62 プレゼントと約束
連日の営業を経て、今日はお休み手前のオープン日。
まだ朝の早い時間――開店の少し前にファルクが顔を出した。
最近、ありがたいことにアイス屋の客入りが良くなったので、ファルクとの時間をとるために、来店の時間を調整してもらったところだ。
彼には開店前に来てもらうことになったのだった。
他の客に見つからないように調理室に押し込んで、一人ぽつんとアイスを食べてもらうというのは、やはり心苦しいものがあるので。
開店前の来店を提案をすると、ファルクはとても喜んでいた。やっぱり一人アイスは寂しかったらしい。
店内でのんびりオープン準備をしていると、ファルクが玄関先の呼び出し鐘をカランと鳴らした。
扉を開けて招き入れると、彼は店に入った瞬間に、さっさと変姿の首飾りを外してしまった。
首元の汗をハンカチで拭いながら、ヘロヘロと歩いてくる。今日も外は暑いらしい。
「こんにちは、ファルクさん。その様子だと、今日も良い天気みたいですね」
「人で天気を確認しないでください……」
軽口を交わしながら、氷魔法の冷気を送る。ファルクは目を閉じて、全身で涼しさを受け止めた。
なんだか扇風機の前を陣取る子供のようで面白い。前世の風景を思い出しつつ、アルメはこっそりと心を和ませた。
今日もファルクの『空気清浄機機能』は絶好調だ。
オープン前の人のいない店内で、ファルクはいつものカウンター席に座った。
「今日は何を召し上がります?」
「う~ん迷いますが……蜂蜜レモンとメロンにしようかなぁ」
「かしこまりました」
注文通りにアイスを取り分けて、器にレモンとメロンを丸く二つ並べる。黄色と薄緑の色合いが可愛らしい。
レモンの方に蜂蜜を垂らしかけて、メロンの方にはミントの葉を飾る。
ファルクの前に出すと、いつものように目を輝かせてパクリと頬張った。
「何度食べても美味しいですね。神殿の寮にも常備できたらいいのに……シャワーの後とかに食べたいです」
「その気持ち、よくわかります。シャワー上がりのアイスは最高ですよね」
「アルメさんは食べているのですか? ずるいですね……」
「製造者の特権です。――まぁ、そう拗ねないでください。そのうちまた、新作の試食をお願いしますから」
拗ねた顔を見かねて、ぽろっと新作の話を出してしまった。ファルクは前のめりで食いついてきた。
「新作とは? 今度はどういうアイスです?」
「ええと、『パフェ』というものを考えています。専用の器も用意したいので、まだ先の話ですが」
「パフェ、とは?」
ファルクはキョトンと首を傾げる。名前だけだと、まったくイメージが通じないデザートなので、説明を加える。
「グラスにアイスを盛り合わせたデザートです」
「今、俺が食べているような、アイスの盛り合わせとは違うのですか?」
「なんといいますか、こう、もっと色々盛られた華やかなアイスといいますか――」
見たことのない人に対して、言葉ではいまいち上手く説明できない。
アルメはカウンターの引き出しからノートを取り出して、ページを一枚破った。そこにペンでざっと絵を描いていく。
口の開いた飾りグラスを描いて、その中には穀物のフレークとムースを描く。上にアイスを描いて、フルーツやクッキー、クリームの飾りを盛る。
ざっくりとしたイメージ図を描いてファルクに渡すと、彼はパァっと顔を明るくした。
「これはこれは! なんとも華やかで美味しそうなデザートですね!」
「コーヒーフロートの試作会で綺麗なグラスを見せてもらったので、こういうアイスに合いそうだなぁと思ったんです」
「試作はいつ頃になりますか? 例え仕事があろうとも、どうにかして試食に参加させていただきたく思います」
「あの……一応言っておきますが、上位神官様がお仕事をサボったりはしないでくださいね?」
あまりにも真剣な目をしていたので、心配になってしまった。彼が身分と権力をおかしなところに使わないことを祈ろう……。
かき氷の時に、一度やっている人なので。
