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5 フリオの作業室へ、荷物を取りに…

 アイス屋のオープンを心に決めてから数日――。

 店舗となる一階部分の片付けが、ようやく一段落した。


 まだ少し内装をいじる必要はあるけれど、今日は別の予定があるので一旦置いておく。


 昼前に家を出て、アルメは今、大通りを歩いていた。


 足取りが重いのは、これから向かう先が図書館――フリオの職場だからだ。


 婚約破棄をされたあの日、そのまま逃げるように帰ってしまったので、今日は置きっぱなしの私物を回収しに行く。


 私物はフリオの作業室に置いてあるので、運よく彼が席を外していない限りは、顔を合わせることになるのだ……。


(感情を無にして、何を言われても平常心よ……もう、無駄に傷ついてやることなんて、ないんだから)


 頭の中で自分に言い聞かせながら、図書館へと向かっていく。




 ほどなくして、賑やかな大通りに面した一角に、大きな図書館の屋根が見えてきた。


 塔のような尖った屋根は城のようで、子供の頃祖母に連れられて初めて訪れた時には、胸が高鳴ったものだ。


 今や胸が高鳴るどころか、重苦しく感じるのが悲しいところであるが……。


 立派な門を越えて敷地に入り、広い玄関ホールへと歩を進めた。意識して背筋を伸ばし、静かに気合を入れる。


 一直線にカウンターへと向かって、一番近くにいる職員に声をかけた。幸いなことに、この職員はそれなりに仲の良かった中年の女性だ。


「こんにちは。あの、フリオ・ベアトスの作業室に用事があるのですが、入らせていただいてもよろしいでしょうか」

「アルメちゃん……! ……ねぇちょっと、聞いたわよ。もしかして、ベアトスさんと話し合いに来たの?」


 女性職員はアルメの姿を見るなり、前のめりに話しかけてきた。どうやら、もう婚約破棄の話はばっちり職員たちの耳に入っているらしい。


 苦笑しながらきっぱりと答える。


「いえ、もう彼との話は済んでいるので。今日は置いている私物を取りに来たんです。あとは入館証をお返ししようと。彼との縁が切れたので、もうここでお仕事をするわけにもいきませんし」

「あら……やっぱりアルメちゃん辞めちゃうのね……。あなた仕事ぶりが真面目だって、評判だったのに。残念だわ……」


 女性職員は眉を下げてため息を吐いた。そして間髪入れずに、声を落として愚痴のように話を続ける。


「まぁ、でも、そうよねぇ……辞めてしまったほうが、精神衛生に良いわね。私たちでも、あの二人を見ていると胸焼けしてくるもの。仕事中も人目をはばからず、イチャイチャしちゃって」

「ええと……二人というのは、フリオとキャンベリナさんのこと、ですよね?」


 一応、確認を入れておく。もうあの二人は職場公認になっているということか。


「えぇそうよ。あの日アルメちゃんが出て行った後、閉館後にあの二人がお披露目会みたいなものを開いてね……。『今日、正式に新しい婚約者としてキャンベリナを迎えたから、明日からは彼女が、僕の右腕として働くことになりました』なんて紹介しだして」


 頭痛がしてきて、こめかみを押さえてしまった。


 きっとフリオは浮かれた気持ちのままに、新しい可愛い婚約者を見せびらかしたくなってしまったのだろう。


(前の婚約者が地味な私だったから余計に、可愛らしいキャンベリナさんを自慢したい気持ちが盛り上がってしまったのでしょうね……)


 女性職員は苦い顔をして、追撃の耳打ちをした。


「今日もあの二人、朝からベッタリよ……作業室に入る時はくれぐれも、気を付けてね」

「はい……」


 神妙な顔で返事をしておいた。何に気を付けるのか、なんて掘り下げはしないでおこう……。





 女性職員との会話を終えてカウンターを離れると、奥の関係者通路へと歩を進める。

 この図書館は外観だけでなく、内装も城のように優美で美しい。観光客にも人気のスポットだ。

 

 静かな廊下を少し歩いて、フリオの作業室の前にたどり着いた。


 ノックをする前に、そっと扉に耳を寄せてみる。

 

 すると部屋の中からは、嫌な予感が大方的中したような声が聞こえてきた。


「あんっ、フリオったら、それ以上はダメよ~っ、誰か来ちゃうわ」

「大丈夫だよ、誰も来やしないさ」

「いけない人ね、お仕事中なのに~」

「ハハッ、僕は仕事が早いから、ちょっと休憩を取るくらいかまわないよ」


 扉から耳を離し、数回深呼吸を繰り返して気持ちを落ち着けた。


(……ここでいつまでも待っていてもしょうがないし、私にはこの後も予定があるのだから、さっさと用事を済ませてしまうべきよね)


