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63 魔物の予兆

 ルオーリオ軍に急ぎの招集がかかったのは、ファルクがアイス屋を出た少し後だった。


 時刻を告げる平和な鐘の音とは違う、忙しない鐘が鳴り響いた。人々はポカンとした顔をして、音のこだまする青空を見上げていた。

 

 ファルクはこの鐘の音を、帰りの馬車乗り場で聞いた。

 

 このまま神殿に戻るつもりだったが、目的地を変える。馬車に乗り込みながら、御者へと口早に行き先を告げた。


「ルオーリオ軍駐屯地まで。なるべく急ぎでお願いします」


 鐘の音の余韻が残る中、馬車は音を立てて走り出した。





 軍の駐屯地は街の北西に位置している。


 街の外側、北西の方向には精霊の森が広がっているため、軍が遠征に出る時にはこの森を避けたコースを取る。


 駐屯地から大通りを行進して、一度街の中央に出た後に、東西南北に進路を変えて進んでいく――というのが、ルオーリオ軍のいつもの行進コースである。


 その道中が、まるでパレードのように盛り上がるイベントと化していたことには、来た当初は驚いたものだ。


 故郷である極北の街ベレスレナではなかったことなので、陽気な街の活気に感心してしまった。 


 そんな行進のコースを逆にたどりながら、ファルクは駐屯地へと到着した。


 門前で馬車を降り、敷地の中へと進む。歩きながら変姿の魔法を解いた。


 戦神グラディウスの大きな彫像が置かれた玄関へと進み、石造りの建物の中へと入っていく。


 廊下で何人かの警備兵とすれ違いながら、奥の会議室を目指す。部屋の前にたどり着くと、警備兵が扉を開けた。


「ラルトーゼです。参りました」


 室内には各隊の隊長たちが集まっていた。彫刻のほどこされた大きなテーブルを囲んでいる。その輪の中にファルクも入り込む。

 あと数人を待って、会議が始まるそう。


 テーブルには地図が広げられている。ルオーリオの街とその周辺の地図だ。街の南の方に黒い石が置かれていた。


 この石は魔物を示す石である。――正確に言うと、魔物が発生する可能性がある地点を示す石だ。


 地図を眺めているうちに人がそろい、十数人での会議が始まった。



 厳めしい空気をまとった総隊長が、早速話を切り出す。髭を生やした大柄な男は、体格に合った大きな声で言う。


「皆そろったな。では、始めよう。――察しの通り、今回は急ぎの出軍となる。精霊観測官が、街の南方に大きな魔霧の予兆をとらえた」


 魔霧とは魔物を生み出す黒い霧である。霧が発生し、寄り集まって、魔物の形となって動き出す――こうして魔物が生まれる。


 ちょうど雲が集まって雨が降り出すのと同じように。……といっても、魔物は自由に動き回るから、雨粒よりずいぶんと厄介だけれど。


 その厄介な霧の予兆を見つけるのが、精霊観測官の仕事だ。彼らは精霊を視る特別な目を持っていて、自然の精霊たちの動きから魔霧の発生を予測する。


「観測官の精霊視によると、精霊たちは空を怖れて地の下に逃げているそうだ。精霊たちの避難行動から、魔物は空を制するものが予測されるとのこと」

「空を制する……翼を持つ魔物ですか。なんと厄介な」

「久しぶりにきましたね。鳥型くらいの小物だとよいのですが」

「残念ながら、今回の魔霧は酷く濃い。上位魔物が予測されている。出てくるのは大鷲か、竜か、翼を持ったキメラだろうな」


 隊長たちは皆、盛大にため息を吐いた。


 翼を持つ魔物は掃討が特に大変なのだ。地面に撃ち落とす必要があるし、飛んで行ってしまったらどうにもならないので。


 それに空から襲い来る魔物は、戦闘員たちの脅威になる。人は地を走るしかないので、どうしても不利になる。……怪我人が多く出そうだ。

 

 何かよい兵器でもあれば……と思うが、なかなか難しいらしい。


 かつて戦争のあった時代には、爆発物を飛ばす対人用の兵器があったそうだが、今は製造が禁忌とされている。精霊たちを驚かせて、酷い報復を受けたとかで。


 精霊の報復による大災害が起こったせいで、人間同士の戦争に幕が引かれた――というのは、世界史で習う範囲だ。


 総隊長はもう一度ため息を吐くと、姿勢を正して命を下す。


「近隣軍への応援要請は既に出してあるが、援軍の到着を待たず、自軍だけでの戦闘となることを覚悟せよ。魔霧の発生場所が悪く、恐らく援軍は間に合わん。大弓をすべて運び入れ、弓兵隊、並びに精鋭五隊は全隊員の出兵とする。控えは二隊連れて行く予定だ。控えの隊も、実戦経験のある者を中心に集めよ。――ラルトーゼ殿、神官はどのくらい集められるでしょう?」

