55 金物工房の小さな職人
アイスを抱えて家を出たアルメとファルクは、路地を歩いて大通りを目指す。
――が、その途中、とある工房へと寄り道をした。
工房の名前は『シトラリー金物工房』。主に料理道具を作る工房だ。以前にアイススプーンを特注したところである。
ちょうど通りがかるついでに、アイスキャンディーの型と棒、そしてストローの制作について、工房長に相談しておこうと思う。
――工房
シトラリー金物工房は祖母が懇意にしていた工房だ。近くには他に大きな金物屋も多いけれど、アルメもここをひいきにしている。仕事が丁寧で、素晴らしい道具を仕上げてくれるので。
このあたりには物作りをする職人たちの仕事場が多い。その中でもひと際こじんまりとした建物の扉を叩いて、アルメは中を覗き込んだ。
「シトラリー工房長、こんにちは。ティティーですが、ちょっと相談があるのですが――」
金属板や道具、完成品の金物類であふれる建物の中へと声をかけると、奥の方でガシャーンという大きな音が鳴った。何かが崩れたようだ。
アルメとファルクは二人で目をまるくして、顔を見合わせた。
そうしているとすぐに、奥から小柄な少女が飛び出してきた。赤毛を左右でおさげにして、革のエプロンを身に着けている。
「すすすすみません! お待たせしました! ようこそシトラリー金物工房へ! お父さん――あ、えっと、父は今外に出ているので、私がお受けいたします……!」
少女はギクシャクとした動作で挨拶をしてきた。工房長の娘さんらしい。何度も訪れている工房だが、彼女のことは初めて見た。
「シトラリー工房長、娘さんがいらっしゃったのね」
「あっ、も、申し遅れました! 私はカヤ・シトラリーと申します! この度中学院を卒業しまして、お父さん――父に弟子入りをいたしました! これからよろしくお願いします……!」
なるほど、カヤというこの少女は、最近工房に入ったばかりのようだ。ガチガチに緊張しているようで、ヒィヒィ言っている。
中学院というのは、小学院で基礎学問を終了した子が進学をする場所だ。中学院は十二歳から十四歳までの間、基礎より進んだ内容の勉強をする。
カヤは勉強を終えて、職人の道への一歩を踏み出したばかりのよう。ということは、年齢はまだ十四歳。幼いながらも、一生懸命な対応が微笑ましい。
アルメはファルクに寄って、こそっと相談する。
「少しだけ、彼女とお話する時間をいただいてもいいですか?」
「えぇ、もちろんです。アイスを作る道具について相談するのでしょう? 俺も興味があるので、話をお聞きしたいです」
工房長に軽く相談をするくらいの寄り道だったのだけれど、カヤを応援する気持ちで、彼女にも話をしてみることにした。
この小さな職人さんの、ちょっとした経験値の足しになればいいなぁ、という想いを込めて。
カヤはアワアワしながらアルメとファルクを中に招き入れた。狭い工房内の端っこのテーブルに案内されて、席に着く。
アルメは鞄から図面を取り出してテーブルに広げた。
「ざっくりとした絵で申し訳ないのですが、こういう感じの型を作っていただきたくて。型にジュースを流し込んで、凍らせて固めるんです。棒を持ち手にして、キャンディーのように食べる氷菓子を作りたいと思っています。アイスキャンディー、という」
図面を見せながら説明すると、カヤより先にファルクが身を乗り出した。
「また面白いものを考え付きましたね。図面から見るに、ガラス管のような細長いアイスが出来上がるのでしょうか?」
「はい、そういうイメージです」
「細い管から凍ったものを取り出すのは大変なのでは? 中でくっ付いてしまいません?」
「取り出す時には、火の魔石をどうにか上手いこと使って、型を温めてアイスの表面をちょっと溶かす感じで――」
好奇心に目を輝かせるファルクと、説明を加えるアルメ。二人の言葉を、カヤは必死にメモっている。その彼女の手元で、時折キラリと光が舞う。
この光は精霊によるものだ。金物屋をはじめとして、物作りに携わる職人たちは精霊ドワーフと契約していることが多い。彼らは精霊の魔法を使って、硬い金属も自在に加工していく。
