21 街歩きの誘い
握手で別れの挨拶を交わした、その次の日。
まさか二日連続でファルクの姿を見ることになるとは思わなかった。
今日はあいにく、アイス屋はお休みの日だ。
公的な機関や富裕層向けの大きな店と違って、街の庶民の店はほとんどが不定休である。休む日は店先に休みの看板を出しておくだけで良し、という簡潔なシステムなのだが、これが災いしたようだ。
先ほどファルクがひょっこりと来店してしまい、店先の休みの看板を見て大層しょんぼりとしているのだった。
アルメの今日の予定は、市場調査を兼ねた買い出しだ。二階自宅で支度を整え、そろそろ出ようかと思っていたところだった。
ふと窓から、小広場を歩くファルクの姿を見かけて、慌てて一階店舗へと降りてきたのだった。
玄関扉をさっと開けて顔を出すと、不意打ちをくらったファルクが思い切り驚いた。
「わっ、アルメさん!? あ、ええと、こんにちは」
「あっと、すみません、突然ドアを開けちゃって……! あの、大変申し訳ないのですが、今日はお店がお休みでして……」
「そのようですね。お休み中に失礼しました。また今度来ることにします」
「わざわざ来ていただいたのに、本当にごめんなさい」
いえいえ、とファルクは笑ったが、見るからに元気がない。申し訳ないことをした。今度から直近の休みの日は、事前に教えておこうかと思う。
ちょうど出掛けるところだったので、そのまま玄関扉に鍵をかけた。今日もルオーリオの天気はカラリとした晴天だ。日差しがまぶしい。
「おや、これからお出掛けですか?」
「はい、市場を見に行こうかと。ファルクさんも、今日はお仕事がお休みなんですか?」
「今日どころか、俺は明後日まで休みです。大きな仕事の後には連休を入れられてしまうようでして……」
それはいいことだ。大変な仕事の後にはしっかり休むべきである。――と思ったのだけれど、ファルクは浮かない顔をしていた。
「お休み中に、何かお困りごとでも?」
「困りごとというほどでもないのですが……恥ずかしながら、時間を持て余してしまって、どう過ごしたらいいのかわからず。友人もいませんし、職場にいても追い出されてしまうので……居場所がなくて……。皆さん、休日ってどうやって過ごしているのでしょうね」
ぼそぼそと喋り出したファルクの姿に、群れからはぐれたヒヨコのイメージが重なった。成人男性に言うことではないけれど、なんだか心許なく、可哀想だ……。
容姿が良くて懐も潤っていそうなファルクのことだから、私生活はさぞや華やかなのだろうと思っていたけれど、そういうわけでもないのかもしれない。
新しい街に来たばかりで遊び相手がいないとなると、どんな人でも、それなりにわびしい休日を送ることになってしまうようだ。
「……すみません、つまらない話に付き合わせてしまいましたね。お気をつけてお出掛けください。では、良い一日を」
「あ、ファルクさん待ってください。あの、もしよければ、という話なんですが、」
別れの挨拶をされたところを引き止めて、ちょっとした思い付きを提案してみる。
「時間潰しをお探しでしたら、私を観光ガイドとして雇う、というのはどうでしょうか? 私も今日の予定は街歩きですし、観光案内をしながら一緒に歩くという感じで」
観光ガイドというのは、この街の庶民にとっては馴染み深い小銭稼ぎの仕事である。
宿屋や商店の子供たちが小遣いを得るために引き受ける、というのが多いけれど、大人が仕事として、しっかりとした案内屋の店を出していることもある。
「観光ガイド!? えっと、アルメさんはいいのですか?」
「えぇ、ファルクさんがいいのであれば。お代は半日で五百
「安すぎません? 買い叩くのは悪いので……せめて三万くらい――」
「子供たちの相場はそれくらいなので。それ以上はいただけませんから、大金を出したら交渉決裂です」
「わ、わかりました……! 五百Gで是非、お願いします!」
ファルクは慌てた様子で五百G紙幣を出した。
せっかくの休日を寂しく過ごすのはもったいないので、提案に乗ってくれて良かった。彼にとって良い気分転換になればと思う。
紙幣を受け取ってから、改めてガイドとしての挨拶をする。
「確かに、頂戴しました。では、本日は私アルメ・ティティーが責任をもって、ルオーリオの街をご案内いたします。――と、先に言っておきますが、奥様には『店のガイドを雇った』としっかりお伝えくださいね。街を二人で歩いても、そういう行為ではない、とはっきりしておいたほうがいいので」
