第一話『暗殺者にして誘惑者』
エルディアノが探索者、ルヴィ。思わぬ遭遇に全身が硬直する。如何にして逃亡するかを全力で考えながら口を回す。
「……君がどうして、ここにいる。ルヴィ」
「はい。従順な後輩がお答えします先輩。不肖ルヴィ。先輩の危機とお伺いして推参しました」
「嘘つけ。ギルドの連中に言われて張ってたんだろ」
「はい。そうです。しかし嘘は言っていません」
ルヴィは両脚を軽く広げ、敬礼の真似事をしてみせた。彫刻のように綺麗に整った顔が、薄っすらと笑みを浮かべているのは、猛禽が獲物を見据えた時のそれだ。
肩口程度で整えた金髪が陽光を容赦なく輝かせる。栄養を十分に取って育ったのだろう肉体と、バランスの良い手足。碧眼は炯々と輝き、彼女の容姿を完成させる。
やろうと思えば、笑み一つで思うままの地位を得られるだろうに。しかし彼女はれっきとした探索者なのだ。
ルヴィ=スチュアート。エルディアノに所属する探索者。年若くギルドへもつい最近入ったばかりだが、その腕は周囲に高く買われている。確か、竜騎士も気に入っていたはず。どういうわけか、まがりなりにもギルドマスターの僕を先輩、先輩と連呼してきた変な奴だ。
何よりも、彼女は勇者の推薦状を引っ提げてギルドへと入り込んできた。単なる戦闘能力だけでなく、その魔力さえも勇者に認められたというわけだ。
腰元にはクロスボウと幾本もの矢。魔力精製によって加速された矢は強力だ。当たり所が良ければ一発で楽に死ねる。体格は僕より小さいが、この場での暴力は圧倒的にルヴィが上。
「……ルッツの奴が、僕を殺せと言ってたのか」
「はい。その通りですよ。ルッツ様以外にも、議員方が御騒ぎでして。証拠を残さず、偉大な先輩方が戻る前にとのお達しです。王女殿下の怒りを鎮めるのだとか」
偉大な先輩方。ルヴィがそう呼ぶのは、僕とともにギルドを設立した三人だ。もしかすると、全てあの三人が手を回していたのか?
自分達が遠征で王都を離れている間に、僕を殺すという汚れ仕事を終わらせておく腹積もりか。そうなれば、多少問題があっても下が勝手に暴走したと言い訳がつく。
「あいつらにそんな芸当が出来るとは思わないが。それでルヴィ、僕を殺したいのは仕方ないが、一つだけ聞きたい」
「はい。どうぞ先輩」
ルヴィのクロスボウが、がちゃりと音を立てて僕へと向いた。躊躇がないな、流石。
どうせ彼女の矢は、僕には避けられない。それぐらいは重々承知だ。両手をあげて、口だけを走らせる。
「どうして僕がここに来ると分かった? 他に選択肢は幾らでもあっただろう」
王都からの逃走ルートは数多くあるが、排水路を使うとなれば出口は無数にある。その中でも可能な限り、知られていないだろう場所を選んだはずだ。
ルヴィはクロスボウの照準を合わせたまま、笑みを隠さずに口を動かす。
「はい。人の裏をかくことばかり考えている先輩ですから。一番裏をかきそうだと思った次第です。ええ」
何とも、単純明快。裏をかこうとして裏をかかれるとは。僕も焼きが回った。
「よく知って貰えていて光栄だな」
「はい。……王女殿下も、そのように裏をかいて怒らせたのでしょう? 王都中に広まっていますよ」
「裏をかいたわけじゃない。ただ少し、王女様の考えとは合わなかっただけさ」
上流階級の方々との取引ではよくある事。
危険も面倒も、果てには費用の負担さえも全てギルド側に押し付けやがる癖に。その成果だけは自分達で持って行こうとしやがる。金持ちという生き物は、常に強欲を美徳とするからこそ金持ちなのだ。
彼らは自分達にのみ有利な条件を付きつける事を恥と思っていない。後ろめたささえない。それこそが当然の権利だと思っておられる。そんな条件を受ければギルドは大損。事実、貴族からの後援を求めたばかりに解散に追いやられたギルドなんて幾らでもいる。