手元でチラつく光は、きっと彼女と契約したドワーフが一緒になって図面を見て、メモを確認しているのだろう。
忙しそうな様子のカヤとドワーフには言えないけれど、キラキラとしていて、とても綺麗だ。
図面に書かれているアイス棒を指さして、ファルクは楽しそうに質問を繰り出す。
「この持ち手の棒に書かれている『あたり』というのは何ですか?」
「これはちょっとした、くじみたいなものです。食べ終わった時に出てくる感じで」
「それは楽しいですね。あたったら何かいただけるのでしょうか?」
「まだ考えてはいませんが、景品があったらお客さんにも楽しんでもらえそうですね」
二人であれこれ話しているうちに、カヤがメモを取り終えた。その様子を見て、もう一つの注文へと話を移す。
アイスキャンディー型の図案をめくって、二枚目を表に出す。こちらはストローの図案だ。
「もう一つ相談したいのが、この金属製のストローです。ストローと、中を洗えるような専用のブラシをお願いしたいです」
慰謝料というまとまったお金も手に入るので、この機会に色々作ってみることにした。アイスに使えるようなよいストローが出来上がったら、飲み物系の商品も色々と展開できそうなので。
またペンを忙しく走らせて、カヤはメモを取り終えた。
「お願いしたいものは以上です」
「えっと、承りました! あの、父に引き継ぎますので、また打ち合わせに来ていただくことになりますが……」
「もちろん、大丈夫ですよ。工房長によろしくお伝えいただければと思います。図案もお預けしておきますね」
「はいっ! お預かりいたします……!」
カヤは革のバインダーに丁重に図案を挟むと、メモと共に奥へと持って行こうとした。
――が、その途中で盛大に転んだ。先ほど崩れて床に転がった金物に、足を引っ掛けたようだ。
再びガシャーンと大きな音が鳴り、アルメとファルクは大慌てで彼女の元に駆け寄った。
「大丈夫ですか!? 怪我してません?」
「は、はい……! 大丈夫です……! すみません、私どんくさくて……」
「ご自分を卑下してはいけませんよ。カヤさんは、ただ緊張していらっしゃるだけでしょう?」
「うっ……バ、バレていましたか……!?」
ギクッとした動作の後、カヤはガクリと項垂れた。どうやら今まで、上手く取り繕おうと頑張っていたらしい。……残念ながら、最初からバレバレだったけれど。
盛大にため息を吐きながら、彼女は恥ずかしさに顔を赤くした。観念したように、ポツポツと泣き言をこぼし始める。
「私、すぐ緊張しちゃうんです……今日も父に工房の番を頼まれて、朝からずっとドキドキしてて……。父に『お客さんを逃がすなよ!』って言われたから……ティティーさんが未熟な私にあきれて、途中で帰っちゃったらどうしようってハラハラしてました……」
カヤは泣き出しそうな顔をしていた。ここの工房長は陽気な人なので、『客を逃がすな』という言葉も、おそらく冗談だと思われる。
けれど、繊細な彼女にとっては、冗談にはならなかったのだろう。アルメに対して必要以上に緊張して、ギクシャクとしていたのはこういう理由だったみたいだ。
「シトラリーさんの工房にはいつもお世話になっているから、私に対しては普段通りで大丈夫ですよ。あきれませんし、途中で帰ったりもしませんから」
「で、でも……っ」
「ほら、深呼吸、深呼吸」
背をさすって、アルメはカヤを落ち着かせた。ファルクもしゃがみ込んだまま、穏やかに話しかける。
「緊張してしまう時には、いつも食べているお菓子を食べると落ち着きますよ。飴玉とか、フルーツとか、いつも通りに味わいながら食べるんです」
「飴玉……?」
ファルクの言葉を聞くと、カヤはエプロンのポケットから、小さくて平たい飴玉缶を取り出した。一粒つまんで、口の中に放り込む。
しばらくカラコロと舐めながら、ようやく少し肩の力を抜いた。
「……ほんとだ。ちょっと楽になりました……」
