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第九話 前哨戦

 □【聖騎士】レイ・スターリング


 アルター王国には<超級エンブリオ>の<マスター>――<超級>が四人いる。

 王都を封鎖していたPKクランとの戦闘……否、一方的な殲滅を見れば分かるがいずれも桁外れの戦闘力を持っている。

 マリーに言わせれば、下級と上級、そして上級と超級の<エンブリオ>は戦力のステージが違うとのこと。

 彼女は「例えると下級が犬、上級が虎、超級が龍ですかね」と言っていた。

 それはもう、生物として絶望的な違いではないかと思う。

 さて、それほど他のプレイヤーと比較して過大な戦闘力を持つ<超級>であるから、当然のごとく他のプレイヤーから研究、情報収集されるのは避けられない。

 特に<超級>が<超級>たる由縁、<超級エンブリオ>については最優先で探られる。

 しかし、アルター王国の<超級>の<エンブリオ>の詳細は<DIN>でもほとんど把握していないのだという。

 一人を除き、<エンブリオ>の名前さえ把握されておらず、能力特性も推測の域を出ないそうだ。

 その一人とは王国最大のクランのリーダーである【女教皇】扶桑月夜だが、他の三人の<エンブリオ>は今も謎に包まれている。

 以前マリーが言っていたように【破壊王】の<エンブリオ>が戦艦であるという推測はされているが、実際に確認されたわけではない。

 その圧倒的な火力と戦場に垣間見えた巨大な影からそう予想されているだけだ。

 このように推測ばかりで確定情報がないため、プレイヤー達は今も三人の情報を収集している。

 そして、フィガロさんの決闘は正に絶好の機会なのであった。


 ◇


 セミイベントが終わってから、メインイベントが始まるまでは舞台や結界の整備のために30分ほどのインターバルがあった。

 マリーはアイテムボックスから色々と機材を取り出している。【記者】の仕事として記録をとるためらしい。

 ルークとバビは昼間に何かして疲れていたのか、座席にもたれかかってスヤスヤと眠っている。試合が始まったら起こそう。

 ネメシスは売店で買った料理をパクつきながら整備中の戦闘フィールドや観客席を見ている。

 俺もリアルでトイレを済ませてから何をするでもなく、眼下の様子を眺めていたのだが。


「……あれ?」

「む?」


 俺と、それからネメシスも気づいたらしい。

 今しがた、向こう側の通路に消えた黒い影。

 ずんぐりむっくりとした黒いクマの着ぐるみ。

 ……兄じゃないか?


「どう思う?」

「兄貴以外にも着ぐるみ装着のプレイヤーはいるだろうけど、兄貴の着ぐるみによく似てたな」


 しかし兄だとすれば、ここに席があるのにあんなところで何してるんだ?


「ちょっと確かめてくる」

「なら私も行くかのぅ」


 俺とネメシスはマリーにメインイベントの開始までには戻ると告げ、兄を探しに向かった。


 ◇


 闘技場内部の通路は、石造りではあったけどスタジアムやスポーツ施設の通路を思わせる作りだった。

 さすがに自動販売機などは置いていないが、軽食やドリンクを売っている人達は結構いる。

 メインイベントの前なので今のうちに飲み物を買いに走る人やトイレに向かう人で通路は結構混雑している。

 ちなみにログアウトしてリアルで用を足すプレイヤーには関係ないが、この世界のトイレには水洗式トイレが存在する。中流以上の家やこういった公共施設には魔法式の水洗トイレがあるのだ。

