉は言わなかった。
「私の知らない私に嫉妬なんかしたくはないんですけどね」くすりと笑って、俺の手を引いた。
「今の私にも、私のほくろの位置を教えてくれませんか。貴方の手で」
まっすぐな目。
しんけんな目。
ねつっぼい目。
浮かされそうになる。
「……鏡を見ればいいだろ」
「あはは。無粋ですね。わかっているくせに。私は過去の私に負けたくないのですわ。だって今、私は、間違いなく私至上一番に生を楽しんでいるのですから。嬉しいこと、楽しいこと、気持ちいこと、ぜんぶ、ほしいのです」
煌めくのはシレネの髪。
顔、
手、
四肢、
すべて。
もうここに、死ぬ事がゴールになっている英雄の姿は存在していない。
それがたまらなく、
……
なんて。
「また今度な。流石にもう帰らないといけない時間だ」
「別に私の部屋に戻ってからでもいいんですのよ」
「レフとライに殺されるわ」
「貴方の部屋でも」
「レドに殺されるわ」
「あはは。間違いないですね」
シレネは俺の手を離した。
俺の前を歩いていって、振り返る。
「私は貴方が好きですわ」
俺も――。
そう言おうとして、口ごもってしまった。
口だけのこの俺が口を閉ざすなんて、そんなのあってはならないこと。
結果、絞り出たのは、
「はいはい」
という何の味もしない言葉だった。
「ふふ。どうしたんですの? 顔が赤いですわよ」
「時間を考えろ」
夕陽は赤色の光を発して憚ることがない。
俺の肌だって、それに照らされているだけなのだ。