今回しっかりと金を受け取って、ガイドを仕事として受けたのは揉め事回避のためである。
本当は知人に街を案内することに報酬などいらないのだが、『デートをしていた』なんてあらぬ疑いをかけられたらトラブルになってしまうので。
金を受け取りガイドの契約をした、という形であれば、ファルクもそのパートナーも安心だろう、という思いから、こういう形にさせてもらった。
(本当は書面にサインを入れてもらって、残しておくのがベストだけれど。まぁ、用意もないし、今回は仕方ないわね)
諸々の注意を終えて、受け取った紙幣を財布にしまう。その間、ファルクは何か落ち着かない様子でチラチラとアルメを見ていた。
迷った末に、彼はポツリと小声で言う。
「アルメさん、あの、俺は独り身なので、そういう心配は無用です。相手すらいないので。お恥ずかしいことに……」
「えっ、あ、本当に? ……えっと、すみません! 余計なことを言ってしまいましたね……!」
思わず動揺して、目をまるくしてしまった。この人には三人くらい妻がいてもおかしくないなぁ、なんて勝手に思っていたのだけれど、まさか独り身とは。
驚くアルメに、ファルクは気まずそうに言い添えた。
「仕事ばかりで縁が続かなくて……。すっかり独りの生活が板についてしまいました。あ、女性遊びのために独り身だと嘘をつく、ということは神に誓って断じていたしませんので、そこは信じていただきたく!」
「わ、わかりました」
なんだか今日は、ファルクのプライベートが次々と垣間見えてくる日だ。
仕事にかまけて縁がなくなる、とは、一体どういう生活を送っているのだろう。明かされた事柄によって、また謎が深まっていく。
勝手にあれこれ考えつつ、アルメはファルクを伴って歩きだした。
「――とりあえず、立ち話もアレですし、行きましょうか」
「はい、よろしくお願いします」
「最初に市場に寄ってもいいですか? ここからだと近いので」
「お任せします」
喋りながら、二人並んで小広場から路地へと入っていった。
並んで歩きながら喋ると、店内で喋っている時よりも身長の差を大きく感じる。けれど思いの外、ファルクの隣は歩きやすかった。
喋りながら楽に歩けるのは、彼が歩幅を合わせてくれているおかげだ。本来ならば歩く速さなど合うはずもない背丈の差なのに、ぴったりと調子が合っている。
さりげない気遣いに、じんわりと心がほぐれる。
大人になってから異性と二人きりで並んで歩く機会は、フリオと時間を過ごしている時だけだった。
フリオは歩くペースが速いので、置いて行かれないよう、自分はいつも早足で後を追っていたように思う。
男性と歩くのは大変なんだなぁ、なんて思っていたのだけれど、そんなことはないのだと、たった今気が付いてしまった。
自分のあの早足の頑張りは一体なんだったのだろう……考えると虚しくなってくる。もうさっさと忘れてしまうことにしよう……。
遠い目をして歩いていたら、何を勘違いしたのか、ファルクがすまなそうな声を出した。
「すみません……俺、あまり遊び慣れていなくて……。何か楽しい話題を提供できるよう、考えてはいるのですが……アルメさんがつまらないと感じたら、いつでもガイドを終わりにしていただいて構いませんので」
「えっ、嫌です。そんなこと言わないでください。ファルクさんといるとなんだか癒されるので、せっかくの機会なので堪能させていただきたく! できれば終日お願いしたいくらいです」
ファルクからは、前世でいう『マイナスイオン』のようなものが出ている気がするので、時間が許す限り、浴びていたい気持ちだ。
現に今、フリオとのしょうもない思い出が一つ浄化されたところである。
アルメが慌てて答えると、ファルクは目をまるくして、そのまま黙り込んでしまった。
勢いに任せて変なことを言ってしまったか、と、返ってこない彼の返事にちょっと焦る。
たっぷりと間を空けてから、ようやく言葉が返ってきた。力の抜けた張りのない声で、ファルクは言う。
「……こういう休みの日に何もしないでいると、自分が酷く無価値に思えてくるといいますか、自分の存在理由がわからなくなってくるのですが……アルメさんはこんな俺にも、価値を見出してくれるのですね」
予想外に後ろ向きな言葉が返ってきた。思わず彼の顔を仰ぎ見ると、微笑んではいたけれど、どこか自嘲めいた笑みを浮かべていた。
(ファルクさんって、こういう顔もするのね。明るい人なんだと思っていたけれど、意外とそうでもないのかも……?)
