これが怖い?
(3/1回目)
自分の首を押さえてノイエは相手を睨む。
こちらの攻撃を喜んで正面から受ける。こんな狂った存在は……頭の中に"それ"が浮かんで、不意に背筋が冷たくなった。
グッと唇を噛み締めて、ノイエはバックステップして相手との距離を取る。
気を付けないとダメだ。気を抜けば袋叩きに遭って、自分を殴った仲間が『あの人たち』に半殺しにされる。
自分がやられるのは良い。怪我など待てば治る。でも自分以外の人の怪我は簡単に治らない。
『もう止めて』と言ってもあの人たちは聞いてくれない。止まってくれない。人が殴られる姿は見たくない。
過去の記憶がノイエを躊躇させる。
殴りかかって来ようとしていたオーガも相手が離れたのを知り、動きを止めて顔面の血を腕で拭う。
受けた攻撃の跡がゆっくりとだが治って行く。
自分と同じ……そうノイエは理解してその場に伏せた。
「最後の一本です!」
弓の弦が弾けそうなほど引いて、ルッテは矢を放った。
標的の真後ろ……つまり真正面から飛んで来る矢はオーガは回避のしようがない。
だが大女は、飛んで来る矢の矢じり部分では無く軸を掴んで止めた。
「この手の玩具は3度も見れば、カラクリが分かるもんだよ!」
「嘘っ!」
掴まれ投げ返された矢が足元で弾け、ルッテは吹き飛び茂みの中へと消える。
だがそれをノイエは見逃さない。
全力で直線的な動きで相手に体当たりを加える。
ガリッと靴底で地面を踏み込み……ノイエは相手を一気に押す。
しかしその突進は簡単に終えた。
「速さはそっちだけど……力はアタシの方が上だねっ!」
また体を掴まれ頭上へと持ち上げられる。
一気に地面に叩きつけられ、全身の骨が砕けそうなほどの衝撃を受けた。
「死ねっ!」
「くっ」
地面で伸びる彼女に対して、オーガは拳を振り下ろした。
ボグゥッ!
上から押し付けられた拳の圧に地面が沈む。
刹那のタイミングで回避したノイエは、少し離れた場所を転がり難を逃れていた。
「チッ! 捕まえて殴らないとダメか」
砕けた拳をそれでも握り締めてオーガも立ち上がる。
ほぼ互角。
その様子を見ていたアルグスタはどうにか立ち上がり立木に背を預けた。
分かっている。彼女が本気を出せていないことぐらい。
優し過ぎる自分のお嫁さんが、周りを気にして全力を出せない事実を。
「あはは……良いよ。良いね。楽しいよ! こんなに楽しいのは久しぶりだよ!」
オーガが犬歯を剥いて笑う。
「お前を殺して食べてやろうか? それともそっちの旦那を喰らってやろうか?」
「っ!」
「何だい……自分よりも旦那の方が大切なのか?」
「アルグ様は……護る」
「そうかいそうかい」
ニタニタと笑みを浮かべて頷く大女に、アルグスタは何か違和感を覚えた。
その言葉が相手を見ながら何かを探っている様な気がしたのだ。
「だったらお前の手足を砕いてから、そこの旦那を頭から喰らってやるよ」
「させない」
「あはは。あの大きさを喰うのは難しいんだけど……それでも喰らってやるさ。出来たら小さい方が、幼子の方が食いやすいんだけどね」
ビクッとノイエは反応した。
相手の言葉が気になった。
その様子をオーガは見逃さなかった。
ニタ~と笑う大女の様子を見てアルグスタはそれに気づいた。
「……子供を?」
「そうさ。知らないのか? 子供の消失事件を……あれの犯人は」
「ノイエ聞くなっ!」
分かっていた。
もう遅いとでも彼は叫ばざるを得なかった。
「犯人はアタシだよ。幼児を頭から喰うのが好きでね……全部喰った」
「たべた……?」
フラッと体を動かし、ノイエが消える。
本当の意味で目にも見えない速度でオーガの前に立ったノイエは、全力で相手の腹に拳を突き立てる。
振り抜いた右の拳が、手首が、肘が、肩が……余りの衝撃に骨が砕けたが気にしない。
「どうして?」
砕けてちゃんと動かない右腕を振りかぶり、彼女はまた拳を振るう。
「どうして!」
相手の顔面に叩きつけた拳が、相手の頬骨と共にまた砕ける。
「赤ちゃんを!」
温かくて小さな存在だ。抱くと胸の奥がキュッとして暖かな気持ちになる。
何も知らない自分にだって分かる。あの存在は"護るべき者"だと。
それを食べるだなんて……到底許せない。
「決まってる。"餌"だからだよ」
ニヤッと笑って、オーガも握った拳を相手に振り下ろした。
最悪の展開だ。クソッ!
自分の愚かさに腹を立てても仕方ない。この状況を打破しないと。
完全に相手のペースに飲まれてノイエが我を忘れている。
オーガって脳筋な生き物じゃ無かったのか?
あんなにも狡猾にノイエの逆鱗を逆撫ぜしやがって。
どうする? どうすれば良い? クソッ!
ノイエはただがむしゃらに手足を振るっていた。
もう何もかも分からない。ただ相手が"嫌"だ。嫌いだ。
子供を食べた。あれは護るべき存在だ。
何より彼を傷つけた。護ると約束した彼を……
間合いを取って相手から離れる。
ギリッと奥歯を噛み締めて、ノイエは相手を睨みつける。
頭の中がグルグルとして気持ちが悪い。
思考が溢れて止まらない。グルグルとして止まらない。
呼ばれなかった。
何かあればすぐに自分の名前を口にする彼が、今日は最後まで呼ばなかった。
ドラゴン退治をしていても、彼の"声"は常に拾っている。術式があるから使っている。
声が聞こえるだけでも胸の奥がポカポカして気分が良いから。
でも今日の彼は最後まで呼んでくれなかった。
傷ついて苦しんでいる声を聴くのが我慢出来なかった。
だから仕事を、ドラゴン退治を放棄して飛んで来たのに……彼は左腕を抱えて蹲っていた。
呼ばれなかったけど、護れなかった。
自分は"約束"を破ったダメな子なのだ。
分かっている。ダメな子は必ず処分される。
昨日居たはずの子も"ダメな子"になって次の日から姿を消す……それを何度も見て来たのだ。
処分されたくない。もうみんなは居ないけど……何より別れたくない人が居る。
別れたくない。それは嫌だ。
「何だお前……泣いているのか? 怖いのか! ユニバンスの化け物っ!」
怖い? これが怖い?
ノイエにはそれが分からない。
でもこれが怖いと言うなら分かる。
彼と別れるのは絶対に嫌だ。
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