8 ファルクとミルクアイスと『白鷹』
ファルクにカウンター席に座ってもらい、調理室からミルク液のボウルを抱えて持ってきた。
テーブルを挟んで向かい側から、彼の目の前にボウルを置くと、興味深そうに見つめていた。
「この液をアイスにするのですか? 白い色はココナッツ……いや、牛乳でしょうか?」
「正解です。今日はちょうどミルクアイスの試作をしていまして」
氷魔法を発動させて、ヘラを使ってクルクルと混ぜる。なめらかに動いていたヘラは、液が固まるにつれてもったりとした動きになっていく。
カチカチに固まらないよう魔法を調節しながら、空気を含ませるようにかき混ぜる。
しばらくすると、なめらかでふわふわのミルクアイスが出来上がった。
棚から透明なガラスの器を出して、まん丸く盛りつける。スプーンを添えてファルクの前に出すと、食べる前から既にキラキラとした顔をしていた。
「雪玉のようで綺麗ですね! なんだか故郷の景色を思い出します。俺の故郷の街中には、こういう丸い雪玉を重ねたオブジェがたくさんありました」
「ファルクさんは雪国のご出身なんですか?」
「はい、極北の街ベレスレナ出身です。ルオーリオにはまだ来たばかりでして……このアイスを見ていると、雪玉の冷たさが恋しくなります」
「なるほど……寒い地方から来たら、この街の暑さにはなかなか慣れないでしょうね」
話しながら、自分の分も器に盛った。近くの適当な椅子を引っ張ってきて、ファルクの向かいに座る。
「どうぞ召し上がってください」
「いただきます!」
声をかけるや、待ってましたとばかりに、ファルクはアイスを頬張った。『待て』を解除された大型犬のようで微笑ましい。
アイスを口の中で溶かし終えると、キラキラ八割増しで感想をこぼした。
「美味しい……! バニラの香りがしますね。牛乳のまろやかなコクと甘さによく合っていて、素晴らしいです。冷たさで牛乳の味のしつこさが飛ぶので、食べやすい」
「ありがとうございます、お口に合って良かったです。……ちょっと卵を入れ過ぎたかもしれません。もう少しさっぱりした味でも良いかも」
それぞれ思い思いに感想を述べながら、アイスを口に運んでいく。同じペースで食べているつもりだったけれど、ファルクの方はあっという間に完食していた。
「まだまだあるので、もう少し食べますか? あ、ジャムを入れると味が変わるので、良ければお試しください」
「たかってしまってすみません、いただきます」
空の器に追加をたっぷり盛りつけて、奥の冷蔵庫からジャムを二つ持ってきた。オレンジとブルーベリーのジャムだ。
アルメはブルーベリーを追加して、ファルクは半分半分で両方追加していた。
「フルーツの味にもよく合いますね。美味しいです」
「ミルクアイスは何にでも合いますね。砕いたクッキーを入れてもきっと美味しいですよ。あとはナッツとかキャラメルとか――」
「全部制覇するまで毎日アイス屋に通わなければ」
「……お腹を壊しますよ?」
目を輝かせるファルクを見ていると、本当にやりそうで心配になってくる。けれど、良い反応を見るのは純粋に楽しくて心弾むものだ。
「ファルクさんにアイスを気に入っていただけて良かったです。申し訳ないけれど、私としてはこの街の暑さに感謝したいところですね」
「そう意地悪を言わないでください。暑くなくても、俺はきっとアイスを美味しく食べていたと思います。子供の頃から、甘く冷たいデザートが好きだったので」
そう言いながら、ファルクの茶色い瞳がわずかに揺らいだ。
「今はこんなですが、俺は子供の頃は体が弱くて。しょっちゅう熱を出しては寝込んでいたのですが、寝込む度に父が凍ったフルーツのデザートを買ってきてくれたんです。熱い体には、それがとても美味しく感じられて……大人になってからもたまに無性に食べたくなって、地元ではよく食べていました」
「そうだったんですか……優しいお父様ですね」
