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第一話 彼の始まり

( ̄(エ) ̄)<外伝スタートクマー!


(=ↀωↀ=)<<超級>の今昔を描く『Episode Superior』シリーズの第一弾ですー

 □2043年英国 ヴィンセント・マイヤーズ


 あるとき、ネットの掲示板でこんなことを書き込んでみた。


『古くは貴族、

 今は富豪の家系に生まれ、

 何不自由なく生活し、

 家族の愛にも恵まれている。

 これは幸福だろうか?』


 答えは「くだらないことを書くな」という類の返答を除けば、「幸福に決まっている」が大半だった。

 そういえばこの文章には良いことしか書いていなかった。

 だから実情(・・)に近くなるよう、次の文章に書き換えてみた。


『古くは貴族、

 今は富豪の家系に生まれ、

 何不自由なく、

 また家族の愛にも恵まれている。

 しかし自身は心臓に重い病を持ち、

 運動することも興奮することも出来ない。

 これは幸福だろうか?』


 今度は「それは幸福ではない」という意見も少し出てきたが、答えの大勢はやはり「幸福である」だった。

 そうなのだろう。

 客観的に見て、その環境は恵まれている。

 それでも、()の主観からすれば……、


「……あまり幸せではないんだけどな」


 僕――ヴィンセント・マイヤーズは書き込んだネットの回答を見ながら、そんなことを呟いた。


 ◇


 今から十九年前の2024年、僕は英国屈指の企業グループであるマイヤーズ・コンツェルンの会長の嫡子として生まれた。

 生まれときから、僕は心臓にある病を抱えていた。

 心臓の鼓動が早まると、発作が起きる。

 “何もしなければ命には関わらないが、運動したり興奮したりすれば、命に関わる”。

 そんな奇病だ。

 裕福な家庭に生まれたこともあり、赤ん坊の頃から随分と治療を受けたけれど、結局完治しなかった。

 父が財力と伝手を駆使し、世界最高峰の医療で僕の心臓を取り替えてもみたけれど……どういう訳か病は再発した。

 どうやら、前例がない病であるらしく、世界中の名医がお手上げだった。

 両親はそれを深く悲しみはしたが、命に別状はないということを心から喜んでくれた。

 「お前は自分の人生を全うするんだ。そのためなら、私たちはいくらでも手を貸せるから」、と僕を抱きしめる父の腕の感触は今も覚えている。

 「私達はあなたの両親だもの。愛しているわ、可愛いヴィンス」と頬に口付けてくれた母を覚えている。

 本当に良い両親……とは思っている。


 こんな体であるため父の事業を継ぐことはできなかったけれど、幸い僕には弟がいた。

 僕の弟……キースはよくできた子で、何も出来ない僕を蔑むこともなく「兄さんの分まで僕が頑張るよ!」と真っ直ぐな目で言ってくれる。

 本当に良い弟だ。


 本当に良い生まれで、良い両親で、良い弟で……これで不幸だと言うのは我侭だろう。

 僕も不幸だとは思っていない。


 けれど、幸福だとも思っていない。


 僕の足は一度として大地の上を駆けたことがない。

 運動は心臓に負担をかけない散歩程度のものが限度だからだ。走りなどすれば、命に関わる。


 僕の心は一度として満足に高鳴ったことがない。

 心臓の鼓動が早まれば死に瀕するため、興奮したり強い感銘を受けるとされる映画を観ることもできない。

 本やネットで文章だけは読めたけれど、その文章にしても少しでも胸が躍ろうものなら、すぐに読むのをやめなければならなかった。


 絶望はない、けれど希望もない。

 物心ついてからの僕はただ心を躍らせないように本を読み、ただ風景を眺めて、食べて、考えて、眠って、生きるだけのものだった。

 まるで植物のような人生。

 「人は考える葦である」とパスカルは書き残したそうだけれど、僕は比喩でもなくそうだった。


 僕は恵まれている。

 僕は救われている。

 だけど、活力を抱いたことがない。

 自分の全力を出す機会が与えられたこともない。


 一度として……生命(いのち)を燃やし、躍動させたことがない。


