64 二度目の見送り
翌日の早朝、アルメは早足で大通りに向かっていた。
昨日の昼前に出軍を知らせる鐘が鳴った。直前まで店にいたファルクからは、何も聞いていなかったのに……。
教えてくれなかったのか、それとも急に招集がかかって、出軍となったのか――。
エーナとジェイラからも一切話を聞いていなかったので、たぶん後者なのだと思う。
(なんだか嫌な感じ……)
考えるほどに胸の奥がモヤモヤとして、息苦しさを感じる。
今回はエーナとジェイラの二人と一緒に、見送りに行く約束をする時間もとれなかった。アルメは一人で大通りを目指して歩いている。
この前の見送りの時よりも、また人出が増している気がする。
人の波をかき分けて、どうにか通りが見える位置まで進んだ。
とはいえ、人と人の隙間からチラッと見えるくらいだ。今日はこの隙間から力一杯、アイデンとチャリコット、そしてファルクに声援と祈りを送ろうと思う。
軍の行進を待つ間、周囲の人々の声が耳に届く。
「今回もセルジオ様の隊は出るのかしら?」
「結構いい場所をとれたね! 今日こそは白鷹様をしっかり見れるかな」
「この前の白鷹様の敬礼は、本当に王子様みたいだったわ! またあのお姿を見せてくれたらいいなぁ」
「こんなに慌ただしく出ていくなんて……心配だな。この後教会で、息子の無事を祈ることにするよ」
浮き立つ人々の声の中に、誰かの沈んだ声が混ざっている。やはり今回の出軍は、普段とは様子が違うものらしい。
ざわつく気持ちを深呼吸でやり過ごしながら、軍隊が歩いてくる方向をじっと見つめる。
しばらくそうしていると、遠くから歓声が聞こえ始めた。その後すぐに、馬に乗った先頭集団の姿が見えた。
人々の声はボリュームを増して、場の温度が一気に上がる。
逞しい軍人たちが颯爽と、大通りを歩いて行く。移動のペースはいつもより早いように感じられる。
馬に乗った騎士服の隊長、副隊長。その後に続いて、剣を下げた歩きの戦闘員。
隊の人数はこの前見た時よりも、ずいぶんと多い。大きな弓を背負った弓兵もいて、荷を乗せた馬車もズラリと列をなす。
イベントとして見ている分には大迫力の行進だ。――が、ただごとではない、という事情を知っている人間には、ハラハラする景色である。
兵や荷が多いということは、それだけ大きな戦に挑むということなのだろう。……心配だ。
落ち着かない気持ちで見送りをしていると、軍人たちの列に赤毛の短髪が見えた。アイデンだ。
彼の手にはカラフルなブレスレットが着けられている。エーナが贈ったものだろう。
「アイデーン! 頑張ってね! 気を付けてー!!」
人の隙間から大声で声援を送り、手を振った。アイデンはまっすぐに前を向いたまま通り過ぎていった。
この前みたいに気が付くことはなかったが、ひとまず姿を見られたのでよかった。エーナも彼に手を振れただろうか。
アイデンを見送った後すぐに、チャリコットの姿も見つけた。
いつも通りにだらっとしたシャツの着こなしをしているけれど、歩き方は勇ましい。左手にはしっかりと、赤とオレンジのブレスレットが巻かれている。
「チャリコットさん! 軍神のご加護をあなたに! お祈りしています!」
また大声を送って、手を振った。
彼はこの前、占いの結果が悪かったという話をしていたので、悪い運気を吹き飛ばすくらいの加護を祈っておこうと思う。
チャリコットも通り過ぎ、続く軍人たちもどんどん歩き去っていく。
この人たちみんなに、それぞれ家族や友人、大切な人たちがいる。そう思うと、知らない人であっても全力で声援を送りたくなる。
見送りが終わった後は、喉がカラカラになっていそうだ。
そうして応援しているうちに、軍人たちとは違う雰囲気の一団が見えてきた。
馬に乗り、白と青の騎士服をまとった集団は、従軍神官たちだ。
この前の行進では五人ほどだったが、今回は十七人もいる。
