45.
◆
「で、これはどうしたらいいんだ?」
問題を起こした張本人、リンクとマリーがマーガレットと退出してから数分。十数の剣呑な双眸に見つめられたままの状況を打開しようと、レドはため息を吐きだした。
主人がいなくなって緊張感が緩まるかと思いきや、むしろ敵対意識が強くなった侍従たち。どんな手を使ってもマーガレットの後は追わせないという強い意志を感じる。
「どうもしなくていいんじゃない?」
アイビーはゆっくりとソファに近づいていくと、その小ぶりな臀部をソファに乗せた。青筋が浮き立つ侍従たちを一切気にせず、視線はレドに流れていく。
「慌てる必要はないよ、レド。私たちは事が起これば追い掛ければいいだけ」
「それもそうですわね」
シレネも同様にソファに座った。
周囲を武器に囲まれた人間で囲まれているというのに、まるで気にした様子の無い二人。
敵意に疎いのか、脅威に感じていないのか。
――まあ、確かにどうでもいいか。
レド自身も、無意識に欠伸をかいた自分を叱責することもない。だって周りにいるのは、”普通の人間”なのだ。
学園に通い、霊装使いと対峙したことでわかる、埋めようのない差。未知の能力を展開してくる霊装を有さない彼らは、ただ愚鈍に眼前の武器を振り下ろしてくるだけなのだ。自分の想像を超えることはなく、どうとでも調理できる。
レドがどうとでも調理できないのは、むしろ眼前の少女二人だろうか。周囲ではなく二人に注
視してしまう。
「聖女様を守る守護騎士団の面々がここにはいませんわ。恐らく、先で待っているのでしょう」
「そうだろうね」
「聖女様は守護騎士団の下にリンク様たちを連れていきました。どうなってるのか気にならないのですか?」
「私の霊装は性質上、それがどこにあってどういう状況にあるか、わかるものなの。そうじゃないと、移動先で酷い目に会っちゃうからね。リンクは私の霊装を握ってもいないし、吹き飛ばされてることもない。まだ戦闘は始まってないよ。安心してくれていい」
「便利な霊装ですのね」
「そりゃあ、リンクが目をつけるくらいだもの」
アイビーはうっすらと笑う。
「リンクはこの霊装のために自分の命をかけた。それだけの価値があるってことだよ」
「貴方を助けたというのは、霊装のためだけではないと思いますけれどね」
「ふふ、ありがと。でも、どっちでもいいんだよ。私は霊装ごと、彼のものだから」
和気あいあいと話す二人を見て、逆にレドは眉根を寄せた。
傍から見て、二人はよく似ている。
考え方というか、行動の仕方というか。
だから仲良しなのはおかしいし、だから仲良しなのは当然なのだ。
「素晴らしい献身ですね」
「献身。献身、ねえ。ただの世間話なんだけど、シレネさんはマーガレットに従うカストールのことはどう思った?」
「あれもまた献身でしょう。ただ、仕える主を間違った、と、それだけ思いますわ」
「あっちは私らをそう思ってるだろうね」
「ふふ。でしょうね」
「リンクと聖女様、どっちが正しいと思う? どっちも自分が正しいと思ってるんだけどね。どちらもが正義を掲げた場合、どっちが正義だと思う?」
シレネはアロンダイトを見つめた。
黒い刀身には自信の顔が映る。
「正義とは、ただの妄執ですわ。自分の剣を尖らせるための詭弁。私は私が正しくて、あちらも自分が正しいと思っている。そう思って、全力で剣を振るう。それだけの話ですわ」
「じゃあ貴方の正義って何? 何をもって剣を振るうの?」
「恋のため、ですわ。リンク様に必要とされたい。リンク様の隣に並び立ちたい。私はそれだけですわ」
「リンクが世界から見て間違ったことをしていたら?」
「私の正義、と言いましたよ。私の正義と世界の正義とは全く異なるものです。意味のない問いかけですわ」
「いいね」
アイビーはにっこりと笑った。
さっきまではマーガレットに不機嫌そうな視線を送っていたのに、シレネに対しては楽しそうに嬉しそうに笑う。
「これからもリンクのことを助けてあげてね。絶対に、だよ」
「当然ですわ」
「私は貴方の邪魔はしないよ。貴方はリンクに愛されて然るべき。リンクに愛されて、愛してあげてね。隣で支えてあげるんだよ」
「貴方に言われなくても、そうしますわ。これは”私”が考えて、”私”が決めた、未来なのですから」
「……。だからリンクのことが大好きなんだよね」
アイビーは身体を震わせた。
レドもぞっとするような、見たこともない蠱惑的な笑顔を作って、立ち上がる。
「シレネ・アロ……、ううん、シレネ。リンクがピンチになりそうだよ。私たちも行こう。部屋の位置はあの扉を入って右折、突き当り、左折、左から二番目」
「そうですか。教えてくださりありがとうございます」
「私は先に行ってるよ。レドもついてきてね」
アイビーの姿が掻き消える。
フォールアウトの能力を直に目にして、シレネの眉が寄った。
リンクと全く同じ霊装を使う。いや、リンクが彼女の霊装を使用できている。
リンクの霊装の発動条件は先日聞いたばかりだ。つまり彼女も、リンクのことが好きなのだ。自分と同じくらいに。
「……」
彼女に自分が劣っているとは思わない。
しかし、胸にある、やすりで撫でられたかのような不快感はぬぐい切れなかった。
一息。
今はそれは考えることではない。
「では、私たちも行くとしましょうか」
