84 未来の展望とお姫様
キャンベリナのアイス屋を後にして、アルメとファルクは通りに待たせていた馬車に乗った。
夜の街の中を、馬車はゆったりと走り出す。
敵地を抜けてようやくひと心地ついたところで、アルメは向かいに座るファルクへと、深く頭を下げた。
「すみません、ファルクさん。先ほどは大変に失礼なことを言ってしまって……」
「いえ、まったく問題ありませんよ。すべて事実ですし。……というか、俺のほうこそ申し訳ございません」
ファルクはアルメよりも深く頭を下げてきた。彼はうつむいたまま、沈んだ声で事情を話し始めた。
「アルメさんがドレスルームに向かった後、キャンベリナ・デスモンドさんから話をうかがいました。口に出すのも忌々しいことですが……あのアイス屋は、白鷹を寄せるために作ったそうです……」
「え!? と、いいますと……?」
「俺の気を引くために、懇意にしているアルメさんのアイス屋に似せた店を作った、とのことです。……どう償えばいいのか……本当に、申し訳ございません。すべては俺の軽率な行動が招いた結果です。前に、彼女の前で姿を晒してしまったことが災いしました……」
前に銀行でベアトス家と揉め事が起きた時、ファルクは身分を明かして仲裁してくれた。
その時、キャンベリナはファルクを見てポカンとしていたが……どうやら、そのまま心魅かれてしまったらしい。
アルメがドレスルームに行っている間の出来事を、ファルクは一から話してくれた。
馬車の中の薄暗さも相まって、彼の表情はすっかり抜け落ちて見えた。その人形のような硬い面持ちが、なんだか落ち着かない。
ファルクは最後まで話し終えると、重いため息を吐いた。
「……先ほどアルメさんがおっしゃった通り、俺は本当に格好悪い男ですね。いらぬ面倒事を起こしてしまって……」
「そんなことを言わずに、お顔を上げてください。今回の件は、キャンベリナさんが一方的に想いをこじらせてしまっただけですから、ファルクさんが悪いわけではないでしょう?」
アルメは重い空気を払うように、努めて明るい声で言う。
「それに私、ちょっと本音を言いますと、キャンベリナさんのアイス屋を覗いて得るものもあったので、経験としてはよかったのかなぁ、なんて思っていたりします」
「得るもの、ですか?」
「はい。こんなおかしな事態の最中に思うべきことではないのかもしれませんが……大通りに面したお店もなかなか楽しそうだなぁ、と思ってしまいまして」
路地奥のアルメの店は庶民をターゲットにした店だが、キャンベリナの店は富裕層をターゲットにした店である。
客層の違いや店内の雰囲気の違いを見ることができたので、視察はそれなりに実りのあるものであった。
そして初めて『競合店』となる店ができたことで、自分の店に対する意識が高まったように思う。
改めて、店の名前と看板を大切に想う気持ちが増した。店の知名度を上げる策を打って、街に大きく広めたいと思った。身分を問わず、街の人みんなにアイスを楽しんでもらいたい、という気持ちが強くなった。
――その気持ちを経て、今、一つやってみたいことが出てきたところだ。
アルメは悪戯な笑みを浮かべて、ファルクの顔をのぞきこんだ。
「今すぐにとはいきませんが、そのうち上手くいったら『通り沿いの二号店』なんかを考えてみてもいいのかな、と。庶民と富裕層、ターゲットの客層を広げたお店を出せたら、もっと楽しい景色を見られそうな気がして」
「……確かに、デスモンドさんのアイス屋に対抗するには、同じ表通りに店を構えるのが有効ですね。あのアイス屋がかすむくらいアルメさんの店が人気になれば、名前も取り返せるかも」
「それに、街の人たちに笑顔を届ける大きな仕事ができそうなので。大通り沿いの、軽く立ち寄れるよい場所にアイス屋があったら、嬉しくないですか? 暑い日の街歩きの最中に、こう、フラっと気安く寄れるような場所に――」
「それは嬉しいです。とても。個人的には、東西南北中央地区のすべてにアイス屋があってしかるべきだと思います」
ファルクは顔を上げて、しみじみと頷いた。硬い表情はほぐれて、やっといつもの顔に戻ってくれた。
いつもの雰囲気に戻ったのと同時に、いつものアイス好きのファルクまで戻ってきた。彼はアルメの手を取って、両手でガシリと握りしめた。
「アイス屋の大通りへの進出はいつ頃をお考えですか? 全力で応援させていただきたく」
「いや、ええと、将来的にはという話で。キャンベリナさんの店の動向もうかがいつつ、もう少し時間をかけて考えたく思います」
「何かお手伝いできることがありましたら、何でもおっしゃってください。俺はいつでも、アルメさんの力になりますから」
「ありがとうございます」
熱の入ったファルクの言葉に苦笑してしまった。その激励の言葉は、アイスを欲する気持ちからか……もしくは、今回の件の償いの気持ちか。
一応、断りを入れておくことにする。
「あの、もし今回の件の償いの気持ちで協力を申し出てくださっているのでしたら、申し訳ないのですが受け取れませんよ。ファルクさんは何も悪いことをしていないので」
「あぁ、いえ、もちろん償いたいという気持ちもあるのですが……その気持ちとは別に、アルメさんの目標を応援したいと思っただけでして」
