66 白鷹とチャリコット
「総隊長より、三隊に前足切りの命が下った! 弓兵の攻撃の後、竜が地に落ち次第、三隊全兵での突撃とする! 私に続け!」
三隊隊長のセルジオが、空に剣を掲げて大声を上げた。
それに応えて剣兵たちも剣を掲げる。うおおお、という気合いの声が鳴り響き、空気をビリビリと揺らした。
真っ黒の魔霧は寄り集まって、段々と竜の形に固まっていく。
今度は大型の竜である。頭の高さを見るに、三、四階建ての建物くらいの大きさがありそうだ。
アイデンは左手の手首に触れた。巻かれているブレスレットに勇気をもらう。
これはエーナに『お守りを作ったから、着けてね』と渡されたものだ。
『三千
緊迫した場面に限って、こういう何気ないやり取りばかり思い出すのはなぜだろう。
無事に帰って、また彼女と何てことないお喋りをしたい。『早速ブレスレット汚してるじゃない!』と怒られて、『ごめん』と笑顔で謝りたい――。
「弓兵隊、攻撃用意!」
弓兵隊の隊長が大声をあげた。
魔霧が固まり、ついに大型竜が翼を広げた。飛ぼうと羽ばたき、ブワリと土煙が上がる。
――その瞬間に、大弓の号令がかかった。
「攻撃開始! 放て――っ!!」
合図と共に、大きな鉄の矢が飛んでいった。ビュンビュンと風を切る音が鳴り響く。
翼を貫通して穴を開ける矢と、刺さって重しになる矢。二種類のダメージを受けながらも、竜型魔物はピンピンしている。
翼が大きい分、落とすのにも時間がかかりそうだ。
緊張しながら待機していると、隣にいるチャリコットに肩を叩かれた。
「悪い、ちょっと抜けるわ~! すぐ戻るから!」
「は!? おい、隊長に怒られるぞ……!」
チャリコットはへらっと手を振って、後ろへと走っていってしまった。まったく、こんな時でもゆるい奴だ……。
隊の後ろには神官が待機している。チャリコットは白鷹の元へ走った。
駆け寄ると、白鷹は金色の目をまるくしていた。
「どうしました? 怪我でもしました?」
「いや全然。俺、喧嘩別れはしない主義だからさ~、謝りに来たわ」
白鷹はキョトンとしていたが、構わずに続ける。
「さっきは喧嘩吹っ掛けてごめん。お詫びにアルメちゃんのブレスレット、お前にあげるよ」
「受け取れません。それはアルメさんがあなたに贈ったものです。他人に渡すなど……彼女に失礼でしょう」
「いや、アルメちゃんのためだって。このブレスレット、軍神の加護のお守りなんだけどさー、これ着けたまま死んだら、アルメちゃんすげぇ気にしそうじゃん。『お守りが効かなかった』とか言いそうじゃね? 友達落ち込ませるのは嫌だから、先に外しとくわ。あんたなら大切にしてくれそうだから、あげるよ。グローブしてて取れねぇから、ちょっと取ってくんね~?」
「お断りします」
左手を差し出すと、白鷹は力一杯手を押し戻してきた。
死地に向かう兵の願いなんだから、聞き入れてくれてもいいのに……頑固な奴だ。こいつ、やっぱりいけ好かないなぁ、なんてことを思う。
――が、白鷹の表情を見て、すぐに考えが変わった。
彼は笑っていた。後衛の神官のくせに、まるで最前線に立つ戦闘員みたいな勇ましい顔をして。
