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1. ゆめにみる


















   ◆



「ああ、弱いな」


 その声は鈴の音のように高かった。

 しかし同時に、重厚な金属の共鳴のように低かった。


 鬱蒼とした森の中。

 ようやくたどり着いた巨悪の根城。

 ぎゃあぎゃあと不明瞭な鳴き声を発し、人間を滅ぼさんとしている化け物たちの巣窟で。


 俺は二人きり、そいつと対峙していた。


 とはいえ最初から二人きりだったというわけではない。

 たった今、二人きりになってしまったところだった。


 ここまで戦いを共にしていた仲間の最後の一人が、魔に属する獣の牙を首に受けて沈んだ。さっきまで共に将来を語り合っていた存在は、手からかぎ爪を取り落とし、赤い血をまき散らして物言わぬ死体と化してしまった。


 彼だけではない。

 一緒にここまでやってきた仲間たち。

 彼らはすでに全員事切れていた。


 赤と黒の液体で装飾された世界。人間の死体と獣の死骸の山。

 それらを観客としながら、俺たちは向かい合う。



 凄惨に囲まれながらも存外冷静な自分に驚く。

 しかし同時に納得もする。


 親しくしていた人たちの死を見ても何も思わないのは、それが数分後の俺の姿でもあるからだ。またすぐに黄泉の世界で出会えると思えば、感慨も湧きはしない。当の俺だって魔獣の牙に片腕をもがれ、裂傷と擦傷で血だらけの満身創痍。いつ死んでしまってもおかしくはないのだから。


 それでも何とか地に足をつけている理由は、一つはほとんどヤケクソのようなもので、一つは先立った仲間に対しての追悼だった。


 人類の悲願。

 人の世界を滅茶苦茶にした、目の前の存在を殺しきること。

 俺しか残っていないのだから、俺がやらなくてはならない。


 片腕で掴んだ聖剣アロンダイトを強く握りしめる。

 俺が今現在”扱う事の出来る”武器の中で、一番の火力を持つ武器だ。


 これの持ち主は今どこで何をしているのだろうか。彼女が一緒に来てくれれば、共闘という道を選んでいれば、こんなことにならなかったかもしれないのに。

 俺も俺で彼女と歩幅を合わせることもできず、ただ悪態をつくのみで、そんなむかつく相手の聖剣を握りしめることしかできない。

 もどかしく、うっとうしい。


 息をついて、眼前の敵を見返す。


 通称、魔王。自身につけられた称号に似つかわしくない、絹のように流麗な金の長髪を煌めかせて、俺を睨みつけてくる。その風貌はどう見ても人間の女性だというのに、魔獣を指揮し、人間を滅ぼそうと画策しているのだ。


 熟れた林檎のように甘く赤い唇から、言葉が零れ落ちる。


「弱い、弱いな。貴方たちは、哀しくなるくらいに弱すぎる」


 その瞳にあったのは、間違いなく失望だった。

 彼女が何を意図していたのかはわからない。


 口ぶりから察するに、どうやら俺たちは彼女の期待に応えられなかったらしい。まあ、心底どうでも良いことだが。俺たちはこいつを楽しませるためにここまで来たわけじゃない。


「そりゃあ結構。哀しくさせたなら本望だ」

「良かった。まだ生きているんだ。もう誰もいなくなってしまったかと思った」


 軽い驚きと共に細い眉を上げたのは、皮肉のつもりなのだろう。

 むかつく。


「もう勝ったつもりか? ここで足止めを喰らっていて、おまえはまだ人間の地に足を踏み入れてもいないだろうが。俺たち人間の全力を知らないで、よくもそんな大口が叩けるもんだ」

「じゃあ逆に聞くけど、貴方は勝てると思っているの? 人間の全力は私を楽しませてくれると言うの?」


 彼女の周りには眼を真っ赤に染めた化け物たちが鎮座している。従来見かける家畜や獣とは一線を画した、凶暴な魔獣たち。愚鈍に口から唾液を零れ落とし、愚直に目の前の獲物に食らいつこうとする意志を感じる。


「”転送”」


 魔王は呟き、細い指で挟んだ赤い羽根を振る。

 すると呼応し、魔獣の類が虚空から現れてくるのだ。

 一匹、二匹、十匹、――。


「……モテモテだな。男冥利に尽きるぜ」


 数を数えるのも面倒くさい。どれもこれもがこの場で唯一生き残った俺に熱い視線を投げているのだから、愚痴の一つもつきたくなってくる。


「つまらない」


 魔王の口から吐きだされる煽り文句も、俺の脳髄を揺らすことはない。


 ここで、終わりだ。

 俺の人生も、世界の運命も。


 はるか昔、人間たちは同様の魔の襲来を退けたと言われている。聖女の呼びかけに従って、四聖剣と呼ばれる破格の力を有する霊装を持つ者が協力して、辛くも人類に勝利をもたらした。

