29.
◇
そいつは同じクラスの男だった。
呼び止められれば、再三の忠告であった。
「これ以上の干渉はやめていただきたい」
そいつもプリムラと同じことを言う。
彼はクラスでも目立たない男だった。覇気もなければ他者との関わりも薄かった。
しかし、今まではそう見せていただけ。現在俺の正面に立っている彼は、年齢を詐称しても余りある殺気を漲らせている。
「なんのことだ?」
「とぼけないでいただきたい。貴方のことも当然、調べている。随分と用意周到に動いているな。ザクロ・デュランダル、シレネ・アロンダイトと四聖剣に取り入ったと思ったら、次はマリー王女候補。何が目的なんだ」
「魔王を倒すことだ」
「真面目に話すつもりはないらしいな」
ため息を吐かれるが、ため息をつきたいのはこっちの方だ。
どう言ったら伝わるんだ。
これも俺の仁徳の無さからくるものか。
「不真面目な貴方に伝えるこちらからの言葉はたった一つ。これ以上関わるな。貴方なんぞ、吹けば飛ぶ埃に過ぎない。何も本気で、マリー王女候補に命を賭ける程の価値があると思っているわけじゃないだろう?」
確かに俺の命なんか殿上人からすればどうでもいい些事だろう。雑魚が余計なことをするな、と。そう言いたくなる傲慢はわかる。
「そう思ってるから、おまえたちはその程度なんだよ」
価値、価値、価値。
人の命を損得で計ろうとするから、俺なんかの扱いに困るんだ。
「……なに?」
「打算の話がしたいのか? それなら得意分野だ、乗ってやる。おまえたちは王子たちにベットした。しかし、それでいいのか? 王子がこの戦いに勝ったとして、おまえの得る利益はどんなもんだ? 他にも多くの人間が支持しているんだ、おまえ単体の利益は雀の涙にも満たないだろ。
しかし、現段階でマリーに張って、勝ったらどうだ? 配当は莫大なものになる。すぐに重鎮に繰り上がることができる。次期王国で重要なポストに就くことができるぞ」
「勝てる見込みのない戦いなんか、どぶに人生を捨てるようなもんだ」
「勝てる見込みがあるとしたら?」
男は押し黙った。
馬鹿だな。
会話の中で、揺れてはいけない。ぶれてはいけない。
自分の欲望。それを相手に悟らせた時点で、勝利はないんだ。
「あるはずがない」
「俺のことをどう見てきたんだ? 地方から学園にやってきた田舎者。そのくせに、ザクロ・デュランダルという四聖剣と仲良くなり、シレネ・アロンダイトの信用も得ることができている。現状、マリーともある程度の仲だ。おまえらが接触してきたのはその実績ありきなんだから、否定なんかしないよな。俺は用意周到に動いているように見える、そうだろ? そんな俺の目的はどう見える? 王女に取り入って何がしたいんだろうな。用意周到な俺は勝ち目のない戦いなんかするのか?」
言葉は素晴らしい。
無から有を生み出すことができる。
何もないところから生まれた疑念は、芽吹いて大きくなって無視できなくなる。
「……」
「おまえらのわかる言葉で言ってやるよ。俺はマリーを王女にする。候補だとか、仮だとか、下らない言葉は放り捨ててな。そうなったとき、俺には莫大な利益が来る。だから動いている」
「……どうやって。何を考えている?」
食いついた。
食いついてしまった。
方法を聞いてくる時点で、可能性を見つけてしまった。
俺がそれを可能にする一縷の可能性を、見てしまった。
「教えるわけないだろ。おまえは敵なんだから」
舌を出して肩を竦める。
男の眉が寄った。
「俺は質問に答えた。今度は俺が質問する。プリムラ・アスカロンはおまえらの一派か?」
男は逡巡した。答えるかどうか迷って、俺の存在を将来の選択肢に入れたのだろう、答えてくれた。
「違う。貴方からすれば俺たちは同じ動きをしているように見えるだろうが、根元は異なっている」
「まあ、系統が違うのは当然だよな。誰だって甘い蜜は独占したい」
王都のお偉いさん方が、それぞれ王子の機嫌を取ろうと行動しているのだろう。将来の美味しいポストが欲しくてたまらないらしい。
となると、学園の中にもこいつのような人間が何人かいるのだろう。重ね重ね、管理の甘い学園だ。
「もう一つ質問。毒を扱ってるのはおまえだな」
まだ霊装の訓練も碌にしていない現状。霊装の能力は隠そうと思えばいくらでも隠せる。
「……そうならどうするんだ?」
「別に。何もしないさ」
正直、毒はどうにかしたい。
直接的な攻撃はどうともできるが、本気で毒を盛られたら何も抵抗のしようがない。
「あと、これは質問じゃない。助言だ。王子たちを見限ってマリーにつくのなら、早い方がいいぞ。具体的には、”次の動き”で決めた方がいい」
「なにを」
「笑えるのは今のうちだけだ。よく考えておけ」
人の心は面白い。
誰もが他人と一緒になりたくて、けれど出し抜きたくて。
最小公倍数から足一歩分だけ抜け出したい、けれど、素数にはなりたくない、矛盾に満ちた考え方。
透けて見える、杜撰な考え方。
どうも俺はそういった分野が得意らしくてな。
ぐちゃぐちゃにしてやるよ。
◇
「なんだか教室の雰囲気が異様じゃないか?」
能天気につぶやくレド。
確かに最近、一部の生徒がぴりぴりしているように見える。
その雰囲気は教室中に伝播して、誰もが言いようのない居心地の悪さを感じていた。
「マリー関係だろうな。今、困った顔をしているやつらが、王子派閥の人間だよ」
「……どういうことだ?」
レドはいいやつではあるが、こういった政治的な視点は弱い。
俺の腕の中にいるシレネが指を一本立てた。
「私たちはよくマリー様と一緒にいるでしょう? それがこの国の王子様の逆鱗に触れたのですわ。今、教室内はマリー様に対してどういった態度をとるかで二分されていますの。恭順か、排斥か。私たち側か、彼ら側か」
王子派の筆頭はプリムラ・アスカロンだ。
彼の周りには数人の生徒が侍っていて、こちらを睨みつけている。
「いつの間にそんなことになってんだ」
「おいおい、相棒。マリーと話すってことはそう簡単なことじゃないと、一番最初に伝えていただろう?」
「初日の話じゃねえか。覚えてるわけないだろ。そもそもあの時はシレネの方に警戒してたし」
「まあ。そんな早くから私のことを気にしていたんですの?」とシレネが頬を赤らめる。
「……まあ、どうでもいいんだけど」とレドはため息を吐いた。
レドも肝が据わったなあ。
アステラと対峙したときでは考えられない、プリムラに睨まれても欠伸を返すこの胆力。
「やるんなら、やりかえすだけだ」
この学園は陸の孤島。
対外的な接触は最小限。
大事にしたくない相手は、この学園内で事を収めようとするだろう。実際、プリムラを初めとする彼らだって、自分たちでなんとかする心づもり。
一般の生徒たちは困惑しているが、巻き込むつもりはない。
あっちとこっちでやり合うだけだ。