 遠い目になりながら思考を整理し、意を決して扉をノックした。


「すみません、アルメ・ティティーです。私物を持ち帰りに来たのですが、入室してもよろしいでしょうか」


 大きく声をかけると、中からわずかにバタついた音がした。


 しばらく待って、ようやくフリオの返事があった。


「あぁ、どうぞ」

「……失礼します」


 扉をそっと開けて、そろりと室内へ入っていった。


 フリオとキャンベリナは二人並んでソファーに腰かけていた。若干、服と髪が乱れているが、見なかったことにする。


 足早に部屋の奥まで歩を進めて、自分が使っていた棚から小物類と、薄手のカーディガンを回収した。


 手早く用事を済ませると、さっさと部屋を後に――しようとしたのに、あろうことか、フリオに声をかけられた。


「アルメ、君は相変わらず地味な格好をしているな。せっかくだから婚約破棄の慰謝料に、洒落たドレスのひとつでも乗せてやれば良かったな」

「……いらないわよ。余計なお世話です」

「そんな言い方はないだろう。僕は君の将来を心配して言ってやってるんだ。君にはもう、新しい縁談を取り付けてくれる家族がいないだろう? だから元婚約者として、せめて君が新しい出会いに恵まれるように世話してやろうかと」

「しばらくは仕事を頑張りたいので、どうぞお構いなく」


 人の将来を心配するのなら、そもそも浮気をするなと言いたい。どこの世界に、自分をこっ酷く捨てた人間の世話になりたい女がいるというのか。馬鹿にするのも大概にしてほしい。


(フリオってこんなに傲慢な人だったかしら……別れて距離ができたから、見えるようになったのかな)


 近くにいると逆に気が付かない事もある。縁が切れて他人の関係になったことで、身内の色眼鏡が外れたのかもしれない。


 フリオとの会話を振り切るように、踵を返して作業室を出た。




 ――そのアルメの後姿を、キャンベリナが憎らしげに顔を歪めて睨んでいた。

 隣のフリオにも聞こえないような小声で、ボソリと吐き捨てる。


「はぁ? 何? ドレス? 地味女うっざ……フリオの前からさっさと消えてよ」


 キャンベリナは奥歯を噛んで、いつまでも扉の方を睨み続けていた。









 何とか無事に私物を回収し終えて、入館証をカウンターの女性職員へと返した。


「アルメちゃん……こんな変なことになっちゃったけれど、また顔を出してくれたら嬉しいわ」

「えぇ、また図書館を利用する時には、よろしくお願いします。お世話になりました」


 別れの挨拶を交わして、図書館を後にする。


 出際に他の職員数人にも声をかけられたので、努めて明るい笑顔でアイス屋の宣伝をしておいた。


 『浮気をされて捨てられた女』というイメージを残して去るのは腑に落ちないので、『新しい夢に向かって別の道を選んだ』という印象を上書きしておきたいところだ。



 図書館の敷地を出て、再び大通りを歩き始める。


(さて、次の予定は――不動産屋ね)


 本日二つ目の目的地は不動産屋である。


 本来ならば結婚してフリオの家――ベアトス家に入るのに伴って、自宅を手放す予定だった。

 そういうわけで、もう不動産屋と契約して家を売りに出していたのだ。その話を白紙に戻さねばならない。



 しばらく歩いて、途中で脇道に入る。


 そこから少し歩いたところの交差点の角で足を止めた。そこには小さな地域密着型の不動産屋がある。


 扉のベルをカランと鳴らして、不動産屋の中へと歩を進めた。


「こんにちは。家の売却の依頼をしていた、アルメ・ティティーと申します」

「あん? なんだってー?」


 不動産屋の中には、耳の遠い高齢の主人がいた。老人相手にもう一度大声をかけ直す。


「家の売却依頼をしていた、ティティーです! すみませんが、契約を解除したくて参りました!」

「あぁ、はいはい。ティティーさんね。ええっと~どこの家だったかな? あぁ、この家だったかいな?」


 老人は棚から書類ケースを引っ張り出してきた。――が、その書類の家は全然違う物件である。ガクリと身を傾けて、自分の書類と思われるものを指さした。


「違いますよ! ええと、そっちです! そっちの書類!」

「おぉ、これかいな? はいはい承知しましたよ。で、何だっけ?」

「契約を解除したいんです! 家を売るのをやめたいんです!! 違約金はいくらになりますか!?」

「あーはいはいはい。そうさね~、この家、まだこれっぽっちも人目についてなかった気がするし、もちろん買い手も付いてないから、違約金は払わなくっていいよー」

「え!? いいんですか!? 適当すぎません……!?」


 大雑把な老人の対応に、こちらが心配になってくる。まぁ、痛い出費がなくなることは助かるのだけれど。


 老人の気が変わらぬうちに、話をまとめることにした。


「ええと、それじゃあ違約金なしで、契約は解除ということでよろしいですね!?」

「はいはい、そういう感じでいいよー」

「ありがとうございます! それでは、白紙に戻った、ということで!」

「はいよー。またごひいきに」


(……本当に大丈夫かしら)


 内心不安になったけれど、一応ここは老舗不動産屋なので、店主を信じることにしよう。


 アルメが席を立つと、老人はヒラヒラと手を振って見送った。


 何十万(ゴールド)か違約金を支払うことを覚悟していたので、思いがけず出費を回避できたことは素直に嬉しい。


 この浮いた金はもちろん、店の開店費用にあてようと思う。


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