7 ミルクアイスの試作
エーナとのランチ会の数日後。早速ミルクアイスを作ってみることにした。
本当はその日のうちに作ってみたかったのだが、あいにく牛乳を手に入れることができなかった。
この世界では庶民の家に冷蔵庫が普及していないので、保存のきかない牛乳を常備している家はほとんどない。
庶民が買わないということは、当然、市場に出る牛乳の量も少ない。あの日、帰りに市場に寄った頃には、もう牛乳の量り売り屋は閉店していた。
翌日改めて牛乳屋を訪ねて定期購入の契約をさせてもらい、今日朝一で、お願いしていた量を受け取ってきたところだ。
これから店でミルクアイスを出すなら、買い逃すことなく、確実に材料を入手できるようにしておかなければならない。牛乳屋は快く契約に応じてくれたので、ひとまずホッとした。
自宅一階の調理室にて、大きな鍋とボウルを用意する。ブリキ缶のミルクタンクに入った牛乳を、両手で抱え込むようにして鍋へと流し込んだ。
続いて砂糖をどっさり入れて、卵を数個投入する。さらにバニラビーンズのさやを割り、中のつぶをスプーンでかき出して鍋に入れた。
泡だて器で材料を混ぜ合わせたら、鍋をコンロの火にかける。煮たたせないようにヘラで混ぜながら、とろみの具合を確認していく。
ミルクとバニラの甘い香りが鼻に届いて、つい顔がほころんでしまう。たまらなく食欲をそそる、美味しそうな香りだ。
少しもったりとしてきたところで火を止めた。これでミルク液は完成だ。
大きなボウルにこし器をセットして、鍋のミルク液を移していく。スープレードルを使って少しずつ、ボウルに液を注いでいった。
ミルク液を移し終えたところで、ちょっと一息つく。あとはこれを冷やせばミルクアイスの完成である。
両手に意識を集中して、氷魔法を発動する。握ったヘラに魔法を流して、ゆっくりと混ぜながらミルク液を冷やしていく。
――そうやって魔法を使い始めてすぐに、店の玄関からカランカランという控えめな呼び出し鐘の音が聞こえた。
「あら? エーナかしら?」
先日ランチの後にミルクアイスを作る話をしたので、もしかしたら見に来たのかもしれない。
試食をしてもらうにはちょうど良いタイミングだ。こちらの世界の人にも、ミルクアイスは気に入ってもらえるだろうか。
アルメはエプロン姿のまま玄関へと向かった。――が、扉を開いた先にいたのはエーナではなく、男性だった。
ずいぶんと背が高く、美しい容姿をした茶色い髪の男。先日知り合った、ファルクだ。
柔らかそうな生成り色のシャツに、濃茶のスラックスを身にまとっている。
カジュアルで、どちらかというと地味めな格好であるはずなのに、整った顔と体躯によって、素晴らしくお洒落な格好に見える。なんとも得な人である。
「こんにちは、アルメさん」
「ファルクさん……! す、すみません、せっかくお越しいただいたのに、まだアイス屋はオープンしていなくて……」
「あぁ、いえ、そういうつもりで来たわけではなく、先日お借りしたスカーフをお返ししに来たのです。俺が首に巻いてしまいましたが、洗いの店に出して、いくつか香りづけの品もお付けしましたので……それでもご不快でしたら、処分していただく事になってしまいますが……」
ファルクは小さな紙袋を渡してきた。目の前に差し出されたので流れで受け取ってしまったけれど、ちょっと冷や汗をかいた。
(う……例のスカーフ、戻ってきちゃったわ……)
前世のホラー、メリーさん人形が頭をよぎった。何度手放そうとしても返ってくるフリオのスカーフを想像してゾッとしてしまった。
固まったアルメを見て、ファルクはしゅんと背を丸めた。
「……すみません、ご迷惑でしたか?」
「いえ、いえいえ! ちょっと別のことを考えていただけです、お気になさらず! 香りづけの品までいただいてしまって、すみません。ありがとうございます」
紙袋の中にはスカーフの他に、香りづけ用の石鹸と思われる小箱がいくつか入っていた。小箱のデザインは見るからにお洒落で、高級感を感じる。
なんだか逆に申し訳なくなってきた。いわくつきのスカーフを押し付けてしまったのに、こんな素敵なものが返ってくるだなんて……。
「アルメさんにお会いしたあの日、職場に帰ってから師に言われたんです。このスカーフは、この街で人気の紳士服店のものだと。もしかして旦那様のものをお貸しいただいたのでしょうか? 見ず知らずの男が身に着けてしまい、申し訳ございませんでした」
「いえ全く! 旦那様どころか恋人すらいない身ですから、何一つ、問題ありませんよ。これは、その、たまたま知人から譲り受けたものでして……」
「おや、そうでしたか。それならばホッとしました」
アワアワと誤魔化してしまったけれど、ファルクは特に気にしない様子だったので良しとしておく。
会話に区切りがついたところで、別のことが気になってきた。
「ところでファルクさん。今日はこの街としては比較的過ごしやすい天気なのですが……ものすごく暑そうですね。お顔に汗が垂れています」
「そう見えますか? ……白状しますと、溶けてしまいそうなほど暑いです……。一応氷の魔石をポケットに忍ばせてはいるのですが……全身に仕込まないと、気休めにしかなりませんね」
ファルクは苦い顔をして、手の甲で額の汗を拭った。
前髪が流れて額があらわになる。美しくも男らしく整った容貌に汗が光って、傍から見ている分には大変爽やかで目の保養となる景色だ。
本人としては辛そうなので、間違っても口には出さないけれど。
「街の人々は平気な顔をして歩いているのに、どうして俺だけがこんなに暑いのでしょうね……俺はこの街に嫌われているのでしょうか。街が俺に嫌がらせをして、暑さの魔法をかけているとしか……」
「そんな魔法ありませんよ、しっかりしてください」
白状した途端、ファルクは泣き言をこぼし始めた。
さっきまでは比較的爽やかな態度だったのに、もう今は遠慮もなく、手のひらでパタパタと首元をあおいでいる。
暑さに呻く客人をそのまま返すのも心苦しいので、また店内に招くことにした。
「また店で涼んでから、お帰りになられてはどうですか? ――もしお腹に余裕がありましたら、ちょっとご協力いただきたいこともありまして。新作のアイスの試食なのですが」
「ものすごく余裕があります! 是非!」
ファルクは言葉を被せるようにして返事をしてきた。とても素直な良い返事だ。やっぱりこの人は、麗しい容姿に反してちょっと面白い。
ちょうど良く試食の相手をつかまえられたので、アルメとしても嬉しい限りである。