26 突然の金難
ファルクと街歩きを楽しんだ日から、数日の営業日を経て、アイス屋はまた休みの日を迎えた。
あの日買ってもらった髪飾りは休日にも身につけている。使いやすく可愛らしいので、すっかりお気に入りになってしまった。
購入したナッツは、早速アイスのトッピングメニューに追加しておいた。
ファルクは早々と来店して、ミルクアイスの上にたっぷりとかけたナッツの食感と風味を堪能していった。
今日は午前中にアイスを仕込んで、午後は久しぶりにゆっくりと過ごす予定である。
ミキサーなどの必要な魔道具類も届いたので、仕込みにかかる時間も大きく短縮されたところだ。余裕ができた分、集客の課題に本腰を入れていこうと思う。
ちらほら口コミがまわり始めているそうなので、そこをどうにか伸ばしたいところ。
初回来店した客にはポイントカードを渡して次回に繋げて、さらに次の客を引き寄せてもらうために、二人以上の来店で使える割引券を配ることにした。
スタンプカードも割引券も手作りだ。テーブルの上に色インクと紙を散らかしながら、せっせと量産している。
――そうやって午後の時間を過ごしていた時、一階店舗の玄関扉の鐘が鳴ったのだった。
何の気なしに窓から確認して、アルメは来客の面子にギョッとした。なんとフリオとキャンベリナ、そしてフリオの母――ベアトス夫人までそろっていた……。
(ひえっ……一体何事……!?)
怖すぎて、玄関扉を開けるかどうか大いに悩んだ。わざわざ家に押しかけてくるあたり、ろくでもない事態が起きるに違いない、とわかりきっていたので。
居留守しようか……とも考えたけれど、日を改めて来られても困る。店の営業中に来られるのが一番迷惑だ。客に変な場面を見られて、おかしな噂を流されたらたまったものではない。
そう考えると、ちょうど休日に来てくれたのは幸いかもしれない……。アルメはひとまず、そう考えることにした。
深呼吸をした後、覚悟を決めて玄関扉の鍵をまわし、扉を開け放った。
「こ、こんにちは……あの、ご用件は……」
「なんだ、いるんじゃないか。開けるのが遅すぎやしないかい? 人を待たせるのはマナーとしてどうかと思うが」
扉を開けると、フリオが文句を言いながらさっさと上がり込んできた。そのあとに続いてキャンベリナとベアトス夫人も入ってくる。
キャンベリナは今日もフリフリとした派手なドレスで、ベアトス夫人はタイトなロングスカートとジャケットという組み合わせの、シックな装いをしていた。
服装は対照的な二人だが、妙に息の合った様子だ。この二人はベアトス家の中でも上手くいっているように思える。……アルメはというと、ベアトス夫人には大層嫌われていたのだけれど。
(ベアトス夫人、キャンベリナさんにはフリフリスカートやお化粧を注意していないのね……私への注意は、やっぱりただの腹いせだったのかも……)
ベアトス夫人は義弟であるフリオの叔父と仲が悪い。その叔父が決めたフリオの婚約相手がアルメだったので、もう何もかもが気に食わなかったのだろう。
当時はビクビクしていたけれど、今となってはしょうもなさに遠い目をするばかりである。
ちなみに彼女の家は何代か前が爵位持ちの貴族だったらしく、そのことに相当なプライドを持っているようだ。もうとっくに庶民の身分のはずだが、言動は上から目線が常である。
フリオにも少しそういうところがあるので、母の気質を継いだのかもしれない。
大手を振るって入ってきたフリオ一行に、店の椅子を勧めて、とりあえず座らせた。
「……おかけください皆様……。それで、ご用件は?」
「アルメ、君との婚約の破談に伴う金の件だが、改めて話し合いをしにきた」
「それはもうとっくに済んだことでしょう? 話し合うって今更何を……?」
フリオは語気を強めて言葉を返してきた。
「あの時の話し合いは無効だ。今からの話が正式な取り決めとする。アルメ、君のベアトス家への借金を帳消しにすると言ったが、やっぱり全額返してもらうことにした」
「はぁっ!?」
考えてもいなかった発言に思わず目をむいた。大声を出して前のめりになったら、フリオがわずかに身じろいだ。
