カフカの主人公はなぜ”K"なのか

作者: カキヒト・シラズ

 フランツ・カフカの「城」そして「審判」を最初に読んだとき、私は主人公が”K”というイニシャルで表記されているのに驚きました。

 「城」の主人公は測量士のK。「審判」の主人公はヨーゼフ・K。ところが他の登場人物はイニシャルでなく、フルネームで設定されています。

 なぜKなのか。

 普通に考えるとカフカのイニシャルがKだから主人公の名前もKにした、と推測できます。

 ちなみにカフカの作品「変身」の主人公はグレゴール・ザムザ。このザ・ム・ザという名前の音もカ・フ・カのアナロジーのような気がします。

 「城」や「審判」がカフカの死後発表された遺稿であることを考えると、作者カフカは完成原稿脱稿までには主人公の名前をグレゴール・ザムザのようにしっかり設定しておく予定で、とりあえず下書き段階で主人公をイニシャルにしていただけ、と解釈できるかもしれません。


 しかしながら私は主人公をイニシャルの”K”にしたこと自体が、作者の意図的な企みであり、作品の効果であるように思えるのです。


 さらに言えばこの場合、アルファベット26文字のうち、どういうわけかKが一番ふさわしい文字に思えるのです。AやB、C、D......Zではだめで、主人公はKでなくては小説の効果がでない、という気がなんとなくするのですが、これは考えすぎでしょうか。



1.没個性のK


 さて、アルファベットのうちKが他の文字よりふさわしいかどうかの議論はともかく、他の登場人物がフルネームなのに対し、主人公だけイニシャルにする効果について考えてみましょう。

 第一にイニシャルにすると没個性的な雰囲気を醸し出します。没個性のKは、とりもなおざす数学的に表現すれば、Kは読者とイコール、または読者をKに代入できるという意味につながります。

 読者はKと一体となって、カフカが描く不条理ワールドに没入します。

 これは鬼気迫る緊迫感を読者に与える効果があります。



2.特異点としてのK


 一方で、Kは他の登場人物と違う特殊な人間という解釈も出来ます。特殊な人間だからフルネームでなくイニシャルなのです。この場合、Kは作者とイコールといったところでしょうか。

 カフカ文学の場合、Kは特殊な人間というより特異点といった方がふさわしい気がします。主人公と他の登場人物の関わりを描くというより、主人公とそれ以外の外界との対峙を描いた作品だからです。

 つまり「K vs 彼の外界の不条理ワールド全般」がカフカの描く世界なのです。


 「城」で測量士Kが、ウェストウェスト伯爵の城に入ろうとします。ウェストウェスト伯爵から仕事の依頼を受け、遠方からわざわざやって来たからです。ところがどうしても城の中に入ることができません。また城の職員と連絡を取ることもできません。

 城の職員は神秘的な人物に描かれます。Kがうたた寝をしている隙にいなくなるという具合に、いつもすんでのところで彼らとコンタクトできません。


 「審判」では、身に覚えのないKがある日いきなり逮捕されます。何者かに告発されたようです。Kは自分が逮捕された理由を知ろうとしますが、役人たちからどうしても教えてもらえません。

 ある夜、Kは役人に裏道に連れていかれ、ナイフで刺されて殺されます。



3.安部公房、ディック、サルトルなど


 世界文学の中でカフカが高く評価されるのは、彼が不条理ワールドを描いたパイオニアだからではないでしょうか。彼以前にこのような不条理ワールドを描いた作品はほとんどなく、後の時代の作家に多大な影響を与えたことが、作品自身にもましてカフカの功績でしょう。


 日本では安部公房が、カフカから影響を受けた作家とされています。

 SF作家フィリップ・K・ディックを「カフカの後継者」とする米国人の文芸評論を最近目にしましたが、これは言い得て妙だと納得しました。

 実存主義文学の旗手、ジャンポール・サルトルやアルベール・カミュとカフカ文学の接点を論じた文芸評論は、国内外合わせて複数あると思います。


 カフカの不条理ワールドは、小説にとどまらず、映画、演劇、テレビドラマ、漫画、アニメ(、ゲーム?)など、直接、間接を問わず、複数のメディアに影響を与えています。

 おそらくカフカなど1冊も読んだことのないクリエイターでも、カフカから影響を受けた先輩クリエイターから影響を受けて作品を作る場合、間接的にカフカの影響下にあると言えます。

 今日のクリエイターは、カフカから影響を受けたクリエイターのそのまた影響を受けたクリエイターのそのまた影響を受けたクリエイター......という具合にクリエイターを10人近く挟んで不条理ワールドの作品を作っているのかもしれません。



4.まとめとして


 さて、話をKに戻しましょう。

 カフカの文芸評論は多数ありますが、主人公のネーミングがイニシャルのKであることを論じたものは読んだことがありません(もしあったら感想で教えてください)。

 しかしながらKというネーミングが、私の中では「城」や「審判」という作品で重要な意味を持っており、これこそがカフカ不条理ワールドの真骨頂だと信じて疑いません。

 

よろしければおすすめ小説もお読みください。主人公がイニシャルの”K”です。


Kの冒涜(SF)


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