47 静かすぎるカフェ
ベアトス家の門を出て、アルメは次の目的地へと歩き出した。
本日二つ目の用事は、お礼の挨拶である。
強盗に襲われたあの夜、怪我の手当てをしてくれた夫人と、警吏を呼びに走ってくれた旦那さんに改めてお礼をしに行く。
祭りの後は警吏とのやりとりやら店の混雑やらで、何かと忙しくてすっかり遅くなってしまった。
手土産も一応それなりのものを用意できたので、今日ようやくの訪問だ。
大通りに出たところで鞄から手帳を取り出した。
あの日神殿に行く前に、夫婦に住所を聞いておいた。手帳にメモっておいた場所を確認しながら、通りをキョロキョロしつつ歩いていく。
(『カフェ・ヘストン』……このあたりのはずだけど――あ、あのお店かしら!)
夫婦は二人でコーヒーショップを営んでいるらしい。
場所を聞いた時には、店主の旦那さんが『なんてことない小さなお店だから』と謙遜していたけれど、大通りに面した一等地の店だ。
路地奥店のアルメから見たら、憧れの大先輩くらいの格である。
見つけた店の前まで歩いて、外観をまじまじと眺める。深緑色の石壁に、草花の鉢が上品に飾り付けられている。
通りに面してウッドデッキのテラスもあって、外の風と街の景色を楽しみながらコーヒーを飲んで、くつろげそうな店だ。
素敵なお店だなぁ、と思いながら玄関扉を開くと、扉の鐘がコロンコロンと音色を奏でた。
店内は木のぬくもりを感じる、落ち着いた内装で整えられている。実に心安らぐ、静かな空間だ――けれど、少し静かすぎる気もする。
今は昼と夕方の間の時間――そこそこ人の入る時間だと思うのだけれど、広い店内にお客は二人ほどだ。
客入りを不思議に思いつつも、詮索するのは失礼だろうと思い直し、ひとまず考えを振り払うことにした。
今日は市場調査ではなく、お礼をしにきたのだから。
アルメはカウンターへと歩を進めて、接客に立っている夫人へと声をかけた。
「あの、こんにちは。お祭りの日の夜にお世話になりました、アルメ・ティティーと申します。遅くなってしまいましたが、お礼をしたく参りました」
「あらあら、あの時のお嬢さん! 遊びに来てくれて嬉しいわ。どうぞ、おかけになって」
「ありがとうございます、失礼します」
アルメは夫人の前のカウンター席に座った。
夫人は肩の上で切りそろえられたグレーの髪を揺らして、優しげに微笑む。パールの耳飾りが上品且つ可愛らしい。
彼女が奥に声をかけると、旦那さんがカウンターまで出てきた。同じくグレーの髪をした、穏やかそうな男性だ。
夫婦ともに五十代くらいの年齢だろうか。
旦那さんはアルメを見るとニッコリと笑った。
「おぉ、来てくれたんだね。あの後は大丈夫だったかい?」
「はい、神殿で怪我も治していただいて、強盗犯も無事に捕まりました。本当にありがとうございました」
「そりゃあ良かった。安心したよ」
「もっと早くに来るべきだったのですが、お礼が遅くなってしまってすみません。こちら、お口に合うと良いのですが」
鞄からお礼の品を取り出して、カウンター越しに夫婦へと手渡す。
用意したものは紅茶とチョコのセットだ。チョコはこの街ではそこそこ高級品の部類なので、喜んでもらえると良いのだけれど。
もちろん、保冷の氷魔石もセットで付けてある。心を込めた手製のものだ。
品を受け取って、夫人が顔をほころばせた。
「こんなに良いものをいただいてしまって……! 私チョコ大好きなの! ありがとうね」
「大したことはしていないのに、すまないね。ありがとう。代わりにコーヒーをご馳走するよ」
「あ、お代はお支払いします! お客としていただきたく思います。おすすめはありますか?」
「甘いものがお好きでしたら、キャラメルコーヒーがおすすめよ」
「それじゃあ、そちらをお願いします」
注文を決めると、旦那さんが慣れた手さばきでコーヒーを入れ始めた。
待つ間に夫人とのお喋りを楽しむ。
