44.
◇
応接間から廊下を幾度か曲がった先。
前の部屋が応接間だとしたら、こちらは執務室だろうか。
執務机に本棚のみの、殺風景な部屋だった。
そこではすでに四人の男女が待ち構えていた。
今もマーガレットの背後に控えるカストールという男を合わせて、五人。聖女様お抱えの、守護騎士団と呼ばれる面々だ。容貌は事前に確認したものと相違ない。
やっぱりここで待ち構えていたか。
「こんな物々しい面子を集めてどうするつもりだ?」
全員が霊装使い。
騎士団に所属していた腕利きもいるとのこと。
「別に何もしませんよ。貴方がたに何も悪いところがなければですけれど」
マーガレットは椅子の上に座る。先ほどに失いかけた余裕がしっかりと戻っている。
そんな彼女を囲む様に立ちふさがる五人の精鋭。
「不公平、とはいいませんよね。貴方だってシレネ・アロンダイトを隠れ蓑にしていたんですもの」
得意げな顔のマーガレット。
俺よりも年上のはずなのに、小物感が否めない。
「騎士の優劣を決めるのは数ではないわ」
答えたのはマリーだった。
「そうですね。護衛とはつまり、質です。残念ですね。貴方の隣の人物は貴方を護衛する人物としては頼りない。そんな彼にしか守ってもらえず、可哀想な王女様ですね」
「残念なのはあんたの方よ。これの本質を見抜けていないなんて」
これ、こと俺。
俺の本質?
逆に教えてほしいもんだ。
「私が生きている。それが何よりの証左でなくて?」
マリーは堂々とした佇まいだ。
反面、マーガレットは言葉に窮する。
「……それは私が今まで直接手を下さなかったからです。貴方の存在など、見る必要もなかったからにすぎません」
「それは無能という自己紹介? じゃあなんで今頃になって慌ててるのよ」
「慌ててません」
「脅迫状を送って? 大人数で待ち構えて? 今も数的有利を何とか作り出そうとして? 予定が狂ってどたばた慌てているようにしか見えないけれど?」
マリーは俺が動かなければ、今頃すでに死んでいる。
実際、以前は何もしなくてもそうなっていたのだから、マーガレットが認識できなかったのは仕方がない。お粗末なのは俺という存在を認識してからの初動だ。
「私が死ななくて慌ててるってことは、大方、あんたの予言で私が死ぬことを王子様にでも伝えていたんでしょう? でも、時期が来ても私が死ぬ様子はない。あんたは予言を外したことになる。王子様への覚えも悪くなって、あら大変、なんとかしなくちゃ、って感じなんでしょ?」
「うるさいです」
図星っぽいな。
ここまで行動が簡単に予測できると、それはそれで恐ろしい。
このままでは彼女の行動原理が予想できてしまう。予想した通りになってしまう。
マリーはまだ臨戦態勢だ。しかしそれでは話が進まない。
『まあまあ』
男二人の声が重なった。
カストールと俺が同時に言葉を発していたのだった。
俺はカストールに言葉を譲った。カストールは困ったように笑ってから、
「マーガレット様。他人の言葉に左右されてはいけません。貴方は貴方の信念に基づいて動いているではありませんか。これまでこれからも、貴方は絶対なのです」
「そう、そうです。私は何も悪いことはしていないです」
「そうでしょう? マリー王女の言う事はいずれも推論に過ぎません。彼らは何も掴んではいないのですから。私たちは堂々としていればいいのです」
「そうですね。堂々としていましょう」
腕を組んで俺たちを睨みつけるマーガレット様。
なんだこれ、コントか?
