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9 白鷹ファルク

 『アルメ・ティティーのアイス屋』でミルクアイスなる氷菓子を堪能した後、ファルクは街で買い物を済ませて帰途についた。


 アイスの代金を支払おうとしたのだが、試食の感想だけでいいと、またも断られてしまった。財布を出す隙すらなかった……。とても美味しかったうえに、おかわりまでもらってしまったので申し訳ない。


 アイス屋のオープン予定の日を教えてもらったので、当日には朝一で駆けつけようと思う。もちろん、祝いの贈り物を持って。


(オープンの日に仕事が入らないといいけれど、どうだろうなぁ。……俺の勘では、近々遠征の予定が入りそうな気がする)


 こういう外れてほしい嫌な勘ほどよく当たるものだ。

 

 ファルクはため息を吐きながら、人で賑わう大通りを歩いて行った。向かう先は馬車乗り場だ。

 

 店を出る時、アルメに氷魔法をかけてもらったのに、少し歩いただけでもう汗だくである。今日は曇りの天気なので、街の人々は涼しそうな顔をしているのに。

 やっぱり自分にだけ、暑さの魔法がかかっているとしか思えない……。


 馬車乗り場にたどり着き、迷わず個室タイプの箱馬車を頼む。ちょうど空きがあったのですぐに乗ることができた。


 ハイクラスの馬車には、空気冷却の魔道具が付いているので快適だ。暑がりの自分はこのタイプの馬車一択である。


 少々値は張るけれど、使いどころのない金だけはそれなりに持っているので、こういうところでどんどん使って世の中に還元していきたい。


 御者に目的地を告げると、馬車はゆったりと走り出した。


 目的地は職場兼、自宅でもある、ルオーリオ中央神殿だ。最近ようやく馴染んできた、自分の――神官の居城である。


 馬車が動き出すと同時に、胸元の首飾りを服の下から引っ張り出す。銀色のミスリル板の中央に魔石がはめ込まれ、その周囲を囲むように呪文が刻み込まれている。


 おもむろにその首飾りを外すと、みるみるうちにファルクの髪と瞳の色が変わっていった。


 目立たない濃茶の髪は、雪のような白銀の色に。落ち着いた茶色の瞳は、琥珀のように透き通った金色の瞳に。


 ――ファルクこと、ファルケルト・ラルトーゼは、本来の姿に戻ったところでようやくひと心地ついた。



 髪と瞳の色変えは、首飾りによる変姿の魔法である。

 変姿の魔道具は特別な身分且つ、使用申請の通った者だけが国から貸与される、特級魔道具だ。


 自分は面倒なので必要ない、と言ったのだが、師と仰ぐ大神官に勧められたので、街に出る時には使用するようにしていた。


 先ほどアルメから『白鷹と目が合うと婦女子が倒れる』なんて恐ろしい話を聞いてしまったので、今まで街中で本来の姿を晒さずにいて良かった……と、頷いてしまった。

 

 のん気に白鷹の姿で街を歩いていたら、知らぬうちに公害となっていたかもしれない……。


(……でも、なんだかアルメさんを騙しているようで罪悪感が……。まさか俺の話をされるとは思わなかったなぁ。いっそあの場で身分を明かしてしまうべきだったか。タイミングを逃してしまったな……。今更、実は白鷹でした! なんて言ったら、アルメさんの白鷹を応援する真摯な気持ちを茶化しているようで……嫌われてしまうだろうか)


 頭の中にぐるぐると思考がまわる。


 上位神官の位を得るまで鍛え上げたこの頭は、こういう場面ではまるで役に立たないので、もどかしい。これが薬学の問題であったならば、即座に答えを出せるというのに。




 頭を抱えて唸っているうちに、いつの間にか馬車は神殿へと到着していた。


 この副都ルオーリオの神殿は、まさに城のように大きい。真っ白い石の壁を、青い文様の壁画が飾っている。優美且つ爽やかな外観だ。


 神殿はいくつかの棟に分かれていて、診療を行う棟や入院病棟、終末期を過ごすホスピスや、神官の寮も備わっている。


 広大な敷地の中には緑と花々が美しい庭園も整備されていて、一部の区画は神殿に用のない一般の人々にも開放されている。観光客に人気のスポットだそう。


 人通りの多い正面門を避けて、少し遠回りをした脇の門から敷地に入る。この入り口は主に関係者が利用する出入口だ。


 ――けれど、なんだか日に日に、門の周辺に女性の姿を多く見かけるようになっている気がする……。


 馬車の窓からチラリとそちらを見やると、うろついていた女性たちが息をのむような悲鳴を上げて、すぐにそそくさと散っていった。……なんとも言いようのない、複雑な光景だ。


