23 地下宮殿での手当
地下への階段を下りて、地下宮殿の広場を目指す。
火の魔石ランプの薄明かりが揺れる地下街は、今日も怪しく神秘的な雰囲気を漂わせている。
迷路のように入り組んだ道を進んでいくと、広い階段にたどり着く。その階段を下りていくと、地下宮殿の広場が見えてきた。
広場には地下とは思えないほどの大きな空間が広がっている。天井には魔石の結晶が散らばっていて、夜空の星のように煌めいている。
石壁と一体化した造りの宮殿は、魔石ランプのライトアップで美しく照らされていた。
広場の石床に降り立ってあたりを見まわし、ファルクは感動の声をあげた。
「地下にこんな空間が広がっているとは。宮殿の明かりがとても綺麗ですね」
「ちょうど一ヶ月後にお祭りがあるので、この時期はランプの明かりが足されるんです。普段はもっと薄暗い場所なのですが、今は明かりが賑やかですね」
ルオーリオの街には年に四度、大きな祭りがある。
一年を通して温暖な土地なので、せめて祭りで季節を区切ろう、という意図があるそうだが、残念ながらこの街で四季を気にする者はいない。
けれど、賑やかな祭りだけは享受しているので、現金なものである。
そういうわけで、今は比較的、宮殿広場内は明るいほうだ。――といっても、近づいてようやく顔が確認できる程度の明かりだけれど。
普段はもう一段階暗い場所なので、お忍びデートにはもってこいの場所である。ちなみに、たまに催される広場でのカジュアルな夜会は、不埒な出会いの温床になっているのだとか……。
広場を宮殿の方へと歩きながら、ファルクに尋ねる。
「食べる場所は広場の屋台料理屋と、あと宮殿の中に料理店があります」
「中に店が入っているんですか?」
「色々入ってますよ。宮殿は岩壁をくり貫いた造りなので、意外と奥まで広がっているんです。料理店とか土産物屋とか、雑貨屋とか。あと警吏の屯所も」
「歴史ある宮殿と聞いたので、てっきり保護された建物を想像していました。なんだか面白い建物ですね」
地下宮殿はがっしりとした石造りで見た目は荘厳な建物だが、その実は商業施設のようなものである。
俗な運用をされているけれど、内装は遺跡をそのまま使っているので、厳かな雰囲気を保ったまま、という面白い建物だ。
「では、せっかくなので食事は中でいただきましょう。宮殿の中をまわってみてもいいですか?」
「もちろんです、行きましょう。――あ、」
フリオに会った時に続いて、アルメは本日二度目の声を上げてしまった。また、ほど近くに知人の姿を見つけたので。
けれど今度は悪い出会いではない。見つけた姿は、おそらくエーナとアイデンだ。暗い中だが、見知ったシルエットをしている。
宮殿の玄関ホールを出てきたところらしい。自分たちとは入れ違う形になる。
ファルクは心配そうにアルメの顔を覗き込んできた。
「お知り合いですか? 逃げましょうか?」
「いえ、今度は大丈夫です! 仲の良い友人なので」
慌てて答えると、ファルクは表情を緩めた。
先ほどの件で警戒させてしまったらしい。余計な気を遣わせてしまって申し訳ない。
玄関に歩を進めると、エーナとアイデンもこちらに気が付いたようだ。二人は同じような仕草で手を振ってきた。
「あらアルメ! ――って、えっ、あらやだ、デート!?」
「おぉ! 相手できたのか! 良かったじゃねぇか!」
隣を歩くファルクに気が付くと、エーナは驚き、アイデンは朗らかに笑った。すかさず訂正しておく。
「違うわよ、彼とは友達。今は観光案内中」
「こんにちは、ファルクと申します」
ファルクはさらりと名乗った。フリオには先に名乗らせていたのに、今度は自分からあっさり名乗るとは。
態度が一貫していなくて、なかなか読めない人である。
(……もしかして、さっきのは場を離れるために、貴人を装ったとか? それにしては、慣れた感じだったけれど……)
アルメは首を傾げた。
