第39話 薬ができた
それから七日が経過した。
この七日間は、クールタイムが過ぎた畑やアルヒルダケに成長促進剤をかけたり大豆を収穫したりする以外は、割とのんびり過ごしていた。
特筆すべきことと言えば、麹で圧殺されそうになったことくらいか。
醤油づくりのために大量の麴を用意しようと思い、一度の成長促進剤散布で手のひらサイズに成長した種麴相手にクールタイム経過後再散布すると、麴がビニルハウスを埋め尽くしてあまりあるほどに増殖してしまったのだ。
まあ実際は圧殺というとちょっと大げさで、VITのおかげで押しつぶされるほどの麹があっても死にはしなかったのだが。
麹を押しのけて何とかビニルハウス外に出てみると、その景色は圧巻だった。
あまりの麴の量のせいで、本来テントくらいのサイズしかないビニルハウスが、一軒家サイズくらいにまで膨れ上がっていたのだ。
いったいどんな伸縮性だよ、アルティメットビニルハウス。
とまあツッコミどころの多い現象が起きはしたわけだが、そのおかげもあって、俺は今後使うには十分過ぎる量の種麹をゲットすることができたのである。
次からは「指数関数的に増殖するものに対して成長促進剤を使う時は少し慎重になろう」と誓ったものだな。
ちなみに他にも「時空調律で成長促進剤のクールタイムのスキップができないか」も試してみたが、これは上手く行かなかった。
詳しく成長促進剤を鑑定したりしてみたところ、どうやら成長促進剤には時空調律と競合してしまう性質があるようだ。
そして今日は、待ちに待ったイベントが一つある日。
――5回目の成長促進剤散布により、アルヒルダケの子実体が成熟する日だ。
ヒマリにもそのことは伝えてあるので、もうすぐしたら来ることだろう。
待つ間、俺はアルヒルダケを育成しているアルティメットビニルハウスに入り、成長促進剤の散布を終えた。
「鑑定」
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●アルヒルダケ
子実体が完成したアルヒルダケ菌。
特定の病気の特効薬の主成分となる。
※成長促進剤使用中。累計成長促進:15か月
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一応鑑定してみると、確かに完成が確認できた。
これをどうすればいいのかは、ヒマリが来たら聞こう。
などと思いつつ、ビニルハウスの外に出たら……遠くから一体のドラゴンがやってくるのが目に入った。
ジャストタイミングだな。
「つ、ついに完成したんですね!」
「ああ、したぞ。ちゃんと鑑定でも確認済みだ」
人間の姿に変化したヒマリの表情からは、あからさまにいつもよりワクワクしている感じが見て取れる。
「あの子実体って、どう収穫すればいいんだ? 普通にビニルハウス外に持ち出して大丈夫なものなのか?」
「大丈夫ですよー! 成長途中はかなり環境を選ぶアルヒルダケですが、一旦子実体になってしまえば、外に持ち出した途端消えちゃったりはしませんから!」
そういうもんなのか。
成長しきってしまえば、もう取り扱いに厳重注意はしなくていいんだな。
ならばと思い、俺は再度ビニルハウス内に入り、生えているアルヒルダケを全部引っこ抜いてくる。
「これでいいんだな?」
「わあ、こんなに……ありがとうございます! あ、でも薬を作るにのは一個あれば十分なので、残りの十九個は何かに有効活用してください!」
芽胞がほんとにそこらじゅうにあったためついたくさん育ててしまったが……ちょっとやりすぎたみたいだな。
まあでも貴重な薬の材料になるんだし、余りは農業ギルドにでも持っていけば買い取ってはもらえるだろう。
などと思いつつ、返却された十九個のアルヒルダケはアイテムボックスにしまう。
「で……薬って、ここからどう作るんだ?」
「あ、アルヒルダケ以外の材料と調薬器具は全部持ってきてるので、あとは全部ワタシがやります。興味があったら見ててください!」
ここから先は手伝う必要はなさそうなので、俺は一応白魔病特効薬作りを見学することにした。
この世界のポーション作りとか、なんか面白そうだしな。
と、思ったのだが……実際の作業工程は、思っていたのとなんか結構違った。
薬草に魔法をかけながら煮詰めるといったような、ザ・ファンタジーな工程もあるにはあるのだが……それ以外は普通に化学の実験っぽい感じなのだ。
