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22 フリオとの遭遇

 アルメとファルクは二人で手を重ねたまま通りを歩き、地区の市場へとたどり着いた。


 手繋ぎは気恥ずかしいけれど、氷魔法の冷気をファルクへと効率よく流せる。そういう理由もあり、結局始終繋いだまま移動していた。


 理に適っているから繋いでいるのだ、と思い込むことで、なんとか平静を保つことにも成功したので。


 ファルクはアルメの魔法疲れを気にしていたが、冷気を送るくらいならまったく平気だ。氷の塊を出す、という大きな魔法を使ったら、さすがに倒れてしまうけれど。


 魔力は使い過ぎると体に障りが出る。軽ければ少し休むくらいで回復するが、重い魔法疲れは寝込むこともある。


 子供の頃は遊びでうっかり使い過ぎて、たまに寝込むことがあった。その度に祖母にお説教をくらっていたのだった。懐かしい思い出だ。

 


 市場の通りに入ると、途端に人混みが一段階増す。人々の活気に満ちた声が響き、大変に賑やかだ。


 カラフルなテント屋根の店がズラリと並んで、店先のカゴいっぱいに野菜や果物が盛られている。他にも香辛料の量り売りや、花や布、ありとあらゆるものが売られている。


 屋台料理屋が並ぶ区画もあり、風に乗って食欲をそそる良い匂いが漂ってきていた。


 人混みを縫うように歩きながら、並ぶ店をチラチラと覗いていく。ファルクも興味深そうにてんこ盛りの品々を見まわしていた。


「ルオーリオの市場は賑やかですね。どこの店も品が山のようで、なんと目に楽しいことでしょう」

「極北の街では、こういう市が並ばないのですか?」

「ベレスレナにも大きな青空市場はありますが、品物は大体凍っているか、雪が被っているので、こうも色鮮やかな景色に圧倒されることはありませんね。品物みんな、大体白くなっているので」

「それはそれで、面白そうです」


 氷漬けの市場とは、どういう雰囲気なのだろう。アルメとしては、逆にそちらのほうが気になった。


 街のことや食べ物のことをあれこれ話しながら歩いていると、目当ての店を見つけた。

 ナッツの量り売りの店だ。


「ファルクさん、ちょっとあの店に寄ってもいいですか?」

「もちろんです。あれはナッツの店ですか?」

「そうです。アイスのトッピングにどうかなぁと思いまして」


 答えると、ファルクは目を輝かせた。ウキウキした様子でナッツ屋へと歩を進める。


 アルメ一人だと混雑する市場で人波に埋もれることがあるのだが、ファルクがいると流れを横切ることが容易で、移動が楽だ。

 船の舳先のように道を切り開いて、繋いだ手を引いてくれる。


 あっという間にたどり着いた店先で、山のように盛られたナッツを見まわした。


 アーモンドにピスタチオ、カシューナッツ、クルミ、などなど。十数種類のナッツが殻付きで売られている。


「ナッツ入りのアイスは食感も楽しめそうですね」

「トッピングとしてだけじゃなくて、いっそナッツ主役のアイスを作ってみてもいいかも。ピスタチオアイスとか美味しそう。そのうち用意ができたら、是非食べにいらしてください」