 優しく、けれど閉じた人生。

 それが、ヴィンセント・マイヤーズの人生だった。


 ◇


 ある日のこと、キースが「兄さん! 今日はすごいものを持ってきたよ! 本当にすごいんだ!」と言ってプレゼント包装された小包を持ってきた。


「それはなにかな、キース?」

「ゲームさ! 昨日、すごいゲームが発売されたんだよ、兄さん!」

「ゲーム?」


 よく見ればそれはカラフルな包装で、たしかに玩具やゲームでも入っていそうな包みだった。

 キースはもうジュニアハイスクールを卒業し、ハイスクールに通いながら少しずつ父の事業を継ぐ準備を始めて忙しいはずだけれど……。


「これは僕からの兄さんへのプレゼントだよ!」

「キース……僕にゲームは……」


 そう、読書と違い、ゲームや映像は容易に興奮しやすい。

 以前、一度だけ家族とオペラを観に行ったときも、発作が起きかけて途中で退席したくらいだ。

 だから、普段からその類は避けているのだけれど……。


「違うんだよ! これはVRMMOさ! しかも“本物”なんだ!」

「VRMMO? 本物?」


 キースの説明によれば、そのゲームは精神だけ電脳世界に飛んでいくSF小説のような代物であるらしい。

 その間、肉体には影響が出ないので、興奮による心臓発作の心配はしなくていいらしい。

 だから僕でも遊べるはずだ、と。


「それは、すごいね……」


 画期的過ぎるほどだ。

 ネットを使って世間のニュースなどはチェックしているけれど、最先端技術のニュースでもそこまでには達していなかったはず。

 それに、精神だけを飛ばして肉体に影響が出ない、というのも奇妙な話だ。

 VRMMOといっても生身の脳で情報を受信して考えるのだから、肉体に影響が出ないわけがない。

 それこそ、夢でも心臓が高鳴ってしまうことはあるのだから。


「物は試しさ! ゲームの中でなら兄さんも思う存分動けるかもしれないじゃないか!」

「ハハッ……」


 もしもゲームが謳い文句どおりだとしても、それはやっぱりゲームだ。

 動けても、それは作り物の身体だろう……。


「…………」


 ただ、作り物だとしても……今の僕よりは余程いいかもしれない。


「じゃあ早速ログインしよう! 僕の分も買ってあ」

「キース坊ちゃま! 家庭教師の先生がお部屋でお待ちですよ!」

「げぇ!?」


 キースはそう言って名残惜しそうにしながら、メイドのマルタさんに手を引かれて俺の部屋から去っていった。

 去り際に「兄さんは先に始めてていいからー」と言い残して。

 そうして、部屋には僕と小包だけが残された。


「……どうしようかな」


 本当にゲームをしていいのか悩むところだけれど……折角キースが用意してくれたんだし、やってみようかな。

 小包を丁寧に開き、ゲームのパッケージを開封すると、そこにはヘッドギアに似た形状の装置が入っていた。

 説明書を読み、念のために心拍数を計測する器具はつけたまま、ヘッドギアを装着する。

 これでプレイ中に発作が起きても、使用人の人達が駆けつけてくれるはずだ。


「さて……」


 準備を整えた僕は……恐る恐るゲームのスイッチを入れた。


 ◇


 次の瞬間には、僕はどこかの邸宅の庭先にいた。


「あれ……?」


 一瞬、マイヤーズの屋敷かと思ったけれど……自宅より随分と小さかった。


「ここはどこだろう。それに、いつの間にこんなところに……」

「それはあなぁたがゲームのスイッチを入れた瞬間にですねぇい」

「!?」


 いつの間にか、そう繰り返しになるがいつの間にか……僕の隣には一人の男が立っていた。

 男は頭と同じほどの大きさのカラフルなシルクハットを被り、身に纏うのもまたカラフルな紳士服だった。

 ……衣服のカタログでも中々お目にかかれない奇抜な服装だ。


「ああ、こぉれは失礼をば。ワァタクシはこの<Infinite Dendrogram>の管理エェアイの第キュゥ号、マッドハッターと申しぃまぁす」


 帽子の男は、聞きなれないイントネーションでそう自己紹介した。

 けれど、帽子屋マッドハッターって……不思議の国のアリス?

