57 宝石と虫
カフェでの試作会を終えて、コラボメニューのための提携は正式に結ばれた。
アルメを家まで送り届けた後、ファルクは一人、ぼんやりと路地を歩く。
カフェからの帰り道で、アルメはついでに黒虫よけのハーブを買っていった。黒虫は一匹いたら百匹はいるそうなので、これから家中に設置するとのこと。
「一匹いたら……百匹……」
頭の中でぐるぐると考えていたことが、つい口からこぼれ出る。
カフェでの雑談を思い返して、また深くため息を吐いてしまった。
アルメが縁探しをしているという話は、まったくの初耳だった。――年頃の娘なので、おかしなことは何もないのだけれど……。
……なんとなく、胸の奥がもやついてしまった。
食事会をした相手がチャラっとした雰囲気だったと聞いて、さらにそのモヤが深まった。大丈夫なのだろうか、と心配で仕方がない。
アルメは笑っていたが、面接官の申し出は冗談ではなく、本気で言ったことなのだけれど。残念ながら断られてしまった。
(チャラっとした雰囲気の人……そういえば、祭りへ使いに出した時、カイルさんが同じようなことを言っていたな。アルメさんのかき氷店の隣は、確かチャラっとした店主の店だったと……)
記憶をたどるうちに、胸のモヤがさらに一段濃くなった。
もしかして、食事をした相手と、祭りで隣だった店主は、同一人物なのだろうか。カイルは『二人は仲が良さそうだった』と言っていた。
仲の良い友人関係……だとしたら、アルメはその人物も自宅に上げてしまうのだろうか。今日、自分を招いたみたいに。
――チャラい男を、独りで暮らす家に上げる。そんなことをしたら、もう事件が起きてしまう予感しかしない……。
「虫を……払わなければ……」
ぐぬぬ、と低く呻き声を上げながら、ファルクは大通りへと歩いていった。
賑やかな大通りまで出て、馬車を使わずにしばらく歩く。
目指す場所は宝飾品店だ。
――ひとまずの虫払いは、宝石に頼ることに決めた。
高価な宝飾品を身に着けている女性に対して、格の合わない虫たちは身を引く傾向にある。
そのくらいの虫払いの方法は自分でも知っていたことだが、問題は、アルメは高価な贈り物を拒むかもしれないというところ。
今までも何度かそういう場面があったので、彼女はきっと宝石を受け取ってはくれないだろうと思う。
なので、この前ルーグから教わった方法を使わせてもらうことにする。『ただのガラス玉だ』と言って素知らぬ顔で渡す、という方法を――。
焦れる気持ちのままに大股で歩いて、宝飾品店にたどり着いた。
石造りの店は、外壁に煌びやかな彫刻飾りがある。大きな入り口扉の前には、警護兼、ドアマンの男が二人立つ。一階部分には縦長の細い窓しかない。
表から中が見えない造りになっている。これは防犯のためだけでなく、客をふるいにかけるためだろう。
この店に入り辛いと感じる客は、客ではないということだ。
幸いなことに、上位神官はこの店に気軽に入れる。ファルクが扉の前に進むと、ドアマンが重い扉を開いて店へと招き入れた。
中に入ると、魔石による明るい照明と、磨き上げられたガラスのショーケースがファルクを出迎えた。
すぐに店員が寄ってきて、声をかけてきた。落ち着いた色合いの三つ揃えをピシリと着込んだ、なんとも上品な姿の男だ。
「いらっしゃいませ。ご用命がありましたら、なんなりと――……」
店員の男は決まった接客セリフを言い切る前に、ファルクの姿を上から下まで見まわした。言葉が尻すぼみになる。
その様子を見て、そういえばと気が付いた。自分は今、ものすごく適当な格好をしているな、と。
この街は暑いので、休日はいつも、過ごしやすいラフな格好をしている。シャツ一枚に、適当なスラックス。汗で傷んでも構わない、適度にゆるやかなもの。
ちなみに、神殿で着ている神官服や従軍用の騎士服は、特別な仕立てで作られているので、私服より涼しく過ごせる。氷魔石と風魔石の粉末を塗布した糸で、生地を織ってあるそう。
……市販の服でこういう物はなかなかないので、普段は適当なものを着ている。
特に気にせずそのままの格好で店に入ってしまったけれど、どうやら店員にはあきれられてしまったらしい。
店員の雰囲気が、冷ややかなものに変わった。
客ではないと判断されてしまったようだ。上品な接客スマイルは白けたものに変わり、声のトーンは一段下がった。
店員はどこか投げやりに息を吐きながらも、とりあえずの対応はしてくれた。
「……ご用命がありましたら、なんなりとお申しつけください」
「ありがとうございます。では早速ですが、品をいくつか見せていただいてもよろしいでしょうか?」
「かしこまりました。こちらへどうぞ」
店の奥のカウンターへと通されて、席に座る。担当の店員は店内にいる他の店員たちに視線を送って、なにか合図をしていた。
