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「ふあ、ふあぁぁ……」
上半身を起こして、大きく伸びをする。
初夏の光は眩いばかりで、サニーの濃い影が部屋の中に落ちていた。
今はお昼頃だろうか?
帰りが遅かったせいで、ずいぶんと朝寝坊してしまったようだ。
あれからレイロア大王を運ぶのは大変だった。
『フロート』をかければ楽勝だろうと高を括っていたのだが、生きた食材を運ぶのは大仕事だった。
まず、乱暴に扱う事が出来ない。
以前、メタリックマタンゴを運んだ時のように『フロート』をかけて蹴っ飛ばしながら、とはいかないのだ。
加えて、失神してるだけなので急に動き出す。
ハサミは縛っておいたが、それでも大暴れされるとたまったものではない。
レイロアに着いて冷蔵屋に預けた頃には、すでに日を跨いでいた。ロジャーは先にドウセツに送ってもらったが、ヴィヴィさんに怒られなかっただろうか?
まだぼんやりとする頭を振りつつベッドから足を降ろすと、寝室の扉がノックされた。
「起キテマス?」
「うん、今起きたとこ」
「えーりくサンガ来マシタヨ」
「エーリクが?……わかった」
簡単に身支度してからリビングに向かう。
「よお、昨日は大変だったらしいな」
髭のドワーフはどっかりとイスに腰を降ろしていた。
「ほんと、大変だったよ。力仕事だったから、エーリク連れていけばよかったね」
「悪いが、夜は飲んでて使い物にならんぞ?」
そう言って豪快に笑った。
「それで、用件は?」
結婚式の事だと予想はつくが、明日に迫ったこのタイミングで聞くのは正直恐かった。
「指輪はいるのか?」
「指輪?」
「儂はよく知らんが、結婚式では指輪の交換?とかやるんじゃろう?いるのなら、儂がパパッと作ろうかと思ってな」
「びりーサンガ用意シテルノデハ?」
ジャックが、僕とエーリクの前にお茶を置いた。
「ありがとよ……そうか用意してるかもしれねえな」
そう言って音を立ててお茶を啜った。
「んー、どうかなあ。そもそも……」
そこまで話して、僕は凍りついた。
「どうなんだ?」
僕の背中を冷たい汗が落ちていった。
「どうだろう……うわあ、ヤバいかも」
僕は両手で顔を覆った。
「ヤバいか?ビリーに聞けばいいんだろう?もう指輪は買ってるかって」
エーリクが不思議そうに尋ねる。
「コノ際、びりーサンニばれルノハ、仕方ナイノデハナイデスカ?」
ジャックもフォローを入れてくれるが。
「そういう事じゃないんだ」
僕は両手を下ろし、口に出したくもない疑惑を語った。
「……ビリーさんとヴィヴィは、本当に結婚するのかな?」
「エッ?」
「はあ?」
先ほどの僕のように、二人もピシリと凍りついた。
「そ、そりゃあ結婚するんだろう?違うのか?」
「確認をとってない……サプライズだから」
「なっ!?むうう……」
エーリクが腕を組んで唸る。
「デモ、ろじゃーハ、オ金ガカカルカラ結婚式挙ゲラレナイ、ト言ッテマシタヨネ?ゔぃゔぃサンガソウ言ッタナラ、結婚自体ハスルノデハ?」
「僕もそう思ってた。でも、ロジャーはヴィヴィに聞いたのかな?自分で教会に聞きに行った可能性はないかな?」
「アッ……」
「ロジャーが二人は結婚すると思い込んで、先走ってるとしたら」
「それは不味いだろう!もう、ほとんど準備は出来とるぞ!」
気不味い沈黙が流れる。
そもそも、何故僕はそう思い込んでいたのか。
「……そうだ、最初にラシードさんに聞いたんだ。ビリーさんが結婚するって」
「おお、それなら間違いないんじゃないのか?」
エーリクは安心したような笑みを浮かべるが。
「デモ、ソレモ予定デスヨネ?」
「うん……本当に結婚するのか、するのならいつする予定なのか、プロポーズはしたのか。全部わからない」