今回、王室代権者たる王女様から出された条件も同様の類だった。
どう足掻いても呑めない、しかし断ればギルドの名声は地に堕ちる。今まで五年間、あいつらとともに築き上げた全てが失われる、そんな契約。
それだけは承服できなかった。例え、あいつらが今この時僕を殺そうとしていても。過去だけは誰にも否定されない財産なのだ。
だから、仮契約時の条件に、ひっそりと一文を付け加えてやった。実にご聡明で、並ぶもの無しの知恵者と語られる王女様にも見抜けないように、多くの文言の影に隠して。
――探索の成果を王室に寄付するかは、ギルドの判断に一任する。
仮とはいえ契約は契約。すでに契約書に魔力は通り、効力は発揮される。ここで契約を破棄するのは、王室の恥だ。その上、契約書に見落としがあったなんて、知恵者の王女様は死んでも言えない。
「ま。流石にここまで何でもありで来るとは思ってなかったがね。そこは僕も見誤った」
「はい。その通り、もはや意地ですよこれは。どうです先輩、今からでも王室に膝をついては。先輩の方から契約の破棄を申し出れば、王女殿下も溜飲を下げるのでは?」
思いもよらない提案だった。間違いではない。王女様の誤りではなく、こちらの誤りであった、という事にすれば喜んで契約を取り下げるはず。ギルド側もその圧力をすでに受けているから、僕を追放した。
交渉者だった僕が進んで前に出れば、話はより纏まりやすくなるかもしれない。
しかし、
「それは無理だな」
「はい。どうしてです?」
答えを予期していたかのように、ルヴィは続けた。
「ギルドに義理立てする必要はすでにないでしょう。むしろ、命を狙われているのですよ?」
「ルヴィ、君。頭は良いが、馬鹿だな。僕の仲間達を思い出すよ」
ぴくりと、クロスボウの照準が一瞬ズレた。
「あの契約は、ギルドのためだけじゃない。僕の血肉を注いだ契約だ。それを取り下げるってのは、自分で自分の尊厳を踏みにじるのと同じさ。僕は決してそんな真似はしない」
誇れるものがこの口だけであるならば、その口を裏切る真似はしない。裏切った瞬間に、僕はもう生きていけないのだから。
「はい。詰まり、プライドのために死んでも構わないと、そういうわけですか」
「まるで分かってない。命さえ懸けられないものを、プライドと呼ぶべきじゃあない」
とはいえ、このまま死んでやるほど僕も素直ではない。力では敵わずとも、裏をかける要素はないか。
軽く足を地面に押し付ける。それと同時だった。
ルヴィの指先がクロスボウの引き金を勢いよく叩く。魔力を伴い、緑色の一閃を描く矢が宙を穿った。 避けられない。そうしてその必要もなかった。
「ギ、ァァァア――!?」
矢は空気を引きちぎり、僕の頬を掠めながら、背後へと突き刺さる。咄嗟に振り向けば、そこでは『猛毒蜥蜴』の看板野郎が短剣を振り上げた格好のまま肩を貫かれ絶叫をあげている。深々と突き刺さった矢と大量の出血、そう簡単にはもう立ち上がれない。
何て奴だ。泥塗れになっても僕を追ってきたのかよ。陰湿だが、その執拗さだけは見上げたものだ。
「はい。私も先輩に同意します。尊厳というものは、無茶をしてでも満たすべきものと」
「そいつは嬉しいが、こいつは僕を殺すお仲間じゃなかったのか?」
「先輩がどうしようもない人間だったらそうしようと思っていましたが」
「ほう、惚れたと」
「先輩は更にどうしようもない人間だったので、保留する事にしました」
最後まで聞くんじゃなかった。元々口が悪い点で、僕とルヴィは同一だ。ちらりと蜥蜴野郎を見ると、矢を肩に突き刺したまま倒れ伏している。激痛の余り失神したか。
「しかし良いのか、下手をすれば君も、僕と同じお尋ね者だぞ。王女様に命を狙われる」
「はい。なので、逃げましょう。私と先輩の二人で」
「はぁ?」
言うと、ルヴィは周囲の木々を軽くかき分けて街道方面へと向かう。すると林に隠すように、一頭の馬が用意されていた。
