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41.








 ◇



「……何があったんですの?」


 茫然とするシレネというのも珍しい。


 場所を変えて、別のバーで過ごしていた四人と合流した。


 俺に肩を貸された満身創痍のレフを見て、まず一言。

 バーの中に入って、レフが一番度数の高いお酒を頼んで、二言目。

 それを一気に飲み干して、ぽろぽろと泣き出してから、三言目。

 計三回の現状把握に努めて、いずれも失敗していた。


「奥さんがいたなんて聞いてないよお……」


 さめざめと泣くレフ。

 本気で申し訳がなかった。

 最初から聞いていれば。もう少し事情を把握していれば。


 というかアステラも早々に言ってくれれば良かったのに。手紙にもレフのことは書いていたぞ。いや、アステラは俺たちが疑いなく会うための一連の演技だと思っていたのだからしょうがないか。そういう風にみられるように動いた俺が悪いな。


「ごめん……」

「いいんですよ。リンク君は悪くありません。私が無理矢理頼んだのが悪いので」


 沈黙。

 辛い。


「……まあ、えっと、その」


 マリーも言葉を選んで口を開くが、肝心の言葉が出てきていない。

 俺たちは霊装使い。国のために身を粉にして働く所存。碌に恋愛をしたこともなければ、失恋を労わった経験もなかった。


「……飲みなさい」


 ライが一番の理解者のようで、酒の肴と水を傍らに用意していた。


「で、でも、ほら、レフさんは可愛いし、きっと素敵な恋が見つかるよ。あの人以上に素敵な人、いっぱいいるって」


 ザクロも頑張って声をかけているが、効果は薄そうだ。

 久々の外出。楽しいはずの外出。それがここまで絶望的なものになるなんて。


 ごくりごくりと喉が上下し、酒だけが進んでいくレフ。


「あの人以上に素敵な人なんて、きっとどこにもいませんよ。立ち直れません……」

「あー、もう!」


 マリーが声を上げて、レフからジョッキをひったくった。中身の残りを一気に煽ると、机の上に叩きつけた。


「そんな男のこと、忘れなさい! 私が今日は付き合ってあげるから!」

「……マリーさまぁ」


 何この子、男らしい。

 レフとマリーはひたすら酒を煽っていって、すぐに真っ赤になってしまった。


「うう……カッコ良かったんです。森の中でも微笑みを絶やさないでいてくれて。あんな場所なのに安心できたんです」

「わかるわ。思わせぶりな男って嫌よ。ずっと好きだって言ってるのに、色んな子に手を出して。私のために頑張ってくれてたんじゃないの?」

「そうなんです。妻がいるなら私に笑いかけなんかしてほしくなかった」

「ええ、恋人がいる身分で抱きしめてくる性根がわからないわ」

「でも、好きなんですうううう」

「私もおおおお」


 噛み合ってそうで噛み合っていない会話。

 泣き合って抱きしめあっているが、真っ赤になった顔で、翌日にその記憶は残るのだろうか。

 しかし、互いの鬱憤を晴らし合っている状況はいいことだろう。


「……結果論ですけれど、マリー様がいてくれてよかったですわね」


 残りの四人は嗜む程度に酒を煽る。

 帰り道を考えたら、倒れるのは二人だけにしておきたい。


「ああ。人に寄り添える優しいやつだもんな」

「あら。恋人の前で他の女を褒めるんですの?」

「一番はシレネだけどな。おまえがいなくちゃマリーをここに連れてくることもなかった」


 優秀さを褒めると、シレネの顔は途端に緩む。

 椅子ごとにこちらに近づいてきた。


「でも、ちょっと不謹慎だけど、こうやってるのも楽しいね」


 桜色の頬になったザクロが微笑んだ。


「ずっと、思ってたんだ。僕たちは霊装使い。それも、僕は四聖剣を賜ってる。周りのように美味しい食事をとったり、楽しい会話をしたり、うっぷん晴らしに飲んだり、そういうのは諦めないといけないと思ってた」