「ファルクさんのこの方法、良いですね。私も緊張した時にはお菓子を食べようかしら」
「『これを食べたら楽になる』と強く念じるほどに、よく効きます。気休め薬みたいなものですね」
落ち着いたところで、カヤはようやく立ち上がった。気を取り直して、図案を奥の机に置きに行く。
戻ってきたところで、彼女はやっと気の抜けた笑顔を見せた。雑談をする余裕も出てきたみたいで、ペラっと話しかけてきた。
「……この方法を使ったら、好きな人にも緊張せずに話しかけられますかね」
「あら、カヤちゃん好きな人がいるの?」
「表通りのお菓子屋さんのお兄さんが格好良くって……」
少女は淡い恋をしているらしい。ギクシャクとしたこわばりが抜けた彼女は、ほわほわとした雰囲気だ。こちらがカヤの素のようだ。
帰り支度を整えながら、アルメはカヤの恋話に乗った。
「お菓子屋さんなら、お買い物ついでにお喋りをしてみたらどう?」
「いつか、勇気が出たら……。でも、お店のお客さんは多いし……店員さんの特別にはなれないんだろうなぁって思うと、なかなか……」
「店員とお客の関係でも、お喋りを続けていたらきっと仲良しのお友達になれるわよ」
「そうでしょうか?」
聞き返すカヤに向かって、アルメとファルクは笑顔で大きく頷いた。
カヤに見送られて工房を出て、二人はまた通りを歩き出した。
カフェに向かって移動しながら、アルメはふと聞いてみる。先ほどの緊張対策の話の時に、少し気になったことがあったので。
「さっき、緊張した時にはいつものお菓子を食べる、って言っていましたけど、ファルクさんにも緊張する時があるんですか?」
「えぇ、ありますよ。例えば、祭りの夜にアルメさんを泣かせてしまった翌日、あなたの家に向かう道中は、それはもう酷かったです」
「あの……すみませんでした」
それは初耳だ……。今頃知った事実に申し訳なくなる。
と、同時に、白鷹ともあろう人が、そういうところで普通に緊張するというのは、なんだか不思議な感じだ。
「まさかそんなところで緊張していたとは知らずに……。もっとこう、魔物掃討の修羅場のお話とかが出てくるものかと思いました」
「もちろん、掃討の戦場でも緊張する場面は多いです。大型の魔物が出た時なんかは特に。最近では緊張状態自体に慣れてきましたが、初めて従軍神官として遠征に出た時は、本当に酷かったですね。体がこわばって上手く動けず、仕舞いには魔物の爪をくらって腕が――……ちょっと怪我をしてしまったり」
ちょっと怪我をした、くらいの語り口じゃなかったような気がするのだが……。腕が、一体どうしたというのだろう……聞きたいけれど怖くて聞けない。
アルメの
「――と、俺も緊張することは、ままあります。緊張したり嫌なことがあったり、疲れてしまったりした時には、いつも冷たいフルーツを食べていました。子供の頃を思い出して落ち着くので、気慰めに」
そういえば、ファルクは冷たく凍らせたフルーツが好き、という話は、出会った最初の頃に聞いた話だ。父親が病弱だったファルクに買い与えてくれたのだと、瞳を揺らして語っていた。
今更ながら、とてもプライベートな話を聞いてしまっていたのだな、と思う。白鷹の心を支える思い出の食べ物……そう考えると、なんだか重大な秘密のように思えてくる。
白鷹の秘密。自分なんかが知っていていい情報なのだろうか。――なんて、ただの好物と言ってしまえば、そうなのだろうけれど。
あれこれ思いをめぐらせているうちに、ファルクはこちらを向いて言い添えた。
「でも、今はアイスを食べたくなります。フルーツよりも先に、食べたいなぁと思い浮かぶようになりました。戦地にも持っていけたらいいのに、と心から思います」
「それは光栄です。でも、戦地に卸すアイスはありません。どうぞ、アイスはお店で食べてください。いつでも待っていますから」
そう返すと、ファルクは少し困ったような顔で笑った。
アイスは戦地から無事に帰ってきた時にだけ、食べられるものにしておこう。
そうしておけば、このアイス好きの常連客はきっと帰ってくるだろうから。