そしてアイデンもまた、ファルクを見て首を傾げていた。
「あれ? あんたどっかで会ったことあるっけ?」
「いえ、この街に知り合いはいないはずですが」
「そうかぁ? ……まぁ、悪い、勘違いだな。俺はアイデン、こっちはエーナ。よろしく!」
アイデンは考えるのをやめたのか、ケロッと話題を変えた。
アルメに向き合い、大きく笑う。
「エーナから髪切ったって聞いてたけど、すげぇ雰囲気変わったな。いい感じじゃん! ――あ、そういやこの前は軍の見送りありがとうな。白鷹も見れたってな、どうだった?」
アイデンがペラペラ喋り、白鷹の話題を出した瞬間、ファルクが大きく身じろいだ。目をまるくしてアイデンの顔を見ていた。
ファルクも白鷹のファンのようなので、話につい反応してしまった、というところだろうか。
その様子を微笑ましく感じながら、話に応える。
「白鷹様はとても綺麗な人だったわ。噂に聞いていた通り。アイデンは現場でどうだったの?」
「俺はなんと、白鷹と喋ったぜ!」
「……えっ!?」
アイデンが得意げに答えたら、ファルクが大きな声をあげた。話題の有名人と喋ったことがある、なんて聞いたら、それくらい驚く気持ちもわかる。
ポカンとするファルクにエーナが言い添えた。
「この人軍人なんです。この前戦地で喋る機会があったみたいで」
「喋る機会……。あ、……もしかしてアイデンさんは、戦闘員の方ですか?」
「おう! 普通は怪我した時しか神官と喋る機会なんてないんだけど、なんか今回の現場では白鷹がウロウロしてたから、たまたま喋れたんだ。白鷹の奴、暇してたのか知らねぇけど、泥団子で遊んでてさー」
「ちょっと言い方が……! 言い方が良くありません!」
ファルクはアワアワと慌てた様子で言い返すと、アルメの耳を両手でふさいだ。
「アルメさん、聞いてはいけません! 白鷹のイメージが壊れてしまう……!」
「ふふっ、大丈夫ですよ。アイデンの話はいつもこういう感じなので。きっと話を盛っているだけですから」
「俺が嘘つきみたいに言うなよ! まぁ、今回はあんま喋れなかったから、また次回、機会があったらもうちょっと喋ってみるわ」
アイデンは一瞬拗ねた顔をした後、パッと話を切り上げた。
エーナの肩を抱いて、歩き出しながら別れの挨拶を寄越す。
「そんじゃ、そろそろ行くわー! お二人さん、よい一日を!」
「アルメ、今度のランチ会楽しみにしてるからね!」
ケラケラと楽しげに笑いながら、エーナとアイデンは歩いていった。
仲睦まじい二人の姿を見送った後、ファルクに目を向けると、未だオロオロと落ち着かない様子でいた。
白鷹の良からぬ話を聞いて、すっかり動揺しているようだ。
手を取って歩き出しながら、補足しておく。
「アイデンの話は本当に、気にしなくて大丈夫ですよ。彼は大雑把な話をする人なので。きっと白鷹様はちょっと砂をつついて暇を潰していたとか、そんな感じだったのだと思います」
「つつきませんよ! 仮にも戦場で、子供みたいな砂遊びなんてしませ――……痛っ」
喋るファルクの方から、ガツっと鈍い音がした。宮殿の天井に頭をぶつけたようだ。額を手で押さえて短く呻いた。
この宮殿は石壁をくり貫いた洞窟のような造りとなっていて、通路のところどころで天井の低い箇所がある。
女性は余裕で通れる高さなので、うっかり注意を怠ってしまった。長身のファルクを連れているというのに……。
アルメは大慌てでファルクの腕を引いた。
「わぁっ! ごめんなさい……っ! ここ天井が低いんです! 先に言っておくべきでした……! 大丈夫ですか!?」
「いや、俺が一人で騒いでいたのが悪いので……大丈夫です。全然」
「結構大きな音がしましたが……あ、ちょっとこっちへ!」
通路を進んですぐのところにある、宮殿内の小広場へと引っ張っていく。
柱に添うように置かれているベンチに座らせて、魔石ランプの明かりの下でファルクの額を確認した。