 学園内にはそういった娯楽施設はない。

 楽しみはせいぜい外から持ってきた酒を自室で煽るくらい。

 だって霊装使いは、戦力なのだから。人であると同時に、兵器でもある。管理されて当然。


「だからさ、こうやって友達と飲んでるこの瞬間がとっても楽しいな」


 さっきは兵器でもあると言ったが、俺たちは人間だ。

 少しくらい羽目を外したっていい日もある。

 こういう時をこれからも過ごしていくために、魔王を倒さないといけないんだ。


 まあ、それはそれ。これはこれ。

 今は酒の席だ。そんなつまらない話をしてもしょうがないだろう。


「それで? ザクロは誰か気になる人でもいないのか?」

「え、いないよ。皆、僕なんかじゃ吊り合わない美人さんばかりだもん」

「卑屈だな。結構女子生徒から人気はあるって聞いてるぞ」

「そうなの?」

「なあ、ライ。ザクロは人気だよな」


 静かに酒を飲んでいるライに水を向けると、首肯が返ってきた。


「そうね。きちんと外堀を埋めれば、大抵の子は応えてくれると思うわ」

「だってよ」


 肩を小突くと、どことなく嬉しそうな顔になった。


「そうかな。でも、本当に気になる子はいないんだ」

「無理強いはしないよ。するもしないも本人の意志だから」


 この話題をシレネに向けても無駄だろう。

 俺はライに視線を投げた。


「ライは? 誰か気になる人はいないのか?」

「いたら手伝ってくれるの?」

「森の中では世話になったし、できる範囲は協力するよ」

「レフを泣かせたばかりの立場で?」

「……それを言うなよ」


 そもそもコミュ力不足の俺に恋愛相談をすることが間違っている。

 しかし、勇気を出して俺に相談してくれたレフに応えてあげたかったのは本心で。


「冗談よ。じゃあ、相談させてもらおうかしら」


 ライはほんのり赤らんだ顔で微笑むと、俺に向けてその細い指を向けてきた。


「貴方」

「は? 何が?」

「私が気になってるのは、貴方」


 その場が先ほどとは異なった意味で冷たくなった。

 主に、俺の隣が冷気を発し始めた。


「私のこと、救ってくれたんでしょう? 私の人生は貴方がいたことで変わった。気にならないわけがないわ。それに、貴方といるとワクワクするの。ねえ、今はどんな愉しいことをしているの? 私も混ぜてよ」


 少なからず酔っているのだろう。

 白い指がテーブルの上、俺の指に絡んでくる。


「ふふ。意外と太い指してるのね」

「……」


 気まずい。

 もしもシレネとライの関係性がなければ、色々と動きようもあった。

 二人は主従関係。俺の動き次第では彼女たちの今後の関係にもヒビが入ってしまう。


 隣が見れない。

 隣の人物が声を発した。


「いいのではありませんか? リンク様は素敵な人ですし」


 まさかの容認だった。

 顔を向けると、にっこにこのシレネ。


「誰がリンク様のことを好きであろうが、私の気持ちも思いも行動も変わりはしません。そして、リンク様から私への評価が変わることもない。なぜなら私は、有能だから。その一点においては私は自信がありますの。すのすの」

「ええ。シレネ様の邪魔をしようとは思っていません。私は私で、人生を楽しみたいのです」


 シレネもライもにっこにこ。

 素敵な空間だね。

 額面通りに言葉を受け取れる素直な人間になりたかった。


「……リンク君、やっぱり僕、しばらくそういうのはいいや」


 青い顔になってぼそりと小声で呟くザクロ。

 レドなんかは何度もこういう場に出くわしているから耐性があるが、初見のザクロは場の空気に飲まれてしまった。


 俺もまた、申し訳ないと思う相手が増えてしまった。

 また一つ、地雷が増えた。

 いや違う、可愛い女の子だ。

 嬉しいけどね。

 俺の扱える霊装がまた増える。俺を愛してくれる子がまた増える。

 喜び以外に何がある?