 もっと言えばお風呂もある。

 さすがに一般家庭への普及率は高くないが、代わりに街中には銭湯がある。

 特にこのギデオンなど十二ある街区の一つが温泉街になっているらしい。闘技場といい、中途半端にローマっぽい街である。

 ……まぁ、トイレにしろ温泉にしろ、俺はまだどっちも使ったことないけどな。

 こっちでトイレ済まして万が一にもリアルの身体が連動したら危険すぎる。

 閑話休題。


「クマニーサンおらぬのぅ」

「目立ちそうなものだが」


 兄かどうかはともかく少なくともクマの着ぐるみがいたのは間違いないが……。


「む、こっちの通路とか怪しくないかの?」

「スタッフオンリーって書いてあるが……」

「ちょっとなら道に迷ったということで問題あるまい。何なら私が迷子の演技をしても良い」

「……ちなみにどのような演技で?」

「にゃんにゃんにゃにゃん、にゃんにゃんにゃにゃん」

「泣いてばかりいるこねこちゃんじゃねえか!」

「あの歌、結局迷子のこねこちゃんの問題解決しないまま終わっているのがもやっとするのぅ」


 そりゃカラスやスズメに聞いていたらゴールには辿り着けんわ。

 閑話休題その二。


 俺とネメシスはスタッフオンリーの通路に入り込んだ。

 見咎められそうなものだが、闘技場のスタッフは他の場所でメインイベントの準備をしているのか見当たらない。

 そうして奥まったところまで歩いていくと、突き当たりの角の向こうから聞き覚えのある声が聞こえた。


『客席には二人来てたぞ。カルディナのあいつと……多分ドライフの【獣王】だな』

『なるほど。注目されているようだね』

『お前も闘技場で<超級>と戦るのは初めてだからな。今度こそ情報が入手できると踏んでいるんだろうさ』

『別に隠してはいないのだけどね』

『効果自体は地味だからなぁ、お前の<エンブリオ>』

『そうかもしれないね』

『それと……少し街の熱気に混ざってキナ臭い匂いがする。王国所属っぽいのに挙動不審な連中もいるしな。何か陰謀企んでるのがいるかもしれないから用心しとけよ。お前そういう話に鈍いから』

