気づかないふり
「キ、キスって、あのキスですか」
「はい」
「私が、ルークに?」
「そうです」
彼の今回のお願いは予想外過ぎて、動揺した私は危うく膝の上にあったカバンを落としかけた。
「そ、それは、流石にまずいのでは…?」
「どうしてですか?」
「私とルークの関係では、ちがう、ような」
「俺とサラの関係とは、なんですか?」
爽やかな笑顔を浮かべたまま、ルークはたじろぐ私を冷静に追い詰めていく。
「なんというか……姉弟、みたいな」
「俺はサラを姉だと思ったことはありませんよ」
「えっ」
その言葉に、鈍器で頭を殴られたような衝撃が走った。ルークは私を姉のように慕ってくれていると、ずっと思っていたのだから。
そんな私を見て、ルークは眉尻を下げて微笑んだ。
「今も昔も、俺はサラを一人の女性として見ているんです」
「…………?」
「それにこんなこと、サラにしか言いません」
思いがけない言葉に私は呼吸をするのも忘れ、ただ呆然とルークを見つめることしかできなかった。
そんなの、好きだと言っているようにしか聞こえない。
まさか、と思いながら目の前のルークをちらりと見れば、いつも通りの涼し気な顔がそこにあるだけで。やっぱり、彼が何を考えているのかわからなかった。
「サラは今も、俺の事を弟だと思っているんですか」
「……それは、思ってない、かもしれないけど」
目の前の彼を、弟だと思うにはもう無理があった。
この数ヶ月間で、ルークはすでに立派な大人の男性なのだと散々思い知らされていたのだ。けれど何故だか、それを認めたくなくて、口ごもってしまう。
「それなら問題はありませんね」
「うっ」
ルークは「早く」とでも言いたげな顔で私を見ていて、大人しく腹を括ることにした。
……冷静になれば、たかが頬だ。唇ではない。海外では挨拶のようなものだし、大したことではないはずだ。そう、必死に自分に言い聞かせる。
「お邪魔、します」
肌荒れひとつない綺麗な顔に、恐る恐る近づいていく。あまりの緊張に、心臓が口から飛び出そうだった。どうして、こんなことになってしまったのだろう。
私はそっとルークの肩に手を置くと、更に近づいた。
「い、いきます」
「はい」
きつく瞳を閉じ、そのなめらかな肌に唇をそっと押し当てる。たった3秒程のその時間は、とても長く感じられた。
「……これで、いい?」
するまでは死ぬほど恥ずかしかったけれど、いざ済ませてみれば、思ったよりも私は落ち着いていた。それは頬だからであって、唇ならば気絶していたに違いない。
ルークもどうせいつも通りだろうと視線を向ければ、彼は照れたように口元を押さえていて、耳まで真っ赤だった。
「ル、ルーク? あの、何か言っていただけると」
「……すみません、あまりにも嬉しくて」
そんな彼の姿に、私は再び動揺してしまうのだった。
◇◇◇
「やっぱりサラは知らなかったんだ。リディア様とルーク師団長がお付き合いしてた話」
「うん、ルークも話したくなさそうだったし」
私は今、ティンカと仕事終わりに待ち合わせ、飲み屋街にあるオシャレな居酒屋に来ている。今日はルークも、騎士団の飲み会らしい。
「そんなの当たり前でしょ? サラは鈍すぎて、時々ルーク師団長が可哀想になる」
「えっ」
「あの二人が一緒にいる所は何度も見たことあったし、仲がいいカップルだと思ってたんだけど。サラといる時のルーク師団長を見た後じゃ、今となってはそう思えないかも」
「と、言いますと……?」
「それは私が言うことじゃないので」
そう言ってティンカは、こつん、と私のグラスに自身のグラスをぶつけると勢いよくビールを喉に流し込んでいく。
前回カーティスさんと三人で食事をした時にも思ったけれど、彼女もかなりの酒豪らしい。
「そういえば、先週恋人が出来たの」
「ええっ! おめでとう! もしかして騎士団の人?」
「うん、他の隊の人なんだけどね」
突然のその報告に、驚いてしまう。
「どういう流れで付き合ったの?」
「少し前に告白されたんだけど、悩んでたんだよね。いいなとは思うけど、恋愛感情かどうかわからなくて」
「うんうん」
「でも、彼のことを他の女の子がいいなって話してるのを聞いた時に、嫌だと思ったの。で、これは恋愛の好きなんだと自覚して、付き合うことにしたんだ」
「おお……!」
照れ臭そうに話す彼女はとても幸せそうで、私まで嬉しくなる。前回会った時よりも更に可愛くなったとは思っていたけれど、どうやら恋の力らしい。
「いいなあ、憧れるなあ……」
「サラはルーク師団長と恋人になりたいと思わないの?」
「ルークとは、そんなんじゃ」
「はあ。じゃあ、サラはルーク師団長とリディア様がよりを戻したらどう思うわけ?」
ティンカはそう言って、意地の悪い笑顔を浮かべた。
ルークとリディア様が復縁したとしたら。そんなことを想像するだけでも、胸がちくちくと傷むのだ。
「……すごく、いやだ」
「ほら。答え出てるじゃん」
「でも、寂しくなるのが嫌なだけかもしれないし」
「まだそんなこと言ってるの? 幼馴染だかなんだか知らないけど、サラもルーク師団長もいい大人なんだし、好きになったっておかしくないのに」
彼女のその言葉は、すとんと胸の中に落ちた。私がルークを好きになるのは、おかしいことではないのだろうか。
……自分でも、とっくにこの気持ちに気づいていたのかもしれない。けれど、10歳も年が離れていた過去に囚われて、ずっと気づかないフリをしていた。
「ルーク師団長みたいな格好いい人に特別扱いされて、好きにならない方がおかしいって」
きっと私が思い詰めたような顔をしていたからだろう、そう言ってティンカは笑うと、私のグラスに並々にお酒をついだ。「飲めばわかる!」なんて言いながら。
私はそんな彼女につられて笑うと、溢れんばかりのお酒が入ったグラスに口をつけたのだった。
「………ルーク?」
やがて会計を終えて店を出ると、店の前の通りが何やら騒がしく、近くにいた女性たちの視線を辿ってみると、その先には一人ベンチに腰掛けているルークが居て。
驚きつつ名前を呼べば、彼は私を見て嬉しそうに笑うと、すぐにこちらへと歩いてきた。
「思ったよりも早く飲み会が終わったんです。サラは今日ここで飲むと聞いていたので、待っていました」
「どうして?」
「サラに、会いたくて」
「…………っ」
ルークは、ずるい。そんなことを言われて、嬉しくないわけがない。泣きたくなるくらいに、胸が締め付けられる。
「ふふ、変なの。毎日会ってるのに」
もう、限界だった。気付かないフリは出来ないくらいに、私の中でこの感情は育ってしまっていた。それが、いつからなのかはわからないけれど。
私はとっくに、ルークの事が好きだった。