 過去、四聖剣が集まってようやく薄氷の上で勝てたという伝承。今回だって伝説の再来になる可能性もあったというのに、四聖剣のあいつらは何をやっているんだ。


 こうなる直前も会話すらなかった。ふざけんなよ。

 あいつらが力を合わせれば――。

 なんて。考えても意味がないのに。


 思考がぶれていく。

 血が巡っていない。

 俺もそろそろ限界のようだ。


 最初から決まりきったことだったのだ。四聖剣であろうが、霊装使いであろうが、勝てないものは勝てない。世界の歴史にはそれが記載されている。それくらい当たり前のことで、俺たちはそこに別の歴史を書き連ねようとした異端者。罰せられて当然。


 はいはい終わり終わり。


 俺は激痛の走る下半身になんとか力を込めて、一つ歩みを進めた。表情一つ変わらない魔王に、精いっぱいの虚勢を向ける。


「死ね」


 俺に唯一残った右腕で、そこに掴んだ”仮物の聖剣”で、魔王の腹部を突き刺した。


 魔王は避けようともしなかった。彼女にとっては、これくらいは些事なのかもしれない。簡単に刺突できたことで逆に俺の方が驚いたくらいだった。

 肉を引き裂くのは簡単だった。衣服を引きちぎって、皮膚を食い破って、臓器を切り裂いて、人間としての器官を破損させていく。力を込めると、ぐちゃり、と不気味な感触が残った。


「……なんだ? 避けないのか?」

「もうその必要がないから」


 自分の腹から血があふれ出しているというのに、魔王の表情は尚も変わらなかった。

 口から涎のように血液が垂れてくる。臓器から逆流した生の証拠が零れ落ちていく。


 それは人間と同じ、赤い色をしていた。


「必要? どういう意味だ。おまえはこれくらいじゃ死なないってことか?」

「私を殺してもすでに意味はない。すでに魔獣の召喚はなされた」

「知らねえよ。おまえが死んで統率を失った魔獣どもなら、どうにかなるかもしれないだろ。そいつらを一網打尽だ」

「これらの魔獣を倒す術も人間には残っていないだろう。これらはこの戦いが終わったと同時に人里に下りていく。民を喰い、建造物を砕き、社会を滅茶苦茶にする」

「俺たちは負けた。だが、人間は負けてねえ。まだ終わりじゃねえよ」


「貴方たちはこの世界の最高戦力だったんだろう。どう対処する」

「残念だったな。霊装は次の世代に明け渡される。人間はまだ負けない」

「赤子にナイフを渡すようなものだ。霊装が一朝一夕で使えると思っているのか」

「わかんねえだろうが」


 俺たちが死んだとしても、”霊装”は次の世代へと渡っていく。魔獣を殺す武器は喪われない。

 が、魔王の言う事も尤もで、武器があっても扱う人間が死んでしまったのでは意味がない。何年も研鑽を重ねた一流の剣士たちは、もう動くことはない。


 この問答が終わり次第、魔獣はすぐにでも駆けていくだろう。そうなった場合、素人たちで何ができるだろうか。よしんば霊装が受け継がれていったとして、一月やそこらで扱い方を覚えられるものではないのだから。


 俺だって正直、もうどうすることもできないと思っている。

 が、ここで泣きわめくのは嫌だった。この場で最後に生き残った者として、反逆の牙の一つくらい突き立ててやる。


 それが俺の墓標だ。


「おまえだけは、殺す」


 突き立てた剣を、深く押し込む。

 もう離れないように。

 俺の身体から力が抜けても、剣が突き刺さったままでいるように。


「……いい目だ」


 血液が吐き出されるごとに、魔王の顔が段々と青くなっていく。しかし彼女は何の抵抗もしなかった。ただただ成すがままに、俺の立てようとしている墓標に恭順していく。


「その目がくすむのを見ていたくなる」

「悪趣味なことだ。でも残念だが、もう終わりだよ。おまえを殺して俺も死ぬ」


 もう体の感覚も遠い。

 右腕だけが熱く、少女に剣を突き立てる。今、この瞬間、ここだけが俺だった。


「終わらないよ。まだ、終わらせない。まだまだ、人類には絶望を味わってもらわないと」


 魔王の目が暗く黒く蠢く。

 かすれた声で呪詛を紡いでいく。


 ふらりと動いた身体は、俺にゆっくりと近づいていく。

 剣が彼女の身体に深くめり込んでいき、彼女自身を侵食していく。しかし、俺は逆に俺自身が侵食されているような不気味さを味わっていた。


 彼女の手が俺の頬に触れた。

 小さく、細く、冷たい手だった。


「君が、四人目だ。せいぜい、絶望して恐怖して悲しんで、また、この場所でその姿を私に見せておくれ」


 最期にそんな言葉を吐いて、魔王の身体から力が抜けた。びくびくと震えて、その場に崩れ落ちる。

 死んだのか。わからない。それを確認する術もなかった。


 俺も、同じだった。

 視界が暗転し、視線は地べたを転がっていく。

 感覚が遠のいていく。視界が狭まり、聴覚が遠くなり、痛覚が失われていく。

 じわじわと迫ってくる数多の魔獣。動かなくなった女性の身体。


 それが俺の最期の記憶だった。


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