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43.




 ◇



 アグネス教会の総本山は王都の一等地にあった。

 王城ともさほど離れていない場所、外観からもわかる豪華絢爛な建物は多くの費用を要しただろう。この建物に住む人間の世間からの評価をそのまま表している。


 教会も近年は信者の数がうなぎのぼり。聖女による予言は良く当たるとされ、それによって人生を救われた人間は枚挙に暇がなく、多くの人が聖女の下に集って祈りを捧げていると聞いている。

 とある事故の発生を抑制した。

 とある人物への暗殺を防いだ。


 押し寄せる名声はまさしく聖女。

 人々を救うべく生まれた神の遣わせた存在。


 しかし、水を差すようで悪いが、それらは俺でもできることだ。未来を知っているのだから。

 同じ立場にいる人間なら、いくらでも対応可能である。教会内に俺と同じ立場の人間がいることは間違いがない。


 問題はそれが誰なのか。 

 どうして俺たちと連携を取ろうとしていないのか。

 どうして俺たちと反する行動をとろうとしているのか。

 相手の思想が読めない以上、これ以上まごまごしていてもしょうがない。敵地とはいえ踏み込むしかないだろう。


 シレネの名前を出すことで、俺たちは教会内への出入りを許可された。

 ステンドグラスから差し込む陽光を背に、建物の中を奥へ奥へと案内される。


 俺たちは五人。

 俺、シレネ、マリー、レド、アイビー。いずれも俺の信頼できる人たちを連れてきた。

 ここは敵地だと誰もが認識しているから、廊下を歩いている最中の無駄話は一切なかった。普段あんなにうるさいのが揃っているのに。

 感化されてか、案内する女性もどことなく緊張の面持ちに見える。


 ――教会自体はきな臭いというわけではありませんよ。国民の評価も上々です。口に出した予言は外れることはありませんし、寄付金も法外というわけではありません。人々の救いとなっている、善良な組織ですよ。


 アステラが教会を調べてくれて出てきたのはそんな意見だった。

 清廉潔白。特につつくようなところはない。


 この時代では。

 黒い噂の一つもないなんて、俺の知っている教会とは随分と動き方が異なっている。

 つまり、間違いを修正できる人間がいるのだ。前の時代の結末を知っている人物がいる。今はそれだけわかれば十分だ。


 ――一つだけ。騎士団から教会に移籍した人物には気をつけてください。本人の剣の腕も当然ですが、霊装も恐ろしいものを有しています。まあ、貴方には釈迦に説法だとは思いますが。


 手紙だったのに、うっすらとした笑みが見えるようだった。

 アステラも相当なお節介だ。

 忠告に従って、気をつけさせてもらうことにする。


 通されたのは応接間だった。

 中央には簡素だが重厚感のある皮のソファが置かれ、壁際には調度品が並べられている。


 そして、周囲に並んでいるのは無機物ばかりではない。十数人の侍従、兵士が詰めかけていた。


 俺たち五人の中で誰が息を飲んだのかはわからない。ただ、全員思うところは一緒だった。


「物々しいわね」


 代表して言葉を発したのはマリー。

 物おじしない性格が幸か不幸か、俺たちの緊張を解いてくれた。


「物々しい。そうでしょうか? 教会側に特に他意はありませんよ。例え国王が来ようとも、私の周囲はこうなります」


 ソファの上。

 この場で唯一腰を落ち着かせている女性。

 長い金髪の先を同じくソファに座らせて、優雅に紅茶を嗜んでいる。


 マーガレット・フィン。

 この教会の代表。そして、聖女と呼ばれる国民の偶像。


「いらっしゃいまし。どうぞおくつろぎください。周りは気になさらないでください。私のことを思って近くにいてくれているだけですので。まさかこの大人数が貴方たちを串刺しにしたりはしませんから」


 飄々と恐ろしいことを言う。

 この場にいる人間は、侍従ですら立ち振る舞いに隙が無い。ただならぬ雰囲気を発する彼ら、彼女らが俺たちを無感情な瞳で見つめてくるのだから、居心地が悪い。


 まさか言葉通りにくつろいでほしいなんて思っているわけもない。

 これが彼女なりの交渉術なのだろう。

 まずは人数、戦力で圧力をかける。自分の立ち位置、優位性を相手に認識させる。

 一手目がこれだと、随分と嫌われているようだな。それがわかってまずが良かったよ。こっちが遠慮することもない。


 さて。

 相手からの挨拶はいただいた。

 では、こちらの交渉術を見せつけようじゃないか。


 俺ら側からはシレネが進み出でた。


「お招きいただきましてありがとうございます。シレネ・アロンダイトと申します。本日は聖女様の貴重なお話を聞けるということで、大変嬉しく思います。感動を分かち合うべく学友を連れてきてしまいました。よろしいでしょうか?」