「それならば、ありがたく受け取らせていただきます。より美味しいアイスを提供できるように、色々頑張ってみますね」
そう答えると、ファルクは少し考えるような顔をした。一呼吸の間をおいて、彼はポツリと言葉を返した。
「美味しいアイスのために応援をする、というのも、少し違うような……。その……俺は好きなんです、アルメさんが。あなたのことを好いているから、応援したいのです。アイスうんぬんというより……」
「…………へ?」
本日二度目の、裏返った声が出てしまった。
一瞬、心臓が大きく跳ねた気がした。
――が、即座にファルクが言葉を足したことで、胸の鼓動はすぐに落ち着いた。
「いえ、あの、言い方がおかしくなってしまってすみません……! 別にアイスの見返りを求めて応援しているわけではなく、純粋にアルメさん自身を応援している、ということをお伝えしたかったのですが……上手い言葉が出てこなくて……。なんだか先ほどから、お喋りが下手になってますね、俺……申し訳ない」
「いえいえ、えっと、はい。ありがとうございます。ファルクさんの応援、とても心強いです」
目を泳がせたファルクに、アルメは苦笑しながら返事を返した。
……一瞬、ドキリと跳ねてしまった胸は一体何だったのか。続く言葉を聞いた後、ほんの少しだけ残念な気持ちになってしまったのは、気のせいだろうか。
この妙な心地について深く考える前に、馬車が路地の入口に停まった。
馬車から降りて、ファルクが御者に金を払った。この後一度アルメの家に寄って、アイスの代金を含めた諸々の清算をする予定だ。
ファルクの腕を借りて、暗い路地へと歩き出す。けれど、少し歩いてすぐにファルクは足を止めた。
彼は気遣うようにこちらに目を向けた。
「アルメさん、もしかして足を痛めていますか?」
「……さすが従軍神官様ですね。わかります? 恥ずかしながら、ちょっと靴擦れが痛くて……」
貴族令嬢コスプレをするにあたって、アルメは今、ヒールの高い靴を履いている。いつもの楽なサンダルに慣れた足には、このヒールは少々辛い。
そういうわけで、じわじわと靴擦れの気配を感じているところであった。
もう家もすぐそこなので、やり過ごすつもりだったのだけれど……隣の神官にはバレバレだったようだ。
ファルクはさっと屈んで、アルメの足元に魔法をかけた。
「ひとまず痛みだけ取り除いておきます。治療は家の中でいたしましょう」
「ありがとうございます……――って、ファルクさん。この手はなんですか?」
アルメの背には、流れるようにファルクの腕がまわされていた。彼は何やら思いついたような顔をしていた。
「アルメさん、少しの間だけ、俺のお姫様になってもらえませんか」
「は……?」
「先ほどあなたに『王子様ではなく、格好悪いヒヨコ』と言われてしまったので、名誉挽回のために、帰りの道中だけでも王子様になりたく思います」
「なんだか嫌な予感がしてきました……あの、さっきの私の発言は忘れていただきたく……」
「俺は人に言われたことを、なかなか忘れられない人間でして」
「ご……ごめんなさい……」
ファルクは爽やかに笑うと、アルメの背にまわした腕に力を込めた。もう片方の手を膝の裏に添えて、軽々と抱え上げた。
この体勢は、いわゆるお姫様抱っこだ。
アルメの口からは、本日三度目の裏返った声が出た。
「ひぃっ……!」
「家までお連れいたします。靴擦れが広がるといけませんし、傷が破れると靴も汚れてしまいますから」
「重いでしょう!? 腰を悪くしますよ!」
「瀕死の軍人を抱えて歩くのに比べると、羽のように軽いです」
「そ、それは……そうかもしれませんが……!」
ファルクはアルメを横抱きにしたまま、スタスタと歩き出してしまった。
思わず胸元にしがみついてしまったが、余計な動きをしたことを後悔した。顔が近づいてしまって、猛烈な照れが込み上げてきた……。
また、さっき感じたおかしな胸のドキドキが蘇ってきそうで、アルメは咄嗟にギュッと目をつぶった。
――今、彼と視線を交えてしまったら、なんだかダメな気がした。
固く目を閉じたまま、照れを誤魔化すために適当な話題を繰り出す。ちょうど、昔祖母とした会話を思い出したので、使わせてもらうことにする。
「……小さい頃、祖母にお姫様抱っこをせがんで、断られたことを思い出しました。『腰が痛くなるからダメ』と言われて」
「横抱きはご年配の方には、確かにおすすめできませんね」
「その時、祖母に『お姫様抱っこは将来、旦那様にやってもらいなさい』、なんてことを言われました……旦那様ではなく、友達にやってもらっちゃいましたね」
「……」
祖母との思い出を冗談っぽく語ると、わずかに会話に間が空いた。
少しの間の後、ようやく言葉が返ってきた。
「旦那様、ですか。それは……お
続く言葉は、よく聞き取れないほどの小声だった。
「……――いや……やっぱり、謝らないでおこうかな。……そうか、旦那様か……アルメさんの、旦那様」
アルメを抱きしめる腕の力が強まった気がした。
しがみついた彼の胸元から伝わる鼓動は、なんだかさっきより大きく感じられた。
ファルクは声を抑えて、なにやら笑っているようだった。