従軍神官がこんなにたくさん並んでいる行進を、アルメは今まで見たことがない。従軍神官隊の華やかな隊列に、周囲はものすごく盛り上がっている。
神官が多いということは、今回の戦地では多くの怪我人が出るということなのか……そう考えると、背中に冷や汗が流れる。
きっと軍に身内がいる人たちも、今、同じように動揺していることだろうと思う。
神官たちを率いて先頭を歩いているのは、もちろん白鷹だ。
休日のアイス屋では見せない涼しい顔をして、ファルクは正面を見据えている。
白灰色の大きな馬に、美しい魔法杖。白銀の髪と金の目は、日差しを受けてキラキラと輝く。『神殿の王子様』という呼び名通りの凛々しい姿で、馬を操り歩いていく。
彼が通ると、周囲から叫び声が上がった。
「白鷹様――! 今日も素敵――!!」
「こっち向いてください! こっち!」
「どうかこちらにお顔を向けてくださいませ――!!」
黄色い声が響く中、アルメも大きな声で声援を送る。精一杯のつま先立ちをして、どうにか姿を見ながら大きく手を振る。
「ファルクさーん! どうかお気をつけて! 無事のご帰還をお祈りします!!」
アルメの声は、人々の大声援に混ざって消えた。
ひとまず姿を見て、応援することができた。後は通り過ぎるまで、思い切り手を振り続けよう。
――そう思ってつま先立ちをやめた時、ファルクの顔がこちらを向いた。
彼はわずかに沿道へと馬を寄せて、左手を掲げた。
手首には青いブレスレットが巻かれていた。日の光を反射して虹色のビーズが光る。
気のせいではなく、今、しっかりと彼と目が合っている。
前は『アイドルのコンサート現象』による勘違いだと思って笑ってしまったけれど、今なら、視線の交わりを確信できる。
アルメはもう一度つま先立ちをして、人々の隙間から顔を出した。
「またお店に来てください! 待ってますからね! 約束です!!」
腹から大声を出して叫ぶと、ファルクはアイス屋で過ごしている時と同じ笑顔を見せた。
――いや、同じではないかもしれない。オフの笑顔よりも、強く勇ましい笑顔だ。
その顔を見たら、さっきから感じていた胸のざわつきが一気に晴れてしまった。きっとファルクもルオーリオ軍も、無事に帰ってくると、そう思えた。
それくらい頼もしい笑顔だった。
前に見た時には他人だった白鷹様。彼は今、アルメの大切な友達だ。
もう照れたり、ためらったりせずに、ブンブンと思い切り手を振れるし、大声で声援を送ることだってできる。身内に対するような応援を、彼にも送ることができる。
それがとても誇らしく、また、嬉しく感じられた。
ファルクは最後に敬礼をして、沿道から離れた。
周囲には未だにすさまじい絶叫が響いている。『キャー! 笑ったー!』と悲鳴を上げて、のぼせて倒れていった婦女子が複数人。もはや何かの事件現場のようだ。
人々は興奮した様子で話している。
「ビーズブレスレット、洒落てんなー! やっぱ高いやつなのかな?」
「白鷹様がああいう飾り物をお召しになっているの、初めてじゃない!?」
「青色がお好きなのかしら」
「どこのお店のものでしょう? 白鷹様とおそろいにしたい」
「ファンクラブからの情報待ちね! 特定班は仕事が早いから、きっとすぐわかるわ!」
(と、特定班……!?)
なんだその情報網は。アルメは周囲の声に目をまるくした。
あの革細工工房のある路地奥が、道に迷った人であふれかえる未来が見えてしまった……。
店主のおじいさんはお客が増えたら喜ぶだろうか。それとも突然の客入りにギョッとするだろうか。今度、様子をうかがいに行こうと思う。……店がパンクしていたら、謝ろう。
勇ましい白鷹の後姿を見送って、アルメは顔をゆるめた。
「――よし、私も頑張らないと!」
ファルクと軍のみんなも頑張るのだから、ひとまず自分も、自分の生活を頑張ろう。
彼の帰りを、とびきり美味しいアイスを仕込んで待つことにしよう――。