パフェの絵をまじまじと見つめながら、ファルクはあっという間にアイスを完食した。外が暑かったからか、スプーンの進みが早い。
「もう一つ、おかわりしますか?」
「お願いします。では、今日の締めはベリーアイスで」
注文を受けて、またアイススプーンを握る。
ベリーアイスをとっていると、チラチラと視線を感じた。なにやら手元と首元に視線を往復させている。
「どうしました? 私に何か付いてます?」
「いえ……不躾にすみません。あの、アルメさんはもしかして、装飾品を好まれないのですか? そういえばネックレスとかイヤリングとかを着けているところを、見たことがないなぁと思いまして」
「え、おかしいですかね? ただなんとなく身に着けていないだけなんですが、私の格好、世間的に変だったりします……?」
「いえいえ、まったくおかしくはありません! 失礼なことを言ってしまってすみませんでした」
ファルクは慌てた様子で謝ってきた。
アルメは改めて、自分の姿を確認してみる。言われてみれば、アルメには飾り物がなくて、いつもさっぱりとした格好をしている。
以前まではベアトス夫人の小言を避けて、装飾品を身につけるどころか、肌を見せる服を着ることすらなかった。
けれど今は、腕も首回りもすっきりと見えるデザインの服を着るようになった。肌が見えている分、アクセサリーがないとちょっと寂しい格好に見えるかも……。
今度、エーナに見繕ってもらおうかな……、と考えた時、ファルクが話を繋げた。
「――ええと、では、アクセサリーで肌を傷めるから避けている、というわけではないのですね?」
「えぇ、まったく。言われてみれば、私はちょっと寂しい格好をしていますね」
「そんなことはありません! アルメさんはそのままで素敵です。……お話変わりますが、アルメさんはネックレスとイヤリングとブレスレットの中でしたら、どれが一番お好きですか?」
「ネックレス、ですかね? ……いや、話変わってます?」
会話が妙にギクシャクとしているファルクを不思議に思いながらも、とりあえず答えておいた。
女性の見た目に関する話を出してしまって、世間話の着地に失敗したのかもしれない。彼の名誉のためにも、この話は早々に流すことにしよう。
アルメはベリーアイスをよそってファルクの前に出した。彼はお喋りをやめて、アイスを食べ始める。
話を切り替えがてら、アルメは大事な用事を済ませることにした。ちょうど装飾品の話が出た後なので、この流れに乗せてブレスレットを渡そうと思う。
「アクセサリーといえば、一つファルクさんにプレゼントがありまして」
「え? 俺に?」
「庶民が買ったものなので、好みに合わないかもしれませんが……受け取ってもらえると、嬉しいです」
アルメはカウンター裏の引き出しを開けて、小さな巾着袋を取り出した。
ファルクに差し出すと、彼はうやうやしく両手で受け取った。
そんなに大層なものではないので、わざわざ姿勢を正さないでほしい。こちらが余計な緊張をしてしまう……。
「革のブレスレットです」
「今、見せてもらってもいいですか?」
「どうぞ、袋から出してご確認ください」
プレゼントというより、何かを納品するような返事をしてしまった。
ファルクは丁寧な動作で、巾着袋からブレスレットを取り出す。空のような青い革に、カラフルな四角いビーズ飾りが輝いている。
ブレスレットを見て、彼はわずかに目を見開いた。
次にアルメの顔へと視線を移す。口は薄く開かれたまま、言葉が無い。
アルメの背中に冷や汗が流れ始めた。あまりに好みと合わないデザインだったので、感想を迷っているのだろうか……。
何度か視線を往復させた後、彼は口元を手で覆って、顔を背けてしまった。
「す、すみません! 私のセンスがいまいちだったばかりに、好みに合わないものを押し付けてしまって……!」
「え、っと、これは、アルメさんが選んでくださったのですか……?」
