第十二話『魔導師フォルティノ=トロワイヤ』
フォルティノ=トロワイヤ。
僕の元パーティメンバーであり、『雷鳴』の名を欲しいままにする生粋の魔導師。
その女性らしい肉体美を強調するように、胸元が開きぴっちりと肌に張り付く魔導服とローブを纏いながら、フォルティノは紫髪を宙に漂わせる。
小さな稲光がぱちり、ぱちりと彼女の周辺を唸り、その存在をより際立たせていた。まるで我はここに顕現せりと、咆哮する獅子のようだ。
「アーレェ! 覚悟はいいんだろうなぁ! この自分が、わざわざ捕まえにきてやったんだからよぉ!」
頬に笑みを浮かべながら、勢い良い声を飛ばしてフォルティノが言う。周囲を黒ずみに変え、街道を雷鳴で焼き潰してご機嫌だ。
じぃと彼女を見ながら、不意に思う。
「……相変わらず、なんというか。凄いセンスの格好だな君。恥ずかしくないのか」
「自分の趣味じゃねぇって何度も言ってるだろうが!? 魔導服なんだよこれは!?」
途端にフォルティナは顔を赤く染め上げながら、紫髪を逆立たせて噛みついてくる。
良かった、まだ羞恥心は残っていたらしい。パーティメンバーだった頃から似たような服装をしていたが、慣れてきてたら流石に終わりだと思っていた。
「はい。フォルティナ先輩。本当に、先輩に敵対されるおつもりなのですか」
ルヴィが僕の一歩前に立って言う。僕が前に出れないように道を塞いでいる辺り、もう一度さっきと同じ無茶を繰り返すかもと思われてるなこれ。馬鹿にされている気分だ。
これでも無茶は必要な時にしかやらないと決めている。地面の上でのびている『女神の大樹』ギルドの連中ならば僕の無茶でなんとかなるが、フォルティナ相手ではそうはいかない。
彼女は、パールや勇者と肩を並べて最前線に立っていた、一流以上の探索者なのだ。
「あぁ……? もッちろんだろうが! そいつは今や、賞金首なんだからよ!」
怪訝そうにルヴィを睨みつけつつも、フォルティノはけらけらと笑って手元の短杖で僕を指し示す。
賞金首とは、ギルド連盟によって指名された探索者の事だ。
ギルドは言わば一種の自治組織。ギルドの法を破った者は、内部で裁かれるのが通常のやり取り。
だが、時にはギルドの法理に背を向け逃走する者、そうして僕のように追放される者もいる。そんな連中には、ギルド連盟が共同で賞金をかけるのだ。
どこのギルドにも所属出来ないように。数多の賞金稼ぎに追われ、二度と日の目を見れないように。ギルドという領邦から締め出し、確実に抹殺するための処刑方法。
「他の誰かに取られる前に、元パーティーメンバーの自分が貰ってやろうっていってんだ! 泣いて土下座して感謝して欲しいもんだ!」
嗜虐的な笑みを見せて雷をばちりと鳴らす姿は、獰猛な魔性さえも彷彿とさせる。
脅威度で言うならば、『女神の大樹』ギルドの連中が比較にならぬほどなのだが。
「――賞金首として誰かに襲われる前に、自分で保護したいとボクには聞こえるけどね、フォルティナ」
「んな……ッ!? パァル! ふざけた事いってんじゃねぇ!」
パールは蒼槍を片手にレラを呼び寄せながら、フォルティナと相対する。久方ぶりにパーティメンバーが出会ったというのに、二人の間にはややも剣呑な空気が流れていた。
彼女二人の仲がさほど悪かったという記憶はない。むしろ、長い付き合いだけあって良好だったはず。
しかし、
「おい、その手ぇ離せよパァル。黒焦げになりたかねぇだろ、えぇ?」
「何のことか分からないね。彼の下に一番に駆け付けたのはボクだ。異論でもあるのかい?」
パールが僕の右腕をぐいと引き上げて来る。やめろ、痛い。真面目に痛い。今の僕が非力だと忘れるな怪力モンスター。
フォルティナも纏った雷鳴を唸らせるのをやめてくれ。直接向けられてなくても、肌が焼けそうだ。
「はい。私です。先輩の下には可愛い可愛い後輩のルヴィが一番に駆け付けました。パール先輩ではありません」
「本当にやめろ君」
思わず声が出た。息を吐くより気軽に化物二人の間に参戦するんじゃない。
声に反応したのか、ぐいと、紫瞳がルヴィを見据える。ほら見ろ、化物に目をつけられたじゃないか。
「はぁん。お前、確か勇者の紹介だとかで入ってきた新人か。得体が知れねぇが、その非力野郎を守ったのは褒めてやる」
「はい。ありがとうございます」
案外呑気だなこいつら。
しかし、何処か弛緩した空気もそこまでだった。雷鳴が唸る速度が速くなり、フォルティナの感情の昂りを示している。空気が共鳴し、少し離れた僕の肌にさえ痺れが起きる。
「だが、それもここまでだ。パァル、お前もな。そいつは自分が貰う、文句は言わせねぇ」
「文句があるとすれば?」
即座に返したパールに向けて、フォルティナは笑った。
