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第十四話『竜騎士は思う』

 ――パール=ゼフォンは思う。


 アーレ=ラックなる人間は、きっと何処か破綻しているのだ。魔性に脅かされる人間の身でありながら、それを我慢出来ないと言って憚らない。現実を知らない子供ならまだしも、彼は第一線で身体を張っていた。夢想と現実の差は痛いほどに理解している。


 けれど、それでいて尚、彼は変質しない。黄金のように、何ものにも汚染されずにここにいる。今にも溺れそうになってしまう意志を抱えたまま。


 あの日、パールとともにダンジョンを潜り抜けた時もそうだった。互いに生き残れるかもわからない状況だというのに、彼は魔性の悉くからパールを庇って見せた。


 当時は困惑しかない。気味の悪さしかない。理由も意図も分からない。


 けれど、今ならば分かった。それが彼の言う――自由なのだ。魔性や他者に脅かされるのを恐れ、したい事を出来ないなどあってはならない。


 もはや呪いと言って良かった。きっと彼はこの性質の為に死ぬ。今この時もレラの上に立ち、必要とあれば飛び降りるだろう。その先に、ほぼ間違いのなく死が待ち構えていたとしても。


 ただ生きる真似のできない、妄執の塊。それこそがアーレ=ラック。

 

「……君は、相変わらずボクらのを方を見てはくれないんだね。ボクらがどんな想いでいるか、知っているんだろう?」


「パール。僕にとっちゃ君らは駆け出しの頃から一緒だった仲間で、誇らしいほどに才能ある探索者だ。竜騎士、魔導師、勇者様。僕に縛られる必要はもう全くない」


 ああ、そういうわけか。パールは合点が言った。どうしてアーレは、自分達に振り向いてくれないのだろう。これほどまでに想いを明確に伝えているのに。そう、思っていた。


 彼の方が年上だから、子ども扱いされているのだろうか。そんな風に感じていた頃もあったが。


 全く違う。


 彼は自分達が、エルディアノという鎖に、アーレ=ラックという杭に縛られている。好意などというものは全て勘違いで。今や自由にすべきだ、などとという愚か極まる理由で、今日この日までやってきたのだ。


 紅蓮の瞳が細まる。呆れたのではない、自分のやり方が間違っていた事を理解した目だった。


「君にはそう見えたわけだね。ボクやフォルティノ、それに彼女が君に縛られていると」


 確認するように口にして、そのまま言葉を紡ぐ。トレードマークである蒼槍が、彼女の肩で鈍く輝いている。


「よく分かったよ、アーレ。やっぱり君は、ボクに縛られるべきだ」


 レラの手綱さえ手放して、パールは素早くアーレを抱き寄せる。


 誰にも手が出せない空の領域で、ようやく捕まえた思いだった。


「パール」


 ただこんな事だけで、アーレが靡くわけもない。それはよくパールが理解している。


 彼を従わせるには――もはや強硬手段に出るしかないのだ。パールは抱き着いたまま、ゆっくりと彼の首筋へ這わせるように口を開いた。他人よりも鋭く尖った犬歯が、白く栄えて見える。


「ボクがレラと一緒にいられる理由、君はよく知っているよね。ボクの身体には、竜の血が通っている。遠い遠いご先祖様が、何をやらかしたのかは知らないけれど。初めてそれに感謝をするよ」


 人間、エルフ、ドワーフ、魔性を含めれば数多の種族が混在する世界。


 血が混じり合う事はさして珍しくもない。潔癖とされるエルフの中にも、時には魔性の血を交らせているものがいるものだ。南方列国では、他種族の血を交らせる事でより生命が強靭になるという言い伝えさえある。


 無論、当人にとって幸福かどうかは全く別の話。


 竜種が混じった血統は、当然のように周囲から恐れと軽蔑の目を向けられた。


 奴らは何時、隣人を喰うか分からない。


 災害が起きたならば、奴らの所為に違いない。


 食べ物がなくなったなら、それは間違いなく奴らがやった。


 こんな様で、人間のコミュニティに属せるはずがない。両親はパールが幼い時に、やってもいない盗みの所為で腕を斬られ、数年もしない内に衰弱と貧困によって死んだ。


 パールも生きていくために探索者になったが、彼女を受け入れるギルドはなかった。ようやく協力者に出会えたかと思えば、嵌められ、ダンジョンの落とし穴に投げ込まれて。


 ――そうして、彼に出会った。


「ッ!? パール、何をして……」


 白い牙が、アーレの首筋に食らいつく。微かな血液が漏れ出し、パールの口内へと入り込む。


 魔力は血液のようなものだが、血液もまた魔力に近しい。魔力は血液によって、全身を循環する。廃魔現象で魔力が枯渇したアーレといえど、全く魔力が通っていないわけではない。