あっちの話は終わったみたいなので、俺のターン。
「マリー、おまえもその辺でやめておけ」
「なんでよ。どう考えたってあっちが悪いじゃない」
「俺たち視点からすればな。このまま話していても、何も進まないんだ。俺たちの目的はマーガレット様をいじめることじゃない」
「……それもそうね。埃しか出てこないのをわかってるのに叩いていても、時間の無駄だわ」
辛辣。
でも俺もそう思ってた。
俺はマーガレット、およびその背後のカストールに向き直った。
「まずはこっちの意見を聞いてくれ。なぜ俺たちが話し合いの場を設けたかったかだ。俺はマリーが女王になった方が魔王の侵攻に対応できると思っている。王子は前の世界では魔物の侵攻に対して無力だった。ここのマリーであれば、話は通じるし、魔王のことも伝えてある。他人に寄り添う考えも持っている。彼女を生かした方が理があると思ってるんだ」
なぜこいつらがマリーの生存に異を唱えるかと言えば、王子たちが物を言ってきているからだ。それに恭順している。
王子が王になった方がいいと思っているのだ。
そこの認識を確認しないといけない。
「……魔王、ですか」
マーガレットはぽつりとつぶやいた。
俺を見る目は、今までとは違って、虚ろなものだった。
「その口ぶりですと、貴方は魔王に対抗しようとしているのですか?」
「当たり前だ。あいつを止めないと、世界が滅びる。人の住める場所はなくなる」
「……貴方は何回でしたっけ?」
「何回? 四人目だと魔王から言われたが」
「ああ、そうですか。まだ”2回目”ですか」
マーガレットは嗤った。
俺を見て、嘲笑った。
「たかだか世界を一周しただけの餓鬼が、理想論をぶら下げているだけの話ですか」
先ほどとは打って変わって、死んだ魚のような目になるマーガレット。
考えなしの小娘から、すべてを知った老人のように、雰囲気が移り変わる。
「どういう意味だ」
「魔王なんか、倒せないんですよ」
投げやりな台詞に腹が立った。
「何を言ってんだ。魔王を倒すためにおまえは何をしたって言うんだ。俺が知る限り、あんたが魔王に対抗しようとした形跡は一切なかった」
前回も今回も、私腹を肥やしてひと時の贅沢を楽しんでいるように見える。
「貴方は覚えていないだけですよ。私も奮闘した時期があります」
「結果上手く行ってないからここまで来てる。今諦めてたら意味がないだろうが」
ふう、とため息。
俺がまるで聞き分けの悪い子供かのような反応だ。
「じゃあ逆に聞きますが、魔王を倒すとはどういうことですか?」
「魔王を殺すんだよ。あいつが魔物を生み出す元凶なんだから。金髪の女だ。俺は顔をよおく覚えている」
本当なら世界中を探し回って殺しに行きたい。
けれど、今魔王がどこにいるかもわからないのだ。
だから、魔王が現れる瞬間で、魔王を殺す。魔物を生み出す前段階で殺せればいい。できなくても魔物の侵攻に対して備えておけば、人類の滅亡は防ぐことができる。そのために国防を改善しなければ。マリーを王に据えて、魔物の侵攻への対応策を打ち出すんだ。
「もうすでに魔王は死んでいますよ」
その一言の意味がまるでわからなかった。
「……はあ?」
「なんて。”私の”魔王ですけれどね」
「ますますわからないな」
過去に遡った人間、それぞれに魔王がついているのか?
俺を煙に巻くための虚言か?
「私はすでに、魔王と名乗る少女を殺しています。一番に動きましたよ。今の貴方と同じようにね。魔王を殺せば世界が救われると信じていましたから」
「……どうなったんだ」
「また別の魔王が生まれた。それだけです」
肩を竦める。
俺は何も言えなかった。
「貴方の言葉に回答します。なぜ魔王を倒そうとしている貴方の動きを邪魔しているか。
私はもう、魔王を殺すことは考えていないのです。なぜなら、魔王は殺しても殺しても生まれるから。殺すことなどできないから。何度殺しても、同じ結末を辿るだけ。それがきっと、魔王という存在なのです。だったら足掻くだけ無駄でしょう」
今まで子供のように見えていた少女が、急に大人びて見えた。
「足掻くだけ無駄って、そんな簡単に人類を諦めるのか?」
「その台詞、十回前くらいの私に聞かせてあげてください」
彼女はへらりと笑う。
俺はぞわりと震える。
「十回前? どういう意味だ」
「言葉の通りの意味です。私はすでに十回以上、この世界を繰り返しているんです」
「……」
「きっと貴方も、私と同じ。魔王の目の前までたどり着いたんでしょう? そして、魔王の能力で、嘲りと共に過去に戻された。たった二回目ですもんね、熱くなっている今の気持ちはよおくわかります。しかし、幾度となく繰り返すうちに、貴方も私と同じ状況に陥ります。覚悟しておきなさい。この周回は、永遠と続きますよ」
永遠。
何度も人生の一部分を繰り返す。それは一体どういう状態なのだろう。
少なくとも、微動だにしないマーガレットの瞳からは嘘の匂いは嗅ぎ取れなかった。
「これはさしずめ、檻のようなものなんですよ。正直、貴方が羨ましい。この檻が壊せると信じ切っている貴方の意欲的な瞳が、すでに懐かしい」
魔王の顔がフラッシュバックする。
――その顔をまた見せておくれ。
あの言葉は、いつまで見せにこれるかな、と、そういうことなのか。
鳥かごの中でぴいぴい鳴いている俺を、俺たちを、嘲り笑うための能力なのか。
口を開いては、閉じる。
この話を信じてもいいのか。まさかとは思うが、こいつが魔王の手先である可能性があるかもしれない。いや、ここまで利己的に、わかりやすく動いているんだ、根っこは普通の人間だろう。じゃあ本当にこの世界は永遠に――