シレネも立ち上がる。アロンダイトを手に取ると、殺気立つ周囲に向けて笑顔を向ける。
「怪我をしたくない方は離れた方がいいでしょう」
この場に集まっている、聖女の信徒。
彼女を信じ、彼女を崇めている。その目には決死の覚悟が見て取れた。
数人が武器を握り直し、シレネに近づいていく。
「……可哀想に。私の霊装の力も教えてもらっていないんですね」
貴方たちは聖女を信じているのに。
聖女は貴方たちを信じてはいない。
破天。
その言葉と共に、部屋の調度品がシレネとは反対側に吹き飛んでいった。人も同様。シレネに向けて一歩踏み出していた人間は総じて壁に勢いよく激突した。
昏倒する数人を視界の端に、シレネは歩き出す。レドも後に続いていった。
すでに誰も彼女らを止めようとはしていなかった。
◇
霊装使い同士の戦いは、最初の邂逅でほとんどが決まる。
武器を形どっている超常の遺物。それらは人智を超えた能力を有している。初見の相手に手札を明かす瞬間が一番の好機で、一番の危険なのだ。
「”破天”」
「”瞬身”」
俺が呟いた言葉と、カストールが発した言葉。
それは同時に部屋に木霊し、それぞれの力を顕現させる。
マーガレットの背後にいたカストールの身体が消え、マリーの眼前に顕れる。両手に装備された籠手。それがうっすらと輝き、能力を発揮したことを教えてくれる。
振りかぶられる拳。
相手からすれば、俺は眼中にない。
マリーさえ死んでしまえば、俺たちは王子に対抗する人物を失い、途方に暮れるだけ。王子の天下、聖女様の天下。
それは許されない。
カストールの一撃がマリーを捉える前に。
俺の握った漆黒の剣から衝撃波が生み出され、カストールの身体をマリーから遠ざける。馬にでもぶつかったような衝撃を受けて、彼の身体が執務机に激突した。
「きゃあっ!!」
マーガレットが頭を抱えて怯えたのを見て、カストールはすぐさま立ち上がった。
「失礼しました、マーガレット様」
「か、構いません。……あいつの能力は何ですか。今までどこに隠れていたというんですか」
意外だったのは、マーガレットが俺のことを知らないという事実。
まあ、俺が前世で力を持ったのは大分後半のことだったからな。デュランダルとアロンダイトを手に入れるまで多くの時間を要した。要したことで、なんとか手にさせて貰えたってところだ。
どちらにせよ、その事実は俺の優位性を示す。
不明瞭な力こそが、俺の本分だ。
「あの剣……アロンダイト。シレネ・アロンダイト嬢の聖剣。どこに隠し持っていた?」
カストールは自分の頬を叩いて、油断ない視線を俺に投げつける。
「霊装は本人じゃないと能力が使えません。まさかこの男がアロンダイトの後継者とも思えませんし、シレネ・アロンダイトが生存していたのは先ほど確認しています」
「では、”そういう霊装”なのですか」
「聞いたこともありませんね。……なんで邪魔するんですか」
マーガレットから憎しみのこもった視線をいただいた。
俺とマーガレット。
同じ立場の二人。
どっちが正しいかなんて議論するつもりはない。しても仕方がない。
俺の言葉は彼女に届かなかったし、彼女の言葉も俺には届かない。
交わらない平行線。そうなれば、生物の根本。暴力で解決するしかないだろう。
俺は懐からフォールアウトを取り出して、マーガレットに向けて放り投げた。側近――刀を手にした女性に弾かれる。古びたナイフはマーガレットの背後に転がっていった。
それでいい。
「四聖剣相手だと厄介だな。数的有利を卑怯とは言ってくれるなよ」
側近の一人が弓矢を生み出し、構えている。目的はマリー。寸暇も置かず、矢は放出される。
マリーは動きもしない。これが信用、ってやつだ。良い言い方をすればだけど。
「破天!」
俺は矢を衝撃波でもって弾き返す。
防御の隙間を縫って、カストールが再び姿を現した。今度は俺の眼前に。
「連続で使用できるか?」
小手での一撃が迫る。顔面で受け止めれば、良くて頬骨の骨折。悪くて黄泉送り。
アロンダイトでは間に合わない。けれど俺にはまだ選択肢がある。俺は手元で霊装の形を変化させた。
バルディリス。
身の丈ほどの斧。
その特性は、俊敏性。
羽のように軽く操れる武器は、眼前に差し迫る拳の一撃に間に合うだけの速度を有している。
金属音。
弾かれる拳。
口端を歪ませるカストール。
「――豊富だな」
「もっと見せてやるよ」
視界の端、マーガレットの傍を離れない二人を除いた、最後の一人が大剣をマリーに振り下ろさんとしているのが見えた。
俺は”自分の”フォールアウトを構えると、そちらへ投擲。マリーと男との間に割り込むと、バルディリスを展開。大剣の横っ面を叩いてはじき返す。最後にはアロンダイトに持ち替えて、「破天」衝撃波で男を吹き飛ばす。彼の身体は頭から本棚に突っ込んでいって、動かなくなった。
一幕を終えて、一つ息を吐く。
背後のマリーが俺の足を小突いた。
「減点よ」
「なんだよ。傷一つつけてないだろ」
「目の前に迫られて、少し怖かったわ。マイナス五点」
「無茶を言うなよ」
「冗談よ。ありがとう、私の騎士」
得意げな顔は、現状、一対五の戦闘に対する評価。
マーガレットを守るために傍から二人が離れていないし、実質一対三か。それでも俺にしてはよくやっている。