拾話 謀
□■皇国宰相について
ドライフ皇国宰相、ノブローム・ヴィゴマはシステム上、何の特別も持ち合わせていない男だ。
皇王クラウディア・L・ドライフのようなハイエンドではなく、皇国元帥ギフテッド・バルバロスのような神話級特典武具の持ち主ではなく、かつての特務兵団の超人達のような超級職やオリジナルスキルもない。
ジョブ適性やレベル上限すらカンストには遠い。
彼は、システム的にはただの人だ。
そんな彼は、時々どうしても考えることがある。
『なぜ自分は宰相などやっているのだろうか』、と。
彼は無能ではない。むしろ有能な類だ。
半世紀以上前、貴族子女の職業斡旋のための形式的なものであった当時の皇国の科挙に、平民……それも二十歳前という若さで臨んだ彼は優れた成績を収め、縁も後ろ盾もない身で合格した。
数少ない平民出身者への嫌がらせとも言える法律、『平民は不正防止のためジョブを破棄』さえも受け入れて彼は役人になった。
そんな彼だが……上昇志向には著しく欠けた男だった。
役人として職務を果たしながらも、出世のために能動的には動かない。
当時の皇国では当たり前だった賄賂や裏取引とも無縁。
それゆえ、上昇志向の強い貴族出身の同僚に追い抜かれ、自然と閑職に送られた。
しかし左遷の後、実直な仕事ぶりから先代のバルバロス辺境伯にスカウトされた彼は、辺境伯の家臣として働くことになった。
長い忠勤で辺境伯の信頼を得ていた彼は、バルバロス家の様々な秘事にも関わることになる。
その一つが辺境伯家の預かった第三皇子の遺児……クラウディアの家庭教師役だ。
死んだはずの兄と一人二役するクラウディアの境遇や、彼女自身の特異性は公には伏されていた。
ゆえに、世話役や教師役には絶対に秘密を漏らさない信頼できる人間しか割り当てられなかったのだ。
彼はその命令に否とは言わず、自らの務めとして請け負った。
クラウディアの望む学問について、彼の力の及ぶ限り教授した。
教え子がハイエンドだったために、すぐに彼が教えることはなくなったが、それでもクラウディアは彼を信頼した。
そして叔父であるギフテッドと並び、様々なことでノブロームを頼った。
それはあの内戦でも同様だった。
クラウディアに相手の陣営を少しでも撹乱してほしいと言われ、彼はそれを実行した。
彼はこれまでの人生で知りながらも使うことなく仕舞ってきた貴族にまつわる情報をリークしたのだ。
大貴族に起きた幾つもの事件、トラブル、醜聞。
それらの過去の問題の原因が他の大貴族であるという『真実』をばら撒いた。
《真偽判定》のある世界では、『真実』こそが武器になる。
結果、同陣営であるはずの大貴族達は互いを敵、信用のできない相手と見做し、崩壊した。
内戦の後、長年の忠勤と功労、そしてやはり任せられる人材の不足から、彼は宰相に任じられた。
以降は皇国内でまだ息をしている産業の強化や、戦争以外の手法での他国を下す方法を模索することになる。
<叡智の三角>という新興の――しかし新機軸の兵器を生み出した――クランに注目し、スポンサーとなったこと。
それらの戦力と王国の内通者を使い、再度の戦争前に王国を折ろうとしたこと。
カルチェラタンの開かれた<遺跡>を押さえようとしたこと。
宰相として、彼は国のために努めてきた。
なぜ彼が宰相などやっているのかは『運命の巡り合わせ』と言うほかないが、それでも彼は真面目に任された仕事を果たさんとしてきたのだ。
システム上特別ではない自分の能力の及ぶ範囲で、できることを。
◇◆◇
□■開戦前日 皇都ヴァンデルヘイム・宰相執務室
その日も、ノブローム・ヴィゴマは仕事に励んでいた。
今回の戦争において、彼は多くの仕事を任されている。
非戦闘員であったことから隔離施設には入っておらず、戦争中も皇国の実務を滞らせないために彼は皇都に残されたからだ。
今は、隔離施設に向かったクラウディアやギフテッドの分まで、任された権限で仕事をこなしている。
そうした権限を委ねるほど、彼は任された仕事を果たす男だと誰からも思われていた。
主であるクラウディアからも、同僚であるギフテッドからも、支援先のフランクリンからもだ。
皇国の政治に関わる者から彼への評価は極めて高い。
その証拠に、今回の戦争の事後処理の手順を示した命令書までもクラウディアから受け取っている。
命令書は三枚。
一枚目は、戦争に勝った場合。
二枚目は、戦争に負けるも最重要目的を果たした場合。