「楽しみにしています!」


 ナッツの山に無造作に置かれていた木のカップを手に取って、カップいっぱいにピスタチオをすくう。もう一つのカップでアーモンドをすくって、店主に会計をお願いした。


 手持ちの巾着袋にナッツを入れてもらったら、これで本日のアルメの用事は終了だ。


 店の端に寄って、ファルクに向き合う。


「――さて、市場の用事はこれで終わりなんですが、次はどこに行きますか? 観光の定番ルートだと、中央大通り散策からの、中央神殿観光、という順番がおすすめですが」

「いや、ええと、神殿以外でおすすめの場所はありますか? 神殿はもう結構見ているので」

「あら、そうでしたか。じゃあ、他に人気の場所は――地下宮殿とか、中央公園とか、水路広場とか」

「地下宮殿、楽しそうですね! 地下街は難易度が高いと聞いていましたから、是非地元の方とまわってみたいです」

「わかりました、行きましょう!」


 目的地が決まったところで、またファルクが手を差し出した。

 改めて繋ぎ直すというのはまた気恥ずかしさがあるけれど、一瞬迷いを見せた瞬間、さっさと手をとられてしまった。


 ファルクは悪戯な顔で言ってのける。


「では、デートの続きを楽しみましょうね」

「やめてくださいって。怒りますよ」

「……すみません、調子に乗りました……お許しください」


 じとりと睨みつけてやったら、ファルクはしゅんと身をすくめた。


「冗談ですよ。さ、行きましょう」


 震えるヒヨコと化した男の手を引っ張って、アルメは通りを歩き出した。




 野菜や果物市場の区画を抜けて、屋台料理屋の区画を通る。昼時ということもあり、通りは人であふれかえっていた。


「ファルクさん、お腹は減っていませんか? ここでも食べられますし、地下宮殿の広場にも料理屋が多いので、どちらでも食事にできますが」

「俺はどちらでも――と、言いたいところですが、地下の方が涼しいのであれば、できればそちらで」

「わかりました。市場は混んでいるので、その方がいいですね。ここを抜けたら地下街への階段があるので、そこからは下を歩きましょう。日差しを避けられるので――……あ、」


 ファルクへの説明の途中で、思わず低い声を出してしまった。視界の真正面に見つけたくない姿を見つけてしまったのだ。


 人混みの向こうにいたのは、癖のある茶色の髪に緑の瞳の優男。フリオ・ベアトスだ。

 傍らには図書館の同僚――という名の、彼の弟弟子を連れていた。


 弟弟子といっても、フリオよりも年上だ。代々本の修復師をしているベアトス家に師事している人なので、フリオの腰巾着と化している男の人である。


 二人で昼ご飯でも食べに出ていたのだろう。最悪のタイミングだ。


 まだ向こうは気が付いていないし、距離がある。この人の波の中だし、きっとすれ違ったところで気づかれはしないだろう。


 ――そう思ったのに、向こうの反応は思いの外早かった。


「――アルメ? アルメ、だよな……?」


 顔を背ける前にバチリと目が合ってしまった。


 フリオは人混みの向こうで、いぶかしげに名前を呼んだ。髪を切ったので気付かれないかと思ったのだが、あっけなく言い当てられてしまった。

 今更ながら目をそらしてみたが、もう遅いだろうか……


 オロオロしていると、ファルクがキョトンとした顔で声をかけてきた。


「お知り合いですか?」

「はい、前の職場の同僚です……」

「そうでしたか。ではご挨拶に――」

「いえ、あの、仲が良くない知人なので、できれば逃げたく……っ」


 焦るあまり、重ねた手に力を込めてしまった。すると、ぽやぽやしていたファルクの表情が涼しいものへと変わった。


 ファルクは声を落として囁いた。


「では、気付かなかったことにしましょう。行きましょうか」


 そう言うと、彼は握った手を引いてさっさと歩き出した。

 人の波を挟んで、なるべくフリオから距離をとるように遠回りをして、通りをすれ違う。


 ごった返す道の賑わいに紛れて、上手く通り過ぎることができた。


 ――と、そう思って気を抜きかけた時……後ろの方から、よく聞き慣れた声が追ってきたのだった。


「おいアルメ! 挨拶くらいしたらどうなんだ!」


 フリオはわざわざ人混みをかき分けて、こちらへ近づいてきた。


 以前からそうだったが、彼は少々神経質な質なのだ。声をかけられたことに気付かなかったり、こちらの返事が遅れたりすると、すぐに指摘をしてくる人だった。『今、僕を無視しただろう』と、不機嫌な声で。