 神殿の入り口脇で馬車を降りると、御者の男が驚きに目をまるくしていた。

 乗った時と降りた時で容姿が変わっているので無理もない。長々と説明するのもアレなので、申し訳ないがサラッと流させてもらう。



 馬車から離れて、神殿へと歩を進める。


 守衛に会釈をして玄関口を通り抜けると、神殿内の独特な空気が身を包んだ。しんとしていて、どこか清浄さを覚える不思議な空気だ。


 この気の引き締まるような静謐さは、元いた極北の街の神殿でも、このルオーリオの神殿でも同じものを感じる。


 けれど、極北にいた頃はこの独特な空気に加えて、もの寂しさを強く感じていたのだが……こちらに来てからは、その感覚はずいぶんと和らいでいる。


 温暖な気候のせいか、はたまた街にあふれる花や陽気な音楽のせいか。


 ――もしくは、苦手だった実家から遠く離れた地に来ることができたからか。


 美しい石造りの廊下を歩きながら、つい自嘲めいた考えをめぐらせてしまい、苦笑してしまった。





 今でこそ『極北の白鷹』なんて通り名をもらっている自分だが、元々は取るに足らない、しょうもない人間である。

 

 実家のラルトーゼ家は、極北の街ベレスレナにある、ごく小さな貴族の家だった。


 家族は歳の離れた兄と姉が一人ずつ。母親は自分を生んだせいで亡くなり、父は妻一人を愛する誓いを守り、再婚をせずにいた。


 子供の頃は体が弱く、事あるごとに病を患っていたので、ほとんどの時間を部屋に籠って過ごしていた。


 他にすることがないから、という理由で、読書と勉強ばかりをしている子供時代だった。


 たまに体調が良くなったかと思えば、翌日には熱を出して死にかけて、神官に蘇生され……ということを繰り返していたように思う。


 情の深い父は弱い自分を見限ることなく、いつも支えてくれていた。惜しむことなく金を注ぎ、離れていきそうになる自分の命を、懸命に繋ぎとめてくれた人だった。



 ――そんな自分のせいで、家が傾いていることを知ったのは、十歳を迎えた頃だ。



 十歳の頃、父は魔物に襲われて命を落とした。自分のために、わざわざ農家まで出向いて、滋養となる食べ物を買いに行く道中の出来事だった。


 どうにか神殿にまで運び込まれたものの、治療が間に合わずにそのまま息を引き取ってしまった。



 父が亡くなったその日から、家の中に自分の居場所はなくなってしまった。


 『母が死んだのも、父が死んだのも、家が傾いているのも、なにもかもお前のせいだ』と兄と姉に責め立てられて、床に頭をついて泣きながら謝ったことをよく覚えている。


 この時の事は未だに悪夢に見るほどだ。病の辛さよりもずっと胸が痛くて苦しくて、地獄のような心地だった。


 支えだった父を亡くして、残された家族たちからは毎日のようになじられて……まだ幼かった自分の心は、あっという間にすり減ってしまった。


 ――けれど、もうすっかり抜け殻になってしまった時に、治療を担当してくれていた老齢の神官の言葉に、救い上げられたのだった。


 『既に失われてしまった命には手が届かないが、これから失われるであろう命にはまだ手が届く。勉学が得意ならば神官を目指してみなさい。――せっかく父親が繋いでくれた命を腐らせていないで、存分に使って生きてみなさい』


 それが父への弔いになる、と、そう言われた。


 抜け殻だった胸にその言葉がストンと落ちて、自分の人生に初めて目標ができたのだった。



 それからは取り憑かれたように勉学に励んだ。


 何もしていないと、家で飛び交う嫌な言葉たちが頭をめぐってしまうので、脳に余計なことを考える暇も与えないよう、勉強に明け暮れた。


 体の成長に伴って体質が変わってくると、寝込むこともなくなった。体を鍛えるために軍学校に入ってからは、その辺の人よりも逞しくなってしまったくらいだ。


 父も体格の良い人だったので、背が伸びるほどに彼に近づけたようで嬉しかった。最終的には追い抜かすほどに育ってしまったけれど。


 軍学校に入ったのは家を出て寮に入りたかったというのも大きな理由だった。父が亡くなってからは兄が家を継いで当主となったので、早く屋敷から出ていけという圧を感じていたので。


 ……残念ながら家族仲は、結局修復されないままだった。


 

 軍学校に通いながらも神官を目指す勉強を続けた。


 自分を導いてくれた老齢の神官も支援を続けてくれたので、ありがたく世話になった。もちろん、その恩は生涯をかけて返すことを誓っている。


 軍から学生向けに流れてくる小銭稼ぎの魔物掃討をして金を貯め、ついには神官学校への転入も果たした。



 ――そうして日々を駆け抜けているうちに、いつの間にやらこの身分を得ていたのだった。


 上位神官にして従軍神官。軍人の守り神、極北の白鷹。という身分を。


 身に余る大げさな肩書きは好まないので、ちょっとムズ痒さも感じるけれど……。一応目標としていたところまで来られたことは良かったと思っている。


 これからも信念の元に、職務を全うしていきたいと思う。


 『父のように、甲斐なく命を落としてしまう人を一人でも減らしたい。そして自分のように、残されたものが悲しい思いをせずに済むようにしたい。そのために、命をもって尽力していく』