『わかった。でも、僕ってそんなに鈍いかな?』

『フィガ公は穏やか脳筋だからな』

『そうかな? そんなことはないと思うけれど』

『ダンジョンで怪しい人影が出てきたら』

『中距離から【紅蓮鎖獄の看守】を撃ち込む』

『PK集団がエリアを占拠していたら?』

『構成員を皆殺しにしてから頭目に退去要求を突きつける』

『手元にこん棒一本しかないのにモンスターの群れがいたら?』

『殴りかかる』

『脳筋じゃないか』

『……そうかもしれない』


 二人の人物の話し声。

 けれどどういう訳か、その両方の声に聞き覚えがあった。

 角からそっと顔を出して覗いてみると、


 黒いクマの着ぐるみと金色のライオンの着ぐるみが談話していた。


「…………」

「なんじゃ固まりおって。一体何がブフゥ……!?」


 同じ光景を見たネメシスが吹き出し、二体の着ぐるみがこちらに気づく


『よー、ティータイムぶりクマー』


 黒いクマは予想通り兄の声で、


『おや、レイ君にネメシスちゃん。無事この街に辿り着けたみたいだね』


 金色のライオンは……フィガロさんの声で話しかけてきた。

 ていうか、フィガロさんだった。


「……えーっと」


 とりあえず三人目のフィガロさんも変人っぽいので着ぐるみ=変人ってことにしよう。


 ◇


 俺達四人は通路からフィガロさんの控え室に場所を移して話すことになった。


「それで、どうしてライオンの着ぐるみを?」

『ほら、僕はこの街じゃ有名人だろう? 素顔で歩くと大変なんだ』


 ああ、芸能人の帽子とサングラスみたいなものか。


『ちなみにこれはバザーで買ったネタ装備。シュウみたいに<UBM>の特典装備ならいいんだけど、MVP特典って要るものしか出ないからね』


 確かに、俺の【瘴焔手甲】と【紫怨走甲】も要るものだ。


『僕もこれまで何体も<UBM>を倒してきたけど、着ぐるみが出たことはないなぁ。むしろどうやったら出るんだいシュウ?』

『……そうは言うがなフィガロ、出てきたのが一つ除いて着ぐるみとかいう結果は流石に困るんだぞ。着ぐるみは重ね装備出来んし』


 むしろ残る一つが気になるよ。

 着ぐるみじゃなければ何が出たんだ。

 持ち看板でも出たのか。


『君の場合、僕とは逆に特典で武具出されてもほとんど意味ないからね……。システムも「彼にはとりあえず着ぐるみ渡しておこう」って空気なんじゃないかな?』

『ハンプティの奴……許せんクマ!』

『管理AIってそこまで制御してるんだっけ?』

『知らぬ!』


 ……チェシャに聞いたログイン時の担当の件もあるし、兄って管理AIに嫌われているのだろうか。


「しかし御主らは仲が良いのぅ。友人というのはクマニーサンから聞いていたが」

『友人……うん、まぁそうなるかな。知っているだろうけど僕もシュウもこの国の<

『この国の<素敵大好き着ぐるみ愛好会>の仲間クマ! ちなみに会員数二名クマ!』


 ……それこの二人だけじゃん。

 しかもフィガロさんは付き合わされてる感バリバリだよ。


『え、えーと……。そうそう、特典と言えばレイ君のその篭手とブーツも特典だね? 中々良さそうな武具だ』

「あ、はい。これまでに二体倒しました」

『へぇ……ふむ、【瘴焔手甲 ガルドランダ】と【紫怨走甲 ゴゥズメイズ】か。ああ、噂になってたあの山賊団を退治したのはレイ君だったのか』

「はい」


 正直に言えば、少しだけフィガロさんに言いたいこともあった。

 フィガロさんが出張ればあのゴゥズメイズ山賊団も早期に壊滅していただろうし、犠牲者も少なかったのは確実だ。

 しかしそれは言っても仕方のないことだとも分かっている。

 フィガロさんにも、フィガロさんの理由があったのだろうから。

 それに、「力があるからやってください」は筋が通らない言葉だと思う。


『レイ自身が力の有無に関係なくやると決めたらやるタイプだからのぅ』


 かもな。

 あの事件で遭遇した様々な事柄は俺の中にある。

 他の人が代わりに出張っていればなどと考えること自体が間違いだろう。


『どっちもいいスキルと……君の思いの乗った武具だ。大事にするといい』

「はい」


 しかし今、ナチュラルに俺の装備を鑑定していたな。


『人の装備を鑑定するときはマイナス補正掛かるけど、俺もフィガロもほぼ《鑑定眼》マックスだからあらかた見えるクマー。無理なのは隠蔽効果ついた古代伝説級以上のMVP特典くらいクマー』

『これとかね』


 フィガロさんは兄の着ぐるみを指差しながらそう言った。

 兄の着ぐるみって思った以上に大層なものだったんだな。

 ……見た目は完全にネタ装備だけど。


『ところでどうしてスタッフオンリーの通路にいたクマ?』

「ああ、それは」


 兄の姿がボックス席に見当たらなかったこと。

 ボックス席から兄を見つけて探しにきたこと。

 通路に見当たらないからスタッフオンリーの通路に入ったことを告げた。


『あー、ちょい野暮用があって見回ってたクマー』

「そろそろボックス席に入ったほうがいいぜ。メインイベント前に俺のパーティを紹介しておきたいし」

『そうだな。もうちょっとしたら行くよ。っと、そうだ。昼に渡し忘れていたものがあった』


 そう言って兄はアイテムボックスを漁り、中からイヤーカフスらしきものを取り出した。


「これは?」

『【テレパシーカフス】クマー。同じアイテムを装備中のフレンドと念話できるクマー』

「へぇ」


 渡されたそれを耳に嵌めると、アクセサリーのスロットが一つ埋まった。


【聞こえるクマー?】


 すると、兄の声が頭の中に聞こえてきた。

 心なしか同じ念話でもネメシスと行うものと聞こえ方が違う。


【聞こえる聞こえる】

【テストOKクマー】


 バッチリ念話出来ている。

 しかし見る限りはクマの耳にこの【カフス】はついてないな。

 ……まぁ、生の耳につけなきゃ意味ないよな。


「かなり便利だな、このアイテム」

『距離に限りはあるが、このギデオンやその周りくらいの範囲なら多分繋がるクマー。これ本当なら王都で別れたときに渡すつもりだったクマ』

「そっか。でも今でいいと思うぜ。最初から受け取っていたら兄貴を頼っちゃいそうだし」

『ハハハ、自立精神旺盛で結構クマー。でも、一人じゃどうにもならないことがあったら頼れよ』

「ああ、そのときは頼むよ」

『頼まれる』


 そう言って着ぐるみの兄は胸を張った。

 その様はどこか誇らしげであり、着ぐるみの風体のためかおかしげだった。


「と、そろそろ時間だね」


 そうフィガロさんに告げられて時計を見ると、メインイベントの開始まであと十五分ほどになっていた。

 フィガロさんの準備もあるだろうしそろそろお暇した方がいいかな。


「フィガロさん、試合頑張ってください」

「知らぬ仲ではないので応援しておるぞ!」

『うん、ありがとう。あ、そうそうまだ受け付けているだろうから、受付で僕に賭けておくといい』


 そう言ってフィガロさんは着ぐるみの装備を解除して、俺の知る多種多様な装備を身につけたスタイルになる。

 そして、穏やかでありながら力強く笑って言った。


「儲かるから」


 決定事項のようにフィガロさんはそう言った。

 その一言に、絶対王者としての自負と決闘都市最強の戦歴の重みが窺えた。


「分かりました」


 フィガロさんがそこまで言うのだから、俺も乗ってみよう。


『俺はもうちょっとフィガロと話していくから先に行っていてほしいクマー』

「うん、わかった」


 そうして俺はネメシスと共に控え室を出た。


 ◇◇◇

 