「剣兵一隊につき二人お付けして、十人。さらに五人程度の控えを連れましょう」

「ふむ、もう少し増やしたいところだが……一隊につき、三人つけることはできないのでしょうか? 神官が少ないと怯む奴が出てきそうだ」


 戦闘員は若い体を持つ者ほど良い動きをするが、若者ほど経験が浅く、未知の魔物相手には怯んでしまう。


 後ろに神官が多くいるほど、安心して魔物に向かっていけるということなのだろう。


 ――けれど、ファルクは総隊長の要求に首を振った。


「言葉は悪いですが、戦地で使えぬ神官を多く連れて行っても、足手まといになるだけです。精鋭を選びますので、この人数でご了承ください」

「……わかりました。では、従軍神官の人事はあなたにお任せします」

「お受けいたします」


 敬礼をすると、総隊長は険しい顔で頷いた。


 先ほどアイス屋で思い切り笑っておいてよかったと思う。しばらくは、表情をゆるめている余裕なんてなくなりそうだ。



 




 会議が終わって、ファルクは神殿に戻る馬車に乗った。


 その道中で、もう一度街の鐘の音を聞いた。


 今度の鐘は、翌朝の出軍を知らせる鐘だ。行進イベントに向けて、街の商売人たちはこれから忙しくなるのだろう。


 今回は急を要する掃討戦ということで、軍も神殿も大忙しだ。いつもは招集から出発まで数日のゆとりがあるのだけれど、今回は身内に挨拶をする時間すらない。


(……本当に、今日アイス屋に行っておいてよかった。戦地でも頑張れそうだ)


 馬車の中で、ファルクはもらったブレスレットを左手に着けてみた。青色の革に虹色のビーズ飾り――空にかかる虹みたいで綺麗だ。


 アルメが一つ一つパーツを選んでくれたのかと思うと、たまらなく嬉しい。

 この詩を選んでくれたことも、胸が苦しくなるほどに嬉しかった。笑ってしまったのは、ただの照れ隠しだ。


 革のブレスレットに温度はないはずなのに、不思議とあたたかく感じる。それに加えて、先ほど結んだ小指にも、まだ彼女の熱が残っている気がする。


 ブレスレットを巻いた左手と、指を結んだ右手。ぽかぽかとあたたかな両手を、そっと胸元で組んでみる。


 祈るような姿勢をとって、自分へと治癒魔法をかけてみた。……効かないはずの、心への治癒魔法だ。



 

 子供の頃、ルーグに言われたことがある。自分は心に怪我を負ってしまったのだと。


 自分を産んで母は死に、自分のせいで父も死んでしまった。そして病弱だった自分の医療費のせいで、家は大きく傾いた。


 年の離れた兄と姉には、いつもこう言われていた。


『お前さえいなければ、こんなことにはならなかったのに。さっさとくたばっていればよかったんだ。今からでも遅くはないから、死んでくれよ』


 何度も何度も同じことを言われて、幼い自分はその言葉を信じきってしまった。


 それである時、治療を担当してくれていたルーグにお願いしたのだ。彼の白い神官服に縋りついて、どうしようもないくらいに泣きながら。


『お願いします、死なせてください』、と。


 神官は死の縁から人を生き返らせることができるのだから、その逆も簡単なのだろうと思った。


 だから頼み込んだのだけれど、ルーグは願いを聞いてはくれなかった。……死なせてはくれなかった。


 ただ優しく抱きしめて、『ゆっくり焦らず、心の怪我も治していこう』と、治療の提案をしてくれたのだった。


 そうしてルーグの治療――支援を受けることになったが、なかなか心の怪我とやらは癒えなかった。


 『当主が末っ子を可愛がって傾いた、愚かな家の出身』と笑われ、家を傾けた犯人だと指を差されて、散々な侮蔑を受けて……。


 白鷹の身分を得る前は、ルーグ以外に、自分に目を向けてくれる人などいなかった。


 ……そして白鷹の身分を得た後ですらも、素の自分を見てくれる人はいなかったのだった。


 名をあげ始めてからは、名声と金と容姿に魅かれた人が寄ってきたが、彼らの下心に満ちた目は『白鷹の外側』しか見ていなかった。


 素の自分に、かつての父のような親愛の眼差しを向けてくれる人はいない。ルーグただ一人だけだ。


 ――ただ一人だけだったのに。


 この街に来て、もう一人そういう人ができた。大切な友人は、優しいぬくもりを分け与えてくれる――。


 アルメは『白鷹』ではなく、素のファルケルトと、あたたかな指を結んでくれた。

 胸が苦しいような、心地良いような、たまらない気持ちになった。


 死ねと言われてきた自分が、生きて帰ることを、こんなにも強く望まれるなんて……泣いていた頃の自分が知ったら、どんな顔をするだろうか。




 馬車が停まり、ファルクはさっと降り立った。足を止めることなく、神殿へと歩いていく。


 心への治癒魔法はばっちりだ。今なら全力で戦える気がする。

 湧いてきた勇気を胸に、軍人たちの守り神の役目を務めあげてみせよう。


 戦地へ飛び立つ白鷹の手元で、空色のブレスレットがシャラリと音を立てた。


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