力を持つもの
少しずつ仕事にも慣れてきた、そんなある日。
私は仕事終わりに、エリオット様に呼び出されていた。院長室のお高そうな椅子に向かい合うようにして座ると、彼は慣れた手つきでお茶を淹れてくれた。とても美味しい。
「騎士団の遠征の話、聞きましたよ」
「はい、何だかすみません」
「あなたが行きたいというのなら、私は反対しません」
けれど、とエリオット様は続けた。
「最近のあなたの様子を見ていましたが、その治癒能力はもう、私の知る限り国随一です。次元が違う」
「…………え、」
「いいですか、サラ。行き過ぎた力を持つというのは、いい事ばかりではありません。それが知れ渡れば、良くも悪くもその力を利用したがる人間が出てきます」
……私自身、働くうちに自分の能力がおかしいと思うようになっていた。職場の周りの治癒魔法使いの人達と、かなりの能力差があるのだ。赤ん坊と大人くらいの差が。
「私はサラとの付き合いは長くはありませんが、あなたの事を少しはわかっているつもりです」
「……はい」
「騎士団で働くのなら、その力はセーブした方がいい。彼らは、限りなく王国本体に近い存在だ。国にあなたの力が露見したなら、確実にあなたの自由はなくなります」
国、という思っていたよりもスケールの大きい話に、私の心臓は嫌な音を立て始めていた。
「あなたの知人のルーク・ハワードもそうです。彼もあれ程の力を持つ限り、一生騎士団から離れられないでしょう」
「ルークが?」
「はい。この国はそういう場所だということを、覚えておいてください。権力や金に執着がある場合は別ですが」
「わかりました。ありがとうございます」
「この病院内では、私がいくらでもカバーしますから」
そう言うと、エリオット様は困ったように微笑んだ。
彼が私をとても可愛がってくれていることは、分かっている。だからこそ、こんな話をしてくれたのだ。本当にありがたいと思う。
……私はこの国のことも、自分のことも、何一つ分かっていなかった。そして、ルークのことも。
ルークの言う通り、遠征に行くのは約束してしまった一度だけで辞めようと思った。カーティスさんには申し訳ないけれど、幸いお金には困っていないし、リスクを冒してまで働く理由はない。
二週間後の月末に遠征は予定されているらしく、その一回だけはしっかり仕事をしようと決めたのだった。
「……ルークは騎士団を辞めたいと思ったこと、ある?」
「どうしたんですか? いきなり」
「なんとなく、知りたくなって」
その日の夕食後、ルークの部屋のソファで魔法についての本を片手に、私はそう尋ねていた。エリオット様に言われたことが、頭から離れないのだ。
彼が騎士になったのだって、私が魔法学院に行くことを勧めたことが大きいはずだ。彼が騎士団を辞めたいと思ったとしても辞められないと知った時から、私は罪悪感のようなものを感じていた。
「辞めたいと思ったことはないですよ。自分に合った仕事だと思っています」
「ほんとに?」
「はい。給料も良いですし、やりがいもありますから」
それなら良かったと、ほっと胸を撫で下ろす。そんな私をルークは不思議そうな表情を浮かべ、見つめている。
それからは、遠征について質問をすることにした。
「遠征って、どんな感じなの? 結構怪我する人も多い?」
「その時々で全然違いますね。魔獣の強さにもよりますし」
「なるほど」
「過去には全滅した隊だってあります」
「全滅……」
想像しただけで、恐ろしい。彼らにはもちろん、家族も恋人も、友人も居たはずだ。本人も、そして遺された人の事も考えただけで胸が締め付けられる。
それくらいに危険な仕事なのだと、改めて実感した。そしてそれは、ルークにも言えることで。
「ねえルーク、これからも気をつけてね」
「俺は強いので大丈夫です。サラこそ気をつけてください。絶対に、転移魔法使いの傍を離れないように」
「うん、わかった」
そう言うと、ルークは不安そうな顔で私の頭を撫でた。
◇◇◇
遠征当日。私はティンカと共に、馬車に揺られていた。話し始めてすぐに意気投合し、お互いに敬語をやめて気兼ねなく話している。彼女はふわふわした見た目の割によく喋る子で、色々なことを教えてくれた。
ティンカは平民出身で、騎士団では遠征やちょっとした事務仕事を手伝ったりしているらしい。
「こないだは本当にびっくりしたんだから。あのルーク師団長があんな風に喋ってるの、初めて見た」
「ルークが失礼な態度をとって、本当にごめんね」
「そんなのはいいの。それよりも、ルーク師団長はどんな美人が話しかけたって、はいかいいえくらいしか言わないことで有名なんだよ? そこも良いって言われてるけど」
「ええっ」
ルークが普段、そんなに寡黙だったなんて。普段一緒にいる時には、むしろよく喋る方だと思っていたから驚いた。