「……ところで<素敵大好き着ぐるみ愛好会>って何かな、シュウ?」

『とっさに思いついたのがそれしかなかったクマ』

「ひょっとして自分のことを明かしてなかったのかい?」

『どうせならもっと美味しいタイミングでバラしたいクマ』

「ああ、君って驚かすためだけに切り札温存するタイプだからね……前も」

『過ぎた話はいいクマ。問題はこれからのことクマ』

「そうだね」

『お前、レイに必ず勝てるみたいに宣言してたが、そこまで楽な相手じゃないだろ。つーか俺の見る限りほぼ五分だ。むしろ少し悪いな』

「僕の見立てもそんなところさ。何せ相手は黄河の最強プレイヤー層<黄河四霊>の一人」

『対するはアルター王国最強のソロプレイヤー、“無限連鎖”のフィガロ、か』

「……自分で言うのも何だけど面白そうなカードだね。観戦したいくらいだよ」

『おいおい』

「安心してほしい」


「僕はこういう戦いのために……命を燃やす瞬間のために<Infinite Dendrogram>にいる」


「だから……僕の全てで勝つさ」


 ◇◇◇


 □【聖騎士】レイ・スターリング


 闘技場の受付には二通りの役割がある。

 一つ目は競技への参加エントリー、もう一つは競技の勝敗に纏わるギャンブルの手続きだ。

 参加エントリーはその日の自由参加イベントや、翌日以降の予約イベントにエントリーするためのものだが、参加の受付はクローズしている。

 ギャンブルの方も賭ける人は賭け終わり、試合が始まる直前なので通路も含めて人影はほとんどない。

 受付上部の掲示板――魔法を用いた電光掲示板に近いもの――にはメインイベントのオッズが表示されているが、

 フィガロさんが1.2倍、対戦相手が5.6倍だ。

 随分と差がついているけれど、それだけフィガロさんの人気や実力がこの街で認められているということだろう。

 俺は受付の女性に話しかけ、フィガロさんに賭ける手続きをする。


「いくら賭けるかの?」

「そうだな、1.2倍だからある程度賭けないと大して得しないし……よし」



 俺は6000万リルをフィガロさんに賭けた。



「アホか御主ぃぃぃぃぃぃ!?」


 直後、ネメシスの強烈なドロップキックを食らって吹っ飛んだ。


「な、何をする」

「御主が何をしている!? 何故ここで折角ゲットした財産を全額ギャンブルに放り込むのだ!?」

「フィガロさんの言葉を信じているからな」

「本音は」

「一回こういうギャンブル漫画みたいなことやってみたかった」

「よし、そこに直れ。お金の大切さを身をもって教えてくれる」


 受付の前でネメシスによるお説教が始まろうとして


「――残念、それはドブに捨てたようなものだナ」


 その瞬間、誰かに肩を掴まれた。

 咄嗟に振り返り、勢いよく後ろを振り向く。

 しかし俺の後ろには誰もいなかった。

 正確には、一人だけいる。

 けれどそれは十メートルも先で、肩を掴むなんて不可能な距離だ。

 事実、今の俺の肩は掴まれていない。

 声だけで、肩を掴まれたのは気のせい……いやありえない。

 今も感触だけは残っている。肩どころか、鎖骨の下の心臓をも握り潰されそうな、氷よりも冷たい感触が。


「しっかシ、フィガロが1.2倍ネ。アウェーだから仕方ないけど舐められたナ」


 俺の後ろに立っていた奴が言葉を発する。

 優秀な通訳機能を持っている<Infinite Dendrogram>においても、そいつは独特のイントネーションで話していた。

 そいつは、異様な気配を放ちながらこっちに歩いてくる。

 通路に僅かに残っていた人々はそいつが受付に近づくに連れて、そいつから距離をとるように後ずさる。中には背を向けて逃げていく者もいた。

 受付の女性も椅子からずり落ち、半ば泣き出しそうな表情でへたり込んでいる。

 無理もない。

 何が気に入らないのか、何か面白くないことでもあったのか、そいつは周囲一帯に尋常ではない殺気をばら撒いている。


「…………」


 人もまた動物であり……その動物的本能が目前の死を警告していた。

 それでも俺は近づくそいつから視線を逸らさずにいて――気づいた。