 このまま無視し続けたら、余計に彼の機嫌を損ねて面倒になりそうだ。仕方ないので、ひとまず挨拶くらいは交わしておこう……。


 ファルクに視線を送ると、察して足を止めてくれた。


「逃げきれませんでしたね」

「そのようです……。すみませんが、ちょっと挨拶の時間だけいただきますね。すぐ済ませますので」


 はぁ、と盛大にため息を吐いて、後ろに迫ってきているフリオに向き合うことにした。


 グチグチと文句を言いながら、フリオはアルメの前に出てくる。


「まったく、人と会った時のマナーも知らないとは、君は本当、に……」


 アルメの手元に目を向けて、フリオは言葉を止めた。視線はファルクとアルメの重なった手へと固定されている。


 固まったフリオを不審に思いながらも、さっさと挨拶を済ませるべく、こちらから改めて声をかけた。


「こんにちは。すみません、人が多くて気が付かず」

「……目が合っていたというのに、しらじらしいことを言うじゃないか。僕を馬鹿にしているのかい? 前から思っていたが、君は性格が悪いな。そういうところ、気を付けた方がいいと思うよ」

「そうですね……気を付けます」


 確かに、ばっちり目が合ったのに無視をして逃げたことは認めるしかない。


 素直に頭を下げたら、フリオは調子を取り戻した様子だった。こちらの様子をチラチラと見て、吐き捨てるように言葉を続ける。


「今日はまた、ずいぶんと色気づいた格好をしているな。これが君の本性かい? ……君に遊び相手がいたとは。意外とつつしみのない人だったんだな」

「……だったら、何だと言うのでしょう。どんな格好をして、どんな友達と、どこへ出掛けようが私の自由です。そもそも、もうつつしむ必要がないもの」

「っ……!」


 色気づいた格好、なんてからかわれて、つい言い返してしまった。


 フリオの婚約者という肩書きを負っていた頃は、自分の行動で彼にも迷惑がかかることを考えて、色々なことに気を遣っていた。


 けれど今は自由の身である。自分が何をしても、自分の身に返ってくるだけの生活だ。まったくもって、つつしむ必要などない。


 ――そう思ってそのまま言葉を返してしまったけれど、フリオは顔を歪めた。


「生意気なことを言う……! 散々世話になった身分で、僕にそういう態度を取るのはどうかと思うが? 君の祖母にはずいぶんと金がかかったが、もう恩を忘れたのか?」

「それは……もう済んだ話じゃ……」


 フリオは苛立ちに任せて、金の話を持ち出してきた。

 祖母の医療費としてベアトス家から援助があったことは確かだけれど、その貸し借りは浮気と婚約破棄の慰謝料として帳消しになったはずだ。


 それを今更盾にしてくるのは、ちょっとずるいのではなかろうか。世話になった恩の話を出せば、こちらが強く出られなくなることをわかっているのだろう。


 このまま話が長引けば不利になりそうだ。それに、こんな道端で長々と口争いもしたくない。

 下手に言い返すのではなかった……こうなってしまったら、早めに引いて切り上げるのが吉だ。


「……いえ、すみません、そうですね。生意気なことを言ってしまい、申し訳ございません」

「君はもう少しすみやかに、素直に謝ることを心がけた方がいい。今回は許してやらないこともないが、以降も気を付けるように」

「はい、反省いたします。……――では、お昼休みを潰してしまうのも悪いですし、そろそろ私は失礼します。良い一日をお過ごしください」


 最後にペコリと頭を下げておいた。

 

