98 訳ありの不審者
夕方、店の閉店と同時にファルクが訪ねてきた。いつものラフな格好をしているが、手には短剣が握られている。
ものものしい姿に、アルメはギョッとしてしまった。
「ファ、ファルクさん、その剣は……!?」
「店先に魔物が出ると聞いたので」
「あの、魔物ではなく、男の人がうろついているというだけで……」
「似たようなものでしょう」
人間と魔物が似ていてたまるか、と突っ込みそうになったが、こらえておいた。ファルクが来てくれたことで、ちょっとホッとしたのも事実なので……。
切る気満々のファルクはさておき、ひとまずお礼を言っておく。
「気にかけていただいてありがとうございます。というか、すみません……お忙しい中、呼び立てるような形になってしまって」
「俺が勝手に来ただけなので、お気になさらず。――さて、店の中で魔物が現れるのを待ちましょうか。叩っ切ってやりますから、アルメさんは中にいてくださいね」
「ちょっと……! 神官様がそんな傷害沙汰を起こしたら大変でしょう!」
「切っても治してしまえばいいんです。動き出したら、また切りますが」
「ひえっ……恐ろしいことを言わないでください! 新手の拷問ですか……!」
ファルクは真顔でとんでもないことを言ってのけた。冗談なのか本気なのか、わからない表情をしているところが怖い……。
あれこれ言い合いをしながら、ひとまず玄関の内側で待機することにした。
不審な男はこの一週間、毎日同じような時間に店先に現れている。
きっと今日も顔を出すはず……と、話しているうちに、小広場に人影が現れたのだった。
玄関脇の窓からコッソリと覗き見る。
男は店の近くまで歩いてきて、ぼうっと立ち尽くしていた。その生気の抜けた姿を見て、ファルクは顔をしかめた。
「本当に魔物か何かじゃないですか? 虚ろに宙を見て……」
「私も近くで見たのは初めてですが……あの方、大丈夫でしょうか?」
「――どれ、話しかけてみましょう」
「気を付けてくださいね」
小声で会話を交わすと、ファルクはさっと外に出た。
ためらうことなく大股で男に近づき、声をかけた。――ものものしい短剣をがっしりと構えたまま。
「こちらの店に何かご用ですか?」
「……えっ!? わっ!? ごめんなさい! 怪しい者ではありません!! ご勘弁を……っ!!」
男はファルクの剣に気がつくと悲鳴を上げた。その拍子に、石床の段差に躓いてひっくり返り、尻もちをついてしまった。
ファルクは剣を構えたまま、見下ろすように詰め寄った。
「どう考えても怪しいでしょう。夕暮れ時に毎日、人の店の前で突っ立って」
「ちっ、違うの……! 違うのよ! 店主の女の子に用事があって! 話しかけるタイミングをうかがってただけで……!」
「話しかけたら叩き切ります」
「ひぃ……っ!!」
男を睨みつけ、ファルクは剣を鞘から抜いた。
アルメは玄関扉の隙間から事態を見守り、冷や汗をかく。何やらファルクの殺気が増した。本気で切りかねない迫力だ。
(ど、どうしよう!? 止めるべき!?)
そう思って扉をそろりと開いた時。
尻もちをついていた男が、自身を庇うようにうずくまった。それと同時に、彼の手元に魔法の盾が現れたのだった。途端に、周囲にひんやりとした冷気が流れた。
透明な盾は氷でできているようだ。彼は咄嗟に氷魔法を発動させたらしい。
対面するファルクも、離れて見守るアルメも、突然の魔法に目をまるくした。
氷の盾は気休め程度のごく薄いものである。魔法の強さはアルメと同程度か、ほんの少しだけ強いくらいだろう。
男は氷の盾を構えてうずくまったまま、ヒィヒィ声を上げた。
「ひぃーっ、ご勘弁を……っ! アイス屋さんの求人が気になっただけなの……! ごめんなさいーっ!」
「求人……? って、従業員の、ですか?」
「あら、もしかして応募に来た方!?」
「そうっ、そうなの……! あとちょっと、お話がしたくて……っ!」
なにやらアルメに話があるらしい。玄関を出て、アルメは男の元へと歩み寄る――前に、ファルクの後ろに引っ込められてしまった。
仕方ないので、そのまま彼の背中からひょいと顔を出して、話しかけてみる。
「ええと、本当に応募に来ただけ、なのですか……? 一週間くらいウロウロしていましたよね……」
「ほ、本当なの、本当……! あたしはコーデル・ドルト! 一応料理人! う、嘘じゃないからね!? 警吏に名乗ったっていいから……!」
