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大切な人

「ただいま戻りました~」


 駆ける馬から飛び降りてトンボを斬って着地する。

 その無駄に綺麗な曲芸に、休憩中だった兵士たちがまばらな拍手を寄こした。


「どうもどうも。出来たら結婚相手を紹介してくれると嬉しいです」


 ピタッと拍手が止まったことに悪態をつきながら、ミシュがハタと思い出して駆け出した。

 向かうは、事務的に口へ食べ物を運び続けているノイエの元だ。


「隊長~!」

「……」

「今お城で聞いて来たんですけど、アルグスタ様と隊長の正式な結婚式をこれでもかと壮大に執り行うそうですよ!」

「わあ……凄いですね隊長」

「……」


 モグモグと口を動かし飲み込んだノイエは、元気に騒ぐ胸の薄い小さな副隊長を見た。


「前にした」

「ですからもう一度、今度は正式な結婚式です!」

「もう一度?」

「そうですよ~。今度は全国民が参加できる形でって言ってました。ほとんど第一王子なんかと同じくらいの規模じゃ無いですかね~。も~本当に羨ましくて……私、嫉妬でとんでもない過ちを犯してしまいそうです」

「落ち着いてくださいミシュ先輩」

「ふっふっふっ……その大きな胸で男を誘惑したい放題なルッテには分からないのよっ! 具体的にはその胸寄こせマジでこら~っ!」

「ちょっと! 揉まない……って、中に手を入れないで下さいっ!」


 普段ノイエの挙動を監視する役目を持つ彼女は薄着だ。


 仕事中に大量の汗をかくから服を着たままだと、汗で皮膚がふやけたり湿疹が出たりと大変な為に服を脱いで行うことが多い。


「何なんですかっ! この大きい脂肪の塊わっ! 指が沈んで隠れますっ! きぃぃ悔しいぃぃっ!」


 バタバタと暴れる二人を見ながら……ノイエはとりあえず食事を続ける。

 行う(おこなう)と言うならまたするだけだ。それが彼女の基本姿勢。


 ただ……一つだけ思い出してそっと片手を自分の唇に当てた。


『そこに異性の人が唇を当てたら……それはノイエの大切な人よ。だから何があっても護りなさい』


 消えずに残るその言葉は、顔と名前が一致する数少ない人との思い出だった。


「護る……」


 唇から手を放して、ノイエは城の方へと目線を向ける。


「私はアルグ様を護る。そうだよね……カミュー」




 帰宅すると、何故かお嫁さんがベッドの上で正座していた。


「……」


 何も語らないその視線に気圧されて、いそいそと彼女の背後に回り後ろから抱きしめる。


「結婚」

「はい?」

「もう一度」

「ああ。ノイエも聞いたんだ」


 コクコクと頷く。意外と情報がザルだな。もしくはわざと流しているのか。


「うん。今度は正式な結婚式だって」

「でもした」

「うん。したね」

「もう一度?」

「そういう話だね。難しい理由は抜きにして……それをしないと困るらしい」


 チラッと肩越しに無表情な横顔が見えた。


「アルグ様が?」

「僕も、になるのかな。たぶんそんな感じ」

「分かった。結婚する」

「いやもうしてるからね。ノイエは僕のお嫁さんだから」

「……はい」


 何か今のやり取りが可愛く思えちゃう僕って、どんだけノイエに惚れちゃってるんだろう?

 美人だし、意外と根は真面目で……何より裏表が無い。真っ直ぐだ。


「ノイエ」

「……」


 後ろからキュッと抱き締めたら、彼女の手が僕の腕に触れた。

 こうして耳を澄ますと微かに彼女の鼓動が聞こえる。それ以上に僕の方がバクバクだけど。


「アルグ様」

「なに?」

「私は人ですか?」

「ノイエは人だよ」

「そう……良かった」


 ん~。やっぱり可愛い。

 もう頭ナデナデしちゃお。


 抱きしめていた手を放して彼女の頭を撫でる。


 軽く僕に体重を預けて来た彼女がチラッとこっちを見た。

 スッと体を入れ替え、目の前にその綺麗な顔が現れる。傷も染みも何も無い白くて綺麗な。


「アルグ様」

「うん」

「思い出した」

「はい?」

「ここは大切な人の唇と触れあう場所だと……昔言われた」


 細い彼女の指が僕の唇をなぞる。


「でも分からない。アルグ様は大切な人? もし違うなら私は」


 微かに彼女の顔が伏せた。

 頑張れ僕。惚れた女の一人も護れる男になるんだろ?


「ノイエ」

「……」

「僕はノイエのことが大好きです。だから君を護りたい。

 きっと君から見れば僕なんてちっぽけな存在だろうけど……それでも僕は護りたい」

「……」

「君の気持ちがまだ決まっていないならそれでもいい。その気持ちが決まるまで僕に護らせて欲しい」


 結婚してからプロポーズしてるって色々と問題ありまくりだ~っ!


 でも良い。ちゃんと言葉にして伝えられた。なあなあのままじゃ良くない。

 と、また細い指が僕の唇に触れた。


「分からない。大切な人が……何なのか分からない」

「……」

「でもアルグ様の名前と顔を覚えたいと思った。こんな風に思ったのは今までで二回目。だからきっと……」


 指が退いて色素の薄い柔らかな唇が触れた。


「アルグ様は私の大切な人。大切な人は必ず護る」

「ありがとう。ノイエ」


 キュッと抱き締めてもう一度キスをする。

 あの……出来たら目を閉じて欲しいです。そうガン見されたら恥ずかしいかも。


「ならお互いがお互いを護ろうね」

「はい」

「ノイエ……大好きだよ」


 言われて彼女のアホ毛が戸惑う。


「私は」

「うん大丈夫。言葉の意味が分かったら教えて」

「……はい」


 ほんの僅かに……彼女が微笑んだように見えた。




(c) 2018 甲斐八雲

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