それを受けて、他の店員たちはクスクス笑っていたけれど、自分は目当ての宝飾品だけ買えればそれでいい。特に過剰なサービスは求めていないので、気にしないでおく。
店員に向かって、さっと注文を伝える。購入するものはもう決めてある。
「ホワイトダイヤのネックレスとイヤリング、あとはブレスレットを見せていただけますか? 女性への贈り物です。大きすぎず、カットとカラーのグレードの高いものを。店内にあるもので構いません。あぁ、あと、石座と鎖は金のものを。なるべく華奢なデザインでお願いします」
「え、っと、お客様、失礼ですがご予算は……?」
「特に決めてはいません。良いものがあれば、いただきます」
店員は複雑な表情を浮かべながら、慣れた動作で品を見繕ってテーブルへと広げた。表情の内訳は、疑いと戸惑い、そして少しの好奇心といったところか。
テーブルに敷かれた黒い布の上で、アクセサリーが輝く。
ネックレス、イヤリング、ブレスレット――いくつか並べられたものは、どれも上品なデザインで、彼のセンスの良さがうかがえた。
どれも、金の石座に一粒のホワイトダイヤがあしらわれている。
ホワイトダイヤを選んだのは、前に彼女に贈った花の髪飾りが白かったから、色を合わせてみただけだ。他意はない。
……断じて、友達に自分とおそろいの色を身に着けてもらえたら嬉しいから、という下心が理由ではないのだ。
店員が並べた品々の中から、それぞれ一番アルメに似合いそうなものを選んで、会計をお願いした。
財布から身分証のカードを出して手渡す。
このミスリルの身分証カードは便利なもので、財布に手持ちの金がなくても後払いで買い物ができる。
ある程度の身分が保証されている者は、大体みんな持っている。身分によって利用範囲が制限されるが、官や上流貴族、商人なんかに広く利用されている。
とはいえ、店によっては使えないことも多いので、生活には現金の手持ちも必要だ。
高額商品を扱う宝飾品店であれば、日常的によく見るカードであろう。――と思うのだが、店員はカードを見て目をまるくしていた。
「……ファルケルト・ラルトーゼ……様?」
彼のこの反応。この前銀行でも同じようなものを見たなぁ、なんてことを思う。
店員は身分証カードとこちらに視線を往復させて、チラチラと何度か確認する。
「お、お預かり……いたします。お支払いは、ご一括で……?」
「はい、お願いします」
店員は、何とも言えないおかしな表情をしたまま、伝票を書き始めた。首元に汗がにじんでいる。
購入する商品の名前と金額、日付、店名などを、三枚の用紙に記入していく。書き終えると、伝票を身分証カードと共に専用の処理機に通す。
処理機のレバーをガシャンと引くと、紙にカードの情報が転写された。
三枚分の伝票を処理して、こちらに向けて並べる。
「こちら三枚とも、サインをお願いいたします……」
言われた通りにサインを入れたら、店員は汗を流したまま、サインをまじまじと見つめていた。
伝票の一枚を控えとして受け取って、商品の包装を待つ。
テーブルの周りには、いつの間にか他の店員が何人も集まってきていて、今更ながらお茶を出されてしまった。もう帰るところなのだけれど。
群がってきた店員たちの声掛けを丁重に断りつつ、商品の入った紙袋だけ受け取って席を立つ。
店を出る時には、盛大な見送りを受けてしまった。店員たちはみんな、戸惑った表情をしていて、自分まで変な顔をしてしまった。
彼らを惑わせてしまって申し訳ない……。入店と同時に変姿の魔法を解いておけばよかった。
宝飾品店を出て、通りを歩き出そうとしたところで足を止める。
たった今、手に入れたアクセサリーセットの袋を見て、ため息と共に項垂れた。
――勢いにまかせて買ってしまったけれど、冷静になって考えてみると、この虫払いアイテムは重すぎるのではないか? ……という気持ちが、じわじわと湧いてきた。
トボトボ歩き出しながら、思いをめぐらせる。
(アルメさんを悪い虫から守りたいと思ったのだけれど……余計なお節介だろうか)
願わくば、アルメの一番の友達の位まで登り詰めて、彼女を守りたいと思う。……けれどこの気持ちは、傲慢な独りよがりでしかない。
……本音を言うと、自分は彼女をその辺の虫たちに渡したくないのだ。
アルメが結婚して家庭を持ったら、友達として遊ぶ時間が減ってしまう。そのことを考えると、どうしても縁探しを応援できなかった。
そんなしょうもない子供みたいな独占欲で、自分は彼女に寄る虫を払ってしまおうとしている。……彼女の人生を、邪魔しようとしている。
(……俺も十分過ぎるほどに、害のある虫じゃないか)
考えれば考えるほど、気分が沈んでいく。自分が虫を払う、なんて息巻いていたけれど、自分も払われるべき虫の側だ……。
きっとそのうちアルメ自身に、もしくはアルメが選んだ相手に、払われてしまう虫なのだろう。