67 迷惑な客との戦い
ルオーリオ軍が郊外で戦いを繰り広げている頃――。
アイス屋の中でも、小さな戦いが始まろうとしていた。
アイスを楽しむお客たちの中に、一人だけ空気の悪い男性客がいる。癖のある茶髪に緑の目をした男……。
たった今、突然来店したその客はフリオである。
(うわ……本当に来た)
アルメは顔を引きつらせて身構えた。
前にベアトス家で謝罪を受けた時に、チラッと『会いに行く』とかなんとか言っていたが、本当に来てしまった。
今日はあいにく、エーナもジェイラも仕事に入っていない。店から逃げ出すわけにもいかないので、アルメはフリオと対峙する覚悟を決めた。
次に会ったら、しっかりとした態度で対応すると決めていたところだ。ヘコヘコせずに背筋を伸ばして、言いたいことはピシャリと言ってやろう。
フリオはアルメの立つカウンターの真正面に座った。
「アルメ、久しぶり……少し、君と話をしたいのだけれど」
「私は何も話すことなどありませんが」
「……言い方を変えるよ。僕が、君に話したいことがあるんだ。客として来るのなら対応する、と言ったのは君だろう?」
「注文もせずに、お店の椅子に勝手に座っている人が何を言っているのです」
「……。じゃあ、そのアイスをもらうよ」
アイスの容器を適当に指さして、フリオは注文を決めた。
二人の会話を聞いて、ただならぬ雰囲気を感じ取ったのか、近くの女性客がこちらをチラッと見てきた。どことなくワクワクした顔をしているような……。
愉快な見世物にならないよう、アルメは淡々と対応する。
アイスを器に盛って彼の前に出した。が、フリオは手をつけずに話し始めた。
「店は上手くいっているのかい?」
「えぇ、ご覧の通り、それなりに」
「そうか。でも、いつまでも続かないだろう?」
「……は?」
つい固い声が出てしまった。もしかしてこの男は喧嘩でも売りに来たのだろうか。
フリオは逃げるように視線をそらしたが、そのままもごもごと喋り続けた。
「だって、店の経営なんて、女が一人でやっていくことではないだろう。不安定な仕事だし。それに結婚したら、どうせ畳むことになる」
「私は結婚したあとも、お店を続けていきたいと思っていますが」
「無理だろう。強がるなよ。仕事に追われる生活をしている女が、幸せになれると思っているのかい? 安定した仕事の夫に添う方が、君のためだ」
「あなたは人の生活にケチをつけに来たのですか?」
さらに強めの声が出てしまった。フリオは大きく身じろいだ。
思ったより声が響いてしまって、ハッとして口元を押さえた。
店内の客たちは、もうすっかり見物人と化していた。……好奇心に目を輝かせるのは、やめてほしい。
フリオは前髪をいじりながら、ボソボソと言う。
「いや……別に君と喧嘩をしに来たわけじゃないんだ。ただ、話したいことがあっただけで……」
「じゃあ、その話したいこととやらを、さっさと言ったらどうなのです」
「せ、急かすなよ……君は存外、せっかちな性格なんだな」
アルメの胸の奥で、イラッという音が鳴ったが、なんとか鎮める。客の目があるのだから、冷静に、冷静に……。
ため息を吐きながら、フリオは本題を話し始めた。
「その、キャンベリナと破談になったよ」
「え、そうですか……はぁ」
(って、あのイチャイチャはどこにいったの……!?)
平静を装っているが、内心では結構驚いてしまった。あんなにガッツリとキスを交わし、腕を絡ませてベタベタイチャイチャしていたというのに。
男女関係というものは、わからないものだ。――というか、その話をなぜ自分にしてくるのだ。縁の切れた他人の恋愛事情に、興味はないのだけれど……。
「破談になって、少し時間をおいて……ようやく目が覚めたよ。秘め遊びの熱に浮かされてキャンベリナを選んでしまったけれど、僕は間違っていたのだと……。キャンベリナとパートナーになってからは、仕事も上手くいっていなかったし……彼女は『妻』としては、いまいちな女だったのだと思う。僕はそれが見えていなかった。――でも、目が覚めた今ならわかる。僕の将来に本当に必要な相手が、ようやくわかった気がする」
冷ややかな目を向けていたら、フリオが勢いよく立ち上がった。ガタンと椅子の音が鳴って、他のお客たちが一斉にこちらを見る。
「僕の真実の愛の相手は……アルメ、君だと気が付いたんだ。君がパートナーだった頃は仕事も上手くいっていたし、今思えば私生活でも、君は何かと気が利いて、僕は快適に暮らせていた。やっとわかったよ……妻として側に置くべき女は、君みたいな人が一番なのだと。――アルメ、どうか復縁してほしい。もう一度、僕と共に――」
「お断りします」
あまりにも口説き文句が下手すぎるのでは……、と、声に出しそうになった。
恋愛経験値の低いアルメでさえも、フリオの独りよがりな告白には寒気を感じてしまった。
フリオが求めているのは『愛するパートナー』ではなく、『お世話係』である。母親にでも頼んだらどうだろうか。
即座に断ると、彼は苦い顔をした。
「なんだかんだ、僕たち半年間もパートナーとして共に過ごしてきたじゃないか。また元の関係に戻るだけなのだから、そう頑なに拒むことないだろう。もう少し真剣に考えてくれ」
「元の関係になんて、戻れるわけがないでしょう?」
「色々あったことは……もう、謝ったじゃないか。足りないというのなら、いくらでも謝るよ……君の望むドレスとかアクセサリーとか、そういうものも買ってやるから」
「何一ついりません。お断りします」
「……あの男に……白鷹に入れ込んでいるから、復縁を望まないというのかい?」
確かに、友人と過ごす時間を大切に思ってはいるが……復縁を拒否する理由とは、まったく関係のない話だ。
アルメは単純に、もうフリオと関わりたくないだけである。
そう言おうと口を開いたが、その前にフリオがまくし立ててきた。
「アルメ、君も目を覚ますべきだ……! 相応の相手と寄り添った方が、幸せになれるに決まっている。僕には安定した仕事も収入もあるし、身寄りのない君は、ベアトス家と繋がりがあった方が安心して暮らせるだろう?」
『相応の相手と寄り添え』というようなことは、確か前にキャンベリナも言っていた気がする。
同じことを言うのだから、やはりフリオとキャンベリナはお似合いのカップルだったように思う。復縁するのならば、そちらとよりを戻したほうがいいのでは……?