「手紙にも書いてありましたし、構いません」


 ちら、とマーガレットはマリーを見やる。

 まさか今もなお命が狙われている王女様本人が来るとは思っていなかったのだろう。計算が狂ったことで不服そうに髪を撫でた。


 俺はマリーに目くばせする。

 彼女は鼻を鳴らして、いの一番にマーガレットの対面、ソファの上に座った。どか、と音がするくらい豪胆に。

 眉が寄るマーガレット。


「なんですか」

「言われた通りにくつろいでいるだけよ」

「……私はシレネ・アロンダイト様がいらっしゃるものだと思っていたのですが」

「来てるじゃないの。挨拶もしたじゃない。何も間違がっていないわよ」


 堂々と言い放ち、挙句、脚まで組み始めるマリー。肝が据わりすぎだろ。


「では、言葉を変えましょう。シレネ・アロンダイト様からお話があると聞いていたのですが。そうなれば、私の対面に座るのは貴方ではないでしょう」

「そう。じゃあ、シレネ。言ってやりなさい」

「この場を借りて、進言させていただきます。マーガレット様。この度の貴方の行動は目に余ります。その思想をどうか教えてくださいませんか?」


 マーガレットの眉間にしわが増える。

 会話の主導権とは、平素の顔を作れる人間が握るものだ。

 上に立つ者がそんな簡単に不満を顕にしちゃいけないな。


「何を言っているかわかりません。霊装の根源についてお話があるというから時間を割いたのに、蓋を開けてみればただの子守でしたか。シレネ・アロンダイト様、貴方の優秀さは聞き及んでいただけに、とても残念です」


 マーガレットは立ち上がる。

 長いスカートの裾を払うと、「お客様はお帰りのようです」周囲の傍使いに命じる。

 傍使いは俺たちに剣呑な目を向けながら、それぞれ動き始める。俺たちを囲い込む様に、歩を進めていった。


 にべもないな。


「貴方は”何人目”なの?」


 事前に伝えていた通り、マリーに台詞を言わせた。

 ぴたりと止まる聖女様。


「……なぜ、貴方が」

「なぜ私が? 誰が言ったかが問題なの? 私かどうかは問題になるの?」

「……」


 マーガレットから無言で睨まれることになる俺。

 とりあえずこれでマーガレットは”知っている”ということになる。この場で一見発言権の薄い俺を睨めるという事実からも、多くを知っていそうだ。彼女が傀儡である事実は薄くなったけれど、当人かどうかはまだわからない。


「そこの男は随分と口が軽いことで」


 ご指名が入ったので、俺自ら口を出すことにする。


「ええ、申し訳ありませんがご承知いただいている通り、俺の口はすごく軽い。こちらの処遇が悪いと、この場ですべてを吐き出してしまうかもしれません」

「……」


 怒気を感じる。

 ここで予言の正体をバラされるのは、彼女にとって不都合であるらしい。


「駄目ですよ。そんな簡単に感情を見せびらかしちゃ。この場で怒りを露わにするなんて、まるで貴方に隠しごとがあるみたいじゃないですか」


 俺たちに備えて何人もの戦力を集めたみたいだけど、それが全部腹心かい? 全員、あんたのことをしっかりと理解しているのかい?

 あんたが聖女を名乗れているのは、予言があるからだろう? それが過去をやり直しているだけだと知らしめられれば? ”恩着せがましく”未来を教えているだけだとわかってしまえば? 神格性は薄れ、信者は見る目を変えるだろう。


 理解できないものは、予言。人の常識外にあるもの。

 理解できるものは、伝言。人の常識内に収まるもの。

 その二つは根元は同じでも大きな差異を持ち、人の見る目を百八十度変えさせる。生い立ちを想像できるただの少女と、どんな人生を歩んできたかもわからない未知の聖女とでは、言葉の重みが違うのだ。


「貴方は本当に聖女か? それとも、”俺と同じ”なだけか?」


 予言と聖女という組み合わせはいい具合に他者からの尊敬を集められるだろう。

 だが、それゆえに、真実を知る人物は少ないはずだ。知る者が多くなれば、それだけ綻びが多くなる。ここにいる全員が知っているわけがない。彼女は大多数の人間にとっては。”聖女様”でなくてはならないのだから。


