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「ふう」
「オ疲レ様デシタ」
帰宅した僕に、ジャックがお茶を入れてくれた。
熱いマグカップの縁を両手で持ち、お茶を啜る。
「いや、本当に疲れるね……」
決行日まであと二日。
今日までの八日間は、各持ち場を駆けずり回る日々だった。
狩猟組は、最初の数日間は獲物を捕っては自分達で美味しく食べていた。
現場を押さえて森の中で正座させると、狩人二人が口を尖らせて反論してきた。
彼女達の言い分は、「食べるつもりはなかった」「だがもう夏なので熟成させる前に傷んでしまう」「それは獲物に悪いので食べた」「美味しかった」といったものだ。
僕は商店街で水属性魔法使いの営む冷蔵屋の存在を教え、食べてもいいが式用の獲物を優先するように念を押した。
料理担当のキリルは幾つもの美味しそうなメニューを考案していた。
だが肉料理に関しては、材料がわからなければどうにもならないとの事だった。
対策として、狩猟組が獲物を冷蔵屋に預けたあと、キリルに報告してもらう事にした。
祭壇担当のエーリクは、すでに十字架を仕上げていた。廃材で作ったとは思えない、銀色に眩く光る素晴らしい物だった。
エーリクは、もう仕事は終わったとばかりに酒瓶を呷る日々を過ごしている。
会場設営担当の二人は、役割をはっきりと分けていた。
リオがアイディアを出し、材料を調達する。
ラシードさんは剣をハンマーとノコギリに持ち替え、一日中ギコギコトントンしている。
どうやらビュッフェ形式にするようで、大皿料理を並べる長机が出来上がっていた。
これから出し物用の舞台を作るらしい。
大仕事になるようで、ラシードさんは「俺はいつから大工になったんだ?」と遠い目をしていた。
裁縫組は、ミラー洋裁店の一角を借りて奮闘中だ。
ミラーさんは、ぶつくさ言いながらも裁縫組の指導と材料の手配をしてくれた。
安く済ませる為に、上質だが1着仕立てるには足りない布、つまりは端切れを使うようだ。難題山積みの裁縫組にとって一番の問題は、ヴィヴィのサイズを測れないことだった。
結局、ロジャーがヴィヴィを街中に連れ出して、それを裁縫組が尾行するという手法をとった。
普段から半裸のような格好のヴィヴィなので、それでどうにかなったのだが、ビキニアーマーの女性をマッチョと老人と女の子二人がメモを片手に追うさまはなかなかにシュールだった。
ロジャーはそれ以外も手伝った。
狩猟組に参加して弓を初めて引いたり、僕の庭で初めて畑を耕したり。初めての事ばかりで目をキラキラさせていた。
今日はラシードさんの大工仕事を手伝っていたはずだ。
「昼間、きりるサンガ来ラレマシタヨ」
「キリルが?」
「エエ、ナンデモ大切ナ話ガアルヨウデ」
「大切な話?」
頭に浮かぶのはサニーとの仲睦まじい姿。
まさか、サニーをくれなんて……言わないよな?
言うのか?言っちゃうのか、キリル?
いや、お父さんは許しませんよ、サニー!
「のえるサン」
「若い二人に任せ……いやいや、駄目だ。許さないぞ、そんなこと」
「のーえーるーサーン」
「うおっ、何だよジャック。顔近いよ」
「きりるサン達ガミエマシタヨ」
「ん?もう夜なのに……達?」
玄関へ赴くと、キリルに加え狩猟組、ロジャーまで居る。
「ノエル、行くぜ!」
「もう夜だよ?どこ行く気だよ?」
「もちろん狩りニャ!」
ミズが代わりに答える。
「夜じゃないと駄目なんだ、これが」
キリルが勿体ぶって言うと、狩猟組がうんうんと頷く。
「いったい、何を狩る気なんだい?」
こう聞かれるのを待っている連中に聞くのも癪だが、話が進まないので渋々聞いた。
「それは未だ見ぬ強敵、偉大なる王!その名は……ゴゴゴゴ……」
トリーネが更に勿体ぶるが、ミズが横から掻っ攫った。
「レイロア大王ニャ!」
夜の街を歩く。
初夏の暑さのせいか、まだ人の流れは絶えない。
「レイロア大王って、都市伝説じゃないの?」
「いや、いるぜ?幻の、とか言う奴もいるけどな」
デューイが嬉しそうな顔で話す。
デューイがご機嫌なのは、ジャックと一緒だからだ。相変わらずジャックの信奉者である。
「5、6年前の年越し祭の時に、塩ゆでが振る舞われたらしい」
キリルが真剣な顔で語る。
「晴れの日だからな。やっぱりコレ!っていう目立つ料理が欲しいんだ」
キリルの意気込みが凄い。料理人として失敗出来ない大舞台なのだろう……職業は薬師なのだが。
「そういやロジャー、夜だけど平気なの?」
ロジャーは僕を見上げ、ニヤッと笑った。
「アルバイトしてる事になってるんだ。今日はキリルさんとこで料理のアルバイトって言ってきた!」
「それ大丈夫?バレてない?」