今日は本当に、色々と新しい発見があるなぁと思う。
なんだか後ろ向きなことを言われたので、つい励ます気持ちでペラペラと喋ってしまった。
「価値を見出すもなにも、ファルクさんは魅力にあふれていますよ! そこにいてくれるだけで、気が安らぐといいますか、なんだか良い心地になります。私、ファルクさんとお店でお喋りをする時間が結構好きなんですよ。最近の密かな楽しみとして、あなたと二人で過ごす時間を心待ちに――……」
そこまで喋った時、ハッと気が付いて言葉を止めた。なんかちょっと、今、口説き文句みたいな言い回しをしてしまったな、と。
意図せず、男女の愛を匂わせるようなワードを連ねてしまった……ような気がする。
ファルクを見ると、照れたように顔を背けて、顔の熱を逃すように手でパタパタと仰いでいた。言葉の選択ミスが、ばっちりと伝わってしまっていた。
その様子を見て、アルメにもじわりと恥ずかしさが込み上げてきた。大急ぎで訂正しておく。
「あの……! 今のは別に変な意味ではなく、店員としてお客さんとのお喋りを楽しんでいるということでして!」
「わかっています。わかっていますよ。でも、あの、良い心地とか、二人で過ごす時間とか、密かな楽しみとか、男に対してそういう言葉選びはちょっと……」
「す、すみません……はしたないことを……!」
アルメも顔を背けて、のぼってくる熱を冷ますように氷魔法を使った。
しばらく気まずい無言のまま路地を歩いていると、通りに出た。
人通りの増えた道に出たところで、気を取り直して、ガイドをスタートする。
「ええと、この通りからさらに一本表に出て、少し歩いたところが市場です。行きましょう」
「はい。――ではアルメさん、どうぞ俺の手を」
「……へ?」
歩き出そうとしたところで、ファルクが手を差し出してきた。
今回のこの手は、昨日のような握手の手ではない。エスコートの手だ。そんなことくらいはわかるけれど、どう対応して良いのかはわからない。
元婚約者とすら、手を繋いで歩いたことなどないのに。
まじまじと手を見つめて迷った末、当人に答えを求めてしまった。
「あの……私はこの手を握るべきなのでしょうか?」
「握るべきだと思います。人が多いので、はぐれ防止と防犯のために。お気を楽にして、どうぞ」
「そうですか……それなら、失礼して」
そろりと手を添えると、ファルクは何てことない顔をして歩き出した。無駄に緊張してしまったのはアルメだけのようだ。
(私ったら、何一人で恥ずかしがってるのかしら……深い意味なんてない、ただのエスコートなのに)
変な照れを振り払って、歩くことに集中する。
アルメはこういうことに縁のない庶民女だからいちいち意識してしまうけれど、ファルクにとっては気にも留めないような行為なのだろう。
そう考えると、手を重ねて歩くことも平気に思えてきた。
――と、いうのに。
ほどなくして、ようやく得た平静はぶち壊されることになった。
ファルクはふいに耳元に顔を寄せると、そっと呟いた。
「手を繋いで街を歩くと、デートみたいで楽しいですね」
「デ、デート!? 何を言い出すんですか! 照れてしまうので、変なこと言わないでください……!」
「先ほどアルメさんに口説かれてしまったので、仕返しです」
「うっ……この~っ」
手を振りほどいてやろうとしたけれど、がっしり握られていて払うことができなかった。
どうやら、この手繋ぎは先ほどの仕返しらしい。涼しい顔で、何という悪戯を仕掛けてくるのか。
――アルメの無意識の口説きと、ファルクの悪戯の手繋ぎで、今回は照れの痛み分けということになりそうだ。