 この気持ちをもって、仕事にあたっている。誰に話すでもない自分の心の内だけの想いだ。


 ――だったのだけれど。


 思いがけず、今日この想いに対する、一庶民からの返事を受け取ってしまった。


 その庶民の女性は白鷹に対して、感謝と応援の気持ちを返してくれたのだった。『この街に来てくれてありがとう』とも。


 さらには白鷹の安全まで願ってくれるようだ。まだ姿を見たこともない、というのに。心優しい人である。


 彼女の言葉を聞いた時、胸にあたたかいものが満ちるのを感じた。


 気温の暖かさは勘弁願いたいところだけれど、こういうあたたかさならば嬉しいものだ。なんとも心安らぐ良い心地がした。


 最初に道案内をしてくれた時も、次に暑さを気遣ってくれた時も、今日体の心配をしてくれた時も――彼女はとても親切で優しげだった。


 自分の身分や金や容姿を目当てに声をかけてくる人はそれなりにいるけれど、何も対価を要求せずに、ただ純粋な優しさを分け与えてくれる人は久しぶりだ。


 亡き父と、師と仰ぐ神官くらいしか、思い当たる人はいない気がする。


(アルメさん……友達になれたらいいなぁ)


 我ながら子供みたいな願いだけれど、子供時代に友達がいなかったのだから仕方がない。

 大人になってからは、友達になろう、と寄ってくる人々は、総じて後の対価が面倒なものであった。


 ――でもアルメとなら、良い友人になれるかもしれない。なれたらいいなぁと、心から思えた。


 


 


 神殿の廊下を歩くうちに、苦い思考は明るいものへと変わっていった。


 いくつかの角を曲がり、階段を上がった先にある美しい青色の扉の前で足を止める。


 ここは自分の執務室ではなく、師である大神官の部屋だ。


 子供の頃の担当医であり、自分をここまで導いてくれた恩人――ルーグ・レイという老齢の神官の執務室である。


「ルーグ様、ただいま戻りました」


 扉をノックし、声をかけながら入室する。部屋に入ると、分厚い本を片手に書き物をしていた大神官ルーグが顔を上げた。


 長いグレーの髪を後ろに束ねて、口元には髭を蓄えている。白を基調とした神官服は金糸の刺繍で飾られていて、彼の身分の高さをうかがわせる。


 けれど威厳のある見た目とは裏腹に、ルーグは茶目っ気のある悪戯な笑みをたたえていた。


「おぉ、ようやくパシリが帰ってきおったわ。ちゃんとワシの頼んだ菓子は買ってこれたかの?」

「はい、買ってきましたよ。どうぞ」


 紙袋を渡すと、ルーグは満足そうに笑った。


 ルーグは元々はファルクと同じ極北の神殿に務めていたが、つい一年前にルオーリオへと異動になった。


 当時は別れを惜しんだものだが、まさか一年後、自分も追うように異動になるとは思わなかった。

 そしてこうして、体よくパシリとして使われることになろうとは。


 付き合いが長くて、もはや家族のような間柄なので別にいいのだけれど……でも暑い中のお使いは、なかなか大変である。


 早速菓子をつまみながら、ルーグは気安く話しかけてきた。


「どうだ、ファルクよ。もう街には慣れたかい?」

「おかげさまで、大通りに面する店はそれなりに覚えました。が、路地や地下街はまだまだですね。それに暑さにはまだまったく慣れません。あと、変姿の魔法を使った後の自分の姿にも……面倒なので、この姿のまま街を歩いてはいけませんか」


 ごちゃついているルーグの執務机の整理を手伝いながら問いかける。


 変姿の首飾りをいちいち着けたり外したりするのは、単純に面倒なのだ。うっかり姿を変えたまま神殿に入ろうとして、守衛に止められたことが何度かある。

 

「面倒な気持ちはわかるが、世間が落ち着くまでは、街では姿を変えておいた方がいいじゃろうて。白鷹がその辺をフラフラしてたら、騒ぎになって街歩きどころじゃなくなるぞ」

「そうでしょうか」

「あぁ、そうだとも。そうなるとワシのパシリに使えなくなるから、変姿の魔法は必須じゃ」

「そ、そんな理由で……」


 ガクリと身を傾けたら、ルーグがペロリと舌を出しておどけた顔で笑った。


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