「何を言っているのかわかりません」

「白を切るつもりですか。俺が貴方と同じことができると知っているはずでしょうに。知っていたから、この場でただの平民であるだけの俺を睨むことができた」

「……早く帰してください」

「俺も”予言”ができますよ。直近のことを教えてあげましょうか」


 俺の言葉はマーガレットに、というよりは、周りの侍従たちに聞かせるように。

 そして、他人の耳を介して、マーガレット本人を攻め立てる。


「早く帰して!!」


 マーガレットの怒号に、周囲の人間が各々に武器を取り出して構えだす。


 一番操りやすい人間というのは、考えているのに考えが浅い人間だ。

 俺の一歩手前で思考が動かなくなるマーガレットのような人間は、どうとでも調理できる。


「俺たちが何者か、それすらもわかっていないご様子で」


 俺が手にバルディリスを発現させると、待ってましたとばかりに全員が霊装を展開する。マリーには事前に霊装を出すなと伝えてあるが、他の四人の手に武器が四つ握られれば、その圧力は十分に絶大。

 霊装使い四人に一般人の傍仕えたちは二の足を踏んだ。


「何ですか。やり合うつもりですか」

「そちらが望むのであれば」

「……貴方たちの目的は何ですか」


 ここまで来るのに時間がかかりすぎだ。

 対話の席に立つというのは、ここまで難しいものだっただろうか。

 最近相手にしたのが物分かりのいいやつらばかりだったから、少し疲れた。


「こちらとの話し合いの場を設けてもらいたい。すべてを話せる場所を用意してください」


 こっちも、あんたらも。

 ざっくばらんになれるよう頼むよ。


「……」


 逡巡。


「わかりました」


 マーガレットは首肯した。

 何人かの傍付きが不満そうな顔をしているが、それもやむなし。


「私とこの、カストールが伺いましょう」


 マーガレットの背後に立っていた男が進み出でた。

 以前、マーガレットとレストランにて食事をしていた青年だ。アイビーと一緒にその姿を確認している。

 アステラが忠告してきた腕利きの霊装使いが、彼だ。


「そちらは貴方が一人で来てください」


 白く細い指は俺を指している。

 俺は首を振った。


「そっちが二人ならこっちも二人だ」

「駄目です。貴方だけです」

「駄目だ。そもそもあんたらが本当に二人だという保証もない。部屋に潜んだ第三者が現れないとも限らない」

「……」


 黙るなよ。

 アイビーやアステラが事前に調べてくれた守護騎士団がこの場にいないからあるいはと思ったけど、当たってるのかよ。


「では、こちらと同じ数まで許しましょう。一人だけです。もう一人だけつれてきてください」


 さて。誰にしよう。

 全員、こっちに熱い視線を投げてるんだよな。


「マリー。来てくれ」

「わかったわ」


 マリーは待ってましたとばかりにソファから軽快に降りると、俺の傍らにやってくる。


 残り三人から落胆の視線をいただいた。

 アイビーにはあまり派手に動いてほしくないし、レドは戦闘狂だから戦闘の匂いのするところに置いておきたくないし、シレネは逆に監督役として俺のいないところに置いておきたい。

 あとはマリーには俺と一緒に行動して、思考を近しいものにしてほしいのと、


「……マリー、様、ですか」


 マーガレットの嫌そうな顔が見たかったからだ。

 失敬。俺だってそこまで性格が悪いわけじゃない。

 交渉の基本は、相手に呑まれないこと。相手の望ましい行動をとらないこと。

 マリーという扱いの難しい存在を一緒に連れていくことで、あっちの行動を制限したい。


「何か問題でも?」

「いえ、別に」


 このマーガレットという女、感情がすぐ表に出るな。

 聖女様という立ち位置にいて大丈夫なのだろうか。


 マーガレットは苦い顔をしたまま、奥の扉の中に入っていった。

 俺もマリーを伴って進んでいく。


「シレネ。後は任せた」

「ええ。わかりました」


 何もなければいいけれど、この場に残る人々の顔つきを見ていると、どうもそう簡単にはいかなそうだった。


「リンク」


 アイビーから声をかけられたと思ったら、ナイフを放り投げられた。

 受け取ると、「持っておいて」とアイビーは笑う。


「どういう意味かはわかるでしょ」

「多分半刻はかかるぜ」

「どっちにしろ物音がしたらすぐ行くから」


 剣呑な視線は、周囲の傍仕えたちから。アイビーを聖女の元には絶対に行かせないという意思を感じる。


 しかし、彼らは頭数だけ。

 霊装使いが誰もいないのだから、あまり気にする必要もない。


 本陣は、これから先。


「来なくてもいい、って言いたいんだけどな」


 あのマーガレットという少女は、良くも悪くも俺の想像の枠を出ない。向かった先でも大人数で待ち構えているかもしれない。やるかも、と思ったことはやってきそうだ。


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