「アルメさんのブレスレットは受け取りません。そのまま着けていなさい。心配せずとも、俺があなたのことを絶対に死なせませんから」
その自信はどこから来るんだ、というくらい、きっぱりと言われてしまった。なんだか信じてしまいたくなる、不思議な強さを感じる。
……占いで不吉な結果が出てからというもの、ずっと気分が重かった。それが少しだけ、楽になった気がした。
気持ちが不安定になっている時は、動じない奴に縋りたくなるものだ。自分にとっては姉が、その『動じない奴』なのだが……たった今、そこに白鷹も加わった気がする。
いや、全然まったく、断じて、ほだされたわけではないが。
「……何だよそれ。心強いこっちゃ」
「ほら、お話が済んだのなら隊に戻りなさい。もうすぐ突撃の号令が出ますよ」
「言われなくてもわかってるっつの。最後にもう一つ言っとく。アルメちゃんのブレスレット、お前のが本命だってよ。じゃ、俺行くわー!」
適当に会話を流して駆け出した。
後ろから『何の本命です?』なんてとぼけた声が聞こえたが、振り返らずに走った。
突撃に遅刻をしたら、隊長の長いお説教をくらいそうなので。もちろん、お互い無事に生きていられたら、だけど。
――でも、なんとなく、大丈夫な気がする。無事に乗り越えられる気がする。
チャリコットは列に戻って、またアイデンと並んだ。
「お、戻ってきた! まったく何してんだよ、逃げたのかと思ったわ」
「さすがにそこまで弱虫じゃねぇし~。むしろやる気満々だわ! なんか今なら、デカい竜にも勝てる気がする!」
急に強気になって戻ってきて、アイデンは笑ってしまった。ここ最近ずっと、『竜、怖ぇ……』と泣き言を言っていたというのに。
チャリコットが戻ってすぐに、隊長セルジオの号令がかかった。
「三隊、剣を構えよ!」
剣兵たちが両手で剣を握り直す。ガシャンという剣と鎧の音が鳴り響き、兵がぶつぶつとまじないの言葉を唱え始める。
『魔物の爪は
これは戦闘員たちのまじないだ。『魔物の攻撃は空振りに終わって、自分には当たらないのだ』という、古くから伝わるまじない。大型の魔物と戦う前に唱えるものである。
アイデンとチャリコットも、繰り返しまじないを呟く。
「魔物の飛行不能を確認! 弓兵隊、撃ち方やめ!」
「一隊、二隊、攻撃開始!」
「三隊、私に続け! 怯むな! 進め――っ!!」
隊長の叫び声とともに、三隊は走り出した。真正面から巨大な竜に向かって突撃する。
同時に、一隊と二隊も竜の側面に走り込む。
三隊が狙うのは前足だ。四つ足の竜は、ひとまず翼と前足二本を落としてしまえば、移動できなくなる。
近くの村や街に魔物被害を出さないようにするために、まずは移動手段を潰す。
その後、地面に転がった竜を相手に総攻撃を仕掛けるのだが、これもなかなか楽ではない。追い詰められた魔物はめちゃめちゃに暴れるので、最後の最後まで厄介だ。
竜は大きな頭を振りかぶって、三隊を迎えうった。むき出しの牙をかわして、竜の胴体へと走り込む。
アイデンは勢いよく剣を振り、前足の付け根に突き刺した。竜は身をよじって振り払い、剣兵たちは地面に叩きつけられた。
転がりながら起き上がり、振り下ろされた爪を避ける。爪は鋭く、子供の背丈ほどの長さがある。引っ掻かれたら体が裂けてしまいそうだ。
