46 ベアトス家の謝罪
数日の営業日を経て、今日はアイス屋はお休み。そして明日も同じくお休みの予定だ。お祭りの日以来の連休である。
――というのも、今日はとある用事で二つの場所をまわる予定なので、買い出しとアイスの仕込みまで手が回らないためだ。
その一つ目の用事の場所に到着して、アルメはゆっくりと深呼吸をした。
今いる場所はベアトス家の玄関前。これから通される先はおそらく応接間だろう。
数日前にフリオの叔父――ダネル・ベアトスから届いた手紙には、謝罪の言葉が綴られていた。
フリオの浮気から始まり、あの日の銀行の件に至るまで、諸々の揉め事についてのお詫びが、紙の端から端までびっしりと書かれていた。
手紙の中では、アルメの自宅にうかがって謝罪を、という話だったのだが、ちょうど近くまで出掛ける予定があったので、こちらから訪ねることにした。
自分の家の中を謝罪の場にしてしまうと、事あるごとに思い出しそうで、なんだか微妙な気持ちになったので。
……とはいえ、ここはダネルの家ではなくて、フリオの家である。『そちらにうかがいます』と返事を書いたら、この場所を指定されてしまったのだった。
何度も手紙をやりとりするのもアレなので、さっさと了承して今に至る。
(ダネルさんの家じゃなくてフリオの家……ということは、きっとフリオもいるのよね……)
やれやれ、と胸の内で苦笑する。おそらくフリオも一緒に謝罪する流れなのだろう。切れたと思った縁は、どうやらまだチョロチョロと絡みついているらしい。
玄関のベルをカランカランと鳴らして呼ぶと、待ち構えていたかのように、即座に扉が開かれた。
「こんにちは、アルメ・ティティーです。ダネル・ベアトスさんに用事が――」
「……どうぞこちらへ」
出迎えたのはベアトス夫人だった。
不意を突かれて、アルメは半歩後ろへ身を引いた。家事手伝いが出てくると思ったのに、初っ端からベアトス家のラスボスのような人が現れるとは……。
身構えるアルメをよそに、夫人はうつむいたまま、一度深く頭を下げた。そのまま視線を避けるように、そそくさと家の中へとアルメを案内した。
(あら? ベアトス夫人、なんだか元気がないわね)
一言だけ発して黙ってしまった夫人の後を追いながら、つい様子をうかがってしまった。
アルメは新しく買った青緑色のヒラヒラとしたロングスカートに、白いブラウスと薄手のショールを羽織った格好だ。
以前までなら、まず間違いなく小言が飛んでくるような街歩き用の格好である。
そんな装いを前にして、一つも小言も寄越さないとは。逆にハラハラしてしまう……。
落ち着かない気持ちのまま案内を受けて、応接間へと通された。こぢんまりとしているけれど、厳かな雰囲気の上品な部屋だ。
ベアトス家は庶民ではあるけれど、それなりに由緒正しい家柄である。
貴族たちの家に比べたら小さなものだろうけれど、アルメの家に比べたら、フリオの家は立派な造りをしている。
綺麗な絨毯敷きの応接間に入ると、ベアトス夫人はそっと扉を閉めて退室した。
部屋の中にはソファーが二つとテーブルが一つ。そのソファーの脇にダネルとフリオが並んで立っている。
アルメが挨拶をする前にダネルが深く頭を下げた。
「アルメさん、この度は大変申し訳ございませんでした。こちらから謝罪にうかがうべきところを、ご足労をおかけしてしまって……」
「いえ、ちょうど近くまで出かける用事がありましたから」
ダネルに続くようにして、フリオも一緒に頭を下げた。
「その……申し訳ございませんでした……」
フリオはボソボソと謝罪の言葉を述べた。何に対して謝っているのか曖昧で、複雑な気持ちだけれど、突っ込むのも疲れるので流しておく。
「お二人とも、お顔を上げてください」
声をかけると、ダネルは渋い顔のまま頭を上げた。そのままの表情でアルメをソファーへと招く。
「どうぞ、おかけください。手紙でもお伝えしましたが、あなたにお話したいことがあります」
アルメとダネルが着席すると、フリオが遅れてソファーに座った。ベアトス夫人と同じように、フリオも視線を床に向けたまま、ずいぶんと静かだ。
ダネルは姿勢を正すと、アルメを真正面に見て喋り出した。
「まずはもう一度、改めて謝罪させていただきます。本当に、この度はフリオが大変な失礼をいたしました。婚約中の身でありながら心を浮つかせ、契約を反故にした挙句、その後も嫌がらせや脅しを行うなんて……我が一族の恥です。申し訳ございませんでした」
「ええと、ダネルさんが謝ることでは……」
「いえ、私に責任があります。フリオへのあきれた気持ちと、自身の立て込んでいた仕事にかまけて、義姉に事を任せてしまったことが間違いでした。まさか慰謝料の話も謝罪の文書も届いていなかったとは思わず……」
ダネルの話によると、あの婚約破棄劇があった後にベアトス家側から正式に、慰謝料と謝罪の文書が出されるはずであったそう。
ダネルは仕事の都合のため、直後に王都へ発ってしまったらしいけれど……その際、ひとまずの事後処理を託した相手がベアトス夫人だったらしい。
つまりはベアトス夫人が、一切の処理を止めていたそうだ。
夫人は嫌っているダネルの言いつけを守らず、愛する息子フリオの側についた、という顛末だ。
親子仲が良いことは結構だが、こちらとしてはしょうもなさに遠い目をするばかりである。
テーブルの上に置かれた書類をアルメに差し出しながら、ダネルは言葉を続ける。
「大変遅くなりましたが、こちらが慰謝料に関わる書類になります。婚約破棄の件に加えて、諸々ご迷惑をおかけした分も合わせてお納めください」