「カーティス師団長に、あんな態度をとってるのも初めて見たわ。入団当初から先輩後輩で仲が良いって聞いてたし」
「そうなの?」
「カーティス師団長の最年少師団長の記録を抜いたのも、ルーク師団長なんだけどね」
そして、ティンカはじいっと私の顔を見つめた。
「本当に、ルーク師団長とは恋人じゃないの?」
「ち、違うよ! 仲が良いだけというか、何というか」
「向こうは絶対サラのこと好きじゃない。ルーク師団長、本当に本当に人気なんだから。うかうかしてると他の人に取られちゃうよ」
「本当に、そういうのじゃないんだって」
そうは言ったものの、「他の人に取られちゃうよ」という言葉が私の中でやけに引っかかっていた。
もちろん、彼は私のものではない。けれどもし、ルークが誰かと付き合うようになり、ずっと家を空けるようになったなら。そんなことを想像すると、とても寂しい。
今の私にとって、一番の支えは間違いなく彼だった。ルークが居るから、この世界に来てから一度も寂しいと思ったことは無かったのだ。逆の立場になって初めて、先日の彼の気持ちが分かった気がした。
「ティンカこそ、カーティス師団長が好きだったりとか」
「ないない、あの人絶対性格悪いもん」
「えっ、すごい良い人なのかと」
「……サラって、悪い男に引っかかりそうだね」
そんな話をしているうちに、馬車は目的地へと着いた。
今回はジャイアントスネーク、という大きな蛇の討伐だ。名前の通り、大きな蛇だという。想像しただけでかなり怖い。街を出たことがない私は、未だかつて魔獣を見たことがなかった。
ジャイアントスネークは非常に数が少なく、その身体からは貴重な薬が作れるらしい。たまに森から抜け出してくることもあるらしく、見つかったと報告があれば速やかに討伐されるという。魔獣としてはかなり危険な部類に入るらしいけれど、この大人数なら問題ないとの事だった。
「私がずっとサラの隣にいるから、危ないと思ったらすぐに王城に飛ぶからね。魔力消費がすごいから、10日に1回くらいしか使えないんだけど」
「ありがとう、よろしくお願いします」
貴重で戦闘能力のないヒーラーには、必ず転移魔法使いが付く。ティンカの存在はとても心強かった。
「サラちゃん、今日はよろしくね」
「カーティスさん。よろしくお願いします」
「サラちゃんはティンカと後方に居てもらって、運ばれてくる怪我人をどんどん治してもらうよ。お願いね」
「はい、頑張ります」
その後は、徒歩で森の奥へと進んでいく。その道中、近くを歩いていた人達が、緊張している私を気遣ってくれて話しかけてくれていた。
「サラちゃんっていうのか。俺の娘と同じくらいだな、こんな所に来て怖いだろう。偉いなあ」
「あ、ありがとうございます」
「マイクさんの娘さんは、来月結婚するんでしたっけ」
「ああ、床屋の息子とするんだ。寂しいよ」
「僕は娘が生まれたばかりですけど、嫁に行くって考えただけでもう寝込みそうです」
「俺も結婚の挨拶に来た日は泣いたよ」
「ふふ、そうなんですか?」
そんな他愛ない会話が、ありがたかった。
そうしているうちに、ジャイアントスネークの巣だという洞窟が見えてきた。私たちは離れた後方で待機する。
やがて巣穴からおびき出すためのお香を焚くと、物凄い轟音と共に、それは現れた。
「…………っ!」
「サラ、大丈夫? 最初は怖いよね」
思っていた数倍大きいそれは、酷く恐ろしい姿をしていた。毒々しい色の身体に、射殺すような目付き。
皆こんなものと日頃から戦っているのかと思うと、尊敬せずにはいられなかった。近くにティンカがいなければ、腰を抜かしていたかもしれない。
やがて攻撃が始まり、次々に怪我人が運ばれてくる。エリオット様はセーブしろと言っていたけれど、いざ目の前に怪我をしている人がいれば、手を抜く訳にもいかなかった。
「サラ、すごいね。こんなに腕のいいヒーラーは初めて見た。第五師団のリディア様よりもすごいかもしれない」
「リディア様?」
第五師団と言えば、ルークの隊だ。少し気になったけれど、次々と運ばれてくる怪我人に必死で、いつの間にかその名前も頭から消えてしまっていた。
どれくらい経っただろうか。必死に治癒魔法を使い続けているうちに、何かが倒れるような大きな音と共に、物凄い歓声が聞こえてきた。ジャイアントスネークを倒したのだ。
「だいぶ手こずってたみたいだけど、サラのお陰もあって全員無事でよかった」
「サラちゃん、ありがとう。助かったよ。まだまだ怪我人はいるけど大丈夫かい?」
「はい、大丈夫です」
ティンカとカーティスさんも、安心したような表情を浮かべていた。ジャイアントスネークはかなり手強かったらしく皆かなり疲弊し、怪我人の数も多い。正直ボロボロだ。
それでも全員無事に勝利したことで、皆笑顔を浮かべ、その場は喜びや熱気に包まれていた。
「───っもう一体、いたぞ!!!」
……そんな、信じ難い叫び声を聞くまでは。