忘れられない味(10年前)
本編15話でちらりと出てきた、過去のお話です。
「サラちゃん、お疲れ様。あら、どうしたんだいその花束」
ある日の昼休み、大きな薔薇の花束を抱えて休憩室へと戻った私に、モニカさんはそう問いかけた。
この花束は最近よく食堂へとやって来る、ケイン様という若い貴族男性から頂いたものだ。貴族がこうして平民の食堂に食べに来るのは珍しいことらしく、彼が私目当てで通っていることなんて丸わかりだと、モニカさんは言っていた。
彼は商売でかなり成功しているようで、いつもキラッキラのアクセサリーや時計をつけていて、とても眩しい。いくらでも相手はいるだろうに、何故私に拘るのかわからない。
「ケイン様から、食事に行かないかと誘われまして……」
その瞬間、椅子に座り本を読んでいたルークが、ぱっと顔を上げたのが視界の端で見えた。その金色の二つの瞳は、じっと窺うように私を捉えている。
「一度くらい行ってみればいいじゃないか。きっと良い店に連れてってもらえるよ」
「そうですよね。蟹料理、食べられるかな」
この世界の高級なレストランは、お金さえあれば入れるという訳ではない。基本的には貴族限定だ。私がいくらお金を稼いだところで、一人では入れない。もちろん少しでもルークに残したいから、そんな無駄遣いはしないけれど。
ただの食事だ、一回くらいなら行ってみるのもありかもしれない。この辺りの特産品であり高級品である、大好物の蟹が食べられるかもしれない、なんて浮かれていた時だった。
「……サラ、行くんですか?」
ルークはそう言って、縋るような瞳で私を見つめた。
「うん、行こうかなと」
「駄目です」
「どうして? 美味しいご飯を食べてくるだけだよ」
「モニカさんのご飯だって、とても美味しいです」
「た、確かに」
ルークのそんな言葉に、モニカさんは照れくさそうに笑っていた。モニカさんのご飯は世界一美味しい。私もルークも本気でそう思っている。けれど、それとこれとは別だ。
「絶対に、行かないでください」
そんな私の考えを見透かしたように、ルークは低い声でそう言った。なんだか、怒っているようにも見える。
一緒に暮らし始めてから四ヶ月が経つけれど、こんな彼を見たのは初めてだった。どうしてルークがそんなにも嫌がるのか、いくら考えてもわからない。子供心は何とも難しい。
「ルーク、たまにはいいじゃないか。サラちゃんだって年頃なんだ、デートの一度や二度行かせておやり」
「…………っ」
そんなモニカさんの言葉に、ルークはガタンと音を立てて立ち上がると、そのまま店を飛び出して行ってしまった。
私は慌てて彼を追いかけようとしたけれど、すぐにモニカさんに止められてしまう。
「サラちゃんが取られてしまうと思って、拗ねてるんだ。甘やかさずに、たまには放っておくといい」
「そう、なんですか……?」
「ああ。あの子くらいの歳は難しいもんさ」
本当にそれが原因だとしたら、可愛いにも程がある。私のことが大好きだと、言っているようなものではないか。
ルーク可愛い天使大好き!という気持ちを押さえつけ、私は午後からの仕事の支度に取り掛かったのだった。
◇◇◇
夕方になり仕事を終えた私は、少しだけ早めに上がらせてもらい、慌ててアパートへと戻った。小走りで階段を上がっていくと、美味しそうないい匂いが鼻孔をくすぐる。
そしてそれは、我が家から漏れていることに気がついた。
「ルーク……?」
恐る恐るドアを開けて中を覗けば、いつも私が使っているエプロンを身につけたルークと目が合った。てっきり彼が怒っていると思っていた私は、いつもと変わらない天使のような笑顔を向けられ、戸惑ってしまう。
「おかえりなさい、サラ」
「た、ただいま……?」
靴を脱ぎ部屋へと入ると、部屋の中には外で嗅いだあの美味しそうな匂いが広がっていた。どうやらルークが夕飯を作ってくれているらしい。いつも私の手伝いをしてくれていたけれど、彼が一人で何かを作るのは初めてだった。
「ちょうど今、できたところなんです。座ってください」