「生活の足しにさせていただきたく、頂戴いたします。……って、四百万
書面に記載された額を見て、思わず声を上げてしまった。百万程度を想定していたのだが、思っていたより額が大きい。
「あの、失礼ですが数字を間違えていませんか? 四百万Gもいただくのは……」
「そのくらいのことをしでかしたのです、この馬鹿者は。どうか、そのままお受け取りください。でないと、あなたのお
ダネルは縁談を取り持った者として、責任を感じているらしい。
祖母とどういう関係だったのか詳しくは知らないけれど、彼の重く苦い表情を見るに、フリオの浮気による破談を心底残念に感じているようだ。
「……そう、ですか。では、頂戴いたします。何かあった時の支えにさせていただきます」
額に怯んでしまったけれど、一人暮らし且つ店を持つ身として、まとまった額のお金をもらえることはありがたい。……このまま受け取らせてもらおう。
「慰謝料の額にご了承いただけましたら、後日改めて合意書を作成してお送りしますので、証明郵便でこちらへ戻していただければと思います。その後すみやかに、銀行を通してお振込みします」
「よろしくお願いいたします」
証明郵便というのは、郵便機関が文書の内容を記録し、証明する仕組みである。
庶民の大半は生涯利用する機会もなく終わる仕組みだけれど、こういう場面で使われるものらしい。……ここ最近、社会勉強の機会が多い。
「――それからアルメさん、これはもし、あなたがよければという話なのですが、」
ダネルは再び姿勢を正して、少しだけ表情をゆるめた。
「あなたの新しい縁談の世話人を、私に務めさせてはいただけませんか?」
「新しい縁談、ですか? 私の?」
突然の申し出に目をまるくしてしまった。この場で縁談なんてワードが出るなど、考えてもいなかった。
ポカンとするアルメに、ダネルはすまなそうな顔をして続ける。
「あなたのお
話を聞いて、アルメはふむ、と考え込んだ。
ここ最近の自分を振り返ってみると、確かに、空の上から見守っているであろう祖母は、ハラハラしていたかもしれない……。
祖母の安心のためにも、将来的には夫と添い暮らす生活を送るのが良いのだろうと思う。
……そのためには夫となる人を選ぶ必要があるのだけれど、残念ながらアルメには、殿方を選定する力などない。
色恋の経験もとぼしいし、年頃の男性の知り合いもほとんどいないに等しい。
性格的に、積極的に街に繰り出してガツガツと相手を探す、というのも向いていないように思う。……胃を痛めそうだ。
例え自力で相手を見つけたとしても、身寄りも身分もない娘は、相手の家がしっかりとしているほどに、敬遠される傾向にある。『どこの馬の骨とも知れない娘』なんて言われたりして。世間ではよく聞く話だ。
ダネルに縁結びの助けを借りられるのならば、お願いしておくに越したことはないだろう。
そう思い至り、彼へと頭を下げておいた。
「今すぐにとは考えていませんが、将来的にお願いする時がくるかと思うので、その時にはお世話になってもいいでしょうか」
「もちろんです、いつでもお声がけください。今度こそ、お
「気にかけていただいて、ありがとうございます。よろしくお願いします」
ダネルは頷いて、ようやくこわばらせていた肩の力を抜いた。
その様子を見て、アルメは帰り支度を始める。必要な話は全て済んだようだ。長居するつもりはないので、さっと支度を整えてソファーから腰を浮かせる。
けれど、そのタイミングでフリオが話しかけてきた。今までうつむいて黙り込んでいたというのに、今頃なんだというのだ。
「あの、アルメ。この後、少し二人で話でもどうだろう……? ちょっと、君に話したいことがある……というか……」
「すみませんが、この後予定があるので」
すっぱりと断って、アルメは会話を断つように立ち上がった。
「それでは、私は失礼いたします」
「お時間をいただき、すみませんでした。外までお送りします」
「……ダネル叔父さん、アルメは僕が送ります」
げっ……そういう気遣いはいらない、という言葉が喉元まで出かかった。
ダネルがいる手前、丁寧な言葉に変換して見送りを断ろうとしたのだが、その前にフリオが席を立って前を歩き出してしまった。
仕方ないので後を追い、応接間の扉へと進んだ。最後にもう一度ダネルへと挨拶をして、アルメはフリオと共に部屋から出た。
フリオと並んでベアトス家の廊下を歩く。
以前は早足のフリオの後ろを小走りで追うように歩いていたけれど……今、彼は隣でゆっくりと歩いている。
この人はこういう歩き方もできたのか、とまじまじと見入ってしまった。……できたのならば、今までの大股の早歩きは一体何だったというのか。
気に入らない婚約者への、しょうもない意地悪だったのだろうかと考えると、あきれてため息が出てきた。
フリオはチラチラと視線だけでこちらを見てくる。何か話しかけようとして考えている時の彼の癖だ。その後に飛んでくるものは、大体いつも小言である。
玄関にたどり着いて扉を開けた時、フリオはようやく言葉を発した。――が、出てきた言葉は小言ではなかった。
「……また今度……会いに行くよ」
「客としてアイス屋に来るのでしたら、店員として対応します。それではさようなら、ベアトスさん。キャンベリナさんとお幸せに」
早口で言い切って、アルメはペコリと頭を下げてさっさと歩き出した。
去り際にチラリと見えたフリオの表情は、苦く元気のないものだった。