若い剣兵たちが飛び掛かり、数人がかりで竜の指を落とした。
「よっしゃあ!」
「爪二本、落としたぜ!」
剣兵たちが勇ましく叫んだ。
――が、勢いづいたのも一瞬だった。一人は爪に引っ掻かれて吹っ飛ばされ、もう一人は噛みつかれて鎧を砕かれた。
血が流れ出る前に、瞬時に治癒魔法の光が飛んでくる。怪我人を回収する隊が走り寄って、彼らを手当ての神官の元へと運んだ。
別の隊が竜の脇腹に切りかかる。彼らが竜の気を引いているうちに、アイデンはもう一度、力一杯、前足に切りかかった。刃がズブリと深く刺さった。
魔物の切り心地は、泥を固めたものを切る感触に似ている。
チャリコットを含む数人が加勢して、片方の前足を切り落とした。黒い体液が噴き出して、竜は呻き声を上げた。
その直後に、反対側の前足も落とされた。隊長と副隊長が叩き切ったようだ。
「倒れるぞ! 退避!!」
竜はバランスを崩して、前につんのめるように倒れ込んだ。その衝撃で、ドッと爆発的に土埃が上がった。
視界が悪くて見えないが、前足切りは上手くいったようだ。
兵たちは歓声を上げて、指揮をとる総隊長は次の号令をかける。
「四隊、五隊、剣を構えよ! 総攻撃を開始――……」
「いかん! 伏せろ――っ!!」
号令にかぶさるように、隊長セルジオの大声が上がった。
命令通りに動く前に、アイデンの体は後ろに吹っ飛ばされた。
竜が後ろ足を使って攻撃してきたらしい。なんとも器用な身のこなしだ。竜は後ろ足を振り回して暴れていた。
体が地面に叩きつけられて、呻き声がもれる。
爪が当たって胸の鎧は砕け散り、肉を裂かれた。一瞬のうちに治癒魔法が飛んできて、痛みが消える。血もすぐに止まり、傷だけが残る。
地面に転がったまま自分の体を確認して、これは重傷だな……なんてことを思う。即手術コースだろうから、この後の総攻撃には参加できなそうだ。
首を横に向けると、他にも何人か転がっていた。
チャリコットも派手にやられたようだ。魔法で止血されているはずなのに、体が真っ赤だ。なんとも酷い怪我――……
そこまで確認して、ギョッとした。
「チャリコット……? おい! チャリコット……!!」
無理やり体を起こして、彼の様子を確認した。
鎧には大きな亀裂が入り、首元から胸にかけてざっくりと切れている。というか、体が大きく裂けている。破れた布人形のようだ。
開かれたままの目に光はなく、もう息をしていなかった。
即死だ。
理解した瞬間、体がぶわりと震えた。
「嘘、だろ……お前……こんな死に方するような奴じゃねぇだろ……」
何年か前、彼の姉への誕生日プレゼントを買うのに付き合ったことがある。迷った挙句、最終的にゴツイ剣を買うことにして、ゲラゲラと笑った。
贈ったらなんだかんだ喜ばれた、とか言って、嬉しそうな顔をしていた。
この前の掃討戦では、くつろいでいる従軍神官たちの方に魔物をけしかける悪戯をして、隊長に怒られて正座をしていた。
ついさっきは、振られただけのくせに、アルメにブレスレットをもらったことを白鷹に自慢して、子供みたいな喧嘩をして――……
そんなしょうもない奴が、体を引き裂かれて、壊れた人形みたいになって死ぬのか――?
