48.
◇
俺は冷静さを欠いている。
自分でもわかってる。
脳髄が沸騰し、普段通りの行動ができない。激情に体が支配されている。
わかってる。
けれどそれでも、進まないといけない時はある。
激情のままに動かないといけない時がある。
「こいつが世界を地獄に叩き落すんだよ! 今殺さないといけねえんだよ!」
俺の喉からはこんな声が出るのか。
後から考えれば頭を抱える様な、感情的なセリフ。
知らなかった自分。
知りえなかった俺。
嘯き、飄々とし、それでも、やらないといけないことを有していた。
譲れない一線があった。
冷静な自分が俯瞰的にそれを見て、ため息を吐いていた。
「……」
俺の剣幕に押され、レドも魔王の顔を改めた。涙と鼻水でべちょべちょの情けない少女の顔だ。
「これが魔王? ……俺にはそうは見えないけどな」
「そうは見えない? そりゃそうだろ。魔王が自分で魔王を名乗るかよ。自分は魔王じゃありません、って演技中だろ」
「だから、そういう演技にも見えねえって言ってんだ」
「じゃあおまえは殺人の現行犯でも、泣いていれば許してやれるのか。親や恋人を殺したその殺人犯を、そうは見えないってだけで許せるのか。聖人かよ」
「……殺されたのか?」
「言葉のあやだよ。全員死んだのは間違いないだろうけど、誰も死んでないのも間違いない」
「そのめんどくさい話し方をやめろって何度も言ってるだろ」
「俺に親や恋人やいたわけがないだろ」
俺には徹頭徹尾、何もない。
何もないやつは当然、親の顔も知りえない。
「そんなわけ、……そういえば、俺はおまえのことをほとんど知らないんだな。なんでおまえはそこまで魔王を殺したいんだ? 世界を救いたいんだ?」
「何を当たり前のことを言ってるんだ? 世界を救うのは当然で、世界を殺そうとしている魔王を殺したいと思うのも当然だろ」
「当然なんて言葉で片づけるなよ。それは事実だけど、おまえの言葉じゃないだろ」
俺みたいなことを言うレド。
四六時中一緒にいる相手の言葉は移る。性格や仕草も移り行く。
俺はレドの激情を。レドは俺のひねくれを。それぞれ相手から学んでしまったのかもしれない。
厄介なことだ。
「俺は普通の人間だからな。普通に、世界を救いたいんだよ」
「普通、って言葉、嫌いなんだと思ってたぞ」
「嫌いだね」
なんだよ、普通って。
定義が広すぎるだろ。なんで意味の固まっていない言葉を皆使ってるんだ。
俺はそんな言葉、知らないね。
「答えるつもりはないってことか」
「応えるやり方がないんだよ」
だって答えは俺の中には存在していないから。
ないものを生み出すことなんかできない。
生み出すことができるのは、せいぜいが嘘くらいのものなのだ。
「何してるのよ」
そうこうしている間に、ギャラリーは増えていく。
ただの廊下。
入学式を終えて、各々が自分の教室へと戻っていく状況。
俺のよく知るやつらも顔を覗かせ始めた。
「何、リンクとレドじゃない。こんな廊下の真ん中で決闘? 悪趣味だからやめなさい。こんなところで霊装を展開しているところを見られたら、厳罰ものよ」
マリーはやれやれといった塩梅で顔を振った。
マリーの隣にはシレネもいた。
「……どうされたのですか。お二人とも、らしくもない」
シレネは俺とレドの顔を見比べて、渋面を作る。
俺もレドも、二人とも従来では見せない激情を張り付けている。そして、間には一人の少女がボロ泣きしている状況。
「リンク様がまた他の女の子に手を出したのですか? それをレドさんが流石に許せなくなったというお話?」
「そんな冗談に付き合う余裕はないんだ、シレネ」
「あらあら。リンク様にそう言われるなんて、それは恐ろしい状況ですわね」
顔を引き締めるシレネ。
俺は魔王のことを指さした。
「この女を殺す手伝いをしてくれ。レドを引き離すだけでいい」
「……どういうことですか、レドさん」
「こいつ曰く、この子が魔王なんだってよ」
「この子が?」
シレネもマリーも魔王の顔を見やった。
それは相も変わら嗚咽を漏らす少女の姿を形どっている。
舌打ち一回。
「もういい」
俺は再度アロンダイトを展開する。
漆黒の剣を生み出すと、周囲の人間からざわめきが上がった。
「破天」
まずはレドを吹き飛ばして、その後に魔王を突き刺す。
そう思っていたが。レドに向かうはずの衝撃波はかき消されていた。
振り返ると、シレネもアロンダイトを手にしている。衝撃波は相殺されたらしい。
「邪魔すんな」
「私は貴方のことを愛していますわ。好きですし、隣に立ち続けていたいし、手を繋いでいたい」
「そりゃどうも」
「しかし、それは貴方の手を振りほどかないためですわ。貴方は時折危ない目をしますの」
アロンダイトを構えるシレネ。
向かう先はリンク様こと俺。
目の前に魔王がいるのに、どうして止められるんだ。
「いいわ、シレネ。まどろっこしいもの」
マリーも俺の目の前に立って、一言。
「”おすわり”よ、駄犬」
頭には王冠を被っている。
俺の身体は為すすべなく膝を床につけた。
「おまえ……」
「この霊装は無暗に使うな。あんたがよく私に言うわよね。あんたには何か意図があったのだと思ってる。その通り、私はこれをしばらく使わないでいたわ。でも、あんたには別よね。あんたは私の騎士。聞き分けの悪い犬には躾が必要だわ」
俺は手にしたアロンダイトを手放した。
代わりに、霊装ティアクラウンを頭に乗せる。
「”命令を解除し――”」
「”口を開くな”!」
マリーの方が少しばかり早い。
俺の口は塞がれ、一言も発せなくなってしまった。
「”霊装を捨てなさい”」
俺の手からティアクラウンが掻き消えた。
動けず、霊装も生み出せない。
詰みだ。
「しばらく反省なさい」
マリーは呆れたように言って、俺の眼前でしゃがみ込んだ。
俺だけに聞こえる小声で、
「何がどうなってるか知らないけれど、一旦落ち着きなさい。話はそれからよ」
「今ここで凶刃を振りかざすのは、流石によろしくないですよ。話は私がまとめておきます」
シレネは魔王に近づいていって、その手をとって立ち上がらせた。
魔王は嗚咽を漏らしながら、俺から逃げるように距離をとった。
俺という阿呆の暴走。
マリーとシレネ、レドによってそれは諫められた。
そんなことになるのだろう。
その後、教師がやってきて、俺とレドは事情聴取に呼ばれることになった。
騒ぎの首謀者と糾弾された俺は、一週間の自室待機を命じられた。
学園内で許可なく霊装を使い、人を殺そうとしたのに、あまりに軽い刑罰だった。
おおよそ、シレネとマリーが骨を折ってくれたのだろう。
二人に感謝しつつ、俺は自分で自分がわからなかった。
殺すべきという過激派と、状況を把握しろという穏健派の自分がいた。
マリーにもシレネにも諫められてしまったし、まずは状況把握に努めるのが先決だろう。
◇
「それで今、どうして私のところにいるのです?」
マーガレットは頬を引くつかせながら聞いてくる。
アグネス教会の内部、執務室にて。
つい先日すったもんだを繰り広げた相手の前で椅子に座り、俺はこれまであったことを伝えていた。