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16 キャンベリナの理想の恋

(キャンベリナ視点です)

 路地を抜けて、通りに待たせていたデスモンド家の馬車に乗り込む。


 キャンベリナは動き出した馬車に揺られながら、大きく息を吐いた。


(手切れ金はくれてやったし、もうあの女のことを考えるのはやめましょう。あたしはこれからフリオと幸せになるんだから……そのことだけを考えていればいいのよ)


 そう思うのに、なかなか胸のムカつきは晴れてくれない。


 仕方ないので、街の景色を眺めて気を紛らわすことにした。帰り着くまでには、このイライラが治まってくれているといいのだけれど。







 もうずいぶんと昔のことだが、かつて病弱だった自分は、自由のない生活をしていた。

 

 毎日同じベッドの上で、同じ景色の中、同じようなものを食べる日々……。

 そんなひたすら退屈な毎日だったけれど、唯一、恋の物語にひたることだけは楽しかった。


 物語の中で繰り広げられる男女のドラマチックな恋。ハンサムな男に熱く愛され、甘やかされ、大事にされるヒロイン。――その姿に自分を重ねて、つまらない日々の慰めにしていた。


 恋物語に夢中になり、何度も願ったものだった。いつか自分もドラマチックな大恋愛をしてみたい、と。


 どうせ叶うはずもない夢だ、と諦めつつも、願わずにはいられなかった。



 ――の、だけれど。

 それからしばらくして、思いがけずチャンスを手に入れたのだった。



 なんと貴族令嬢という身分を手に入れることになったのだ。商人の父が男爵の位を得たことによって。


 男爵家令嬢キャンベリナ・デスモンド。それが新しい自分の身分となった。


 もうその頃にはすっかり健康を手にしていたこともあり、この身分と元気な体を大いに活用して、昔からの夢を叶えるために動き出すことにした。


 夜会に参加し、舞踏会に参加し、他にも劇場や食事会や美術鑑賞会や――……あらゆる出会いの場に顔を出しては、素敵な男とのロマンスを探した。


 しかし、なかなか思い描いていた恋とは出会えなかった。


 熱烈にアタックしてくる男に限ってブサイクか、取るに足らない貧乏男。背の低い男も論外だ。汗っかきも見苦しいので却下。太っちょの男も勘弁願いたい。

 どんなに優しく親切な男だろうが、見栄えの悪い恋は願っていないのだ。


 素敵だと思う人は大抵、身分の高い男だった。……けれど、成り上がりの男爵令嬢という身分は、そういう上流の人たちには相手にされなかった。


 この身分は思っていたより使えない、微妙なものらしい。やり場のない腹立たしさに奥歯を噛んだ。


 自分は容姿が優れているので、もちろん、一夜の遊びに誘われることは多かった。


 けれど、それだけの関係だった。朝になれば綺麗さっぱり関係は消えていて、何も残らない空虚なものである。

 

 意気消沈して、意地悪な神を恨んだ。こんなにも強く大恋愛を願っているというのに、どうして与えてくれないのかと。


 ――その強い恨みは、どうやら神へと届いたらしい。


 しばらくして、ようやく運命の出会いを果たすことになったのだった。


 やけくそで参加した中流庶民から低位貴族までの安っぽい夜会で、なかなかハンサムな男と知り合うことができたのだ。


 男の名前はフリオ・ベアトス。


 少し癖のある茶色の髪に、優しげな緑の目をしている。やや細身の優男だ。

 背の高さは一般的な成人男性くらいか、それより少し低いくらい。小柄な自分からは充分高く見える背丈だ。


 フリオは手を取って、甘い声音で囁いてくれた。


『あなたはなんと可愛らしい女性だろう。まるで花の精霊のようだ。僕はあなたと出会うために、この夜会に参加したのかもしれない。どうか、今宵は僕と共に時を過ごしてくださいませんか』


 ひざまずいて手にキスを落とすフリオに、一瞬で恋に落ちた。フリオもまた、同じように自分に恋をしたらしい。


 まさに神が与えてくれたような、運命的な出会いだった。ずっと願っていたドラマチックな恋を、ついに手に入れたのだと大いに喜んだ。


 その日から二人の恋は燃え上がり、心を重ね、体を重ね、日ごとに想いは増していった。


 フリオには婚約者がいたそうだが、別れると言っていたし、ちょっと時間はかかったけれど、実際そのようになった。


 自分の夢は叶ったのだ。ハンサムで情熱的なフリオとの大恋愛を手に入れて、自分はこの世界の誰よりも幸せになったのだ。――心からそう思えた。

 