「はい……革の色とビーズの色と、あとは刻んだ詩も……。半オーダーメイドで仕立ててもらうお店だったので、私が全て選びました……」
「この詩も、ですか……そうですか……一応聞いておきますが、アルメさんはどういう意図で、この詩を選んでくださったのでしょう?」
「え……? また一緒にご飯を食べましょう、という文が、素敵だと思ったので」
そう答えると、ファルクは顔を背けたまま、ぼそぼそと言葉を返してきた。
「その……この詩は古典の一節で、戦地に向かう夫を恋しがる妻の、愛の詩です……。それも結構、情熱的な」
「…………」
アルメは固まり、場に沈黙が流れた。
ファルクの耳が赤くなっているのが見える。この赤さはきっと、暑さによるものではない。
一瞬の間をおいて、アルメの顔にもぶわっと熱がのぼってきた。
ファルクの手からブレスレットを奪い取ろうと、カウンターに乗り出した。
「あのっ! 違うんです……! 返してください! 間違えました!!」
「もう頂いたものなので! 俺のものです!」
必死なアルメの手はことごとくかわされて、ファルクはさっと背中にブレスレットを隠してしまった。
もう遠慮もなく笑っている。
アルメはカウンターへと突っ伏して、襲いくる大照れに身もだえた。
「うぅ……違うんですよ……『共に朝のパンを』っていうフレーズが、平和で素敵だなぁと思っただけで……。戦地から無事に帰って、また朝にアイスを食べに来てください、っていう想いで、私は……」
「んっふっふ、ありがとうございます。お気持ち、とても嬉しいです。大切にします」
肩を揺らして笑いながらも、ファルクはプレゼントを受け取ってくれた。
しばらくカウンターに沈んだ後、ようやく照れが落ち着いてきたアルメは、むくりと顔を上げた。
未だに満面の笑顔でブレスレットを眺めているファルクを睨みつつ、言い添えておく。
「……詩は間違えましたけど、無事に帰って来てほしいという気持ちは本当ですからね」
「えぇ、帰れるように努力いたします。……保証はできませんが」
「駄目です。絶対に帰ってきてください」
絶対なんてこと、この世にはないのだということくらい、わかっているけれど……。それでも、言い切ってしまいたかった。
ファルクは考え込んだ後、アルメの顔を覗き込む。
「もし帰って来れなかったら……アルメさんは泣いてくださいますか?」
「それはもう、一生泣き止むことができないくらいに。毎日泣きながら、空の上に向けて愚痴を連ねます」
「それはなかなか辛いですね……。あなたの目を腫らさないためにも、絶対に帰らなくてはいけませんね」
「そうしてください。約束です」
アルメはファルクに向けて小指を出した。
不思議そうな顔で指を見つめるファルクに、前世の約束の仕方を教えてあげた。
「小指を貸してください。約束を守る誓いの儀式をします」
「そういうものがあるのですか?」
ポカンとしながらも、ファルクは同じように小指を差し出してきた。アルメと比べるとずいぶんと大きな、男らしい指だ。
アルメは指を絡めて、手をふりふりと上下に揺らす。そしてお決まりの歌を歌った。前世の『指切り』のわらべ歌だ。
「そのまじない歌はどういう意味です?」
「嘘をついたら一万回殴って、針を千本飲ませる、という罰の歌です」
「なるほど……約束を破ったら酷い拷問にかけられるわけですね」
軽快な歌とは裏腹に、ファルクは神妙な顔をしていた。気にせず、最後のフレーズを歌い切る。
「指切った! ――と、これで誓いが交わされました。約束を破らないでくださいね」
指切りを終えて絡めた小指を離す――直前で、ファルクがもう一方の手でアルメの手を押さえ込んだ。
彼は少しためらいながら、低い小声で言う。
「……あの、もう一回だけ、お願いしてもいいですか?」
「何度でもいいですよ。あなたが無事に帰ってきてくれるのなら、百回でも指を絡めて歌います」
また小指を絡め直して、アルメは指切りの歌を歌った。
ファルクは照れたように目をそらしていたけれど、やわらかい表情をしていた。