再びの沈黙。
耐えかねたエーリクがぼそりと呟く。
「やべえな」
「うん、ヤバい」
「やばイデス」
3人の意思が望まない方向に一致した。
「ビリーさんに確かめに行く」
「オ供シマス」
「それしかねえな。儂も行こう」
僕達はまだ熱いお茶もそのままに、我が家を後にした。
まず、僕達が向かったのは黒猫堂2号店。
ビリーの居場所を知りそうな人物がいる場所だ。扉を開くとドアベルがチリンと鳴った。
「ノエル、どうしたニャ?」
リオはカウンターに肘をついて帳簿を見ていた。奥からはトンカン、トンカンと小気味良い音が響いてくる。
「ちょっとラシードさんに話が」
「んじゃ奥行くニャ。おーい、ラシード!」
リオに先導されて奥へ行くと、見事な舞台が出来上がっていた。
床より一段高く作られた舞台は板張りで、両脇には緞帳まで用意されていた。上には《祝!ご結婚!ビリー&ヴィヴィ》と書かれた釣り看板がかかっていた。
「どうだ、なかなかのもんだろう!」
頭にタオルを巻き、ハンマー片手のラシードさんが手を休めて僕達を見る。無精髭も相まって、冒険者と言うより大工職人と言った方がしっくりくる風貌だ。
「ラシードの器用さは予想以上だニャ。冒険者引退したら、うちで雇ってやるニャ」
「ありがとよ、黒猫の」
二人は笑い合うが、僕達は笑えない。
結婚式が流れたら、この舞台はどうなるのだろう。考えただけで鳥肌が立つ。
「どうしたニャ?へんな顔して」
「お前ら、顔が強張っているぞ?」
僕は覚悟を決めて、事情を話した。
「なっ!?今更、何を言ってるニャ!」
リオが毛を逆立てて、怒りを露にする。
対してラシードさんは意外に冷静な反応だった。
「……結婚する、とは報告された。だが、プロポーズしたのかどうかまではわからんな」
「ラシードまで知らないのかニャ!」
「そう怒るな、黒猫の。まず確かめよう」
そう言うとラシードさんは頭のタオルを外した。
「どこにいるかわかりますか?」
「最近は飲んでる事が多いな。探してみるが、お前らも来るか?」
「行きます、お願いします」
「待つニャ!アタイも行くニャ!」
そう言うとリオはバタバタと店仕舞いを始めた。
最初に向かったのは【鉄壁】の定宿、〈レイロア・イン〉だ。部屋を覗いたが、もぬけの殻だった。
その後は、酒場を中心にビリーさんの行きそうな場所を一つ一つ回ったのだが、どこにもビリーさんの姿は無かった。
夕刻が迫り、一度〈レイロア・イン〉に戻ってみた。
すると、三つあるベッドの真ん中に寝転んで酒瓶を傾けるビリーさんがいた。
「おっ、なんだ?お揃いで」
だいぶ酔っているようで、陽気な声で笑いかけてきた。
「ビリー、大事な話がある」
「なんだよ、ラシード。怖いぞ?」
ヘラヘラしているビリーさんに構うことなく、ラシードさんは続ける。
「実はな。お前の結婚式を計画してる」
「はああ?俺の?」
「結婚するんだろ?」
「ん……まあ、な」
「どうなんだ?」
「何がよ?」
「プロポーズはしたのか?」
「関係ねーだろ、ほっとけよ」
「関係なくないわい!」
「関係なくないニャ!」
エーリクとリオの声が重なる。
「うおっ。だから何なんだよ、お前ら」
僕はビリーさんに説明を始めた。
「九日前、ロジャーが僕の所に来たんです。お母さんに、結婚式を挙げてあげたいって」
ビリーさんの顔から陽気な色が抜ける。
「僕も手伝いたいと思いまして。便利屋仲間や【鉄壁】の二人を誘って計画してたら、いつの間にか18人集まりました」
「はっ!?何だよその人数!」
「なんやかんやありまして。そして18人が動いているので、かなり計画は進んでいます」
「……勝手な事を」
「ええ。本当に勝手でした。本人不在なのに、喜んで貰えると思い込んで突っ走ってしまいました。すいません」
「スイマセンデシタ」