三枚目は、戦争に負けて目的も果たせなかった場合。
それらの命令書には今回の戦争の真の経緯や、【邪神】に関する情報も含まれていた。
皇国を、友を、世界を救うためにクラウディアが採る手段の数々。
いずれの場合でも、彼はクラウディアから後事を託されている。
まるで、いずれの場合でも――そのときには彼女がいないかのように。
「…………」
不意に、仕事を進めていたノブロームの手が止まる。
後事を託されたのは、結局は他に人材がいなかったからだろうとノブロームは考える。
かつてクラウディアの家庭教師を任じられたときと同じく、他に任せられる人間がいない仕事ほど彼に回ってくる。
それは、機械のように確実にこなしてくれるだろうという信頼だ。
何だかんだで情が深すぎる元帥……ギフテッドには向いていない。
「…………」
しかし、ノブロームも機械ではなく、自ら思考する人間である。
ゆえに当然、今の状況と下された命令についても考える。
勝てるならばいい。
問題は、勝ち目が薄くなったときに自らの主が使うだろう手だ。
何が起こるのか、何をするつもりなのか。
ノブロームは知っている。教え子……クラウディアが何を選択したのかを。
だが、それは皇国に……あるいは皇国だった国に生きる民の未来に暗雲を残す。
何より、主君の心には憂いが遺るだろう。
「…………」
無論、世界の未来そのものが閉ざされるよりはマシだろう。
それを望み、暗躍する者がいるのだ。その可能性を潰すために手段は選んでいられないのだろう。
クラウディアは自分に打てる全ての手で、それを成そうとしている。
教え子の選択を、ノブロームは否定しない。
「…………」
だが、彼には……教え子の最後の手段よりも、少しだけ先に使える手があった。
ゆえにここからは任された仕事ではなく――彼の独断だ。
「さて……今も繋がるかどうか」
彼は懐のアイテムボックスから年季の入ったアイテム……機械式ではなく魔法式の通信機を取り出す。
前にこれを手に取ったのは半世紀以上前のこと。
彼が皇国の科挙に挑む前……皇国に流れてくるよりも前。
◇◆
今のノブローム・ヴィゴマは皇国宰相である。
その前は、クラウディアの家庭教師。
その前は、バルバロス辺境伯の家臣。
その前は、皇都の平役人。
その前は、科挙を受ける平民。
――その前は?
彼はシステム上、特別なものは何も持っていない。
ジョブはなく、特典武具は持たず、<エンブリオ>など無論なく、血筋も平民。
しかし人間が特別かどうかは――システムだけでは決まらない。
先の内戦において、大貴族を情報戦で狂わせたのは彼である。
では彼は……どうやってその情報を得たのか?
大貴族が崩壊するほどの醜聞の数々を、本当にただ仕事をするだけで集められたのか?
それは彼が培い、持ち続け、自然と使い続けていた技術によるもの。
技術は、技術とイコールではない。
特に、人が関わる類なれば。
彼がその技術を身につけたのは、もう半世紀以上前のこと。
今、彼が再び繋がろうと手に取った通信機の先の――過去。
◇◆
『――久しいね』
「――お久しぶりでございます」
彼が通信機を起動させると、一度のコールの後にどこかへと繋がった。
半世紀以上の時を経て再び繋がった通信相手の声は、皺枯れたノブロームの声とは違い、記憶のものと変わらない。
五十余年を経ても、記憶から薄れない声のまま。
『もう繋がることはないと思っていた。君がこれを使う機会は何度もあったから、もう使う気がないと思っていた』
「ええ。幾度もありました。悩みもしました。けれど、今まで使わずに、この<権利>を残していたこと……私は過去の己を褒めたく思います」
『それほどに、送ってほしい相手がいるのかい?』
「はい。かつて、あなたの徒弟であり、餞別に<権利>を賜った者として、お願いしたき儀がございます」
そしてかつての師弟の言葉は交わされ、
『願いを聞こう。“謀殺”のノブローム。かつての我が<親指>』
師がかつての弟子に懐かしき呼び名で問いかける。
「我が主君の最後の憂いを晴らすべく」
弟子がかつての師に、今の主君のために答える。
「――【邪神】テレジア・C・アルターの抹殺を【死神】たる貴方に願いたい」
『――了承した。君の<権利>と願いに応じ、私が【邪神】を送ろう』
――かくして、盤面に運命を動かす最後の駒が投じられる。
To be continued