 そいつは異様であり、異形だった。

 十メートルと思われた距離が本当はもっと離れていて、そう誤認していたのはそいつの身長のせいだ。

 目測で、四メートルを超えている。

 亜人も利用するので高く設計されているはずの通路の天井さえもギリギリだ。

 そいつは中国映画のキョンシーが被るような御札付の帽子を被っていた。

 身体に対してサイズが大きすぎるダボダボの服を着ており、手足はほとんど隠れて僅かに見えるばかりだ。

 逆に言おう。――服の袖も裾も二メートル以上はあるというのに、手足が僅かに見えてしまっている。

 手足だけが、異常に長い。

 微かに見える爪は、金色で、鋭利で、――何千と殺してきたと言わんばかりの威圧感が込められている。

 恐ろしかった。


「…………っ」


 恐ろしいと気づけば、足が震えていた。

 【デミドラグワーム】、【ガルドランダ】、【ゴゥズメイズ】。

 これまでどんな強敵と相見えたときも、戦意そのものが萎えたことは無かった。

 だが今、それが折られかけている。

 本能が告げている。

 眼前で殺気を漏らすこの相手は、これまで戦ってきた敵と位階が違う。

 本能が告げている。

 すぐに離脱しろ、と。


「……ッ!」


 俺はそれを実行しようとして――気づいてしまった。


 ソイツの左腕に――女性が一人、荷物のように抱えられていることに。


 その女性が、酷く苦しそうな顔をしていることに。


 それに気がつけば、無視も逃避もできなかった。


「ネメシス!」

『!』


 咄嗟にネメシスを呼ぶと、ネメシスはそれに応じて俺と融合し、大剣の姿と成る。

 右手に伝わる相棒の鼓動に、俺の心に今一度戦意が蘇る。

 俺は大剣をそいつへと向ける。


「なんダ、やるのカ?」


 そいつは面倒くさそうに右手を上げる。

 左手には女性を抱えたままだ。


「フゥ……」


 応答もやはり面倒そうに……しかしながら右腕は蛇が鎌首を擡げるかの如く奇怪に動く。

 同時に、周囲に拡散していた殺気が俺に集中する。


 ――攻撃が来る。


「<カウン」


「遅エ」


 瞬間――圧し折られるネメシスと宙を舞う俺の首を幻視した。


『スタァァァァップ、クマー!』


 しかし、その瞬間は来なかった。


『……ぁ?』

「……!」


 一瞬でそいつの殺気は無くなっていた。

 否、無くなったのではなく、俺以外の誰かに注がれていた。

 それは、先刻の声の主。


「お前、何ダ?」


 そいつの視線と殺気を一身に浴びていたのは、


『通りすがりのクマだクマー!』


 ……兄だった。


「……、フゥッ」


 奴の殺意が逸れて、俺は大きく息をついた。

 確信する。

 今、兄が出てこなければ俺はここで二度目の(デスペナルティ)を迎えていた、と。


「クマ? ふぅン、お前は強そうだナ」

『いやー、ただの着ぐるみ愛好家クマー』

「ハハッ――よく言うゼ」

 

 そいつが笑った半瞬後。


 破裂音、金属の擦過音、激突音、破砕音が同時に響いた。


「!?」


 音は聞こえたが、俺にはその瞬間が見えなかった。

 気づけば、兄は右腕で何かを弾いたような姿勢だったし、奴は右手を兄に向けていた。

 そして柱の一本が砕け、兄の着ぐるみの右腕には何かと接触した摩擦痕ができ、そこから白煙が上がっていた。

 俺の目には何も見えなかったが、両者が何らかの攻防を行ったのは確かだった。

 それは俺には目視すら叶わない超高速の戦闘。

 マリーから聞いていた高過ぎるステータスにより生じる超常の動き。

 ハイエンドプレイヤーの戦闘領域が今そこにあったのだと……実感できてしまった。


「……く、ふ、ハハハハハハッ! おイ、面白いナ、クマ! お前カ! お前がフィガロなのカ!?」

『違うクマー』

「そうだナ! そうだっタ! 写真と違うシ、ギデオンの決闘王はそんな珍奇な格好はしないカ!」


 ……していたけどな。


「いいナ! 面白イ! お前、今、オレよりずっと遅かった(・・・・・・・)のに弾いたナ!」


 ずっと遅かった?