 よく知らないけど、このゲームって童話がモチーフなのかな。

 そこまで考えて、気づいた。


「……ゲーム?」

「はい、こぉこはゲェム。<Infinite Dendrogram>の中でございぃます」


 ここが、ゲームの中?

 どう見たって、本物にしか見えない。

 空気は庭の草木の匂いを含んでいるし、肌に当たる風には温度がある。


「何となれば、飛び回り駆け回りご確認くださぁい」


 帽子屋は、何でもないようにそう言った。


 何でもないように……僕ならば決して出来ないことを言った。


「……走って、いいの?」

「え? ええ、それはもぅちろん。どうぞ<Infinite Dendrogram>のリアルさをお試しぃを」


 帽子屋に促されて、僕は庭の中で一歩踏み出す。


「…………」


 一歩、また一歩。

 少しずつ、少しずつ歩を早めて。


 気がつけば、僕はその庭の中を駆け回っていた。


「はは、はははは……」


 生まれて初めて……全力で駆けていた。


 ああ、そうか。


「ははははははははッ!」


 これが走るってことなんだ……。


 ◇


 十分も走って、僕は息を切らせながら芝生の上に仰向けになっていた。

 動きすぎて息を切らす、それも初めての経験だった。


「おつかれさまですねぇい。ところぉでどぅしてそんなに全力でぇ?」

「これまで、やったことが、なかった、から、ね……」


 ああ、心臓の鼓動を感じる。

 これはゲームの偽物のはずなのに。

 こんな感覚は初めてのはずなのに。

 この感覚が“本物”なのだと……全身で感じていた。


「チュートリアルゥ始めぇてもよろぉしいです?」

「うん、お願いするよ…………寝転んだままでいいかい?」

「ご自由にぃ」


 それからは帽子屋に色々説明を受けた。

 何分、ゲームをした経験が殆どないから質問も多かったけれど、帽子屋は嫌な顔一つせず受け答えしてくれた。

 そうしてキャラクターメイキングの段になって、僕はあることを尋ねた。

「僕が健康に育っていたらどんな風だったか再現できる?」、と。

 帽子屋は「可能ぅです」と言ってそのアバターを用意した。


「…………あ」


 一目見て、息を呑んだ。

 自分で言うことではないかもしれないけど、僕は自分のアバターに憧れた。

 「ああ、僕は、こんな風になっていたかもしれないんだ」と思ったら……涙さえ零れた。


 そうしてチュートリアルは進み、<エンブリオ>も移植してそろそろ終わる段になって帽子屋が慌てたようにこう言った。


「すぅみませぇん。まだぁネームを設定しておりぃませんでした」

「ネーム?」

「はぁい、名前です。本当はもっと早ぁく決めていただくはずぅでしたが、私の手違ぁいです。何分始ぃめたばかりなのでぇ」


 そうか、本名のヴィンセントのままではないんだ。

 けれど名前……名前か。

 ……一つだけ、思い浮かんだ。

 あの日、たった一度だけ家族で観に行った。

 楽しみにしていたのに……途中で退場しなければいけなかったあのオペラ。

 あのオペラの、主人公の名前は……。


「……“フィガロ”」

「ネームはそれでよろしいでしょうか?」

「うん」


 今度は、退場しない。

 その決心と期待を込めて、その名をつける。

 僕はこのゲームで自分の心を、自由に高鳴らせる。


「僕は……“フィガロ”だ」


 僕の言葉に帽子屋は拍手で応えた。


「貴方様のぉ、自由なる日々に、祝福あれぇい!」


 そうして瞬く間に庭園は消失し――僕は世界を見下ろす空へと放り出された。

 向かう先は、僕が選んだスタート地点――“レジェンダリア”。


 こうして僕――後に【超闘士】フィガロと呼ばれるプレイヤーは、<Infinite Dendrogram>の世界に足を踏み入れた。


 To be continued


次の更新は明日の21:00です。


( ̄(エ) ̄)<フィガ公が変態の国出身と判明


(=ↀωↀ=)<レジェンダリアへの風評被害(事実)すごい……

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