「……なあにでれでれしてんのよ」


 呂律の回らない声の主は、真っ赤になって俺を睨んでくるマリー。


「ライはね、あんたのこと、きになるっていったの。つまり、ぜんぜんすきだとかなんだとかいってないんだからね」

「わかってるよ」

「あんたはね、さいてーよ。さいてーのすけこましよ。きらい、あんたなんかきらいなんだから」


 マリーの相方のレフはすでに机に頬をつけて眠ってしまっていた。

 傍らにある酒を尚も引き寄せようとしてるマリーから酒を遠のけた。代わりに水を置いておく。


「もうやめとけ。それ以上は身体に障るぞ」

「やさしくしないでよお。わたしのことなんかどーでもいいくせに」


 うわ。絡み酒だ。


「どうでもよかったら手を焼かないって」

「わたしのれいそうがのぞみなだけのくせに。わたしなんかどーでもいいくせに」

「どうでもよくないよ」

「どうでもいいからきすもしてこないんでしょ。いくじなし」


 いよいよ埒が明かないので、キスしてやった。

 周りが息を飲む。

 酒臭い唇だった。


「これで信じたか」

「……」


 焦点の定まっていない目でこちらを見ている。


「何とか言ったらどうだ。いいか、俺はどうでもいいやつにキスしたりなんかしないぞ」


 マリーの顔は段々と赤くなっていって、そして、青くなっていった。


「きもちわるい」


 口を押えて立ち上がった。

 やばい。


 俺はマリーを抱え込んで店の外に飛び出した。

 ちょうどいいところに広場があったので、そこに放り込んだ。


 吐き出しタイム。


 一度店に戻り水差しをもらって、持っていく。

 あらかた吐き出し終わったマリーは、その場に崩れ落ちていた。


「まったく。付き合いとはいえ飲み過ぎだ」


 コップに水を移して手渡す。

 マリーはそれを受け取って飲み始める。

 俺は土壌を掘り返して吐瀉物を埋めた。傍目には綺麗に処理できた。


「ううう……」


 マリーがまた呻き始めたので構えるが、次に出てきたのは涙だった。


「もうやだ。なんであんたにげろまでみられて、しょりもされてんのよお……」

「気にすんなよ。レフの傷心を慰めてやった結果だろ。おまえはよくやったよ」

「やさしくすんなあ」


 青い顔で涙を流している。

 俺がここにいる方がよろしくないか。

 立ち上がろうとすると、服の袖を引かれた。


「行かないで」

「……はいはい」

「もう一回、キスして」


 言われるがままに口づけを交わした。

 今度は酸っぱい味がした。


「……断りなさいよ。こんなゲロ吐いたばかりの汚い女の言う事なんか」

「断る理由がない。好きな人にキスをせがまれて断る男はいない」


 まあ実際、マリーが飲み過ぎたのだって、半分はレフに付き合ってのことだ。

 人の悲しみに率先して寄り添えるこの子を、誰が責められよう。


「……あんたは私をどうしたいのよ」


 そういえば、俺の霊装の発動条件を聞かれてから、初めてちゃんと会話をしている気がする。

 なんとなく、懐かしい。

 月ばかりが俺たちを見守っている。


「どうもしないよ。ただ、生きてくれればいい。おまえの霊装は俺にとって必要不可欠ってわけでもないし、王になりたくないのならならなくてもいい」

「何よそれ。そしたらどうして私のことを助けたのよ。打算的なあんたらしくないじゃない」

「……」


 正直には、正直を。

 誠意には、誠意を。

 マリーという人物には、打算は通用しない。

 感情的な俺をかき集めて、言葉にしよう。


「後悔していてな。おまえの死を見逃したことを」

「……それは、別の未来の話?」

「ああ。俺は前の世界でも落ちこぼれでな。よく授業サボってぼうっとしていたんだ。そこに、良くおまえも来てた。そこでちらほら話す仲で……まあ、友達ってわけでもなかったけど、知り合いじゃないというほどでもなかった」

「素直に友達でいいでしょ。私ならきっと友達だと思ってたわ」

「それならいいんだけど」

「私の記憶にない私の話を聞くのは不思議な感覚ね。それで?」

「おまえは死んだ。自殺だった、ってのは前に話したよな。死ぬ前、おまえは俺に挨拶に来たんだ。もう無理だと言った。最期の話だとも言った。俺はおまえが何をしようとしているか、わかってた。でも、止めなかった。止めたとしてもできることはなかった」


 そして、彼女は教室に来なくなる。

 数日経っても、誰も彼女の様子を見に行くことはなかった。

 俺が夜中、人目を盗んで女子寮に見に行った。

 首を吊って死んでいたのを知ってるのは、俺だけだ。


「ずっと後悔してたんだよ。おまえはあの時、嘘でも引き留めてほしかったかもしれない。そして、俺は何かを言うべきだった。でも、言えなかった。言っても俺は何もできなかった」


 仲良くしてはいけない王女様。

 死だけが望まれている姫君。

 吹けば飛ぶような存在でできることはなかった。

 だから。


「これはただの贖罪だよ。あの時の俺ができなかったことをやっただけだ」


 二人の間を夜風が撫でる。

 冷たい風だった。


 理屈以外の人の感情はわからない。

 この話を聞いて、マリーはどう思うだろうか。

 なぜ見逃したのかと叱責するだろうか。

 理屈での会話なら、ここまで答えがわからないことなんかないのに。

 だから感情論は嫌いなんだ。


「……まさか自分に嫉妬することになるなんてね」


 マリーは微笑んで、俺の頬に指を当てた。


「好きだったの?」

「さてな」

「はぐらかすの?」

「もうその問答に意味はないからな」

「冷たいのね」

「過去を振り返らない質なんで」

「じゃあ、今の私は? その時の私と比べてどう?」

「少なくとも、生きてる。それだけで前よりも随分と素敵だよ」

「答えになってない気がするけど」

「答えにしてないからな」

「ああ言えばこう言うのね」

「それが俺だから」

「そうね。それが貴方だものね」


 マリーは頷いた。

 立ち上がる。ぐらりと揺れたその体を俺は抱きしめた。


「まだ酒が残ってるだろ。無茶するな。もうちょっと休んでいけよ」

「今のは、嘘」

「はあ?」

「わざとふらついたの。貴方が抱きしめてくれるから」

「……」

「ふふ。打算的ね」


 華が咲くように笑って、マリーは俺の手をとった。


「私は気分屋よ。わがままだし、感情的だし、アイさんやシレネとも違う。貴方にとって利のある存在にはなれないわ」

「求めてないよ」

「ええ。わかってる。でも、返したいの。貴方が私にくれたものを、倍にしてお返ししたいの」


 マリーの顔が赤くなる。

 ころころと表情の変わるその性格は、彼女ならでは。

 誰も置き換わることのできない、絶対。


「好きよ、リンク」


 キスを返される。

 与えたものくらいではお釣りが来るくらい、情熱的なものだった。


「満足したか。戻るぞ。レフをおぶって帰らないといけないんだからな」

「ちょっと。もうちょっと余韻を感じなさいよ」

「十分感じてるよ」


 感情的に言うのなら。

 良く生き残ってくれたと、そう思う。 

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