言われるがままに食卓テーブルへと着くと、クリームパスタと玉ねぎのスープがことりと目の前に置かれた。見た目も匂いもとても美味しそうで、お腹が小さく鳴ってしまう。
「これ全部、ルークが一人で作ったの……?」
「はい。食べてみてください」
お言葉に甘え、早速両手を合わせて頂きますと呟き、フォークに麺を絡めパスタを一口食べてみる。
「えっ、すっごく美味しい……!」
「本当ですか? 良かったです」
「ていうか、これ……」
ソースと絡んでいるから見た目では分からなかったけれど、少量の蟹が入っていることに気が付いた。もうひと口食べてみると、改めてその美味しさを実感する。
「本当に美味しい。ルーク、すごいね! でも蟹なんて高かったでしょう? どうしたの?」
「モニカさんのところで手伝いをした時の駄賃を貯めていたので、そのお金で市場のおばさんに安く売ってもらったんです。作り方も教えてもらいました」
市場の魚屋のおばさんは、美少年であるルークにひどく甘いのだ。ちなみにルークと一緒に買い物に行くと、いつも絶対におまけをつけてくれる。
何より、大事なお小遣いを使いこうして私に料理を作ってくれたことが何よりも嬉しい。涙がこぼれそうになるのを必死に我慢しながら、料理を食べていく。スープも玉ねぎの甘みが染みていて、本当に美味しかった。
そうして美味しいと何度も言いながら食べている私を、ルークは嬉しそうに見つめていた。
「ご馳走様でした。本当に美味しかった! ありがとう」
ぺろりと完食し改めてお礼を言うと、ルークは照れたように微笑んだ。今の私は、間違いなく世界一の幸せ者だ。
お皿を下げるついでにキッチンで水を飲んでいると、再びルークから窺うような、縋るような視線を感じて。
「……これで、もう行きませんか?」
「えっ?」
「あの貴族との食事、行かなくても済みますか?」
その言葉を聞いた瞬間、なぜ彼が突然こうして蟹のクリームパスタを作ってくれたのかを理解した。
『そうですよね。蟹料理、食べられるかな』
昼間、私があんなことを言ったせいだ。
ケイン様との食事に行って欲しくないらしい彼が、色々と考えた結果がこれだったのだろう。そう思うと、愛しさで目の前がじわりと滲んだ。なんて、可愛いんだろう。
私は今、人生一のときめきを覚えていた。キッチンを出てそのまま椅子に座っているルークの元へと行くと、不安そうな表情を浮かべている彼をぎゅっと抱きしめた。
「ルーク、ごめんね。絶対に行かないよ」
「……本当、ですか?」
「うん。こんなに美味しい料理、きっと世界中どこを探しても見つからないもの」
そう言うと、遠慮がちにルークの手が背中に回される。それがまた可愛くて、愛しくて。私は彼を抱きしめる腕に力を込めたのだった。
◇◇◇
「わあ、大きい蟹……! う、動いてる」
「生きていますからね」
今日はルークに、王都でも一・二を争う有名な蟹料理のお店に連れてきてもらっている。目の前の水槽で今も動いている大きな蟹に、思わず興奮してしまう。
「好きな料理にして貰えるようですが、何がいいですか?」
「えっ、そうなの? 好きな蟹料理か……」
刺身にしてもらうのもいいし、雑炊も捨てがたい。そうして、今まで食べた蟹料理を色々と思い出していたけれど。
「やっぱり、昔ルークが作ってくれたクリームパスタが、人生で一番美味しい蟹料理だったな」
「……あんなもの、蟹なんてほんの気持ち程度しか入っていなかったでしょう」
「それでも、一番美味しかったの」
私がそう言い切ると、ルークは昔と変わらない、照れたような笑顔を浮かべていた。
……あれを超える料理には一生、出会えないだろう。アパートを片付けた時に出てきたあのお皿で、またいつかルークに作って貰うのもいいかもしれない。
そんなことを考えながら、今も昔も愛しい彼がこうして隣にいてくれる幸せを、私は噛み締めていた。
いつも読んで下さりありがとうございます。下にある星評価や、感想を頂けると本当に嬉しいです…!引き続きサラとルークをよろしくお願いいたします。