何を言おうか迷っていると、マリーが口を開いた。
「あんたの話は突飛なものだけど、うちのも同じような話をしているし、一旦信じることにするわ。で、じゃああんたはその閉じられた世界で何をしているの? 魔王が殺せないのがわかって、はいそうですかと諦めてるってわけ? だったら勝手にしなさい。黙ってて。私たちの邪魔をしないでよ」
「死にたくないんですよ」
うっすらと軽薄に笑う。
「私はすでに何度も死んでいます。何度も何度も何どもなんどもなんdおもなんどもなんどmおなんどもなんdもなんどもなんども死んでいます。切られて砕かれて裂かれて食われて突かれて衰弱して死んだんです。痛いですよ。辛いですよ。しんどいですよ。”私たち”でないと、わからない感覚でしょうけど。そこの彼もそのうち理解しますよ。十回も死ねば、骨も心も意志もすべてが砕け散る。
私は結局、死にたくないんです。王子様たちは王都、王城周りの防御だけは完璧にするんですよ。私は”時”が来るまで死ななくて済むんです。貴方が王になれば、無駄な抵抗をしようと王都の守りが薄くなるでしょう? それは許されません。私が死んでしまいます」
「清々しいまでに自分のことしか考えていないのね」
「だって普通の人は忘れられますからね。いかに凄惨な死に方をしたって、次の世界では平気で生きている。それならいいじゃないですか」
へらへらと笑うさまは、自分のことしか考えていない自己中心的な思想。
あるいは、他人をすでに客観的視線だとみなしていない。彼女にとって他人とは、決められた道筋を歩くだけの無機物。どんな行動をするか、先が見える動物のような存在で、人間とはみなせないものなのかもしれない。
考えて、別の行動をするのは自分だけ。
自分だけが何度も繰り返している世界、そこに置き去りにされたとすれば。
彼女が壊れてしまったのも、わかる気はする。
わかる気がする。それだけだが。
「あんたは何人目なんだ。俺が四人目なら、残り二人はどこにいる? 協力し合ったりはしないのか」
「さあ」
「さあ、って」
「勿論誰が私と同じ”超越者”なのかはわかっていますよ。しかし、私たちは互いに不可侵を貫くことを決めているんです。どうせ協力したって何も変わりませんしね」
「……協力しろ。もうあんな死者の山は見たくない」
「見なければいいだけです。あれらは人ではない。どうせ次の世界ではけろりとした顔で笑っていますよ。貴方が罪悪感か何かを思う事もない。ああ、貴方も私と同じく王都にこもるのなら、歓迎しますよ」
「ふざけるな!」
怒鳴ると、「ひいっ」とマーガレットは肩を震わせた。
それを受けて、カストールの手に霊装が宿った。両手に装備されたのはガントレット。銀色のそれは鈍い輝きを放って、主へと牙を向く者へと向けられる。
マーガレットは怯えた目をこちらに向けて、
「……急に大声出さないでください」
「おまえが下らないこと言ってるからだろ」
「下らない、そうですか。貴方は良い人生を歩んできたんですね。その言葉、何周目から聞けなくなるのでしょうか」
俺の脳裏には、いまだ数多の死体が残っている。
誰もが未来のために命を投げたのだ。未来に賭けたのだ。
その未来がここに繋がってるとして、穴倉にこもって震えるだけなんか、ありえない。
「話し合いは決裂ということでよろしいですか? 私は王子たちに王になってほしい。そして、王都周りの防御だけ、しっかりしてほしいのです。私が死なないために」
「糞だな」
「なんとでもどうぞ。どうせこの問答も意味のないものでしょうし。
さっき私は、貴方とマリー様がこの部屋に来ることになって残念そうな顔をしましたが、それは演技ですよ。マリー王女。貴方がこの男と二人で来てくれた方が都合がよかったのです。だって私は貴方に死んでほしいのですから」
カストールの他、四人の霊装使いたちが自身の霊装を発現させる。
霊装である以上、生半可な武器では太刀打ちできない一級品。
一応、彼らの意見も聞いてみた。
「あんたらの聖女様はこんなことを言ってる考えなしだが、あんたらはそれでいいのか?」
「誰しもが死を恐れるものだ。俺もそうだった」
カストールが代表して口を開く。
「この方が何を言おうと、俺が命を救われたことに変わりはない。俺が命を賭ける理由は十分だ」
「そうかい」
信者は最高の戦力だ。
こればっかりはマーガレットの手腕をほめるべきだろう。目的のためには人の心すら利用する。俺と同じ考え方。
「遺言はそれでいいですか? 貴方も王女様もここで殺します」
「残念だったわね。私の騎士は命令に忠実よ」
マリーは笑う。
俺に振り返ってきて、尚も笑う。
「なんだかぐだぐだと下らない妄言を話していたけれど、動揺なんかしていないわよね? 口から生まれたあんたが、まさか口車に巻かれて本気が出せないなんて聞きたくないわよ。貴方が口だけじゃないってところを見せて。私を守ってくれるんでしょ?」
色んなことがわかって、正直脳はキャパオーバーだ。
しっかり考える時間がほしい。
けれどわかってることは、マーガレットの言っていることは何も生まない非生産な考え。
ただただ今の自分が楽に生きることだけを願っている。
それじゃあ、頷くことはできない。
すべての人を救うなんて大それたことを言うつもりはないけれど。
誰も救わないという選択肢をとるほど、薄情でもないんだ。
「任せろ」
「任せた、で、いいんでしょ」
マリーは霊装を起動しない。
でも、それでいい。
これは俺がほしい未来なのだから。