第65話 天才料理人の卵
翌朝。
今日の予定を立てようと思い、アイテムボックスの画面を開いてみると……あるものが目に止まり、やりたいことが決まった。
目に止まったもの、それはマグロだ。
思えばヒマリのお母さんを訪ねた日についでに獲ってきてから、一度も海鮮市に足を運ぶ機会がなく、今日までほったらかしにしていたこのマグロ。
それ以前に取った分は、もっぱら刺身や天ぷらとして食べてきた。
しかしみりんや味噌を手に入れた今となっては、マグロ調理の選択肢はあの時に比べて格段に広がっている。
いまなら煮付けとか味噌煮とかだって作ることができるのだ。
それを思うと、急にマグロを食べたい気分になってきた。
なので、今からこのマグロを海鮮市で捌いてもらおうと思う。
ヒマリに乗せてもらって、例の海鮮市へ。
ヴィアリング海産なら持ち込みで捌いてもらえることが分かっているので、前回と同じ屋台に並んだ。
「へいらっしゃ……ってあんた、前来たクラーケンの人じゃねえか」
「覚えててくれたんだな」
「忘れるほうが難しいっての! あんたが持ち込んでくれた魚介、すんげえ好評でな。あれから一気に固定客が増えたんだぜ?」
「それは良かった。なら……今日も捌いてもらっていいか?」
「もちろんだとも!」
前のことを覚えていてくれたおかげで話は早く、すぐさま捌いてもらえることになった。
やはり今回も店主の手際は素晴らしく、また終わるまで見入ってしまった。
「またこんくらい頂いてもいいか? あのマグロの入荷を待ってるお客さんが結構いるんだ」
「もちろん構わない。ありがとうな」
「いやいやいや、お礼を言うのはこっちだっての。末永くよろしくな!」
マグロの切り身をアイテムボックスに収納すると、俺達は店主に笑顔で見送られるなか屋台を後にした。
帰るために、ヒマリがドラゴンの姿に戻るスペースがある場所に移動しようと思い、海鮮市の外に移動する。
と、その時――俺の視界に、一つ気になるものが飛び込んできた。
物憂げな表情をした少女が、ただじーっと海鮮市を見つめているのだ。
よく見ると、事故にでも遭ったのか、その子には両腕が無い。
俺はその子に話しかけてみることにした。
自分でもなぜそうしようと思ったのかは分からないが、俺の直感がそうした方がいいと告げているような気がしたのだ。
会話できる距離まで近づいても、少女は全く俺に気づかずに屋台の一つを凝視している。
何か事情があるのか、ちょっと聞いてみよう。
「なあ君。どうしてそんなに屋台の方を食い入るように見てるんだ?」
まず俺は、そんなふうに聞いてみることにした。
初対面の人に対する話し方としてこれが適切なのかどうかは分からないが、そこはまあ理系男子なんだからしょうがない。
話すのを諦めて帰らなかっただけ上出来だろう。
「……え、あ、私ですか?」
三秒ほどの間が空いてから、少女は若干驚いたようにそう返した。
「何か食べたいものでもあるのか?」
傍から見たら完全に不審者だよなとか不安に思いつつ、俺はそんな質問を重ねてみる。
「……いや、そういうわけじゃないです」
彼女は悲しげな表情で、きっぱりとそう言った。
……そりゃそうだよな。たとえお腹を空かしていたとしても、こんな聞かれ方をしたらそう答えるか。
見知らぬ男の人に「買ってあげるよ」なんて言われる展開になっても困るだろうし。
早くも俺は、話しかけてしまったことを後悔し始めた。
が……彼女は続けてこう喋りだした。
「私、未だに忘れられないんです。一流の料理人になりたかったという夢が……」
どうやら俺の早とちりだったようだ。
当たり障りなく奢りを断ろうとしたわけではなく、本当に別の理由で屋台を見つめていたんだな……。
そして、結構気になる理由だ。
「ちょっと私の話、聞いてもらえますか?」
「……もちろん」
こちらとしても興味があるので、俺はそう返した。
すると彼女は、ぽつりぽつりと自分の身の上を語り始めた。
「私、小さい時から夢があったんです。それはさっきも言ったとおり、一流の料理人になりたいというものでした。実は私、父が結構有名な厨房に勤めていて……その影響もあって、憧れがあったんです」
「なるほど」
「それもあって、私は幼い時期から結構厳しい修行を受けていました。時には何時間も連続でオムレツを作り続けたり……とても一桁の歳の子に課すものとは思えないハードワークもあり、一時期は料理が嫌になりかけたりもしました。それでもやはり憧れが消えることはなく、料理人になる夢は持ち続けていました」
「そうか。それは凄いな」
俺は苦しい時期に好きだった化学を諦めちゃった側だからな。
その精神は、見習いたいものがある。
「そして12歳になるくらいの時、ついに私は父からこう言われたんです。『今のお前は、プロの私から見ても、自分の店を持って繁盛させられるだけの腕がある』って。その時は嬉しくてたまりませんでした」
「おおう、マジか……」
てかこの子、普通に才能もエグいぞ。
普通12歳でその領域に達するか?
言っているのが父親だというのは考慮しても、多分聞いてる感じあんまりお世辞を言うタイプの父親じゃないんだろうし、親バカではなく割と正確な評価を下しているんだろうし。
でも……さっき、一流の料理人になり「たかった」って言ってたよな。
それほどの腕前があってなぜ……いや、答えは見たままか。
などと推察していると、少女は泣くのをこらえているような表情でこう続けた。
「そんなある日……事件が起きたんです。父から認められた日の何日か後、私は仲が良かった友達からりんごをもらいました。いや正確には、仲が良かったと思っていた人から、りんごに見える物を渡されたんです。しかし実際は……それは呪物でした」
「な、なるほど」
「手に呪いを受けた私は、呪いが侵攻している箇所を切り落とさないと死んでしまうということで、泣く泣く両腕を切り落とすことにしました。そしてそれ以来、私は料理人になる夢を諦めざるを得なくなってしまいました。後で知った話ですが……その子は私の料理の腕前に嫉妬していて、私を料理できない体にするために呪いを仕込んだそうです」
少女が両腕を失うまでの経緯は、想像を遥かに超えて胸糞悪いものだった。
――あまりにも醜い。そんな話があっていいのか。
そう思った次の瞬間には、俺は「人生リスタートパッケージ」のスキルのリストに目を通し始めていた。
探しているのは……もちろん、肉体の欠損を再生できるタイプの回復魔法。
「全治全能の神癒」というそれっぽい名前のスキルがあったので、一応百科事典でスキルの詳細を調べてみると、ドンピシャの効果のスキルだった。
「全治全能の神癒」
少女に向かって、そのスキルを発動する。
すると……数秒と経たず、両腕が完全に再生した。