「えぇ、とても情の深い人でした。すみません、恥ずかしい昔語りを」
ファルクの話につられて、アルメも昔を思い出す。子供の頃、風邪を引いて熱を出した時には、祖母が特製のフルーツジュースを作ってくれた。
冷たくて、甘くて……食欲のない時にも、そのジュースだけはペロリと飲み干すことができた。
風邪の時はいつもよりも、うんと甘やかしてくれた優しい祖母の姿と共に、今でもあのジュースの美味しさを覚えている。
「今はもう、お体は大丈夫なんですか?」
「はい、もうすっかり。逆に反動のように強くなってしまって。連日夜通し仕事をしても平気なくらいです」
「ちょっ……それは駄目ですよ、ちゃんと寝てください! 睡眠不足はこじらせると倒れますよ! ただでさえこの街は暑いんですから、寝不足に暑さの組み合わせは危険です……!」
「大丈夫ですよ、寝不足には慣れていますし。暑さも今のところは、なんとか耐えられていますから」
「倒れる前振りやめてください! そういうことを言う人ほど、ある日突然具合を悪くするんですから!」
つい大声で注意してしまった。アルメは前世、まさにその寝不足と暑さのコンボによって倒れて、命を失った会社員である。
ただでさえ極北の出身で暑さに慣れていないファルクは、二の舞となりかねない。例え鬱陶しがられようとも、ここは厳重に注意しておくべきだ。
「自分ではこのくらい平気だと思っていても、倒れてしまうことだってあるんですからね。寝不足と暑さを甘く見てはいけません! 私は二十五歳の時に――……あ、いや、」
ペラっと口がまわりかけて、慌てて言葉を止めた。うっかり前世の年齢を出してしまった。前世の記憶があるなんてことを言い出したら、変な人だと思われて、引かれてしまうに違いない。
誤魔化さなければと焦っていると、ファルクが目を丸くした。
「女性に年齢の話をするのはアレですが、アルメさんは俺よりもお若い、十代の娘さんかと思っていました。……先日はつい『お嬢さん』などと軽んじた呼び方をしてしまい、大変失礼しました。決してアルメさんのことを見下していたわけではなく――」
「あぁっと、いえ、あの、今のはうっかり年齢をサバ読んでしまっただけです。私は二十歳です……!」
「え、あれ? そうなのですか? じゃあ、俺より年下ですね。ふふっ、アルメさんは面白いですね。年齢を上に言う女性は初めてです。若く言う方はたくさんいらっしゃいますが」
ファルクは口元を押さえて小さく笑った。
年齢の話題は置いておき、その笑顔に見入ってしまった。またあの抑えたような笑い方をしている。
彼のぎこちない笑顔を観察しながら、何の気なしに言ってみる。
「あの、ファルクさん。もっと大きく笑っても大丈夫ですよ? 私はこの通り庶民ですし、笑い方のマナーの良し悪しとか、何も気にしませんから。先日お会いした時から思っていたのですが、笑みを堪えていません?」
「え、俺上手く笑えていませんでしたか? おかしい顔をしていました?」
「いえ、控えめな微笑み、という感じで……もっとこう、思い切り笑ったほうがスッキリするんじゃないかしら、と思いまして」
そう伝えると、ファルクは困ったように眉を下げた。
「そうですか……たぶん仕事中の顔の作り方が癖になってしまっているのかと。真面目な顔をしていないと、なかなか人からの信頼を得られなくて」
「なるほど、それでその表情」
「仕事中、キリッとした顔を作っている分、休日にはなるべくニコニコするように心がけているのですが……微妙でした?」
「ええと、残念ながら……」
ニコニコとは言い難い、ぎこちない笑顔だ。元の容姿が大変に麗しいので、どう転んでも上品な微笑には見えるだろうけれど。
ファルクはアイスを食べる手を止めて、ペシペシと両頬を叩いた。
「教えていただきありがとうございます。これからはより一層、気を付けて笑うことにします」