細かくすりつぶしたアルヒルダケから特定の有効成分だけを取り出すために、何種類もの溶媒で洗浄したり。
試験管に入れた薬液をテレキネシスで遠心分離にかけたあと、分液漏斗で特定の層だけを抽出したり。
触媒として硫酸を混ぜて構造の一部をエステル化させたり。
大学の研究室とか、製薬会社とかで普通に行われていそうな工程が大部分を占めているのだ。
やっぱヒマリって、DEX極振り型だよな。
ドラゴンだってことを忘れさせるくらい緻密な作業をやってのけてるんだし。
俺、大学は理学部化学科で入ったんだけど、実験がキツすぎて途中で転学部して文系に行っちゃったからなあ……。
あそこでもう少し粘ってれば、客先常駐みたいなブラック企業じゃなくて、中とか外とかつくホワイト製薬会社みたいなところで研究職やれてたりしたんだろうか。
ヒマリの姿を見ながら、しばらく俺はそんな回想にふけってしまった。
が……それも束の間のこと。
不意に俺は、鼻がツーンとするような感じがして、意識が一気に現実に引き戻された。
この状況でこの臭いって……絶対原因は一つしかないよな。
慌てて周囲の空気を鑑定してみると、現在の作業工程から大量の毒ガスが出ていることが判明した。
その毒ガスのヒトでの半数致死量は、なんと8μg/kg。
あの猛毒化学兵器として有名なVXガスの約2倍の強さの代物が、もうもうと発生しているのだ。
おいおい。俺だから鼻がツーンで済んでるけど、これ放ってたら近隣が大惨事になるぞ。
すぐさま俺は、実験を行っている箇所だけはピンポイントに効果範囲外にしつつ、広範囲解毒魔法を発動した。
「お、おいヒマリ、毒ガスが発生する工程があるならあらかじめ言っといてくれよ……」
「あーすみません、今マサトさんが解毒したガスですか? ドラゴンにとっては特に毒でもなんでもないので、気にするの忘れてました……」
……危なっかしすぎるだろ。
というか本来は、調薬プロセスが化学的だと分かった時点で、アレを作って中で作業させるべきだったんだよな……。
「特級建築術」
このスキルがあることに感謝しつつ、ドラフトチャンバーを製造する。
この中で作業を行ってもらえば、外に危険な気体が漏れ出す心配はないだろう。
「ヒマリ、続きはこの中でやってくれ。人間にとって有毒な気体が、今後の作業で発生しないとも限らないだろうからな」
「はーいすみませーん」
相変わらず危機感は無さそうだが、とりあえずヒマリは作業場をドラフトチャンバーに移してくれた。
ひとまずこれで安泰だな。
その後は特にこれといった事件は起きず、約三時間後。
どうやら調薬が完了したようだ。
「ふーっ! やっと完成しましたぁ~」
薬を収納魔法でしまった後、ヒマリは大きく伸びをしてその場にへたり込む。
まあそりゃあ、あんだけ長時間ぶっ続けで細心の注意を払わないといけない作業を続けてたらドラゴンだって疲れるよな。
「マサトさ~ん。あの工場で作ってた飲み物くださいよ~」
「お、おう。お疲れさん」
ビールを一瓶渡すと、ヒマリはそれを一気に飲み干した。
おいおい、なんて豪快な……。
それ栄養ドリンクじゃなくてお酒なんだぞ。
ドラゴンだから身の危険はないんだろうが、前世の嫌な記憶を思い出すのでできれば今後は目の前ではやめてほしいな。
「薬も出来上がったことだし……これからお母さんのところに届けに行くのか?」
「そうですねー。でも今はちょっと頭がボーっとしてるので、休憩してから行こうと思います」
ヒマリがそう言うので、俺たちは刺身を何切れか出して昼食を食べながら、30分ほどゆっくりと過ごすことにした。
食べ終わってしばらくすると、ようやくヒマリは動きだすことにしたようだ。
「じゃ……行きますかー」
「おう、行ってらっしゃい」
「え……あ、できれば母に『アルヒルダケを作った人』ってので紹介したいので、ついてきて欲しいのですが……」
一人で行くものかと思いきや……どうやらヒマリとしては、俺に同伴してほしいらしかった。
別に今日この後することもないし……そういうことなら、ついて行ってもいいか。
遠洋漁業や海鮮市などちょくちょく遠出はしてるものの、せっかく新しい世界に来た割にはあんまり色んな景色を見てはないしな。
ちょっとした観光だと思えば、普通に楽しめそうだし。
「分かった。じゃあ連れていってくれ」
「ありがとうございますー!」
行くと返事をすると、ヒマリは嬉しそうにそう言いながらドラゴンの姿へと戻った。
よじ登って鱗に掴まると、ヒマリはお母さんのいる方角へと飛び立った。