コーデルと名乗った男は、明るいオレンジ色の髪を振り乱して、必死の形相で訴えた。正面から見た顔はファルクより少し年上に見える。
ファルクは剣を下げることなく、彼を問い詰める。
「にしては、行動が不可解極まりないように思えますが」
「……ごめんなさい……店主さんに話しかける勇気がなくて……」
「応募ごときで何をためらうことがあるのです。……それとも、彼女に対して、何か仕事に関することとは別の気持ちでもあったのですか。勇気を必要とする話とは、一体どういう内容でしょう?」
ファルクの声が低くなった。剣先でコーデルの氷の盾をガリガリとつついている。圧のかけ方が恐ろしい……。
コーデルは冷や汗をダラダラと流しながら事情を話す。
「そう……ちょっと、応募の件とは別に話したいことが……謝りたいことがあったの」
「……謝りたいこと?」
「え、私にですか?」
「えぇ……あの、実はあたし、ついこの前まで『別のアイス屋』で働いてて……そのことを、ちょっと謝りたくて……」
「それって、まさか」
アルメはファルクと顔を見合わせた。
コーデルが氷の盾を下ろして、地面にペタリと両手をつく。
この姿勢は前にもこの小広場で見たことがある。いわゆる、土下座である。――まさか二人目が出ようとは。
「ごめんなさい……あたし、あなたの店のアイスを、デスモンド家に流すようなことをしてしまった……。この店で食べたアイスを、向こうの店で再現して作っていたの……」
「まぁ……! と、いうことは、もしかしてあちらの白鷹様アイスは……!」
「……あたしが、作っていました……」
彼は、あの芸術的な鷹の彫刻アイスを作った人だった。
あの白鷹様ミルクアイスを前にした時は驚いたものだが、まさかこうして作者本人と対面することになるとは。
驚きと動揺と、そしてちょっとだけおかしな感動を覚えてしまった。思わず、おぉ、と興奮した声を上げそうになったが、場にそぐわない気がしたので飲み込んでおく。
うつむいたまま、コーデルは自身のことを話し始めた。
「……あたし、田舎の地元では居場所がなくって……色々あって、無理やりルオーリオまで出て来ちゃってさ……。お財布が空っぽになっちゃったもんだから、大焦りで目の前の仕事にしがみついて、デスモンド家入りよ。……でも、出世の機会なんてないし、いつまでたっても薄給で、ギリ生活して……ってしてる時に、新店の幹部を選ぶ話を聞いたものだから、飛びついてしまったの……。後になって、なんだかなぁって思いながらも、現状の暮らしを手放すのも勇気がなくて……そうして命じられた通りにアイスのレシピを作って……ってしてたら、この様よ。店はしょうもない休店。あたしは体よく追い出されて、結局無職……」
地面に這いつくばって、掠れた声をこぼすコーデル。その様子を見て、なんだかアルメまで渋い顔をしてしまった。
突然未来が白紙になってしまう虚無感は、アルメにもよくわかる。
ファルクもいつの間にか、向けていた剣を下ろしていた。
現在進行形のコーデルを含めて、この場にいる三人は全員、生活に困ったことのある面子である。
なんとも言えない空気の中、コーデルは脱力しきった体を起こした。
「……もう、疲れちゃったわ……帰る場所もないし、元気もお金もなくなっちゃって……。もういっそ、このまま野垂れ死んでしまってもいいかな……って思ってた時に、街の掲示板で求人広告を見つけちゃって……」
「それで、うちまで来てくださったのですか」
「えぇ……しょうもない職歴だけど、一応、アイス作りの経験もあるし……氷魔法も使えるし。……あと、自己満足の罪滅ぼしでしかないけど、あなたの力になれればと思って。……でも、声をかけづらくて……謝る勇気もない、どうしようもない人間ね、あたし。……応募する資格もないわ……」
深くため息をつくと、彼はもう一度頭を下げた。
「店の周りをうろついてしまって、ごめんなさいね。気分の悪い思いをさせちゃって……。もう来ないから、どうかお許しください……お騒がせしました……」
謝った後、コーデルはフラフラと立ち上がった。こちらに背を向けて歩き出す。
そんな彼の肩に手をかけて、ファルクが呼び止めた。
「お待ちなさい。これからあなた、どうするんです?」
「どうって……その辺で転がって、骸になるのを待つわ……」
