42.
◇
翌日。
登校中にバツの悪い顔をしたレフと会った。
いつもシレネとライと一緒にいるのに、今朝は一人。登校時間もいつもより遅い。理由はその顔色にあった。
「……おはようございます」
小さい声。
眉間には深い皺が寄っていて、顔色はどことなく青白い。
昨日のことを思い出せば、それはそうだと納得もできる。
「二日酔いかよ。まあ、あれだけ飲めばな」
「あう。あまり大きな声を出さないでください」
「普通の声だよ。そんな調子なら今日くらいは休んでもよかったのに」
「いえ。学生の本分を怠るわけにはいきません。私たちはここで”学ばせてもらっている”立場なので」
真面目だなあ。
そこが彼女の良いところか。
「飲み過ぎたのも俺のせいだもんだもんな。昨日は悪かった。まさかあいつが妻帯者だとは思ってなかったんだ」
「いえ、謝らないでください。どちらかというと謝るのは、突っ走ってしまった私の方なので。それに、昨日あれだけ飲んだので、色々と忘れてしまいました。とりあえず、リンクさんには感謝しかありません」
清々しい顔。
鬱憤を吐き出せたのなら良かった。
「ところで、昨晩の件で一つ、聞きたいことがあるのですが」
神妙な声。
「なんだ?」
「……全然覚えていないのですが、昨晩、ザクロ様、私のことを慰めてくれていました?」
「ん? ああ、まあ、素敵な子だって言ってた。おまえを背負って帰ったのもザクロだしな」
俺は俺であの後本気でふらついていたマリーを背負う役目を担っていた。
「つまりそれは、脈ありということですかね」
こいつ。
爛々と輝く目は、次なる獲物を狙っての事。
全言撤回。こいつは真面目じゃないわ。
「いいんじゃないか。あいつみたいな奥手は、あんたみたいな肉食系がよく似合う」
「に、肉食系じゃないです!」
「普通は出会ったすぐに交際を申し込んだりはしないんだ」
俺が普通を語ることになるとはな。
これが普通かもわからないけれど。
何にせよ、元気になってくれたのなら良かった。一時期は真面目に心配してたんだ。
気の合う仲間同士であれば、慰めの会ですら、良い気分転換になる。俺とレフの二人でいたら、どうなっていたかわからない。あいつらを連れてきて、結局は良かったということだ。
持つべきものは友人か。
教室に入って、レフはシレネの下へ。俺は自分の席へ。
荷物を置くと、俺の元に駆け寄ってくる一番槍。シレネでもレドでもなく、鼻息荒くやってきたのは、赤色の髪の少女だった。
レフと違って二日酔いの様子はない。
そりゃあれだけ綺麗にぶちまければね。
「おはよう、リンク」
「ああ、おはよう、マリー。昨日は良く眠れたか?」
「ええ。おかげさまでね。色々と世話になったわね」
マリーの頬に朱が帯びる。
ゲロからキスからおんぶから、本当に色々とあったからな。
「もう飲み過ぎるなよ。おまえは酒癖が悪いんだから」
「な……! 昨日は悪酔いしただけよ」
「にしたって飲み方があるだろ。あれじゃやけ酒だ」
「うるさいわね……」
「でも、レフのためにすぐさま動いたのは好感が持てる。おまえの美点だよ」
「……」
口元がもにゅもにゅと不明瞭に動いている。
怒るべきか照れるべきか、脳が混乱しているのだろう。
「あんたは……」
愉しそうにため息をついて。
呆れたように微笑んで。
マリーは大きく息を吐いた。
「リンク。私を膝の上に乗せなさい」
急に何言ってんだ。
堂々と宣うその姿は、まさしく女王であった。
仁王立ちで俺の前に立つと、返事を待たずして椅子に座る俺の上に乗る。そして、満足そうな鼻息を漏らすのだった。
「おい、何のつもりだ」
「何って、好きな人に甘えているだけだけど。ああ、お互いに両想いなんだから、恋人よね。恋人に密着して、何か悪いことでもあるの?」
挑むような上目遣い。
魔の悪いことに、その声は小さいものではなく、周囲に聞かれてしまっていた。
教室内に沸き起こるはどよめき。
「おいおい、マリー王女からの好き発言だぞ」「どういうことだ。そもそもあいつはシレネ様とそういう仲なんじゃないのか」「というかあいつなんだよ。どこの誰が王女と四聖剣を侍らせてるんだよ」「両思いってどういうこと? 不誠実だわ」
男女構わず教室内全員が敵に回った。
リンクという少年へのヘイトが爆上がり。
「……どういうつもりでしょう」
いつも通り俺の元に来たシレネ。流石の彼女でも、若干の青筋が透けて見える状況。
腹を据えたらしいマリーは、シレネの圧のある笑顔にも物おじしない。
「貴方の掲げる大恋愛時代に一役買おうと思ってね。素敵な演説に感化されたのよ。まさか、恋愛の自由を訴えた貴方が止めに入ったりはしないわよね」
「私とリンク様が恋仲なのは貴方も知っての通りでは?」
「学生生活の恋愛なんか、お遊び。将来への練習。貴方が言ったのよ。婚約をしてるわけでもないし、恋人がいる相手だからなんだと言うの」
マリーが強い。
シレネが言葉に窮している。
マリーは理屈よりも感情が優先するだけで、決して馬鹿ではない。
「……まあ、いいでしょう」
シレネが折れた。
俺の隣に椅子を持ってくると、そこに座って腕をとる。
「私がリンク様の隣にいることに変わりはない。そうであれば他は些事ですわ」
「……ふうん。まあ、私も貴方と喧嘩をしたいわけじゃないのよ」
「では、そういうことで」
どういうことだ。
当人である俺がわかっていないぞ。
二人の中では話は済んだのか、大人しくなる女傑二人。
教室のざわめきは収まらない。
マリーに被害が及ぶのは防いだが、今度は俺にナイフが飛んできそうだ。
目立ちたくはないが、今更の話か。俺は大分動きすぎた。この動きが教会の琴線に触れないことだけを祈る。
「……相変わらず、楽しそうだな」
外出に参加しなかった男が何か言っている。
「意外と外出も悪くなかったぞ。今度はおまえも来いよ」
「いらねえ。おまえがサボってる間に訓練しないと追いつけねえんだよ」
まさか俺たちが惚れた腫れたのやり取りをしている間に、訓練に明け暮れていたというのか。
相変わらずの戦闘狂。
頼もしいと言えば頼もしい。
「悪いな。多分、力を借りることになる」
「アグネス教会か?」
「ああ。情報が揃い次第、挨拶しに行くぞ。多分、穏便なものにはならないと思う」
あの脅迫状。
果たして本当にアグネス教会から出てきたものなのか。
どちらにせよ、会わないことには始まらない。