「死に掛けの国と侮っていたが、来た甲斐があっタ! 仮に対戦相手のフィガロが駄目でも、お前とやれたらそれは楽しイ!」

『そうだな。今日の試合でフィガロが負けたら俺が相手になってやる』


 その言葉に、兄は付け加える。 


『だが、その機会は無いだろうさ』

「ホゥ?」

『あいつは、お前に勝つからな』

「ふ、フフフフフ! お前にそこまで言わせるフィガロ! 本当に面白いナ! ならば主菜が二つあるつもりで楽しむとするサ」


 そう言って、奴は俺達の前を通り過ぎ、闘技場の通路の先へと向かおうとしている。


「……待った!」


 俺は咄嗟に声を張り上げる。


「あン?」


 また何か面倒そうに奴は首を傾けてこちらを見る。

 再び向けられかけた殺意に恐怖を思い出すが、退けない。


「その人を、どうするつもりだ?」


 俺が眼前の相手にまるで敵わないのはさっきの一合で重々承知している。

 それでも、目の前で起きていることを見逃すわけにはいかなかった。

 ……後味、悪いしな。


「その人…………あ、これカ」


 そう言って奴は左腕に抱えていた女性を床に降ろした。


「うぅ……」


 床に寝かされた女性は呻いている。


「こいつは同伴者だヨ。少しだけ(・・・・)移動手段が荒っぽかったんで酔ってグロッキーになっただけダ」


 そう言って、そいつは大きく溜息をついた。


「え?」


 仲間なの?

 え、本当に?


「…………」


 ……よくよく見れば、顔色の悪さと苦しそうな表情は深刻だが、外傷は一つもなかった。


「ン? お前まさカ、俺が誘拐か何かしたと思って立ち向かったのカ」

「…………すみませんでした」


 マジですみません。

 思いっきり早とちりした。

 相手のプレッシャーに当てられて冷静に動けなかったのもあるだろうけど。

 これで死んでいたら完全に阿呆だ。

 あと、今すごく恥ずかしい…………。


「く、フ、クアァカカカカカカカ!!」


 俺の回答に、なぜか奴は呵呵大笑した。


「お前、クク、お前も面白いなァ。それが理由で殺気丸出しの俺に食ってかかったのカ! 面白いナ! ああ、クマといいお前といイ、強さはともかく面白い奴は多いナ! この国の<マスター>!」


 そう言って、そいつは長い金爪をポンと俺の頭に乗せていた。

 そして動作に全く反応できなかった俺の耳元に、御札で隠された顔を近づけ、


「気に入った。今度遊んでやる」


 そう囁いたのだった。

 え? 今の声……。


「ハハハ、じゃア、また後でナ!」


 それだけ言い残してそいつは踵を返し、床に転がった女性を引きずりながら再び通路の奥へと向かっていった。

 通路の奥からは奴の「おい大使さン、いい加減起きナ。アンタももうすぐ仕事だろうガ」という声と、引きずられている女性のものと思しき「ふぇぇ、もう超音速で空の旅は嫌ですー……」という弱弱しい声が聞こえてきた。

 そうして奴が去った途端、空気は平静を取り戻していた。


『よう、あぶねーところだったクマー』

「……ありがとう、兄貴」


 きっと、あそこで兄が助けに入らなければ俺はまた死んでいただろう。

 あいつにはそうするだけの実力と、殺意があった。


『あれの前で戦う姿勢を取れたのは格好いいけど、勇気も使いどころクマー。<超級>と正面切ってやりあうのはまだ早いクマー』

「<超級>……じゃあやっぱりあいつが……」

『ああ、フィガロの対戦相手。武仙帝国黄河最強の四大プレイヤー、<黄河四霊>の一人』


 ――“応龍”の迅羽


 To be continued



次回は明日の21:00投稿です


(=ↀωↀ=)<次回で試合が始まります


( ̄(エ) ̄)<ここだけの話、今回は二話くっつけたクマ


(=ↀωↀ=)<またストック消費してるー……

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