どこまでも素直に、表情豊かにけらけらと笑いながら言ったのだ。
「あはははは、昔から言ってんだろ――骨も残さず焼いてやるよ」
刹那、それは始まった。否、パールとフォルティナの二人にとってはすでに始まっていたのだろう。
宙で稲妻と蒼槍とが衝突し、音にならない音が衝撃となって炸裂した。
フォルティナは詠唱もせずに数多の雷を手足の如く操り、相対する者を害さんと指揮をとる。一つ一つが、触れるだけで骨肉を炭化させ、人体を絶命させる無情の落雷。
それらが紫電の飛沫を迸らせ、音さえも置き去りにして次々にパールへと疾走した。
されど相対するは竜の騎士。その胸に飾る二つ名は至強の証。
たった一本の蒼槍が、無数の竜牙となって雷を穿ち貫く。
本来、獲物を突き刺した槍使いは一瞬だけ無防備となる。槍を手元に引き戻すのか、それとも横に凪ぐのか。いずれにしろ、予備動作を強いられるもの。
だがこの竜騎士にはそれがなかった。貫き、穿ち、また貫く。瞬きの間に穂先で雷を迎撃し、宙に衝撃の波紋を走らせる。
それが三度、四度――一息の間に、十数度も空を交差する。
目にも見えぬ、しかし確かに肌で感じる化物同士の立ち合い。メイヤ北方王国において頂点を争うものらの狂騒。相変わらず恐ろしい。今の僕が近づいたら即座に死ねる。
互いに一歩も譲らず、決着の予感など全くなかった二人だけの戦場。
しかし意外な事に、目の前の雷を全て撃ち落とすと同時、パールが大きく間合いを取った。ぐるりと蒼槍を回すと、すでに主人の合図を待っていたかのように翼竜レラがその足元に滑り込む。
「へぇ。お友達と一緒にやろうってわけ。いいぜ、諸共焼き払ってやらぁッ!」
ますます笑みを深くしながら、フォルティナが両手を広げた。彼女の身体に宿る魔力が迸り、ぐるりぐるりと宙を回る。
これぞ痛快。これぞ探索者の醍醐味とでも語るかのよう。
フォルティナは直情的なきらいこそあったが、ここまで好戦的ではなかった記憶なのだが。少し会わない間にイメージチェンジでも図ったのだろうか。
しかし、レラに跨ったパールはやけに冷静に言う。
「いいや、君とこれ以上やりあっても無意味だからね。周囲に被害が出ても困る。決着をつけるのは次の機会といこう」
「あぁん? じゃあどうしてレラに――」
フォルティナが眼を見開いた瞬間だった。僕の視界が横転する。身体が大きく揺さぶられ、空気が強く頬に叩きつけられる。
おい、待て。
「――しまっ、てめぇッ!?」
「はははははッ! 目的を忘れて熱くなるのは君の悪い所だよ。ボクも人の事は言えないが、竜と名のつくものは自分のお宝だけは忘れない」
パールはレラの手綱を握り空を飛びながら――僕を小脇に抱えて笑った。
笑いごとじゃない。みるみる内に地面が遠ざかり、落ちれば即死する高度になっていく。受け身をとっても全身骨折は間違いない。
「先輩――!」
ルヴィの声も遠くにしか聞こえなくなってきた。いやこれ、何処まで行く気だ。
「おいパール! 冗談は良いがやりすぎだ。そろそろ降ろしてくれ!」
「良いのかい? 今降ろせば、間違いなく死ぬと思うけど」
「この場で落とせって意味じゃない!?」
「じゃあ駄目だね。危ないからじっとしていなよ」
パールは僕を後ろに座らせると、そのまま手綱を握って空を駆ける。必然、振り落とされないためにパールの腰元に抱き着く格好になる。
もはやフォルティナやルヴィの姿は影も見えない。フォルティナには『雷鳴』があるとはいえ、無造作に空を動き回るレラを捉えるのは容易ではないはずだ。
いやしかし本当、何処に向かってるんだ。旧王都の方向でもない。
「パール。もう良いだろ、フォルティナももう襲ってこれない。そろそろ降ろしてくれよ」
「嫌だ」
「うん?」
珍しく、パールは頑なだ。確かに時折意固地になることもあったが、パーティメンバーの中では話が通じるほうだった。勇者やフォルティナと比較しても冷静で、正直を言うと――。
「――ボクは御しやすいタイプだったはずなのに、と思ってるんだろうアーレ?」
「……参った。どうしたんだよパール。読心術でも始めたのか」
「ははは。それが出来れば苦労はしないさ。どちらにせよ、降りるのはもっと後。この国を出てからだね」
「は? いや、ちょっと待て。話が」
見えない。そう言おうとした瞬間だった。
パールは一瞬後ろを振り向いて、僕の瞳を正面から見た。
そこには、どこか魔的な色合いが含まれている。妖艶でいて、しかしまるで相手を呑み込もうとするかのような暴力的な色。
ゆっくりと美麗な唇が動く。
「――忘れてしまったのかな? 昔、言ったはずだよアーレ。ボクを御しきれなくなった時、君にもう自由なんてないってね」
微笑むように、いたぶるように、パールはそう囁いた。