 ……はずなのだけれど。


 フリオと婚約を結んで新しい生活が始まると、胸にちょっとしたモヤがかかるようになってきた。

 その原因は前の女――アルメの影がチラついて消えないことにあった。


 新しいパートナーとして彼の仕事を手伝い始めてから、何度も聞く言葉があった。


『アルメには事務作業を任せていたから、同じように君にもお願いしたい』

『アルメはこうしていたから、君も頼む』

『アルメから引き継いでおけばよかったな、すまない』


 アルメ、と、前の女の名前が何度もフリオの口から出てきた。その度に胸はモヤつき、腹立たしさを感じるまでになってしまった。


 前の女の仕事を引き継ぐのは癇に障ったので、代わりに自分だけができることでフリオをサポートしようと思った。


 今までアルメとの触れ合いは一度もなかった、と聞いていたので、自分は目一杯、フリオにこの美貌の身を捧げることにした。


 彼は喜んでいたし、根を詰める仕事の良い癒しになればと思ったのだ。


 ……けれど、結局二人そろって館長とやらに大目玉をくらってしまった。


 フリオは個人作業室を取り上げられて、自分は入館証を取り上げられた。それによって彼の仕事場に入ることができなくなってしまったのだった。


 

 ようやく馴染んできた図書館通いの日課を奪われて、時間を持て余すようになってしまった。もうロマンスを求める外出の予定もなく、することがない。


 暇つぶしと憂さ晴らしを兼ねて、街のイベント――ルオーリオ軍の見送りに参加してみたりした。



 ――そこであろうことか、ときめきの神の悪戯を受けることになってしまった。


 極北の白鷹ファルケルト・ラルトーゼが、自分に向かって挨拶をしてくれたのだ。胸に手を当て、優美な敬礼を――。



 あの瞬間間違いなく、彼の金色の瞳は自分を見つめていたと思う。

 

 あの日、白鷹に向けて『こちらを向いてくださいませ』と大きく声をかけたのだ。皆呼んでいるので、同じように軽い気持ちで。


 彼が目を向けたのは、まさにその直後だった。


 自分は人よりも容姿が優れていると自負している。おそらくこの美貌が彼の目にとまったのだろう。


 白鷹は男神のように美しく、所作はまるで王子様のように素敵だった。世の中にはこんなに格好良い殿方がいるのかと、思わず息をするのも忘れて惚けてしまった。


 白鷹は軽く挨拶をすると颯爽と歩き去った。自分の心を悪戯にときめかせ、揺さぶったまま……。



 その後、つい昔の癖で彼とのロマンスを想像してしまった。彼と舞踏会でファーストダンスを踊ったら、どういう心地がするのだろうか、などと。


 ……でも、想像だけにとどめておく。


 だって自分にはもう婚約者がいるのだから。運命的な出会いを果たした、愛する婚約者が。


 それに相手は上位神官だ。他の高位貴族同様、成り上がり男爵令嬢の自分など相手にしないだろう。お近づきになろうと頑張ったところで、また虚しい気持ちを抱くことになるだけだ。

 というかそもそも、近づき方すらわからない相手であるし。



 揺れてしまった心を鎮めるためにも、早くフリオと身を固めたいと思った。


 フリオはそこそこハンサムで、自分より背が高くて、庶民の中でも中の上くらいの家柄。それなりにお金持ちで、仕事も持っている。そして自分を愛してくれている。

 ――自分にとって、これ以上ないほど釣り合いの取れた相手だ。

 

 『身の程を知れ。相応の相手と付き合うべきだ』と、アルメに言ったのは、自分への戒めも込められていた。    


 自分も身の丈に合った相手を選ぶべきなのだ。白鷹にときめいてしまった気持ちなど、さっさと忘れてしまって。


 フリオを一途に愛するためにも、胸のモヤつきの原因となっているアルメの存在を消し去りたかった。


 手切れ金を渡して、もう一切近づかないようにと命じておいた。会うこともなければ、そのうちフリオもアルメなんて忘れるだろうと。


 フリオには自分という女だけ。自分にもフリオという男だけ。――この形に収まるのがベストだろうと思った。これできっと、自分は幸せになれるはずだ。


 




 

 馬車から街を眺めながら、キャンベリナは目を細めた。


 この中央大通りは先日軍が通った道だ。つまりは白鷹が歩いた道である。


 無意識のうちに、あの時の白鷹の敬礼姿が胸に蘇ってくる。


(……でも、見送りくらいなら、また来てもいいかなぁ、なんて)


 つい、このくらいなら、という考えが頭に浮かんだ。


 考え出すと堰を切ったように次々と、気分の良い楽しい妄想が頭の中に流れ始める。


(……見送りに通っていたらそのうち覚えられて、声をかけられたりして。もし一夜の共に、なんて誘われたら絶対に乗っちゃうわ! 婚約者がいても一日くらいなら問題ないでしょ。でも彼の方がハマっちゃって、何度もあたしを求めるようになったらその時は――……)


 あれこれ想像しているうちに、先ほどまで感じていたアルメへのイラつきは、綺麗さっぱり消えてなくなっていた。


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