反射的に目を細める。やけに準備が良いな。それに確かにルヴィと多少の親交はあったが、ギルドの先達としてでしかない。追放された後にまで、手を差し伸べるような縁はなかった。
こいつ、何か企んでるな。
自分が嵌める側なのでよくわかる。相手を騙す時は、それ以外の選択肢を遮断するように誘導するもの。今のこの状況も、彼女に誘導されているのではないか。
習慣づいた猜疑心が、胸の奥底に根を張っていく。人間は何時いかなる時でも自分の利益に沿って行動するもの。ルヴィにとっての利益は何だ。
「ご安心を。私は誰よりも、先輩のどうしようもない所と同時に、良い所だって知っています。他の誰が知らずとも、ね。第一、私以上に、良い選択肢がおありですか、先輩――?」
手を差し出しながら頬に微笑を浮かべるルヴィは、見惚れてしまいそうなほど。普段表情が薄いからこそ、その表情には価値がつく。
どこか、魔的とすら思える笑み。
三秒ほど考えて、吐息を漏らす。そうして、その手を取った。
「まぁ良いさ。相手を選べないほど落ちぶれたと思っておこう」
「はい。シンプルに失礼ですね先輩は」
そのまま馬に乗るルヴィを一旦呼び止め、先ほど肩に良い一撃を貰って失神している蜥蜴野郎を近場まで引きずりだしてくる。顔からはすっかり血の気が引いていた。
「おい、手伝ってくれ。僕の腕力の無さは知ってるだろ」
「はい。構いませんが、どうするので?」
「このまま置いていったら死ぬだろ。街道までは引きずりだしておこう。そこから生き残るかはこいつの運次第だ」
「先輩を殺そうとした相手ですが。助けるのですか」
不思議そうに小首を傾げるルヴィ。こいつ怖い奴だな。
「あのなルヴィ。殺しに来たから殺す、なんてのは獣か馬鹿の考える事だ。交渉事の世界じゃ、そんな相手を上手く味方にするのも大事でね。それに、だ」
「それに?」
全く意識を取り戻さない蜥蜴野郎を馬にのせ、街道近くまで歩きながら言った。
「こいつは僕の良いカモだ。殺すより育てた方がお得だろう?」
「はい。安心しました。先輩がクズ野郎のままで」
「誰がクズ野郎だ!?」
「失礼。鬼畜なクズ野郎でした」
舐めやがって。
一先ず、蜥蜴野郎は街道脇に転がしておく。上手く通りがかってくれる商人でもいれば、拾ってくれるだろう。野盗か魔性にでも襲われたら運が無かったで終わる。探索者は常に運を問われる商売だ。
僕にしたって、蜥蜴野郎にしたって。そこは同じさ。
本格的に馬を走らせるために、ルヴィに手を引かれて騎乗する。無論、手綱を握るのは彼女。僕は彼女の華奢な腰にしがみつくだけだ。不意の事態が起こった時、僕の腕力は馬を御すのに適さない。
「よし。それじゃあ、南方列国に逃げ込もう。あそこは多種族国家だ。余所者が入り込んでも誰も気にしない」
「はい。……列国に、ですか」
馬を軽快に走らせるルヴィの声が、一瞬止まった。
やけに歯切れが悪い。
「それは、難しいですね。国境の関所にも追手はいるでしょうし」
「……おいおい、僕はただの一探索者だぞ。幾らなんでも国境にまで手を伸ばすのはおかしいだろ!?」
「先輩が敵に回したのは数多のギルドだけではなく――王女殿下なのですよ。実質的な施政者である事をお忘れなく。あのお方も、プライドのためには何でもする方です」
口を噤む。確かに王侯貴族にはそういう所がある。しかしそれは彼女らが面子とプライドで飯を食べているからだ。僕をギルドから追放させた時点で、王女様の溜飲は十分に下がったと思っていたのだが。
「はい。それよりも、逃げ込むのに丁度良い場所があります」
「丁度良い場所?」
ややルヴィに誘導されているようで気に食わないが、今から馬を降りるわけにもいかない。素直に言葉の先を聞いた。
「はい。因縁たる旧王都グランディスですよ、先輩」