「そういえば、自己紹介もまだでしたね。私はアリッサ・ヘストン。あの人はウィルです。アルメさんはアイス屋さんをしていらっしゃるのでしょう? 飲食店のお仲間として、これからよろしくね」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
「実は前にウィルと二人で、アイス屋さんにお邪魔したことがあったのよ。お若いのに一人でやっててすごいわね、って感心していたところだったの」
「え! そうだったんですか! すみません、私ったらぼんやりとしていて」
おっとりとした夫人――アリッサの言葉に、驚きの声を上げてしまった。まさかお客さんだったとは。
旦那さんのウィルがコーヒーを持って戻ってきた。彼も会話に加わる。
「アルメさんとこのお店、前はジュース屋だったろう? またお店が始まったって仲間内の噂で聞いたから、覗きに行ったんだ。市場調査、なんて大層なものではないけど、気になってね」
「面白いデザートのお店になっていたから、二人でいただいたの。コーヒーアイス、とても美味しかったわ。あぁいうものをうちでも作れたらいいのにね、って言ったら、この人悔しがっちゃって」
「こらこら、言うなって。恥ずかしいなぁ」
アリッサがウィルの脇腹を肘でちょいと小突いた。お店の仲間にメニューを悔しがられるというのは、なんだか少し嬉しさと誇らしさを感じる。
お客に褒められるのとは、またちょっと違う感覚だ。
「はい、どうぞ。キャラメルコーヒー」
「ありがとうございます、いただきます」
アルメは出されたキャラメルコーヒーに口をつけて、甘さとほろ苦さを堪能した。やはり自宅で適当に入れたものとは、まったく違う味わいだ。
ウィルはコーヒーアイスを悔しいと感じたそうだけれど、アルメも今少し、その感覚がわかった気がする。
この美味しいキャラメルコーヒーをそのままアイスにできたらいいのに、なんてことを考えてしまった。
「キャラメルコーヒー、とても美味しいです! どうやって入れているのか聞いてしまいたいくらい」
「ふっふっふ、それは秘密さ。うちの店だけの自慢の味だからね。……まぁ、お客さんに飲まれなきゃ、自慢も何もないけれど」
そう言いながら、ウィルはやれやれと苦笑した。アリッサは店内に目を向けながら、アルメに喋りかける。
「見てちょうだい、この店内。恥ずかしいけれど、すっかり寂しいお店になっちゃって……一応、通り沿いの店なのにね。アルメさんのお店の方がお客さん入ってるでしょう?」
「ええと、そんなことは……」
「謙遜することはないよ。アイス屋さん、今話題になってるだろう? 白鷹様が来るとかなんとか。うちにも何か、そういう良い話でもあったらいいのになぁ」
腕を組み、ウィルは渋い顔でう~んと考え込んでしまった。白鷹の噂は、業界内でもばっちり認識されているようだ。
噂について追及されると困ってしまうので、話題をそらすべく、アルメは別の方向へと話を進めた。
「お客の入りが変わったのには、何か理由があるのですか? メニューを変えたとか? あ、その……失礼な質問でしたら、すみません」
「いや、うちは特に何もしていないよ。変わったのはご近所のお店さ。ちょうど通りの向かい側に、別のコーヒーショップができてしまってね」
「大きなお店だし、新店だからって、お客さんみんなそっちに流れちゃって。あっという間に取られちゃったわ」
「なるほど……」
三人で通りの窓の方を見ながら、渋い声をもらした。
通りの向かい側の大きな店には、ひと際目立つ花の飾りが置かれている。新店オープンの祝い飾りだ。
「まぁ、そのうち落ち着いたら、お客さんは少しずつ戻ってくるとは思うけど……って悠長なことを言ってるうちに潰れてしまったら、ざまぁないが」
「うちにもアルメさんのお店みたいに、素敵な噂がつくといいのだけれど。ミゼラ様が通い詰めている、とか、セルジオ様のお気に入り、だとか」
