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最小限の犠牲

 っふざけるなぁぁぁあああっ!


 飛び込んで来た景色に辺りを見渡す。

 一番に見えたのは背もたれに体を預けて眠る兄の姿だった。


 くたばれこのド畜生っ!


 色んな思いを右手に込めて、立ち上がり様踏み込んで放った拳はあっさりと払われた。


「起きたか?」


 ……酷い。普通弟の顔面にカウンターとか入れる?


「寝込みを襲う不逞の輩が恨めしそうに睨むな」

「何となく勢いと憤りで」

「そんな理由で兄を殴る奴がいるか?」


 訳もなく首を絞めて弟を落とした兄が目の前に居るんですけどねっ!


 鼻血の有無を確認し、僕は改めて部屋を見渡した。

 机の上に合ったはずの銀皿が無くなり、代わりに白地に何やら文字が刺繍された布が広げられていた。


「祝福を得て居ると思われる者をその上で眠らせると……何かしらの何かと出会えるようになるらしい」

「……」

「その様子だと会えたみたいだな」

「はい」


 広げられたままの布を折りたたみながら兄の言葉が続く。


「これは国が出来ると王の玉座に突然現れる。どこからどうやって運ばれてくるのか分からない。

 でも一目見ると教わってもいないのに使い方が分かる。本当に不思議な布さ」


 その理由は分かる。探させる為だ。

 祝福を持つ者を探させて……そして観察するためだ。


 畳んだ布を懐にしまい、そっと腰の剣に手を当てた兄がこっちを見る。


「で……どんな力だ?」

「言わない」

「へ~」


 トーンが下がった。

 剣に触れる手が、何故か異様なほど恐怖を感じる。


「もう一度聞く。どんな力だ?」

「死んでも言わない」


 でもこの力は絶対に言えない。

 言ったらダメな力だ。この力を知られれば……ノイエが不幸になる。

 どうやっても、どんな使い方をしても。


「……そうか。なら死んでも言うなよ」

「へっ?」


 欠伸交じりでそう言った兄から興味を失った様子が見て取れる。


 今までの緊張は何処へ?


「お前こっちの世界に来る前に死んでたって言ったろ? それで親父と兄貴がもしかしたら祝福を得てるんじゃないのかって言い出してな。で確認した」

「……」

「ただ一つだけ国王からの厳命が出てな。もしお前が力を持っているなら好きにさせろって」


 へっ?


「何だその間抜け面は? 本来のお前はノイエを繋ぎ止める為の結婚相手だ。それ以上の活躍を求めるなって……そう言い出してな。

 だからその力はお前の好きにしろ。ただしこの国に害を呼ぶようなら殺すぞ?」

「それは無い。ノイエが居るから」

「何だよそれ?」


 そう。ノイエが居るからこの力は要らないはずだ。


「まあ良い。酷い顔色してるから今日は帰って寝ろ」

「はい」

「ただし親父と兄貴には祝福のこと……報告はするぞ」

「はい」


 何だろう。凄く疲れた。

 重たい足を動かして……振り返る。


「ここってどこ?」




 馬鹿王子が遠ざけていたメイドさんを呼んでくれて、その案内でようやく知った廊下に出た。


 途中でいつも無駄に元気な売れ残りと出会った気がしたけど、面倒臭いから踏み倒して爪先で背中をグリグリしたら喜んでいた。

 たぶん疲労から来る幻覚だったのかもしれない。


 ようやく離れに戻ってそのまま寝室へ。

 ベッドに転がり込んで天井を見上げていたら……不意に胸に苦しさを覚えた。


「かはっ! げほげほっ!」


 苦しい……どうしてこんな力をっ!


 僕が持っちゃいけない力だ。

 ノイエの隣に居るのなら絶対に持っちゃいけない力なんだ。


 それなのに……どうして?


 気分が悪い。とりあえず目を閉じて心を落ち着かせよう。




 ふざけるな! 何でそんな力っ!


『……ただの偶然よ』


 どうしてこんな力がっ!


『……祝福はこの世界に必要と思われる力を与える傾向があるの。だから偶然、貴方が選ばれただけよ』


 冗談は止めろ。お前が与えたんだろっ!


『仮にそうだとして使うのは貴方よ? 他人じゃない。むしろ貴方だった方が幸せかもしれない。

 貴方が自分自身に使ってくれるのが1番だけれども……貴方の大切な人に使うも良し、他者に使うでも良し。

 ただ他者に使うと、貴方の大切な人はどうなるのかしら?』


 笑えない。全身が粟立って震えて来る。

 そんなことをしたらノイエは……。


『祝福も表裏一体。得た者全てが幸せになれるとは限らないの。現に貴方の大切な人は祝福を得て幸せ?

 ……貴方の傍にはもう一人居たわね。あの胸の大きな子。彼女は幸せかもしれない。

 貧しい猟師の出でだけど祝福を得た。お蔭で彼女は騎士見習いになって収入を得た。両親が働くよりも高額な収入を』


 何が言いたい?


『彼女は幸せ?』


 貧しい生活から脱却したのならそうだろう?


『貴方はもう少し他人を見るべきかもしれない。

 彼女の両親はたった一人の娘を王都に置いておくのがとても不安で一緒に出て来た。そのお蔭で仕事が出来なくなった二人は、普段知り合いもいない王都で右も左も分からず、隠れるように与えられた家の中に居る。その姿を知る娘は凄く心を痛めているわ。

 彼女は幸せ? 彼女の両親は?』


 それは……ただの不幸だ。


『貴方から見ればね。でもきっと周りの人たちは心の底から羨ましく思っているわ。それが人間だもの。

 与えれば与えるほど渇望し続ける醜い存在。

 でも、それでも、祝福を与える意味が分かるかしら?』


 知るか馬鹿。


『見てて楽しいから。こんな楽しい娯楽はそうそう無いから。

 だから祝福を与える。召喚魔法だって伝えた。他にも色々と……そのどれもが面白い未来を導いてくれた。本当に人間は面白いの。助け合って殺し合う……矛盾を孕んだ愉快な生き物なのよ』


 そうか。でもそれを見ているお前は何だ? 一番つまらない存在だろ?

 他者に道具を与えて殺し合って喜ぶ……もっとも醜くてつまらない存在だ。


『そうよ。……だからこの地位を引き継いだ時からその方針を変えた。私は異端。この世界に生じた異端。だから世界は私を消そうとしている』


 何の話?


『ドラゴンが急激に増えた理由は? きっと世界は新しい"私"を探すために人をたくさん殺しているの。だからその力が必要なのよ。抵抗するために必要なの』


 それでノイエが不幸になっても?


『……仕方が無いわ。私が消えれば世界はまた元通り。最小限の犠牲なのよ』


 そっか……っふざけるなぁぁぁあああっ!




(c) 2018 甲斐八雲

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