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幸せの定義



 突然涙を流し始めたルークを前にして、私はパニックに陥っていた。ルークが泣いているところなど、彼が子供の頃以来初めて見たのだから。


 もしや身体がどこか痛むのだろうかとか、何かしてしまったのだろうかと、不安になってしまう。とにかく落としてはいけないと思い、そっと木箱をテーブルに置いた。


「……でください」

「えっ?」


「帰らないで、ください」


 そんな私に、彼は縋るような視線を向けて。帰らないでくれ、と今にも消えてしまいそうな声で言った。


 その言葉の意味がわからず、私はルークをただ見つめ返すことしかできない。


「……無理なお願いだと言うのはわかっています。俺はサラを守るどころか助けられてばかりで、王国魔術師になることまで決まってしまって……嫌気が差すのも当たり前です」

「ちょ、ちょっと待って、」


 ちょっとどころか、かなり待って欲しい。一体彼は何を言っているんだろうか。私はこちらに戻ってきてからというもの、ルークに助けられてばかりだった。むしろ、嫌気が差すどころか告白しようと思っているくらいだ。


 ……もしやルークはこの荷物や時計を見て、私がこっそり元の世界に帰ろうとしているとでも思ったのだろうか。まさかそんなと思いつつも、病院でのひどく思い詰めた様子のルークを思い出せば、有り得ないことではなさそうで。


 とにかく、誤解を解かなければ。けれど私が口を開くよりも早く、ルークは続けた。


「それでも、俺はサラと一緒に居たいです。その為に、もっと強くなります。何だって、しますから」

「……ルーク?」


「っどうしようもないくらい、あなたが好きなんです」


 突然のその告白に私は息をするのも忘れて、ルークを見つめていた。


 必死な表情や言葉から、私への想いが苦しい程に伝わってくる。彼からの好意に気づいていたとしても、こうして直接言葉にして伝えられるのは、信じられないくらいに嬉しくて、泣きたくなった。


 じわじわと、胸の中に愛しさが広がっていく。


 目の前のルークに手を伸ばし、そっとその頬に触れる。彼は少しだけ驚いたように目を見開いたあと、私の手の上に自身の温かな手を重ねた。


「……サラは昔からずっと、俺に幸せになって欲しいと言ってくれていましたよね」


 そのルークの言葉に、私は深く頷いた。


 小さくて細い身体には大きすぎる程の、悲しみや苦しみを抱えてなお、まっすぐで優しいままの男の子。そんな彼がどうか幸せになれますように、と。


 それは今も昔も変わらない、何よりの願いだった。


 やがてそんな私の気持ちを見透かしたようにルークは柔らかく目を細めると、今にも泣き出しそうな顔で、言った。



「俺はもう、サラが居ないと幸せになんてなれません」



 そんな言葉に、視界がじわりと滲んだ。


 それはどんなものよりも、私にとっては胸に響く愛の言葉で。気が付けば私は、きつく彼を抱きしめていた。


「っルークは、わかってない」

「……サラ?」

「ほんとに、なんにもわかってない」


「私だって、とっくにルークがいないと駄目だよ」


 そう言った瞬間、遠慮がちに背中に回されていた手が、戸惑ったようにびくりと震えた。そんな仕草ひとつひとつも愛しくて、余計に視界がぼやけていく。


「……好き」

「え、」

「ルークが、世界で一番好き。大好き」

「…………」


「っこの世界で、ルークと一緒に、生きていきたい」


 なんて告白しようとか、そんなことを考えていたのが馬鹿らしくなるくらいに、彼へ伝えたかった言葉は自然と出てきて。それは精一杯の、素直な気持ちだった。


 私のそんな言葉に、ルークは完全に固まっていた。


 綺麗な顔が台無しになるくらいに、彼はぽかんとした表情を浮かべている。まるで信じられないものを見るように、その金色の瞳で私を見つめ続けていた。


 しばらく無言が続いた後、ようやくルークは口を開いた。


「……サラは、」

「うん」

「俺のことが、好きなんですか」

「そうだよ」

「それは、家族として、とかじゃなく」

「一人の男の人として、ルークが好きなの」


 そこまで言ったところで、ようやく理解したらしいルークの瞳から、再びぽたぽたと涙がこぼれ落ちていく。


 次の瞬間には、私は再びルークの腕の中にいた。


「……本当に、俺が好きなんですか」

「うん、好きだよ。すごく好き」

「っ俺の方が、好きです」

「ふふ、そうだろうね」


 そう言って笑う私を、ルークは更にきつく抱きしめて。まるで宝物に触れるように優しく、私の名前を呼んだ。


「サラ」

「なあに?」


「愛しています」


 その言葉に私はまた、泣いてしまうのだった。




◇◇◇




「……全部、俺の勘違いだったんですね」

「私も、紛らわしいことしてごめん」


 お互いに泣き止んだ後、私はルークと並んで座り、これまでの経緯を全て話していた。後半、彼は早とちりしたのだと気が付いたらしく、照れたように両手で顔を覆っていた。


 私も告白しようとしたら、まさか逆に告白されるなんて、思ってもみなかった。


「それで、この時計をどうしようかなと思って。どうにかして触れないようにできないかな。ルークの魔法でずっと凍らせたりできない?」

「できますよ」

「えっ、できるの?」

「はい。溶けない上に、かなりの衝撃がないと割れない氷を出すことはできます。あまり大きいのは無理ですが、この程度の大きさなら多分大丈夫です」

「それなら安心だね。やってほしい!」


 これで一安心だと喜ぶ私とは裏腹に、ルークは何故か少し戸惑ったような様子を見せた。


「……本当に、いいんですか」

「なにが?」

「俺にしか溶かせないんですよ。サラがもし、後から帰りたいと言い出しても、帰してあげられないかもしれない」


 そんなことをひどく不安げに言うルークが、あまりにも可愛くて。私は思わず笑みをこぼした。


 やっぱり、彼は何にもわかっていない。


「ルークが私を振ったり浮気したりしない限り、絶対にそんなこと言わないから、安心して」

「俺がそんなことするわけないでしょう」


 そう言って少し怒ったような表情を浮かべる彼に、再び笑みが溢れる。心の底から、とても幸せだと思った。


 そして、気付いてしまう。私の幸せもまた、ルークが居なければもう成り立たないということに。



次が最終話となります。

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