「……どうせならもっと……笑える死に方しろよバカ……こんなの、あんまりだろうがよ……」
じわりと目に涙がたまってくる。
こんなにあっけなく、こんなに無残に、あっという間の別れがくるなんて。覚悟はしているつもりだったが、まったく現実感がない。
もう、友達が死体に変わってしまっているということが、信じられない――……
たまった涙が目からあふれ出る――前に、ハッと意識が引き戻された。
後ろの方から凄まじい怒号が飛んできた。
「しっかりしなさい!! 何を呆けているんですか!! 早くこちらに運びなさい!!」
怒鳴り声は雷のようだった。雷を落としたのは男神――いや、白鷹だ。
怪我人の回収兵は大慌てでチャリコットを運び、続いてアイデンも運ばれた。神官たちの元に転がされて、鎧を外される。
アイデンはされるがままになりながら、隣で始まったチャリコットの処置を眺めていた。
ファルクは手際よくチャリコットの頭と胸の鎧を外した。手術道具を忙しく使い分けながら、裂けた体に処置をして、治癒魔法をかけていく。
傷口を閉じたら、強力な魔法を使って蘇生を始めた。
まぶしくて見ていられないほどの光が、チャリコットの体に注がれていく。
こんなに強大な治癒魔法を初めて見た。
神官は医神と契約をして癒しの魔法を授かると聞くが――。彼は一体、何を対価にして、このまばゆい魔法を得たのだろう。
白鷹は魔法をかけながら、心臓を力一杯押した。口をつけて、繰り返し息を吹き込んでいく。
「あなたが死んでしまったら、アイス屋のお客が一人減ってしまうでしょう! ほら! 起きなさい! 俺の前で死ぬことは許しませんよ!」
微妙におかしな言葉が聞こえた気がしたが、聞かなかったことにする。
白鷹は何度も何度も、機械のように蘇生の動作を繰り返した。思い切り強い魔法を使いながら、力一杯――……。
――そうしているうちに、チャリコットの手がぴくりと動いた。身じろいだあと、大きくむせ込む。
そして、うっすらと目が開かれた。
「チャリコット……!!」
「よろしい! よく頑張りましたね。――カイルさん、この方に継続して治癒魔法をお願いします。さぁ、次の怪我人を」
ファルクは虚ろなチャリコットの頬をペシリと叩いて、他の神官へと治療を引き継いだ。
そして間を空けずに、次の怪我人の治療に移る。
次に運ばれてきた怪我人は、腕を片方なくしていた。まだ軍学校から上がったばかりの、若い剣兵だ。
剣兵は泣きながらうわごとを繰り返している。パニックを起こしているようだ。
「ううう腕が……腕がぁ……俺の……うああ……」
「大丈夫ですよ。俺も昔飛ばしたことがありますが、この通りです。パーツがそろっていれば綺麗に治せますから」
「うう……むにゃむにゃ……」
ファルクは薬を垂らした布を剣兵の鼻に押し当てて、強制的に眠らせた。その後すぐに腕をくっ付けて、また別の神官へと流す。
そうしてまた次の怪我人が運び込まれる。今度は竜に吹っ飛ばされて、足が可哀想なことになっている剣兵だ。
「とりあえず骨を元の位置に戻します。痛みは取り除きますが、気分が悪ければ、眠った状態で処置します」
「うぅ、眠らせてくださ……むにゃ……」
聞き終える前に眠らせて、足の手術を始めた。
流れるように怪我人をさばいて、合間に他の神官へも指示を出していく。
――まるで精密な機械のようだ、と思った。
これが戦場の白鷹の、真の姿なのかと感心してしまった。
白鷹の煌びやかな青と白の騎士服は、もうすっかり血と土と魔物の体液で汚れている。――けれど、不思議と美しく輝いて見えた。
まじまじと仕事を見学しているうちに、アイデンの治療も済んだ。
引き続き治癒魔法を受けているチャリコットの元に行き、様子を見る。
目は閉じられているが、ちゃんと息をしている。一旦目を覚ましたようだが、また眠りの処置を受けたようだ。
次にチャリコットの目が覚めたら、蘇生の時のことを教えてやろう。『神殿の王子様の口づけで蘇った』ということを。
この男がどんな顔をするのか今から楽しみだ。きっととびきり面白い反応を返してくるに違いない。そうしたら、腹を抱えて笑ってやろう。
アイデンは流し損ねた涙を拭って、悪戯な顔で笑った。
重傷の怪我人をさばききって、白鷹は立ち上がる。魔法杖を掲げて、また戦闘員たちのサポートへとまわる。
総攻撃の始まった戦場を見守りながら、誓いを呟く。
「全員、無事に帰還させてみせます。もちろん、俺も含めて。約束は必ず守ってみせますよ」
頼もしい守り神の加護を受けながら、軍人たちは巨大な竜へと向かっていった。
黒い魔霧は少しずつ薄くなり、そのうち青い空と白い雲がうっすらと見えるようになってきた。