僕が頭を下げると、ジャックも同じく頭を下げた。
「……いつ」
「はい?」
「計画ではいつなんだ?結婚式」
「明日です」
「あっ、明日!?無理だ、無理無理無理!」
ビリーさんは寝返りを打って、僕達に背中を向けた。
「と、言うことはプロポーズはまだだな?」
ビリーさんは背中を向けたまま、頷いた。
「じゃあプロポーズするニャ!今するニャ!」
リオがベッドの向こう側に回り込んで怒鳴る。ビリーさんは堪らず寝返りを打って、再びこちらを向いた。
「迷っているのか?」
ラシードさんの問いに、ビリーさんは目を伏せたまま再び頷いた。
「貴っ様!ヴィヴィは遊びだったのか!!」
エーリクが目を見開き、髭を逆立てた。
「っ!待て待て、そうじゃない!」
エーリクの迫力に驚いたビリーさんは、飛び上がって否定した。
「……指輪、買ったんだ」
そう言って、ビリーさんは懐からペアリングを取り出した。
「ほう、悪くない物じゃわい」
エーリクの目に、職人の眼光が宿る。
彼の言う通り、その指輪は冒険者が手にするには上質な物に見えた。
「これ買った時、思っちまったんだ」
そう言って、ビリーさんは胡座をかいた。
「何ヲ思ッタンデス?」
「……ロジャーの分が無い」
結婚指輪なんだから当たり前なのだが、何となく言いたい事はわかった。
ビリーさんは天井を見上げて、続きを話す。
「あの二人はさ、旦那さん亡くしてから必死に生きてきたんだよ。そこに俺みたいなのが突然割り込んで、果たして二人にとって良い事なのか、ってな」
「それで、最近酒浸りなのか」
ビリーさんは返事せず、ただ頷いた。
「ビリーさん」
僕の呼びかけに、ビリーさんが顔を向ける。
「先ほど言ったように、この計画の発案者はロジャーです」
「……ロジャーは俺とヴィヴィの結婚を望んでいるって言いたいのか?」
「いえ。そう単純な気持ちではないようです。不安や嫉妬もあるようでした」
「……」
「それでも。それでも、彼は二人の結婚を後押ししようとしています。これが一つの答えじゃありませんか?」
ビリーさんは口を真一文字に結んだ。
「ロジャーが答えを出してるのに、俺がウジウジしてたら……」
「男が廃るな」
ラシードさんがビリーさんの台詞を奪った。
「はあ。わかった、わかったよ。心のままに、だな」
「ああ、心のままに、だ」
【鉄壁】の二人が笑い合っているのを不思議そうにリオが見た。
「何ニャ?それ」
「ああ、これな。【鉄壁】の合い言葉みたいなもんだ。迷った時は心のままに、ってな」
「うちにいた僧侶は、心のままに離脱していったっけ」
「そうだった、そうだった」
そう言って、また二人は笑い合う。
「ふーん、まあいいニャ。じゃ、プロポーズしに行くニャ」
「はっ?いや、無理だって!心の準備が……」
「こっちの準備は出来てるニャ!もう、待ったなしなんだニャ!」
リオがビリーさんを引きずって行こうとするが、エーリクとラシードさんが押し止めた。
「待て、黒猫の」
「ラシード!止めてくれ!」
ビリーさんが懇願する。
「お前ら、邪魔するニャ!もう果物もケーキも発注しちゃったんだニャ!」
リオは全く折れる気配がない。
「このままじゃ流石に不味いわい」
「酒を抜いて、身支度してからだ」
「……なるほどニャ!」
「お前らー!」
エーリクとラシードさんは、ビリーさんの服を引ん剥いて連行していった。
行き先は宿の中庭にある井戸だ。初夏とはいえ、井戸水はさぞかし冷たいだろう。
「ジャック、礼服は?」
「既ニじぇろーむサンカラ受ケ取ッテマス」
「じゃあ取ってこよう」
「アタイは花束買ってくるニャ。やっぱり女は花だニャ!」
「よし、急ごう!」
「プロポーズ大作戦ニャ!」
「うぎゃあああ!!」
僕達が宿を出ようとした瞬間、中庭の方から凄まじい叫び声が響いた。