前髪をよけると、目の上――髪の生え際あたりに血がにじんでいた。大丈夫どころか、がっつり怪我をしているではないか。
「あぁっ、血が! 血が出てます……!」
「我ながら派手にぶつけましたね……お恥ずかしい。でも大丈夫ですから、そう慌てず。この程度の傷すぐに――」
「大丈夫なものですか!」
垂れてきそうな血にギョッとして、大急ぎでハンカチを取り出して押し当てた。
すると、今度はファルクが慌てた。
「わっ! 汚れてしまいますから……!」
「構いませんよ、そのためのハンカチです! ちょっとじっとしててください、血を止めるので」
「でも……っ」
「でもじゃありません。ほら、動かない!」
「……はい……」
額にハンカチを当てながら、反対の手でファルクの肩をガシリと抑え込んだ。勢いに気圧されたのか、ファルクは抵抗をやめた。
大人しくなったのを見て、アルメは傷を押さえている手で氷魔法を使う。
「このまま少し冷やしますね。痛みがやわらぐと思うので」
「すみません……」
されるがままとなり、ファルクは所在なさげに背を丸めてじっとしていた。
そのうちしょんぼりとした様子で、ぼそぼそと話しかけてきた。先ほど途中になっていた白鷹話が再開される。
「……先ほどの、白鷹が泥遊びをしていたという話の続きですが……もし、白鷹が大きくイメージと違っていたら、アルメさんはどうします? 嫌いになりますか……?」
「え? まぁ、そうですねぇ。場合によっては嫌いになってしまうかもしれませんね」
「そうですか……」
ファルクは目をつぶってしみじみと呟いた。表情が険しいのは、怪我が痛むからだろうか。……もう少し氷魔法を強めておこう。
魔力を手に集中しながら、会話を続ける。ファルクの気が紛れるように、アルメは努めて明るい声音で言う。
「でも、泥遊び程度では嫌いになりませんけどね。もっとこう、実は酷い人でした、とか、そういう落差があったら、驚きます」
「落差、ですか……。じゃあ、もし、白鷹が俺のように、一人で騒いでうっかり頭をぶつけるような情けない男だったら……アルメさんはどうしますか? 幻滅します……?」
「ふふっ、面白い例えですね。あの白鷹様がうっかりをする姿は、想像できませんが」
ファルクのもしも話に、つい笑ってしまった。
出軍の見送りで見た白鷹の姿を思い出す。
白銀の髪を涼やかに揺らして、鷹のごとき鋭い金の瞳で、正面を見据える凛々しい姿。神秘的な雰囲気の美しい上位神官――。
精霊の国の王子様、という風体のあの神官が、お喋りに気をとられて低い天井に気が付かず、うっかり頭をぶつけて呻く。――なかなか想像できない光景だ。
でも、白鷹も人間であることを考えると、日常生活ではそういうこともあるのだろうか。 そうだとしたら、そんな姿を目撃した時、自分はどうするのだろう――。
しばらく想像をめぐらせた後、口をつぐんで視線を落としていたファルクに、アルメは答えを伝えた。
「――もし白鷹様がうっかり頭をぶつけてしまっても、たぶん私は同じようにハンカチを当てるでしょうね」
「……しょうもない白鷹の姿にがっかりしないのですか……?」
「がっかりするよりも、焦るかと。血が垂れる前にハンカチを押し付けて、魔法で冷やします。今みたいに。……あぁ、でも白鷹様は治癒魔法が使えるでしょうから、そんなことをしたら逆に鬱陶しがられるでしょうけど」
想像してみて苦笑する。白鷹はそもそも、人から手当てを受けることなんてないだろう、と。
きっとうっかりをしても、あの麗しい顔を崩さぬままパッと治して、何事もなかったかのように終わらせるに違いない。
そう思ったけれど、ファルクは違う意見を述べた。
「いや……ハンカチを差し出されたら、きっと白鷹はその優しさを受け入れてしまうと思います。治癒魔法を使わずに……甘えてしまうでしょうね」
力の抜けた声で呟きながら、ファルクは困ったような、はにかんだような顔で笑った。