「気を付けるというより、自然に任せる方が良いのではないでしょうか。力を抜いたほうが素敵な笑顔になりそう」
「難しいですね。自然な笑顔……そのボウル一杯のアイスをいただけたら、ニッコリ笑えるかもしれません」
「お腹を壊すので駄目です」
ちゃっかり何を言い出すんだこの人は。ピシャリと却下したら、しゅんと背を丸めて、また大人しく自分のアイスを食べ始めた。
最後の方になるにつれて、スプーンですくう量がチビチビしてくる。完食に抗っているようだ。
そんなファルクの姿を眺めていると、ふと思い出した。極北出身と言えば、噂の白鷹も極北から異動して来たのだとか、そんなことをエーナが言っていた。
せっかく教えてもらった流行ネタなので、早速世間話に使わせてもらおう。
「――そういえばファルクさんは、白鷹様をご存じですか? 彼ももしかしたら、ファルクさんと出身地が近いのかもしれませんね。この街に来て早々にファンクラブができるほどの、素敵な神官様なんですって。なんでも、婦女子が彼と目を合わせると意識を失って倒れるのだとか」
「ゴフッ……ゴホゴホッ」
「わ、大丈夫ですか!? ごめんなさい、急に話しかけちゃって」
ファルクが思い切りむせた。
しばらく咳込んだ後、呻くような声を出した。
「……そ、そんな婦女子に害を及ぼす呪術のような力は、持っていないかと……」
「まぁ、そうですよねぇ。噂が盛り上がりすぎているのでしょうね。でも、見に行く機会があった時には、一応気を付けておこうかと思います」
笑いながら言うと、ようやく咳が落ち着いたファルクが顔を上げる。
「アルメさんは、その……白鷹にご執心で?」
「執心、というほど熱心なファンというわけではありませんが、白鷹様を歓迎していますよ。――あ、ちなみにこのミルクアイス、白鷹様をヒントにしたアイスなんです。白にちなんで」
「白鷹が商売に貢献している……」
「本当にありがたいことです。そのお礼も兼ねて、今度出軍の行進があった時には見送りで手を振りに行こうかと思っています」
勝手に人気に乗っかってしまって申し訳ないという気持ちと、商機をありがとうという気持ちが半々だ。今度手を振って、伝えてこようと思う。
でも、あくまでそういった気持ちは添える程度である。本当に届けたい想いは別にある。
「――それと、軍の人たちの命を守ってくださっていることへの、感謝の気持ちも届けたいですね。軍人さん当人だけでなく、彼らの周りには家族や友達がいますから、広い目で見ると白鷹様はみんなの心をも守ってくださっていることになるでしょう? 私も軍に関係する友人がいるので、私の心も彼に守られていることになります。だから、感謝と応援と、彼自身の安全を願って手を振ってこようかなと。この街に来てくれてありがとう、という気持ちを届けられるように。……といっても見送りは人が多いそうなので、埋もれるでしょうけれど」
エーナ曰く、白鷹が来てから今まで二回の出軍見送りは、それはもう大変な混雑だったそう。
すっかり人気に火がついた今、次の見送りはさらに人が集まるだろうから、エーナは早くも場所取りの穴場を探っているらしい。
アイスの最後の一口を食べ終えると、ファルクはこちらを見て、ふわりと笑ってみせた。
「アルメさんのお気持ちは、きっと白鷹に届きますよ。埋もれることなく、まっすぐに伝わると思います。白鷹はあなたの優しい想いを受け取って、さぞや喜ぶことでしょうね」
そう言うファルクの顔は、ようやく見せてくれた自然な笑み――というより、とんでもなく甘く優しげな笑顔だった。
(うっ……まぶしい……!!)
想定外の不意打ちをくらって、思わず目をそらしてしまった。おかしな照れに襲われてしまったので……。美形が繰り出すこの笑顔は、危険物の域だ。
「あの……ファルクさん、やっぱり笑わない方が良いかもしれません」
「えっ、すみません。また変な顔をしていました?」
ファルクはキョトンとして、頬をペシペシと叩いていた。