ミゼラ様とセルジオ様はルオーリオ軍の隊長だ。前に見送りの行進でエーナに教えてもらった。男前でファンの多い軍人さんである。
――軍の話から連想されて、ふと、ファルクの姿が頭をよぎった。
白鷹が来たならば、店も盛り上がるだろうか……と、考えかけたけれど、むやみに人を使うのはよくないか、と思い直す。
彼の本業はあくまで神官だ。広告の芸能人ではないのだから。
でも、広告塔としてファルクを紹介することはできないけれど、少しだけ恩恵にあずかることはできるのでは――。
アルメは思いついた案を、二人に話してみることにした。
「軍人さんはご紹介できませんが、うちのお店とコラボ――提携してお客さんを流す、ということはできるかもしれません」
「提携、というと? うちでアイスを売るってことかい? う~ん……うちは一応、コーヒー屋だからなぁ」
「アイスとコーヒーを合体させて、コーヒーフロートを出す、というのはどうでしょう?」
「コーヒーフロート?」
「って、何かしら?」
思いついた商品名を出したら、ウィルとアリッサが目の色を変えた。キラリとした好奇心を宿して見つめてきた。
アルメは飲みかけのキャラメルコーヒーを指して説明する。
「コーヒーの上にミルクアイスを浮かべた飲み物です。うちのアイス屋では、従業員の間で紅茶にアイスを乗せるのがブームになっていまして。コーヒーにも合うので、それを商品にして客寄せにできないかなぁと」
「ミルクアイスっていうのは、あの白鷹ちゃんアイスのことよね? 前にお店で、コーヒーアイスと一緒にいただいたわ。甘くてとっても美味しかった」
「確かに、あのアイスはコーヒーに合いそうだ。アイスが甘いから、コーヒーは甘みを抑えて香ばしい苦みの方を強めに出して……酸味はないほうがいいかな」
ウィルはカウンター裏にズラリと並んだ、コーヒー豆の缶をあれこれ見まわしながら、なにやらブツブツと呟き始めた。
その様子を横目に見ながら、アリッサはアルメに向きあって言う。
「まぁ、ウィルったら。もう乗り気になっちゃって。アルメさんのお店と提携させてもらうとしたら、そのコーヒーフロートというものは、どういう形でお客さんに出したらいいのかしら?」
「私がミルクアイスを納品する形だとどうでしょう。冷凍庫さえあればアイスは保存がきくので、定期的に補充する感じで――あ、冷凍庫はありますか?」
「えぇ、氷を作るようの小さいものだけれど。大きさが合わなかったら、借りる当てもあるから大丈夫よ。それじゃあ、うちがアルメさんのお店からアイスを仕入れて、店内でコーヒーフロートを作って出す、という流れね。ふふっ、上手くいったら『カフェ・ヘストン』の久しぶりの新メニューになるわ!」
豆をあさっていたウィルが戻ってきて、キラキラとした目を向けた。
「ミルクアイスに合うブレンドを考えたいから、一度試作会をお願いしてもいいだろうか?」
「はい、もちろんです!」
「提携のお話はその時に詰めましょう」
「いやはや、楽しみだ。噂のアイス屋と白鷹ちゃんアイスのコラボ! きっと話題になるぞ! お客さん、戻ってきてくれるといいなぁ」
ウィルとアリッサの表情は、期待に満ちたウキウキとしたものへと変わっていた。新しい企画を動かし始めた時、仕掛け人たちはみんなこういう顔をする。
共に戦う仲間を得たような心地がして、アルメの胸にもやる気が満ちてきた。是非とも、上手く企画を進めたいところだ。コーヒーフロートが世に出るのが待ち遠しい。
――仲間、という単語を思い浮かべたところで、ふと思い出した。先日仲間外れにされて拗ねていた男の顔を。
「あの、よければ試作会に一人、友人を連れてきてもいいでしょうか? 従業員ではないのですが、信頼できる人なので試食要員として」
「あぁ、構わないよ」
「噂の白鷹様を連れてきちゃってもいいわよ。なんてね」
アリッサは冗談を言って悪戯な顔で笑った。
……まさにその白鷹を連れてくるつもりだったのだけれど。
アルメは曖昧な返事と共に、目をそらしてやり過ごした。