声を荒げたフリオに、アルメはピシャリと言い放った。
「ベアトスさん。ここはアイスを楽しむお店です。食べる気がないのなら、帰ってください。店員を口説きたければ、あなたのお好きな接客酒屋へどうぞ。プロがちやほやしてくれますよ」
「なっ……! 客に向かって何だその態度は!」
「あなたはお客さんではありません。お代もいりませんから、お帰りください!」
そういえば前世では『お客様は神様だ!』と言って、変な絡み方をしてくる迷惑な客のことが、度々話題になったりしていた。
生まれる世界が違っていたら、フリオもこのセリフを言っていたに違いない。
――なんてことを考えていたら、突然フリオがカウンターから身を乗り出した。
アルメの手を掴んで、力一杯引っ張ってきた。
「客を馬鹿にするなんて、店員としてあるまじき態度だな! やはり君には店など向いていない!」
「ちょっ……! やめてよ! 痛いっ!」
フリオは線の細い体格をした優男だが、男は男だ。女よりもずっと力が強い。まさか手を出されるとは思っていなくて、悲鳴を上げてしまった。
見物していたお客たちからも声が上がって、男性客が慌てて椅子から立ち上がった。店内が騒然となった。
――が、その瞬間。
ガツンという鈍い音と共に、突然フリオの体が横へと吹っ飛んでいった。
急に床を転がっていったフリオを見て、アルメも客もポカンとした。一体何が起きたというのか――。
ざわざわとする店内に、その答えが光と共に現れた。カウンターの上に、強面の小人がキラキラと輝いていた。
「スプリガンさん……!?」
小さな精霊スプリガンは、握ったこん棒をぶんぶんと振り回していた。アルメの方を向いて、得意げにこん棒を掲げる。
どうやら精霊が助けてくれたらしい。フリオのことを、自慢のこん棒で殴り飛ばしてくれたみたい。……なかなか威力のある攻撃で驚いたが、助かった。
スプリガンとは、魔石の荷箱を守るための契約をしている。――の、だが、たまにアイスをあげるので、ちょっとサービスをしてくれたのかもしれない。
「……ありがとう、助かったわ。お仕事の対価は、またアイスでお支払いしますね」
そう伝えると、スプリガンは嬉しそうにこん棒を揺らしながら消えていった。
フリオは床にへたりこんだまま、殴られた頭を押さえて呆然としている。
前に歩み出て、アルメはフリオを見下ろす。
「ベアトスさん、私もあなたに話したいことができたので、聞いてください」
「……え……?」
「おかげさまで、アイス屋にはたくさんのお客様にご来店いただいています。私の他に従業員は二人いて、通り沿いの飲食店とも提携しています。そして副業として、魔法補充士の仕事で固定のお給金を得ています。ちなみに今あなたを殴ったのは、その仕事に伴って契約した、私の精霊です。――と、いうように、私は今、仲の良い友人と、仕事仲間と、お客さんに囲まれて楽しく生活をしていますが、これは『不安定で不幸せな暮らし』でしょうか? 復縁したら、今以上に充実した暮らしを、あなたは私に与えてくれるのですか?」
一気に言い切ると、フリオは黙り込んだ。
アルメは勇ましい接客スマイルと共に、話を締める。
「私の望む未来は、私が自分で手に入れます。申し訳ございませんが、あなたと過ごす未来はいりません。これっぽっちも。――さて、これで話は終わりです。お帰りくださいませ。ご来店ありがとうございました」
フリオは何か言おうと口をぱくぱくさせていたが、結局言葉は出てこなかった。フラフラと立ち上がって、逃げ出すように店を出て行った。
ホッと息をついた瞬間、思いがけず、客から歓声が上がった。店内に誰かの口笛が響く。
「なんとも気持ちのいい啖呵だったな!」
「一瞬見えたのって、もしかして精霊?」
「私も彼を振る時、これくらいスッパリ言ってやればよかったわ」
客たちは思い思いにお喋りをしていた。
結局、フリオとの戦いは愉快な見世物になってしまったようだ……。
この街の人々は陽気なので、きっと明日には、面白いネタとしてそこそこ広まっていることだろう。
(――でも、みんな楽しそうだし……まぁ、いいか)
お客はみんな、楽しそうに笑っている。
アイスのお供におかしな即興劇まで提供してしまったので、今日はアイス屋のサービスデーということにしておこう。