「大丈夫!へー、気を付けてね、だって!」
そう言って力強く頷いた。
なんだかバレてる気もするが、もう止められない所まで計画は進んでいる。このまま突っ走るしかない。
「だいたい当たりは付けてるんニャ。ただ、まだ絞り込めてないニャ」
「そこでノエルさんにお願いしようと思いついたわけです」
ウーリが笑顔で話す。
「大王がいそうな深みをノエルさんに鑑定してもらえば、効率よくポイントを回れるかと」
「なるほどね」
獣がいる茂みを普通に鑑定すれば草の名前がわかるだけだが、その奥に焦点をずらせば獣を鑑定する事が出来る。深みを鑑定してゆけば、ロスなく探す事が出来るだろう。
「で、見つけたらどうするの?まさか潜らないよね?」
「コレでござる」
ドウセツが袈裟懸けにした極太のロープを叩いた。
「そしてコレがエサだ」
キリルが右手と左手で、一羽ずつムルムル鳥を掲げた。
「そしてコレがウキニャッ!」
ミズが頭よりふた回りは大きいウキを取り出した。
「釣るの!?確か、子牛くらい大きいんでしょ?どうやって釣り上げるのさ!?」
「そりゃあ……綱引きさ!オーエス!オーエス!」
トリーネが綱を引っ張る動作で戯けた。
「まあ、釣り上げた後が大変だろうが、な」
キリルが意味深な発言をする。
「どういう意味?」
キリルに尋ねると、彼は難しい顔で答えた。
「生きたレイロア大王を街まで持ってきて、冷蔵屋に頼む必要がある」
「生きたままだあ!?」
「聞いてないでござるぞ」
「どういう事ニャ!」
僕以外が一斉に驚きの声を上げたので、僕は驚くタイミングを逃してしまった。
「……仕方ねえんだよ。料理の直前まで生きててくれないと、臭みが出て食えたもんじゃない」
「ロープで縛るとか?無理でござろうなあ」
「『スリープ』無いですよね、ノエルさん……」
「無い。無いけど……心当たりがある。ちょっと寄り道するよ?」
僕が向かったのは、裏通りにある〈雨宿り〉という小さい酒場。
酒場の扉に手をかけた時、道の反対側から目的の人物が歩いてきた。
「おお?司祭君か。ずいぶん大所帯だな」
「グッドタイミング」
「はあ?何がだ」
僕が指を鳴らすと狩猟組がポーリさんを取り囲む。
「何だよお前ら」
僕は、少し焦った様子のポーリさんに問いかけた。
「酒場に来たって事は、暇ですね?」
「だから、何なんだよ」
「暇ですニャ?」
「寂しい独り身。ポツン……」
逃げられないよう、ミズとトリーネが両脇を固めた。
「答えろよ、お前ら……なんか怖えよ」
まだごねるポーリさんの前に、ジャックがずいっと進み出た。
「ヒ、マ、デ、ス、ネ?」
「そ、そりゃあこれから酒飲もうってんだから、暇には違いないが」
「よし、連行!」
「「おう!!」」
「はあ?お、おい、お前ら何のつもりだ!ってドコ持ってんだコボルト!」
僕の心当たりとは、ポーリさんの雷魔法で大王を感電・麻痺させよう、というものだ。麻痺なら『デモンズアイ』を覚えているが、人に近い相手に効果が高いとの注釈付きの魔法である。人とはかけ離れた大王に対して、効果は期待出来ない。
僕達は、ポーリさんを引きずりながらリノイ川へと向かうのだった。
――リノイ川。
レイロアで川と言えばこの川を指す。
ジューク連山を水源として、レイロア周辺をうねりながらヴァーノン河へと注ぐ川だ。
レイロアに住む人にとって、貴重な生活用水と豊富な水産物をもたらしてくれる代え難い存在であろう。
一方、ジューク連山の雪解け水や秋に訪れる嵐によって増水し、度々住民達に牙を剥く存在でもある。
流域の生態系は豊かの一言。
ここにしか生息しない種も多く存在し、釣り人の関心を引いてやまない。
その代表格がレイロアンロブスター。通称、レイロア大王であろう。
その異名に相応しい大きさは、他に類を見ない物だ。強力なハサミの事を考えれば、登山用ザイルでも釣り上げるには心もとない。
加えてその性格は大変用心深く、夜行性ということもあり目撃者が非常に少ない。ポイントを探るだけでも一苦労であろう。
難易度の非常に高い対象でありながら、私が是が非でも釣り上げたいと思うのにはわけがある。
幻とまで称されるレイロア大王だが、その味は甲殻類の中でも別格なのである。
一度だけ、ご相伴にあずかった事がある。
肉厚どころか超肉厚。
ぷりっと弾力のある身は固すぎず、むしろ柔らかい。
一見大味そうだが、噛み締めると濃厚な旨味汁が溢れ出し、身そのものの味は甘く上品。
レイロア出身の美食家ウバライが、死の間際に「ああ、レイロア大王の塩ゆでが食べたい」と言ったのは有名だ。
おわかりだろうか。
レイロア大王が「大王」たる理由は、甲殻類の中でとりわけ大きいからだけではない。
その味もまた、「大王」級なのである。
出典 マウジー=ジョーのいい旅釣り紀行