 フリオの対応としてはこれで申し分ないはずだ。半年間、婚約者として付き従ううちにマスターした、対フリオ用の処世術である。


 ――けれどこの日は、どういうわけかその対応が上手くいかなかった。


「待て、アルメ。別れの挨拶がちょっと雑なんじゃないか? 本当に反省しているのか?」


 立ち去ろうと体を動かしかけた時、フリオの手が肩へと伸びてきた。


 ――が、その手は中途半端に伸ばされたまま、宙に浮くことになった。 


 ファルクがアルメの前に出て、フリオの手を遮った。


「失礼ですが、俺の同伴者にまだ何か? 話があるのでしたら、俺が聞きましょう。まずはお名乗りいただいても?」

「あ、いや、僕はアルメに用があっただけでして……」

「名乗りなさい、と言っているのですが」


 後ろからだと表情が見えないが、ファルクの声は涼しげだ。フリオはファルクと背の後ろにいるアルメを交互に見て、戸惑ったまま口ごもっていた。


 内心、アルメも戸惑っていた。ファルクが初めて、明確に貴人の態度をとったので。


 庶民にはさして縁のないことだが、上流社会では身分の低い者が先に名乗るというマナーがある。

 初っ端の挨拶で相手に『名乗れ』と命令することは、自身の高い身分の誇示と、相手への最大級の牽制の意味がある。


 なんとなくの常識として知ってはいたけれど、目の当たりにするのは初めてだ。


 事態を察して、アルメもフリオも冷や汗をかいた。

 その硬直しかけた場を動かしたのは、いつの間にか近くに来ていた、フリオの弟弟子だった。


「お、おい、フリオ……! 何ボサッとしてるんだ! ほらっ!」

「あ、あぁ……」


 弟弟子はフリオの背をバシンと叩いて、挨拶を促す。固まっていたフリオはようやく姿勢を改めて、緊張した声音でファルクに名乗った。


「フ、フリオ・ベアトスと申します。大変、失礼いたしました……」

「よろしい。覚えておきましょう」

 

 短く答えると、ファルクはさっさとこちらに向き直り、声をかけてきた。


「さぁ、行きましょうか、アルメさん」

「あ……えっと……はい」


 ファルクは肩に手をまわし、そっと抱き寄せるようにしてアルメの歩みをうながした。一連の流れるような所作に、照れる暇もなく、導かれるまま歩き出してしまった。


 そのまま人混みの中を進んでいく。もうフリオの声はとっくに聞こえなくなっていた。



 

 しばらく歩いたところで、ようやくファルクの体が離れていった。


 ファルクは申し訳なさそうな顔をして、アルメの顔を覗き込んできた。


「……すみません。少々強引に場を離れてしまいましたが、大丈夫でしたか?」

「いえ、助かりました。ありがとうございます、心から……」

「なら、よかったです」


 ファルクはホッとしたように微笑んだ。またのほほんとした雰囲気に戻っていて、なんだかこちらまでホッとした気持ちになる。


 歩調をゆっくりとしたものに変えて、ファルクはアルメの手を取った。


 先ほどとは打って変わって、妙に浮かれたような声音で話しかけてきた。


「アルメさんにとって、俺は友達なんですか?」

「え、っと、急に何ですか?」

「先ほど言っていたでしょう? 『どんな友達とどこへ出掛けようが自由だ』と。友達の中に、俺も含まれているのかなと」

「す、すみません……勢いで言ってしまったのですが、勝手に友達に含めてしまって……。お嫌でなければ、一応、友達ということで……今日から……」

「ふふっ、そうですか。友達ですか」


 つい勢いで喋ってしまった部分を取り上げられて、焦りと照れが込み上げる。


 先ほど何やら高い身分を示したファルクに対して『友達』だなんて、我ながら身の程知らずもいいところだ。どうか庶民の冗談として、彼には今後笑いのネタにしてもらいたい。


 さぁ、存分にからかってくれ。――という覚悟で答えたのだが、思わぬ肩透かしをくらうことになった。


 ファルクを見ると、ふにゃりと気の抜けた顔をして笑っていたのだった。


「アルメさんと友達になれたので、今日は素晴らしい日です。……嬉しいな」


 独り言のように呟かれた言葉が、なんだか耳に残ってくすぐったい。

 その言葉につられたのか、アルメの胸にも明るい気持ちが満ちてきた。


 今日から二人は、店員と客という関係に加えて、友達という関係になるらしい。


 ファルクがまんざらでもなさそうな様子だったので、そういうことにしておく。アルメとしても、とても嬉しいことなので。


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