「な、なんだその態度は。はしたない大声を出すんじゃない。――あれからよくよく考えたら、これが当然の処遇だと思い至ったんだよ」
「何が当然なものですか! あなたが浮気をしたことで婚約が破談になったのですから、慰謝料が発生することのほうが当然でしょう?」
「僕の心変わりだって、そもそも君に原因がある。僕のほうがずっと惨めな思いをしてきたんだ……! 初めて顔合わせをした時、君は僕を思い切り拒絶しただろう! そもそもはそれが原因だ! 人に恥をかかせておいて、忘れたとは言わせないぞ」
「それは……その件に関しても、もう何度も謝罪したではありませんか……」
「フン、気持ちがこもっていたとは思えないが?」
あの時のことは確かに悪いとは思っている。けれど今更持ち出されても困るというものだ。
それをそのまま伝えようとしたところで、ベアトス夫人がきつい声音で割って入ってきた。
「やれやれ、庶民女はすぐ自分が被害者だと騒ぎ立てて、金をむしり取ろうとするんですから。あきれますわね。――で、簡潔に言いますけれど、今フリオが言ったように、借金の帳消しは無効です。我がベアトス家に七十万
「り、利子も……!?」
「当然でしょう? 何を驚いているのかしら」
「でも……! 婚約を破棄した場で、確かに帳消しにすると約束を――……」
「口約束でしょう? 書面を交わしましたの? あるのならば出してちょうだい、ほら。フリオがサインをしまして?」
「……ありません……けど……」
あの婚約破棄の場で、書面を作って交わす余裕などなかった。金に関わることは、無理やり時間をとってでも、証が残る形で処理しておくべきだった……。
アルメが押し黙っていると、ベアトス夫人が追撃を繰り出してきた。
「あと、キャンベリナさんがお渡しした手切れ金も返してちょうだいね」
「な……、それはそちらが一方的に押し付けてきたものでしょう!?」
手切れ金はいらないと言ったのに、キャンベリナが勝手に寄越してきた金である。それも返せというのか。
そう言うと、キャンベリナが目をうるうるさせて言い返してきた。
「違います! あたし、脅されたんです……! 金を払わないとフリオにちょっかい出すぞって脅されて、フリオを盗られるんじゃないかって不安で怖くて……お金を渡してしまったんです……。しかも結局、約束も守ってもらえなくて……この前市場でフリオとお喋りしたって、聞きました」
「変な言い方しないでください! 話しかけられたから仕方なく対応しただけです……っ!」
とんでもない話の盛り方をされている。大慌てで言い返したが、キャンベリナはもうポロポロと涙を流しながら、隣に座るフリオの腕に抱きついていた。
やりとりを聞いたベアトス夫人はキンキンとした声をあげる。
「まぁ! なんて酷い……! これは脅迫よ! 警吏を呼んでもいいくらいだわ!」
「ちょちょちょ……! 待ってください! どうかお話し合いで解決を……!」
慌てたアルメに畳みかけるようにして、ベアトス夫人は言い放った。
「――じゃあ、これ以上事を大きくしたくなければ、しっかりとお金を支払いなさいな。七十万Gに利子を含めた分と、キャンベリナさんから受け取った手切れ金十万G」
「き……期限は……」
金額の大きさに頭がクラクラしてきた。なんとか耐えつつ、聞き返す。
問いかけにはフリオが答えた。
「一月で返してもらおう」
「む、無理です……とてもじゃないけれど、用意が……」
「それなら、この家を借金のカタにもらう。売り払って金にするから、そのつもりでいてくれ」
「そんな……!」
家がなくなる。そんなこと、考えたこともなかった。
さっと血の気が引くのを感じた。震えてきた指先を握りしめて、なんとか交渉をしてみる。
「……家がなくなるのは困ります! ……お願いします、せめて半年くらいの猶予をいただけませんか? どうか……!」
「――まぁ、僕も悪魔じゃないから、考えてやらないこともない。そうだなぁ、それじゃあ五ヶ月でどうだい?」
五ヶ月で八十万G強を返済するとなると、一月あたりの額は十七万Gと少しだ。
店の売上にも左右されるが、貯金と生活資金を削ればどうにかやりくりできそうなギリギリのラインである。