「骸を志す気持ちもわかりますが、人間、意外と復帰できるものですよ。生活苦と一族不仲の絶望の淵から神官になった人間もいますから!」
「そうですよコーデルさん! 婚約者に浮気され、借金を抱えて、強盗にズタボロにされても、意外と元気に生きている人間もいるくらいですから!」
「う、うん……?」
アルメとファルクに腕をガシリと掴まれて、コーデルは歩みを止めた。
改めて正面から向き合って、アルメは挨拶をする。
「コーデルさん、もしよければ店内でもう少しお話をしませんか? 私、アイス屋店主のアルメ・ティティーが、改めて面談させていただきます」
「え……い、いいの……? こんなしょうもない奴が応募しちゃって……」
「しょうもないどころか、コーデルさんは即戦力となりうるお方ですから。みすみす逃すわけにはいきません。環境を変えて、再出発してみませんか?」
アルメは笑顔で手を差し出した。コーデルは目をうるませて、握手に応じる。
「……そんな……あたたかい言葉をかけてもらえるなんて、思わなかった……。……ありがとう、アルメちゃん……っ!」
「馴れ馴れしい! 店主とお呼びなさい」
あたたかい握手が交わされる直前で、ファルクがコーデルの手をピシャリと叩き払った。
「痛ぁっ! ちょっと感極まっちゃっただけじゃない! 握手くらいさせてよ……! ――っていうか、あなたもアイス屋さんの関係者? なら一緒に握手しちゃおっと! 改めまして、あたしはコーデル・ドルトと申します~! よろしく!」
「なっ……!?」
「げ、元気が出たようで何よりです……」
コーデルはアルメとファルクの手をまとめて握りしめて、ぶんぶんと振り回した。
急速に元気を取り戻したらしい彼は、思ったより騒がしい人だった。
そうしてひとまず店に入って、改めて三人でテーブルを囲った。
コーデルはルオーリオに来て、まだ一年半くらいだそう。料理人としての仕事は、地元にいた時を合わせて六年ほど。デスモンド家での担当は主にデザートだったとか。
お菓子とアイスを作れる上に、氷魔法士。そして現在他に仕事をしていないので、ガッツリと働ける。
オープニングメンバーとしては、これ以上ない人材だ。
ざっくりとしたアイス作りの工程と、仕事内容と、給金の額。研修の予定や勤務日数など、一通り話し合った後、早々に内定を出させてもらった。
後日ちゃんとした契約書類を作ってサインをもらったら、晴れて従業員の仲間入りだ。
最初の生気の抜けきった様相からは一変して、彼は別人のようにペチャクチャとお喋りを楽しんでいた。
ひとまず骸を目指すのはやめてくれたので、アルメもファルクもホッとしたのだった。
「それでは、研修の日に書類をお渡ししますね」
「ありがとう、お願いします~。一緒にアイス作るの、楽しみにしてるわ! ――そういえば、アルメちゃんのお店の白鷹ちゃんアイスって、向こうのお店とは違ってまるっこいのよね? どう? いっそ向こうと張り合って、五頭身くらいの鷹にしてみない? あたし作れるよ!」
「いやぁ、それはちょっと……」
キャンベリナの店の白鷹様アイスは三頭身くらいだった。さらに頭身が盛られている。彼の手にかかったら、さぞかし立派な鷹が出来上がることだろう。
でも、そうなると、店のゆるキャラと別物になってしまう……。
引きつった笑みを浮かべていると、隣に座るファルクがムッとした声を出した。
「あのアイスはまるっこいフォルムがいいんです」
「え~? 丸いとヒヨコっぽくない?」
「白鷹はヒヨコの方が好きなので。そのままでお願いしたく」
「あっはっは、そんなことないでしょうよ~! 自信満々に何を言っているんだか。神殿の王子たる白鷹様は、絶対に格好良い鷹を好むはず。一万
フフンと胸を張って、コーデルが調子よく言ってのけた。
と、同時に、ファルクが変姿の首飾りをさらっと外した。キラキラした魔法の光の中で、白鷹は言う。
「では、一万Gいただくとしましょうか」
「…………ごめんなさい……あたし今、お財布に三百Gしか入ってないの……」
コーデルはあんぐりと口を開けて、驚愕の表情のまま呟いた。
苦笑しながらアルメは言う。
「ええと、夜ご飯、おごりましょうか?」
「俺が支払いましょう。記念すべき採用一人目ということで、景気づけに」
「……ごちそうさまで~す…………まんまる白鷹ちゃん作り、頑張りま~す……」
コーデルの呆けた声が可笑しくて、アルメとファルクは二人で笑ってしまった。