 牙を通して、パールはアーレの体内に疵を残す。身体そのものではなく、魔力にだ。


 最初からこうしておけば良かった、とパールは思う。これは自分のものであり、他者には引き渡さない。そう竜が宣言する儀式。魔力の浸食。


「アーレ、君が何と言おうと、ボクは君を離さない。地の底にいようと、天上の果てにいようと追いついてみせる。それが竜の本能だからね。それに――今の君には、ボクが必要だろう?」


 一つ一つ、確認するようにパールが口にした。


 その場をごまかすような口ぶりは通用しない。彼の身体はパールに掴み込まれており、その首筋には今も牙が押し付けられている。


「エルディアノを追放されて、次は旧王都グランディスでギルドを作ろうって言うんだ。ボクがいなければ、それは成り立たない。そうだろう?」


「……少なくとも。ここで必要ない、と強がれる立場でないのは確かだな」


 アーレは嘘つきだ。しかしどういうわけか、取引に関しては真摯である。パールはその点を強く理解していた。


 だからこそ、言う。


「味方か敵か、と君は言ったね。勿論、味方だとも。エルディアノだって抜けて、君についてあげよう。その代わり、君はボクと運命を共にする。自由に生きたい? 良いよ。ただ、その結果としてボクを裏切る事になるなら――」


 パールは笑った。微笑み、微笑み、それでいて企みを抱える表情。


 魔性の笑み。美しく、しかして残酷。


「――君から全てを奪ってあげるよ。自由も、幸福も、不幸も、力だって」


 両手でアーレの顔を捕まえて、真正面から見据えつつ、言う。


「君の良い所は、ボクだけが知っていればいいからね」


 *


 都市モンデリー郊外。『女神の大樹』ギルドの面々が転がる中、アーレを連れ去ってしまった翼竜の軌道を、フォルティノ=トロワイヤとルヴィが見据えていた。


 やられた、とルヴィは目を細める。パールには何時でもあの手があったのだ。やろうと思えば、即座にでもアーレを連れ去る手段が。


「はい。普通に追うのは無理でしょう。とはいえ先輩の事です、口先を使っていかようにでもするでしょうから、一先ずここは――」


 落ち着いて撤収を。そう言いかけた所で、ルヴィは目を見開いた。


 フォルティノがその場で両ひざと両手をつき、絶望したように項垂れたのだ。


 まさか。ルヴィが声をかける暇もなく、彼女は言った。


「もう、駄目だ……。嫌われた……あんな事言うつもりじゃなかったのに……」


 やはり。フォルティノの悪い癖が出た、とルヴィは天を仰いだ。


 彼女は『昔から』こうなのだ。アーレの前では強気に出て、棘の多い言葉をふんだんに使ってみせるが。彼がいなくなると言い過ぎた、嫌われた、と自己嫌悪反省会を始める。


 ルヴィとしては、そういう性的趣味なのだろうか、とやや懸念さえ覚えていた。


「はい。あの……フォルティノ先輩。そんな事無いと思いますよ、先輩も、よく分かっているでしょうし」


「分からねぇだろ!? それで自分が嫌われてたらお前がどうにかしてくれるのか!?」


 瞳に涙さえ湛えながらフォルティノが噛みついてくる。どうして彼の周囲には、パールといいフォルティノといい、面倒な人間が集まって来るのだろう。


 ルヴィは内心で頭を抱えながらフォルティノに寄り添って口を開く。


「先輩はそう簡単に人を嫌ったりしませんよ。不安に思われるなら、むしろこれからお役に立てば良いのではないでしょうか。今、旧王都で先輩は戦力を集められておりまして」


「旧王都で、戦力……?」


「はい」


 ルヴィは表情の薄い顔でこくりと頷いて言った。


 フォルティノならば、素直に信じてくれる事だろう。そう、確信していた。


「――王都シヴィを威圧し、いずれ攻め上がるための戦力です」

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