なんて意地悪な……と、思ったけれど、口には出さない。今フリオの機嫌を損ねたら、交渉が決裂してしまう。
アルメは苦い表情を隠すように、静かに頭を下げた。
「五ヶ月で、お願いします……」
「わかった、じゃあ今度こそ書面にサインを」
フリオは鞄から二枚の紙とペンを出し、テーブルの上に並べた。一枚はベアトス家に渡るもので、もう一枚はアルメが持つ控えだ。
ペンを握ったところで、一度深呼吸をして気持ちを落ち着ける。本当にいいのだろうか、自分はどう動くのがベストなのか、と頭をまわした。
――考えをめぐらせていると、ふと、この前エーナに連れて行ってもらった占い屋のことを思い出した。
『金難に気をつけよ』と占い師は言っていたっけ……。
まさかこうもドンピシャに当たるとは思わなかった。あの時確か占い師は、こうも言っていた。『仕事で金を得ろ』、と。
占いを信じるならば、働いた金でこつこつ借金を返すのが良いのだろうと思う。
別に妄信しているわけではないが、金難がズバリ当たったことで、なんだか説得力が出てきたので……アドバイスも、そのまま信じてみようかと思った。
(……大丈夫、仕事を頑張ればなんとかなる額だわ。……――本当にいざとなったら、エーナとアイデンに相談して……いや、二人から援助を受けるのは、本当の本当に困った時だけど……。でも、親身になってくれる友達がいるから、大丈夫……! それに私には氷魔法だってあるのだから! 稼いでみせるわ!)
自分を奮い立たせて、ようやく書面にサインを入れた。
サインの入った契約書を受け取ると、フリオは満足そうに席を立った。ベアトス夫人とキャンベリナも後に続く。
「確かに受け取った。それじゃあ、これで金絡みの話し合いは正式に済んだ、ということで。失礼するよ」
「はい……毎月の返済日に指定はありますか?」
「月末までならいつでも構わない。銀行に預けておいてくれ。ベアトス家の番号、わかるだろう?」
「えぇ。それじゃあ、そのように」
必要な会話だけ手短に済ませながら、フリオたちを玄関へと送る。
キャンベリナとベアトス夫人が先に出て、フリオだけが店内で足を止めた。扉の前で振り返り、吐き捨てるように小声を寄越した。
「アルメ、ひとつ忠告しておいてやろう。この前お前と歩いていたあの男だが、遊ばれていると早く気が付いた方がいい。見目も身分も、きっと君には合わない男だ」
そう言いながら、フリオは髪飾りに目を向けてきた。ファルクに買ってもらった、白い花の髪飾りだ。
「……君はどんなに女らしい格好をしたって、性格が地味だから男になんか愛されないぞ。そんな髪飾りなんかつけて、似合うとでも思っているのかい」
「ええと、ベアトスさん、」
ベアトスさん、と他人行儀な呼び方を強調して、言葉を返しておく。
「この髪飾りが私に似合っていようが似合ってなかろうが、ベアトスさんに関係あります……? これっぽっちも関係ない気がするのですが」
言い返すと、フリオはわずかに口元をピクリとひくつかせて、黙ったまま店を出た。
お気に入りを馬鹿にされて腹が立ったので、ちょっと言い返しただけなのだけれど。よくわからないが、今回はこの対応で合っていたようだ。
扉が閉まり、店に静寂が返ってきた。
窓からフリオ一行が去っていくのを確認して、アルメは盛大に脱力した。
「金難……本当に来てしまった……」
改めて、ガクリと頭を抱えた。
――でも、サインを迷っていたあの瞬間に、高速でまわっていた頭が一つの策を導き出していた。
もちろん、金策である。
「一ヶ月後にお祭りがあるわ……! 一日、十五万Gくらい売上を出せたら、三日間のお祭りで四十五万G稼げる……! そこまで上手くいかないとしても、そこそこまとまったお金は手に入るはず」
一ヶ月後、ルオーリオでは四季祭りがあるのだ。祭りは三日間行われ、街は多くの人で賑わう。
そんな商機をみすみす逃すわけにはいかない。
「そうと決まったら、今から準備しておかないと!」
今日はゆっくりと過ごす予定だったのだけれど、予定は変更だ。祭りの出店申請やら、メニューの案出しやら、やることはたくさんある。
先ほど血の気の引いた頬をパシンと叩いて、気合いを入れる。もう指先の震えはすっかり止まっていた。